2008年04月30日

明日なき日本・・・・・

明日なき日本・・・・・

戦後、僕ら父母世代が遮二無二働き続けてようやく手にした“ウサギ小屋”という、

「小さくてもそこそこに幸せなわが家」

そんな・・・・・
あの戦争に明け暮れた陰惨な「もうひとつの昭和」から、それは開放された瞬間だった。

田中角栄の幻想“独立国日本”

ひとつの政治、この国の政治の形として“田中角栄”のそれは豊かで平和な“村祭り社会”を目指したものではなかったか。
あの時代、どこの町、村にもヤクザはいたし、たちの悪い金持ちはいた・・・・・
しかし、そこに生活する町人、村人は活気にあふれていた。

“日本列島改造論”

後に通産事務次官に栄達した小長啓一AOCホールディングス会長(Wikipedia出典)が大臣官房長時代に素案下書きされたとするそれ。
ちなみに小長啓一氏は灯台×ではない岡山大学法文卒、そのことが無学閥の田中角栄が重用したかどうかは定かではないが・・・・・

その“日本列島改造論”がまさに『村社会』、国民大衆に支持された“村祭り政治”ではなかったか。
それは昨日の豊作を祝い、明日の五穀豊穣を願い今日の互いの安寧を確かめ合う。

それはある意味、明治以来の官僚政治、国家が否定され“町人政治”が生まれた瞬間。

たしかに、品は悪い。後には闇将軍と揶揄され、その意味では将軍と言うよりはヤクザの大親分と言ったところ。
当然、無学閥、そこでの条件の権威は“カネ”で創るしかなかった。創った・・・・
結果、その無学閥の権威、権力の下に官製国家も灯台×も平伏する(フリ)しかなかった“田中角栄の時代”

わからない・・・・・・
しかし、田中角栄の発想には叩き上げ、田中角栄の頭の中に“民営化”、国民の資産を切り売りするそんな発想がはたしてあっただろうか。

今日、その“民営化”とは国家、官僚政治の“失敗”を民、つまり大衆、国民の身銭、税金で穴埋めする。
しかもそれは“失敗”の部分だけで、その失敗の部分だけを税金で帳消しにし残りの美味しい部分は国家が“民営化”と称して山分けする・・・・・・

それは、田中角栄の前に土下座までしたという国家そのものの中曽根康弘から始まった。
すでに下火になっていた猛に猛った労働争議の日本国有鉄道の分断、民営化。
国有というからには国民の資産、国民の稼ぎで営々と築いてきたものを民営化と称して国家人たちだけで・・・・・
インサイダーしまくりでバブル崩壊、人為的に価値、価格を落とすだけ落として山分け。

日本電電公社の民営化も・・・・・
これは国家、官僚政治の失敗、赤字国債穴埋めと称して、超優良公社だった国民の資産をバブルに乗じて切り売り、
国家、官僚政治はその天文学的数字の儲けをはたして赤字国債の穴埋めに使ったのか。
欲に目をくらました国民大衆を騙し、官僚政治が働いた20世紀最大の“国家詐欺”だったのだ。
あげく、今日を見れば“電話”そのものがその国民のものであったはずの通信網施設を山分けし“電話会社”をでっち上げ、
想像もできない儲け、すなわち国民負担を押し付けている。

住宅金融公庫、道路公団、郵便局、郵便貯金、簡易保険、日本興業銀行、日本債券信用銀行、日本長期信用銀行・・・・・
そして中小企業金融公庫、商工中金等々それらの負の部分は全て“国民負担”。

国民大衆の職を奪い、賃金は低下させ、その上「増税につぐ増税」。
それも、社会保険料といった表面には出ない形での“天引き”増税を密かに官僚立法・・・・・

これだけの悪政をなんの躊躇いもなくすれば、そりゃあ国民、自殺もしまさぁな。
まるで新種の自殺の仕方を国家が指し示しているかのような国民の手段・・・・・

政治は、最低賃金法改定とかいうが、コンビニで時給“1,000円以上”なんてぇことになったら、そのフランチャイザーたちまち店じまい。
イオンしかりだろう。大本は大店法やら商法、労働派遣法で国家に保護させながら国民大衆を年間所得200万円以下でこき使う。

ところで異常なガソリンの高値となりそうだ・・・・・

2兆円もの多額の資金(税金)を投じながらの自主開発油田はどうした???
莫大な税金を使っての資源外交、そしてその外交手段としてのODA。
ほんとうに日本はそのクソ高い原油を国際市場から買っているのか・・・・・

出光、日石が空前の利益では国民は“クソ”以下ではないか。
  

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2008年04月28日

2058年のわが街、高崎

つまり50年後のわが街“たかさき”である。

もちろんそのころには僕はいない。とうぜんお墓の中にもいない・・・・・

50年後と言えばわが末娘が63歳、
長女は82歳、次女が79歳・・・・・そんな時代の話である。

そうそう、長女には来年生まれるだろう子ども、その子どもですら49歳。
次女の長女が56歳、次女が55歳、長男が53歳である。

2058年、厚生労働省予測では日本の人口は“8000万人台”とか。

さて、わが街“高崎”はいったいぜんたいどのくらいの人口になっているだろうか?

日本の人口、1億2千万人、それが30%以上減少するとかの予測だから、
わが街高崎もそれにならって30%減とすると今が34万人だから、≒21万人チョいということになろうか。
もっともその頃には高崎と前橋も近隣の町村を合併させて“上毛野市”とにでもなっているかも知れない・・・・・

そのころには天を突く絢爛なご自慢の21階建て“高崎市庁舎”も築後70歳になってしまう。

ところで、現在の庁舎、今のもてなし広場のところにあったのが昭和29年4月に完成と言うことだから、
西暦なら1954年、そして新庁舎が1998年、なんと44年で老朽化を理由に新築だから、
そんなことを言えば、今の21階建ての絢爛豪華な庁舎もはたして70年も持つのだろうか?

“総工費343億6000万円”

70年ローンで毎月≒3800万円の返済の計算になる。

もちろん、大きくは高崎市と前橋市の合併で今の、地上21階、地下2階、高さ102.5m、
なぜか消防法とかで設置が義務付けられている“屋上へリポート”。
だけど航空法では高層ビル火災等の緊急避難でしか離着陸が許されていない、
そんな平成生まれの新庁舎も無用の長物になるかも知れない・・・・・

もっともその時代、当然今の、今上天皇は崩御、今の皇太子でさえ50年後と言えば、
いかに現人神のお孫さんとは言え、50年後と言えば98歳、その存命や如何にである・・・・はずである。
愛子様、女帝の時代か、今7歳だからその頃には57歳・・・・・

2058年のわが街、高崎・・・・・

ところで“わが街、高崎”もいいが、国債発行残高700兆円、国地方あわせて1200兆円にもなるというわが日本国の台所事情。
50年後、人口が30%も減少して、それも限りなく高齢化が進む、なんてったって、わが娘の息子が中高年になっちまうんだから(笑)。
国民の半数が“後期高齢者”なんていうことにもなりかねない・・・・・

その、1200兆円にも上る国地方の借金はどうなってるんだろうか?

巷間言われていることは、戦争で解決するしかないとか、超インフレ策で借金をチャラにするしかないとか物騒な論調が。
しかし50年後、これから50年の間に一体全体どんなことが起こるか。

因みにわが群馬県の財政も“とんでも”な状態になっているとかなっていないとか・・・・・
http://www.geocities.jp/mkqdj167/gunma.htm

その負債は1兆円を突破。大阪府が6兆4千億円で橋下新知事泣いて見せたが、大阪府の人口が883万人。
その人口規模と経済基盤からしたら、わが群馬県は200万人チョい、
それにいくら大阪が東京と比べたらしょぼいからと言ったって大都会で大手企業は腐るほどある・・・・

大阪府6兆円、群馬県1兆円は“デカクナイかい”???!!

そんなに、一体なにに使っちまったんだろう?
きっと何かに使っちまったことには違いはないが、その財政難規模は人口比較からしたら大阪府並。
しかも、経済基盤規模は大阪の比ではなくショボイ・・・・・

2058年のわが街、高崎・・・・・

わが娘たちの息子の息子たち、きっと生まれているだろう、わからないけど特殊出生数1.29にしても(笑)。

そんな、子どもの子どもの子どもたちが20代にならんとする50年後のわが街高崎は一体どんな街に?

そうさあねぇ・・・・・・

思えば、今から50年昔は昭和33年。敗戦、戦後干支がちょうど一回りの頃、ラーメン一杯30円したかしないか。
その時代に、僕らの祖父母は2008年をはたして想像しただろうか。

自分の子どもの子どもの子どもが小学生になっていて・・・・・・
つい昨日の出来事、陸軍高崎十五連隊から日露戦争に出征して、自分の子どもが大東亜戦争に出征して・・・・・
孫が、インターネットで・・・・・・

“2058年のわが街、高崎”なんて想像しているなんて、想像していただろうか。

さて、2058年のわが街、高崎はいったいどんな街になっているんだろうかな・・・・・・

  

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2008年04月28日

春うらら

昨日は僕がドラム教室の講師を務める某楽器店“Pプラザ”の主催で、
活躍中の若手プロドラマーを招いて、某楽器メーカー“ロ社”の電子ドラムの宣伝を兼ねての“ドラムクリニック”、

驚き!!

なんと普通のお母さんがお父さんが子どもを連れて・・・・・

小学生、中学生、高校生・・・・・それに普通のおじさん、おばさんも(笑)。

「ドラムたたいてみたい」とか、「ギターよりかっこいいから」とかは少年少女。

普通のおじさん、おばさんは「一度でいいからたたいてみたいと思っていた」と・・・・・

その若手プロドラマー、約1時間汗だくでの名演奏と演奏指導。

「ドラムはスポーツ、とてもハードなスポーツです!!」

リズムとテンポ、そして何よりの有酸素運動・・・・・

「ドラムでメタボ対策!!」

なんていってながら、当人、おなかが“ぽっこり”。美味いモンの食べすぎか(笑)。

でも、ドラム演奏は両手両足、身体全体を使ってのスポーツ美容と健康にお勧めです!!

そんなのどかな“春うらら”でした・・・・・・

そういえば高知競馬かどっかのブービー馬“春うらら”はどこへ行ったのでしょうか?
まさか、桜の季節が去って“さくら”にだなんてぇことには・・・・・


ところでこのところの硫化水素自殺・・・・・

>人生の旅をしないで死に急がないで。

教科書どおりの育児、そして家庭教育。
親も学ばなければいけない・・・・

娘の、長女、次女が小2、小1で昨日は育成会の“写生大会”でおおわらわ。
末っ子長男はボロボロこぼしながらの夕ご飯・・・・・

お母さんも、お父さんも、子育て毎日が“一年生”。

>命の瑞々しさを見いだせない社会になったものだ。

子どもの成長、その毎日が初体験なんですね・・・・・・

それこそが命の瑞々しさなんですね。

そんな母親になった娘を見ているとあの頃の僕たちを思い出す。

まあどちらかと言うと呑気者の僕ら・・・・・

その意味では子どもたちの病気怪我以外はほとんど無頓着だった・・・・・

そのせいか、子どもたちはさっさと巣立っていった。
あと一人、それもすっかり“巣立ち”の準備はできているようだ(笑)。

>天災、人災から生き延びて、学び、働いて、次の世代へとつなぐ。

その通りですね。
よく生き延びてきましたよ、来年は還暦ですからね。信じられません。

娘たち、わりとしっかり者、親を反面教師にして・・・・・

末娘、学校の自由作文で「税金の無駄遣い」ですって。
僕にも“無駄遣い”を注意していました(笑)。

「パパ、福田さんてどうなの?」

「わからん!」

水泳部の玲は今日は学校のプール掃除とかで元気に出かけていきました。

そう言えばあのちびだった末娘がいまや思春期・・・・・

“若きヴェルテルの悩み”

淡い初恋から、大人の恋の予感・・・・・たぶん(笑)。

身長160センチ、体重?キロ。

「娘さん、だいぶ大人っぽくなったね、お父さん心配でしょ」と、近所のオバサン。

肌を離すな、手を離すな、心を離すな・・・・・

離れていくものを、懐かしく見守るだけの、

そんな“春うらら”でした・・・・・
  

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2008年04月27日

偽装する民主主義

官僚社会主義が偽装する民主主義

本来の民主主義であるなら政治家、官僚に多少の悪太郎はいるだろうが、
ここまで官僚が政治家を手玉に取り見せかけの民営化、偽装民営化で国民を足蹴に役人天国がまかり通る国はない。

どうです・・・・・

防衛省の守屋武昌前事務次官の行状。
なにもこのお方だけではないのだろうが、それにしてもこの守屋武昌前防衛事務次官、
事件発覚当初は、各メディアの質問攻勢にも・・・・・

「私がそんなことするわけがないでしょう」

と、例の山田洋行からの“ゴルフ接待”や“ワイロ工作”を完全否定していた。
それどころか、国会の証人喚問でも「ゴルフのたびに1万円を支払っていた」と“真っ赤な嘘”をつき通していた。

実際は妻同伴のゴルフ接待にもびた一文払うどころか、高級料亭のオネダリやらカラオケやら、
もっと露骨なのは、守屋武昌事務次官婦人(当時)単独の接待でも、そこでの飲食まで山田洋行に付回していた。
さらに、娘の米国留学費用やら息子の消費者金融からの借金返済も山田洋行に・・・・・

それらが、裁判、公判過程で次々と明らかになり守屋武昌前防衛事務次官、その事実をほとんど認めることとなった。

まあ、守屋武昌前事務次官だけが特別だったわけではないだろう。
これまでも、政府各省庁の事務次官、局長、審議官が贈収賄で逮捕されその刑は“予想通り”に確定している。

つまり、犯罪者が“高級官僚”を演じている・・・・・・
だもの裏歳入の特別会計“240兆円”のカラクリは死んでも現政権下ではその“パンドラの箱”が開かれることはない。

まあ、単純にいえることではないが日本のGNIが“500兆円”で、一般会計・特別会計歳入が実質“280兆円”と言うことは歳入イコール・・・・・
特別会計の歳入、年金特会、健保特会、石油特会、自動車関連特会、原燃特会etcとあげたらきりはないが、
それらは直接税(一般会計)、間接税(特別会計)であり、その間接税歳入の方でさまざまな国家プロジェクトや、

「官僚の、官僚による、官僚のための事業」

けして、公にされることのない使途非公開の莫大な、天文学的数字の国家予算を強大な権力の下に使っている。

では、実際に“280兆円”も使い切っているのか・・・・・

実は、それぞれの会計で、当然赤字のところもあるだろうが多くが予算を消化しきれず、
「消化したことにして」プールしている。その額が毎年数兆円、十数兆円。
それらがいわゆる“埋蔵金”とかいわれているやつなのだが。

実は先に述べた“280兆円”の歳入と“500兆円”のGNI(国民総所得)からすると、
その“500兆円”から生まれる歳入(税収・事業収入)“280兆円”は結果としてそこでの課税率換算では“56%”にもなる。

したがって、実際は、世界一高い電気料、上下水道料、高速道路料金、年金保険料、健康保険料、教育費、医療費、等々で、
それらからなる政府の間接的歳入(税収)さまざまなややこしい経過を経て政府の懐に入る。
当然、≒37兆円の公務員給与とその事務費、そして独立行政法人(特殊法人)の職員給与、事務費・・・・・・
もっとも、それら給料の他に、“遊興費”やら、“水増し出張費”やらなんやらにも流用されたり、
もっとひどいのは厚生年金資金、失業保険資金を流用した“ハコモノ建設”。

つまり、この国の場合はその“税制”制度が悪いのではなく、その制度を司る人間の質が“ヤマシイ”だけなのである。
その制度は極めて効率的で、それは秒単位で運行する“山手線”のように世界に類例のないシステムと、そこに働く“人間の質”。その差ではないか。

繰り返される“天下り”。
それはそうだ、毎年歳入が280兆円からあればそれをいかにうまい具合に山分けしようかの邪さはある意味“人情”であろう(笑)。

法律を観ればわかる・・・・・・

「役人は悪いことをしないことになっている」

だから、その“善人を罰する”決まりがどこにもない。

そんな偽善の役人に重宝される政治家、それを選ぶ、そのオコボレに預かりたい下種な国民。
早い話、いまの政治家は特定集団の利益代表、ゆえにどの選挙でも50%あたりの投票率しか得られない。
と言うことは、やはりこれらの責任はやはりわれわれ国民にあることは間違いのない事実。
つまり、政治家、国会議員とは何のつながりもない国民がどんな政治家を選ぶか・・・・・

ではないか。

さて山口は?   

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2008年04月26日

希望

希望

何に怯え・・・
何に狼狽え・・・
何に慄く・・・

こんなにも快楽ではないか、世間は。
それなのに何故・・・

何に怯え・・・
何に狼狽え・・・
何に慄く。

暑い夏が熱くない・・・
撓わな秋が枯れている・・・
深々とした冬は心を甚振り・・・
待つ春をも嘲るのは何故・・・

置き去りにされたものの憤りが風になる。
屍の時代の少年達の慟哭が嵐になる。
灼熱に消えた無辜の彷徨が大地を揺する。

それでも・・・希望に希望をつなげようとしない。
言い放つ口先だけの「正義」は余りにも無残で儚い。

もう終わりなのに・・・

  

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2008年04月25日

僕の中の少年

すっかり変わってしまったなぁ・・・・・

空も、雲も、山も、川も・・・そして海も・・・・・

もう、少年の孵る所は何処にも無い
清らなせせらぎも、寝転んでまどろむ草叢も
そして、「お~い」と呼べる入道雲も

すっかり変わってしまったな・・・・・

街と云う街にはぺんぺん草だけが踏み敷かれた瓦礫に賑やか
おたまじゃくし、どじょっ子、フナッコ
そしてゲンゴロウと遊ぶ小川も時代に踏み潰されてしまった

裸足で翔ける野原・・・・・
シオカラ蜻蛉、ギンヤンマ、赤とんぼを追い掛け回した麦藁帽子も。
「キーーーン」と、何処までも高い青空に描く飛行機雲も・・・
時代に掻き消されてしまった。

少年の居場所が無い・・・・・

心地よい、母の胸のようなやすらぎが無い
逞しく優しい、父の背中のような安堵が無い
あるのは薄暗く、目まぐるしい閃光と空想の世界

少年は気づいている・・・・・

自分の住む世界が、一体全体どんな世界なのか
そして、籠の鳥が、籠から放たれたら瞬時も「生きられない」ことを

少年達は、そうして「罪」を重ねながら僕らに、時代にメッセージしている
それなのに、僕らは目を覆い、耳を塞ぎ、口を噤んでしゃがみ込む・・・・・

そして他所に言葉を借りて、虚ろな正義を振りかざすだけの僕

そんな僕を知っている僕の中の少年を思ふ

  

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2008年04月24日

溜めると腐る。

溜めると腐る。

人間は実に醜い。
人間と言うものだけが、同種、同族、平気で殺し合いをする。

まずもって「醜い」のは、物を「貯める」。
貯まって、使わなければ大概の物は「腐る」。
同種同族、殺しあって、その腐臭極まりない「貯まり」をほくそ笑む。

森であれ、海であれ、川であれ、我が物顔に「貯まり」を求め亡者となる。

きっと、人間は何もかも全部自分のものにしたいのだ・・・その為には弱い他の人間、動物はお構いなしに「殺す」。

一対一で適わないと思えば、どんな手段を使ってでも、他人の分まで収奪する。

この地球と言う星に「人間」と云う動物がいなくなれば、どれだけ豊かな「惑星」であっただろうか・・・
空の生き物は空で、山の生き物は山で、海の生き物は海で、サバンナの生き物はサバンナで・・・
必要な時に、必要なだけの生きるための術に多種他族を「食す」。

この星に、人間さえいなければ・・・


溜めると腐る・・・・・・

貯めると腐る。

冷蔵庫の中身・・・半分がゴミになる。
また、ゴミになるように「売られている」。
銀行の金庫の中・・・大半が腐臭を放っている。
何代にも亘っても使い切れないほどの「金銀財宝」を人間は独り占めしようと魂胆する。

いくらあっても足りないらしい・・・
醜態な生き物・・・人間。
僕は、そんな人間でなくて良かった。
その日暮を嘲笑するが・・・・・

人間以外は全部・・・「その日暮」。

  

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2008年04月23日

裁判員制度

裁判員制度

ひとつの“徴兵制”のようなものではないか(笑)。

一般大衆、そう、“民草”に絶対機密(秘密)を科せる“裁判員制度”

つまり国家の“イヌ”なれということなのだろうか。

国家のイヌなら、警察官、検察官、裁判官、公安で十分ではないか。

国民、一般大衆を裁判員にして民草同士で“裁かせる”、つまり人民裁判。
アメリカのようにそもそもこの国では国民自身が国民自身で自分を守ると言うような、
そしてそれの正当性を主張するような、つまり“主権在民”を徹底して主張するようこの国の国民は教育されてきてはいない。

個人では“判断”できない、集団で生きるしか術のない、しかも都合よく権力にくくられて“塊”で生きるしかない、
生きることしかできないように国家によって、公教育によって躾けられてきているのが日本国民・・・・・

国家よ!!

日本国民という悲しい存在ではなかったか。

だから、仰る“戦争犯罪人”、もちろん戦争に負けたからそう呼ばれてしまったのだが、
しかし、はなから負けるとわかっていた戦争を、国民を騙してまで推し進めたのだから、その時点ですでに犯罪者であったとも言えるが。

その親兄弟、夫、妻、恋人をも平然とその唯一、人間として生きる当然の感情をまるで虫けらでも殺すかのように・・・・・

「一億国民、全てが玉砕してでも天皇はお守りしなければならない」

とかほざいた時の大本営、軍官僚。

「国軍は尚余力を有し志気も旺盛なれば、なおも抗戦してアメリカ軍を断乎撃攘すべき」と徹底抗戦を奏上は阿南惟幾陸軍大臣。

もっとも新聞と言う新聞が「一億総特攻」とか「一億総玉砕」とかだったのだから・・・・・
そして敗戦したら自らの妄言妄動ぶりをよそに「一億総懺悔」でGHQに尻尾を振る。

つまり、今でも国民全体が“戦犯”ということになっている。
そして、その戦犯(国民)の担ぐ戦犯の子、孫らの一族がのうのうとこの国に、象徴天皇制に胡座し為政する。

日本国民、民草は被害者なのか、加害者なのか、そして国家と同罪なのか・・・・・

大日本帝国と今日の日本国の体制はなんら変わってはいない。
そしていつになったら変わるのだろうか、戦前に構造改革される中で。

“裁判員制度”

これは、国家に加担する、させるものではないのか。
なぜ、今、一般国民が“裁判員”にならなければならないのか、そしてそれを有無を言わせず特別の理由がない限り避けることのできない強制を、

“国家がするのか”

そしてその裁判過程は全て秘密、職業裁判官だって、警察官だって、検察官だって漏洩はあるだろう。
よしんば、一般国民の裁判員がその秘密を漏洩したらどのような処罰があるのか・・・・・・

国民が、国民を裁く。

そんな制度がこの国にあっていいのだろうか。

このことが市民が市民同士秘密裏に監視しあう“監視社会”。
そんな社会への助走ではないのか。

光市母子殺人事件差戻し審判決“死刑”

当然だろう!!

「二人を殺して死刑は前例にない・・・・・・
少年(事件当時18歳と数ヶ月)は真実を話してくれた。
こんな極刑を許してはならない。このままではより極刑化が進む」

白髪の弁護団長が言う・・・・・

少年が前述を覆して話した“真実”とはなんだったのか。

「復活の儀式、生き返ってほしいと“死姦”した」

そのことが真実なのか???

「殺害後押入れの天井裏に・・・・・・
ドラえもんがナントカしてくれるだろう」

それが真実なのか。

それを最高裁で供述させたその弁護団は常軌を逸している。

生後数ヶ月の愛娘を殺され、幸せの絶頂にあった家族、その愛妻を死姦された夫の心境。
しかし、年月が経つとともにその犯人への憎悪の極みにありながらも崇高な悟りともいえる心境になってゆく・・・・・

それを、“復活の儀式”とか“ドラえもん”では鬼にもなろう!

「真実を話してくれた」

いいかげんにしてほしい。人権派がその“人権”に恍惚とする・・・・・
実に気味の悪い姿をさらす弁護団。

本村さんは、

「もし彼がもっと前に、自分の罪を認識したり、いろいろな人との出会いの中で反省する機会があれば、このような結果は出なかったのではないか」。

と、言っていた。
  

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2008年04月22日

バレエ教室の発表会

土曜日19日は優の長女次女のバレエ教室の発表会だった。

前橋市民文化会館の大ホール・・・・・・

バレエなんていうものを観るのは生まれて初めてだったからなんか妙な気分だった。
まず、最初は次女の出番。出番とはいっても8人ほどで踊っているので正直どれがどれだかわからない。
とにかく一番ちびがそれである。だからそれで観るしかなかった・・・・・
今年ぴかぴかの小学一年生、バレエ教室に通い始めて3年目。
とにかく、当人も終わってみたらただ草臥れただけだったようであった。

長女の出番はチャイコフスキーの“くるみ割り人形”の一場面。
これも一番ちびだからそのつもりで観る・・・・・
やはり、次女と同じで習い始めて3年目には違いないがそこはひとつお姉ちゃんである、
さすがそれなりに役をこなしているようだった。

発表会にはおばあちゃんも来た。
母方、つまりわが妻の母なのだが、わが妻の妹が連れてきたようで、その愛らしい曾孫娘の晴れ舞台をことのほか喜んでおられた。

それはまるで時をあわせたかのように、わが長女が夫となるべく男性を伴って僕の前に現れた。
つまりそれは・・・・・“それ”と言うやつだ。

娘たちの発表会の労いもかねて食事をすることになっていた・・・・・・

其処で、

「正式にご挨拶をするべきなんでしょうが、この機会をお借りして・・・・・」

と、その和風レストランの一室でその長女の夫となるべく男性から、

「お許しを・・・・・」

僕、妻、優夫婦と、長女、次女、長男、祖母、妹のシチュエーション・・・・・

祖母、つまりわが妻の母の前で「お許しを」と来た。

「お許しも何もねえだろう・・・・・・
おまえ、俺たちのことを話したのか?」

と、僕はわが長女に尋ねた。
するとすかさずその長女の夫となるべく男性が答えた。

「はい、ちょっと」

わが長女はニヤニヤしているだけ・・・・・

目の前にわが妻の母がいる。

実は今から33年昔のことだが僕は目の前にいるわが妻の母を泣かせてしまっていた。
もちろん今は亡きわが妻の父は激怒で「二度とくるなっ!!」と言われた。

その時にできていたのが今その夫となるべく男性の横でニヤニヤしているのが、祖母、
つまりわが妻の母の前にいるわが長女・・・・・
こんな場面を誰が想像しただろうか。

僕はこの場面、瞬時にその33年昔の出来事がその母を前にして脳裏に駆け巡った。

「いいよいいよ、仲良くしなさい、おたがいが我慢しあってね」

そのわが妻の母は僕の顔を見ながら、ニコニコして・・・・・・

「よかった、よかった」

とつづけた。

わが妻の母はことのほか喜んでいるようであった。

実はわが娘、長女はその母が48歳の時の初孫、
30過ぎても一向に春めいた話のないわが長女、初孫を気にかけていたのだった。

「よかったよかった」はいいが、僕はそのご母堂を目の前にしての心境・・・・・
もちろん、その後、33年昔以降はその母堂を悲しませることもなくきたのだが、
なんていってよいか朝日ビン生の二本目にも一気によいが失せた気分だった。

わが妻はいい気なモンである。わが長女と一緒になってニヤニヤしているのである。

「で、ですが・・・・・実はお腹に・・・・・」

と、その、今となっては婿さんが。

「やっぱりそうか・・・・・
いや、そうじゃなえかと思ってたんだ、なあ優」

と僕は僕の右隣(左隣は婿さん)に、

「優、おまえ4人目できたんじゃねえか。
夢に見たぞ・・・・・お前の三人ともパパは夢に見たんだから・・・・・」

「ぜんぜん、それはないよ・・・・・
パパ、もしかしてそれお姉ちゃんじゃあない。結婚するんだし」

「そうか、あいつか・・・・・」

しかしそんな話も3週間ほど前のこと、すっかり忘れていたのだったが・・・・・

「目出度いことがいっぺんに重なった、おばあちゃん今日は嬉しいよ」

僕が四の五の言う前にその婿さんの話を引き取った。

そこは女系家族、僕のことなどはそっちのけでもうお腹の赤ちゃんの話で盛り上がってる。

「あたしなんて6歳で“叔母ちゃん”デビューだったからなんてえことないよ」

と末娘の玲。

そう言うと、その婿さんに“ママチャリ東京紀行”の話をし出して盛り上がり始めた・・・・・

「パパとNHKの前でドッキング!!」

その話を聞いて祖母は・・・・・

「おばあちゃん知らなかったよ。やめとくれそんな危ないこと・・・・・」

そう言って、僕をにらむのだった。


バレエ発表会の疲れか優の次女は爆睡状態。

いや、僕もいささか酔った。まさかこんな一日になるなんて・・・・・
  

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2008年04月22日

サッカリン

サッカリン

自転車の荷台に水色の・・・・・

所々、塗料の剥げた水色の箱に“アイスキャンディー”と書かれている。
これまた幟旗も水色で“アイスキャンディー”・・・と白抜きで。

おじさんが「チリ~ン、チリ~ン」と鐘を鳴らしながら・・・

それは“サッカリン”を水に溶かして凍らせたやつ・・・・・昭和三〇年代初めの真夏の「風物」。

たらたらと、落ちる“アイスキャンディー”の水滴を恨めしく思って、下の方を舐めようとすると、間の悪い時には、
上のほうが「ポトリ」と地面に・・・・・

「あ~っ、僕は何と運の悪い男なのだ」

と、子どもながらに、そう思った「麦藁帽子の夏休み」。

地面に落っこちたアイスキャンディーは見る見るそこにしみ込んでいく。
しばらくするとありんこがアイスキャンディーの黒い染みに集っている。
〈あ~あっ、もったいねぇ〉

たしか、五円だっただろうか。
やっとの思いで母ちゃんにねだって貰った小遣い。そう簡単にあきらめ切れるものではなかった。
あの頃の「五円」と言えば大金だ。

今ではそこいら辺の駄菓子屋でもアイスキャンディー・・・・・・
もちろん甘味はサッカリンなんかではないが“ガリガリ君”、一本六〇円はする。

なにせ親父の月給が一万円そこそこの頃だろう。
僕は一人っ子みたいなもんだったのでヘマさえしなければ一本丸ごと一人で食えたのだが、
兄弟姉妹三人も四人もいれば一本のアイスキャンディーを喧嘩騒ぎで食わなければならないのだから、
僕の落っことした“アイスキャンディー”がいかに貴重なものであったかがわかる。



味噌おにぎり

そうだ、おやつと云えば・・・・・
夏は、竹の皮で梅干を包んだやつを、よく作ってもらった。

「これ喰え、腹こわさねえぞ・・・・・

と、父は庭先の笊に干されたシソの絡まった梅干を、竹の子の皮に「ヒョイ」と包んで。

その時代、横丁と言う横丁でで「ツーーーン」とした梅干の匂いが漂っていた。
昭和三〇年代とは言え、未だどことなく、「戦後」の臭いのする街の風景。
夏休みともなれば近所の同い年同士、七、八人が連れ立って毎日川遊びやら時には近くにある観音山『仙人隠れ』に化石拾い、
沢ガニ捕り、堤防の芝ソリ・・・兎に角遊ぶことには事欠くことはなかった。

そんな時は決まって「味噌ニギリメシ」もちろん梅干入りの。
どう言う訳でいつも味噌ニギリメシだったのかといえば・・・・・あの時代ほとんどの家が麦飯もちろん白米とのミックスだが、
どうやら味噌の粘りが麦飯のツナギになっていたようだ。
それと、茄子、キュウリの糠漬。
「茄子の糠漬」は口ん中を紫にして、中身を穿り返していつまでも、いつまでも食いつづけていた。

腹が減ると、味噌のニギリメシ・・・・・
冬場は、「ジリ焼き」うどん粉に味噌とか、砂糖を少し混ぜて・・・
たまに母親の手が空いたりしていると「炭酸」なんかを入れて、ちょいとフックラさせてくれた。
しかしその炭酸入りの“ジリ焼”、ふっくらするのは良いがその頃のうどん粉が悪いのか炭酸粉が悪いのか、
はたまたオフクロのうどん粉のこね方が拙いのか・・・・・・

よく親父と夕飯かなんかのことで喧嘩をしていたので料理自体がそんなに得意ではなかったようだたのでもしかしたら、
「こねかた」のせいかも知れない。
そのジリ焼に炭酸粉の塊が混ざっていて、それをかじった時の苦いこと苦くないこと大変な思いをしたことを覚えている。

親父が、七輪で「カルメ焼き」なんかもしてくれた。
七輪に真鍮製の柄杓を小さくしたようなお椀状の小鍋。
それをその七輪にかけ、ザラメを入れて小さなすりこ木のようなものでかき混ぜる。
今では、「うどんの手打ち」なんて商売になってるけど、昔は何処ん家も「手打ち」。
僕の家にも今でもあるが、手回しの「うどん鋤機」。

どうせ、水団なんか食わされた時は「米びつ」空っぽだったんだろうね(笑)。

「突貫豆屋」なんて云うのも来た。
大豆を持ってくと、煎餅にしてくれる・・・のとか、今で云う「ポン菓子屋」。
米を2合升ぐらい袋に入れてもってくと「ドカーーーーン」と云う音と共に豆菓子にしてくれる。

小学校の遠足には戦前戦中も戦後も、そして現代も『佐久間のドロップ』・・・・・あの缶のやつだ。
野坂昭如の『ほたるの墓』。セツ子が死ぬまで放さなかった『佐久間のドロップ』。
戦後しばらくは砂糖は統制品。きっと高かたんだろうけど、遠足にはいつもそれをねだった・・・・・・

おまけ付のグリコのキャラメル、森永ミルクキャラメル、もちろん佐久間のドロップもだが、駄菓子屋には売ってなかった。
神田だったろうか、太陽堂だったろうか・・・・・・

紙芝居の、水あめ、べっ甲アメ、ニッキアメ。

紙芝居の小父さん、5円出すと水あめを、薄い煎餅と煎餅で挟んでくれる。
『黄金バット』を見ながら時間の経つのを忘れていた・・・・・

でも、不思議と・・・・・紙芝居屋のおじさん、決まって“色めがね”をかけていたように憶えている。
今にして思えば、その紙芝居屋のおじさん、他人に知られたくない過去があったのかな・・・

朝は、卵屋と納豆屋の売り声で・・・よく目を覚ましたもんだ。
そう云えば3年生くらいまで、毎日のように寝小便をしていたのが恥ずかしい・・・・・

まさかその・・・その僕が、59歳になってるなんて、信じられない。でも事実なのだから仕方が無い。

ゆっくり、マッタリ・・・急がず生きよう・・・


  

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2008年04月21日

“長寿医療制度”が始まりました

“長寿医療制度”が始まりました

長寿医療制度(後期高齢者医療制度)は、75歳以上の高齢者の方々に「生活を支える医療」を提供するとともに、
これまで長年、社会に貢献してこられた方々の医療費を、国民みんなで支える「長寿を国民皆で喜ぶことができる仕組み」です。
<厚生労働省>

()閉じの後期高齢者医療制度“長寿医療制度”(笑)。

いくら“後期高齢者”呼ばわりがひどいと非難されたからって掌を返して“長寿”はないだろう・・・・・・

『後期高齢者医療広域連合の設立について』

まさに「ジャッジャジャ~~~ン!!」である。

この広域連合は、高齢者医療確保法の施行準備のため、平成18年度末までに設けるものとされており、
平成19年3月30日をもって、全都道府県において後期高齢者医療広域連合が設立されましたのでお知らせします。

もちろん元締めは善意の御旗“厚生労働省”である。

全国、一道一都ニ府44県に「新しく設置された」後期高齢者医療広域連合事務局だかなんだかが各県に・・・・・
つうことは、そこには「新たに」、事務局長やら理事やらの役員、そして部長、課長やら大勢の職員。
なんと、そこの人件費は一般サラリーマン等からの“保険料”が充てられると『週刊ポスト』がスクープしていた。

なななんとーーーー
そこの中央のトップは厚労省からの天下りでその給料は年間“1400万円”とか書いてあった。
そして問題は地方だが、その後期高齢者医療広域連合事務局の局長だか、理事だか、部長だかなんだかは県市町村から天下り。

つまり、これから団塊の世代、大量退職時代の受け皿・・・・・
60歳で退職しても65歳まではその“後期ナントカ連合会”に再就職し、給料は一般サラリーマンの健康保険料で賄う。

バカにするなと言いたいが、小泉政権下で立法されちまったものは国民地団太踏んでも後の祭り。
すでに平成18年6月21日公布され、その国家公務員・地方公務員の定年退職後“生活安定法”までが仕込まれていた(笑)。

>“長寿医療制度”が始まりました

しっかしねえ・・・・・

“長寿医療制度”をいうなら、「お年寄りは無料」が筋だろうが!!

しかし、そんな高齢者を出汁にしてまたまた“特別地方公共団体”。

“特別地方公共団体”とは・・・・・・

消防、上下水道、ゴミ処理、福祉、学校、公営競技の運営などが行うという、
つまり“特別法人”。

早い話、本来ならそんなややこしいことをしないでも“国民健康保険”制度内でやりくりできた話ではないのか。
ここでまた数万人の人間を養うための「新しい組織」が何で必要だったのか・・・・・

ああ、バカバカしい。

なにせ総額“285兆円”の国家予算(国家には国民は含まれません)・・・・・
  

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2008年04月21日

「熱燗にはヤキトリ」が一番!!

But!!最近のヤキトリは頂けない・・・・・

どうもこのごろの店の亭主は仕入れをケチってるようだ。
絞めたてで新鮮だとは云うものの、みんな永田町か霞ヶ関の屠殺場から買ってきたという。

やきとり『じみん』は・・・・・

“カシラ”はグズグズで直ぐに崩れてしまうし、全く歯ごたえが無い。
“タン”は2枚も3枚も重なっていてゴムみたいに硬い。
“ハツ”には毛が生えている。
“レバー”は美味いモンの食いすぎか矢鱈と脂っこいフォアグラ状態。
“シロモツ”は真っ黒で食えたモンじゃあない。
“フエ”は焼いてると「カネカネカネ」と、矢鱈めったら嘘が五月蝿い。

それじゃあてんで代々木の市場・・・・・

代々木の赤提灯『ふわや』のは、どれもこれも真っ赤かで「気色悪い」。

信濃町の『いけだや』のは、なにやら線香臭くて、焼いている最中「仏仏仏仏」言っている。

三宅坂の小料理『瑞穂』のは、往生際が悪いようで、串に刺されても「護憲、護憲」と姦しいし、

音羽のスナック『ぽっぽ』は開店休業。
鶏がいなくて“九官鳥”と三宅坂の中国製冷凍ヤキトリを・・・・・
押かけ亭主がヤキトリ焼けずに手を焼いている(笑)。

それにしても霞ヶ関市場の鶏は、餌なら何でも食っちゃうから、
下手に食おうモンなら、あとの食中りが怖い。

その鶏種・・・・・・

コッコー、コーセー、ホウムにモンカ、新種のボウエイがいきなりバチアタリ。
ノースイときたら自殺やらバンソーコーだらけ、
ザイムはザイムで餌だけはジャカスカ喰らうくせにいつも腹は空っぽで卵を産むどころか、他所の卵を食いつぶすだけ。
それに高級偽装する“カンリョー”やら“ジカン”“シンギカン”とかの種類は・・・・・
鶏小屋から鶏小屋を渡り往生際が悪い。

かける塩に漬けるタレ、打つ手なし!

ミートホープにでもお願いしてミンチにして加ト吉で冷凍ハンバーグにでもしてもらってイオンのスーパーで・・・・・・
しかし、食品表示がジカンやギインで原産が永田町、霞ヶ関では消費者後ずさり・・・・・

結局、消費期限切れでブタの餌にでもするしかない。

今までの餌が全部無駄になるけど食えないモンは在庫整理するしかない。

しかし、商社、ジェイティーあたりが再パッケージで、
またまたイオンになんてえことにならないように・・・・・・

国民、生活者よくよく注視、監視するしかない!!
  

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2008年04月20日

雨上がり

雨上がりに息子の手を引いて散歩・・・・・
息子はお気に入りのお姉ちゃんのお下がりのスノーブーツで“タッタッ”と走り出す。
其処彼処に“泥濘”が春雲を映している。

子どもは可笑しなもので何故か“泥濘”が好きだ。
黄色い帽子にランドセル、そして黄色い傘でまだぴかぴかの一年生が「ぴちゃぴちゃ」とその“泥濘”に。

長靴を履いていようがいまいが、いつも子どもは“泥濘”を遊ぶ・・・・・

僕も息子と一緒に“泥濘”に入った。

泥濘をかがむようにして息子も僕も覗いている。
ゆらっとゆれる泥濘に息子も僕も笑っている、ゆらゆらっと笑っている。
そのうしろを春雲が足早く流れていった・・・・・

そんな泥濘に遠い日のそれが過ぎる。

時代は変わっても・・・“泥濘”は束の間のアメンボウの世界。

アメンボウはどこで生まれてどこへ行くのだろう・・・・・

僕も結局は泥濘に生きているのではないだろうか・・・とふと思う。
泥濘・・・人生は泥濘なのかもしれない。

今度は何処の“泥濘”で遊ぼうか・・・・・

  

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2008年04月19日

ロックな街“たかさき”


坂城ブルースフェスティバルでの“昭和24歳”

“たかさき”はそう言えば実に『ロックな街』である。

まあ、“ロック”と言えば聞こえはいいが、ようするに流行りモンに敏感、“弱い”上州人気質とでも言うのだろうか・・・・・
江戸の頃はよくは知らないが、御案内の花街、花柳界もそれは評判だったと聞いている。
今ではそれを見る影はほとんど見当たらないが・・・・・・

あの“ビューホテル”の所はそれこそ“粋な黒塀観越しの松”の料亭『宇喜代』があった。
もちろん戦争中まではそこ“柳川町”と言えば色町、
通称“だるまや”とか言って第十五連隊の兵隊さんや、街の若い衆の憩いの場所とかであった。
戦後、それも干支が一回りした頃の昭和33年に“売春防止法”完全実施で一時はその灯の消えた“柳川町”。
その後は、キャバレー、クラブ、バー全盛時代で昭和50年代半ば頃までは隆盛を極めた。

もっとも、朝鮮動乱特需。そして糸偏特需があり、
幾度かの好、不景気を繰り返す中、どう云うわけかあの“バブル”の恩恵にはそう預らずに、
その花街はなんとも奇天烈な外国語の飛び交う街へと変貌した。

まあ、高崎だけではないだろうが・・・・・

その“ロック”はこの街の底辺の若者文化を作り出した。

なんと言っても、日本ロック界“NO1”と言っても過言ではない伝説のギタリストを排出したロックな街“たかさき”である。
しかし今ではそれを騒ぐが彼ら、その伝説のギタリストたちが少年の頃は鼻ツマミモンであったことは想像に難くはない。
ある時、その伝説のロックグループの隆盛も沙汰止みになったころの、そのメンバーの一人と話しをする機会があった・・・・・・
そのときの彼の言葉は、

「これと言って高崎には・・・・・・」

であった。

なんでも始めて買ったベースが、駅前通の“イシズカ”(今の“カインズ”FC)と言う雑貨店だったとか。

“音楽のある街”とはどうやら何事も“アカデミズム”であることが条件であるようだ。

しかし、時代は変わった。行政が率先して“そんな音楽”ロックを主催したり後援したりするようになった。
僕らの時代・・・・・昭和40年代は“そんな音楽、ロック、エレキはイクォール“不良”のレッテルが即貼られ、
学校はバンド活動なんかすれば停学か、ダンスホール(ライブハウス)で補導でもされれば退学処分。
世間の目は“真っ白”だった。

しかし、そもそも“ロック”とはだが・・・・・・
“ロック”とは反体制で、自由の表現。それは時には政治、思想にも影響を与えるたぎる若者文化。
実は、「行政とは相容れない対峙する文化なのである」と、大袈裟にも言ってみる(笑)。
それは“ハングリー”であり、結果が“成り上がり”の象徴でもある。

ロックな街“たかさき”

今日日のその姿・・・・・・
行政が若者に媚びているのか、当世、若者が思想もヘッタクレもないヘナチョコになったのか。
まあ驚きと言えば、行政主催の『高校生バンドコンテスト』だ(笑)。

ロック魂、ロック・スピリッツ、精神が“インポテンツ”してしまっている。

もちろん行政にとっては都合のいい市民の一丁上がりということなのだろうが。

昭和40年代から平成20年を眺めてみた時・・・・・・

  

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2008年04月19日

<財務省>国の財政は夕張以下 試算示す

高崎市の隠れ借金は???(笑)。

<財務省>国の財政は夕張以下 試算示す
4月18日20時20分配信 毎日新聞

財務省は18日、「国の財政が財政破綻(はたん)した北海道夕張市よりもはるかに悪化した状況に置かれている」、
との試算を財政制度等審議会(財務相の諮問機関)に示した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080418-00000100-mai-bus_all

つまり、財務省は自らの失政を吐露したようなものだ。
福田赳夫内閣当時、100兆円規模の赤字国債にも相当の危機感を表明していた・・・・・
それが今日、07年度では“674兆円”

財政法第4条では―――――

「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。」

とあり、国債発行を禁止している。

そして財政法第4条の但し書きにおいて―――――――

「公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」

と規定されており、この規定に基づいて、建設国債が発行できるとしている。

一方、「一時的に赤字を補填するだけで国民に対して後世に残らない経費に対しては国債は発行できない。」

つまり後世に残らない“経費”とは財政赤字補填のための“国債”。
そしてその赤字国債を発行するには「1年限りの公債特例法」を“毎年制定”、つまり、と言うことはその法律は恒久法ではなく“暫定”、一年限りの。

しあかしねぇ・・・・・・

「財政難、財政難」というが、じゃあ一体その“財政運営”はどこがしてるの??!!!

自分たち、灯台卒官僚の頭の悪さ、知恵のなさを暴露しているようなものでは(笑)。
いや、それは“悪知恵”・・・・・・

第一、 借金するその相手はほとんどが国民。もちろん間接的にだが。

その“国債”の持ち主は“市中銀行”や、“生保損保”・・・・・・
と言うことは、“1400兆円”と豪語する国民の財産。

ところで、“債”それは手形のようなもので、もちろん市場にも流通する。
つまり、それは日銀が発行する“日銀券”通称“円”・・・・・・
したがって、“国債”とは政府が発行する、もうひとつの“円”。

早い話が、“円”を刷って公共事業に、天下り役人の給与に、財政補填に帳簿上帳尻を合わせているようなもの。
なぜなら、貸し手と借り手が、“国民”。もちろんもしこの国が“民主主義”の国であるということが前提だが・・・・・・

>財務省>国の財政は夕張以下 試算示す

ほんと・・・・・「大本営発表」(笑)。

>国の政は夕張以下

だとしたら、国家公務員給与、地方公務員給与、特殊法人給与の50%削減。
さらに新規事業の禁止、国会議員、地方自治体市町村議員の50%削減、国地方の関連特殊事業の廃止・・・・・・・

そうした“歳出削減”を、まず先行すべきではないか!!

老人保健保改正(後期高齢者保険制度)、障害者自立支援法による障害者年金の削減は順番が違う。

まず国会議員、地方自治体議員の半滅とその歳費の削減を行ってからではないのか!!
そして少なくとも、官僚の衆議院議員選挙(参議院はOK)への立候補禁止。

国土交通省だけで、年間12兆8千億円の天下り団体への補助、支出金。
実態は他省庁も似たようなもん・・・・・・


  

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2008年04月17日

天引き

天引き

日本の老人医療が“無料化”されたのは1973年。戦後からの高度経済成長はピークを迎え・・・・・・
大方の日本人は日本の明るい未来を信じ若者は一生懸命働けば21世紀の老後は国の社会保障制度が生活を支えてくれると教えられた。

1973年(昭和48年)といえばヴェトナム戦争ではアメリカの撤退、時は田中角栄内閣。
そして僕はミュージシャン修行と称して今風に言えばフリーターか・・・・・
なぜか正月にも家には帰らず新宿紀伊国屋の街頭テレビでWBAフライ級タイトルマッチ大場政夫の防衛戦を見ていた。

その1973年(昭和48年)、今日の“後期高齢者”の皆さんは今から35年昔は40歳働き盛りの企業戦士で、
まさに高度経済成長の牽引役で納税もし、年金も負担し、健康保険料も相当額を“天引き”されていた。
それもこれも、家族を養い、その家族、そして自分の明るい未来を信じて・・・・・

思えばその後期高齢者の皆さん、あの無謀な戦争、敗戦、その直後は食べ盛りの12、3歳。
そして昭和24、5年からは戦後復興の貴重な労働力“金の卵”だった。
そして老人医療費が無料化された1973年(昭和48年)、そのころは健康保険料も給料からばっちり“天引き”されたであろう。
そしてバブル崩壊の頃に定年、年金生活。しかしその明るい未来にも政府は財政難を理由に年金給付年齢の改正、給付額の改定・・・・・

年間支払われる医療費が32兆円超。そして老人医療費が10兆円超。
少子高齢化、この日本のその構造的変革はとっくの昔にわかっていたことではなかったのか。それをいまさらのように言う政府。
おもちゃの兵隊、防衛費に、米軍思いやり予算に、テロ特措法に、湾岸戦争支援に〆て年間10兆円。
公共事業には国地方で80兆円、政府系独立行政法人に12兆円超・・・・・

そればかりではない、特別会計という国会で一切審議されない歳入歳出が240兆円。
当然その中に健康保険会計も入っているのだが、その“20%”からが、無駄遣いというより中抜きされているとも。

やがて人間は否応なく高齢化、老人になる。
それは今日生まれた赤ちゃんも、小学生も中学生も20代の若者も確実にそうなる。
そしてその中で“医療”というのはもっとも重要な問題であり、大切なことではないのか。

本来なら、国、行政のやるべきことは他の事業予算を削ってでも“国民の安心”に施策を講じるべきではないのか。

そして今日の不況、財政難・・・・・・
その責任は一体どこにあるというのか。すべてこのように政策決定してきた政府にあるのではなかったか。
国地方の公務員給与の総額が37兆円超。さらに政府機関のみなし公務員の給与10数兆円。
そして都合が悪くなったかどうかはわからないが民営化、民営化の日本道路公団は年間1兆円からの溜りが。首都高速も。

1億2千万人のうち数パーセントの人間が莫大な借金を作りそれを国民に背負わせ、
そこにいう公務員は平均年間所得700万円とも800万円とも・・・・・
民間の凡そ倍の所得を何のためらいもなく受け、それどころかその増額を要求する。

公務員、その公僕が国民の生活を豊かにし、ゆるぎない安心をもたらしているのなら、いくら高給を食んでも称えこそすれ、非難などはしない。
それが国民がこれほど疲弊し、しかも年金だけを便りに生活する高齢者をさらに不安に貶める。

いくらでも、高齢者、老人医療費などは捻出できるではないか。
政府は歳出配分をかえるだけだ!!

しかし“天引き”とはよく言ったものだ。
ここでも“天”なのか(笑)。
  

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2008年04月17日

メルティング・ジェネレーション“団塊世代”

“団塊世代”

池口小太郎(堺屋太一)――――――

池口小太郎がなんで“堺屋太一”なのかはわからないが、その池口小太郎氏の著書が『団塊世代』。
せめて大臣になった時くらいは本名“池口小太郎”を名乗ればよかったものと思うのだが・・・・・
そう言えば日本共産党の頭目も本名は“上田健二郎”とかで見栄を張って“不破哲三”とかの渾名で大衆の目を曇らせている。

まあそんなことはどうでもいいが、最近どうでも良くないと思っていることがある。実に世の中が“ヘン”である。
そう思うしかない事件がこの『団塊世代』――――とくにその男社会に“生物本能的”な異変が起きているような気がしてならない。

『団塊世代』――――――

これを辞書で引くと“グレープ・ジェネレーション”とある。つまりは“葡萄の房”のような“ひと塊”と言うことらしいのだが。
その『団塊世代』。“葡萄の房”が、どうやら戦後60年を経て腐りかけて、溶け始めているのではないだろうか。
つまり、“メルティング・ジェネレーション”『溶解世代』ではないか。

“戦後”――――実は「敗戦後」と言うのが正確な表現だろう。

その“敗戦後”。突然として下げ渡された“民主主義”と“婦人”の人権の確立。
けして悪いことではなく、むしろ歓迎されるべきことだったのだが・・・・・・
あまりにも急激な“自由”と“民主主義”であったがためにその副作用らしきものもあったのではないだろうか。
どんな良薬でも副作用があるように。

そしてここで言う『団塊世代』はその副作用の中、成長してきたように思われる。
それが昨今の、なんとも「モノが“饐えた”ような」、それが“腐臭”を放つような事件の数々に見るような気がしてならない。
そしてその“副作用”が家庭崩壊、家族崩壊。
実は、家族の中心、家庭の中心、大黒柱はその“副作用”の末の男“父親”などではなく、女“母親”だったのではないかと最近思い始めている。

なぜなら―――――子どもは男の子も女の子も“母親”の影響は極めて大きい。

父親にその影響があるとすれば、精々が良くて“反面教師”でしかない。
要するに子どもの成長には“父親”と言う存在は「いないよりいたほうが・・・・・」といった“マシ”程度でしかなく、
かえっていない方がいい時の場合の方が多い(笑)。
その実、僕自身が子どもの時はどうも“オヤジ”は出来ればいないほうが・・・・・・
存在しない方がということではなく、
今風に言うなら「亭主元気でルスがいい」といった感覚だろうか、どうも煙たい存在で“オヤジ”がいるときの家は居心地が悪かった。とくに思春期のそれは。
しかしながら自分自身がそんな“オヤジ”になっているのだからなんともイヤハヤだが・・・・・・

“ヒト”が生きる――――――

“ヒト”が社会生活を送る上においての男、いわゆる“オス”の役割は種の保存・存続以外の用は大してなしてない。
“ヒト”以外の動物の場合は大方がそのようで『それ』さえ済ませてしまえばたいていはお払い箱である。

“ヒト社会”でも実は“そういうこと”がただ隠されているだけで実態は動物のそれと変るところはないのではないかと。
男“オス”の社会活動は実はその“ヒト社会”の雑用をさせられているに過ぎない。
肉体構造からしてそのような仕組みで、“肉体労働”、雑用に適しているようにできている。

“ヒト社会”から『経済』と言うものをのぞけばそこには自給自足。農業、漁業であろうが工業であろうが・・・・・・
いつの場合も“エネルギー”を最大限に消耗させいつしか“労働”苦役が美徳とされるように“オス”の脳内にはプログラミングされているようだ。

男を見るときそれにはたしかに経済的自立はこの“ヒト社会”においては最も重要とされているようだが、
それ以前に“ヒト”として自立しているかどうかだろう。
このことは、男“オス”という生き物が他の生き物の社会では見られない“ヒト社会”オスだけにあると思われる、

同種同族(属)の殺し合い。いわゆる『戦争』。
少なからず“ヒト社会”のオスの脳内には生存の理由という、原始的には生存競争もあったろうがその『戦争』と云うものがプログラミングされている。
またそれをさせているのも実は、女“メス”ということもひとつの事実だが。

母親を見ると大体その“ヒト”の男は分かる・・・・・・
母親というものは子ども(オス)を胎内から生み出し二足歩行し知恵がつきだし思春期を向かえてもなお自分の従属物であると本能的に思い込んでいる。
そして多くの母親はその成長過程にある子ども(オス)の『甘え』には最大限に応える。
そこのところが、男“オス”の“ヒト”として一人立ちできるかできないかの分岐点ではないか・・・・・・

“妻”に母親を見る男“オス”

どんな無理難題も引き受けてくれる“母親”という存在。
多くの男“オス”は妻“メス”に母親を見る。見てしまう・・・・・・

今盛んに世間は囃す『熟年離婚』。

残念ながら今はその熟年の男に最大限の甘えを許す“母親”はいない。
いたとしても老身の母親でしかなく、最早、そんな“オス”が甘えるかつての“母親”ではない。
40年近く“ヒト社会”の雑用、苦役をさせられ気付けばその社会は一変していた。
既に“狩”の出来ない“オス”を暖かく温めてくれる“ヒト”はどこにもいないことに気付く。

四の五の言って取り留めがないが、

その『団塊世代』――――――

よくよく考えてみると“女”はその範疇にいないように思えてならない。

“女”はメルティング・・・・・“溶解”するどころかマスマス元気、闊達そのもの。
溶解と言うよりは“妖怪”ではないかとさえ思えてきてしまう(笑)。

怒られてしまう・・・・・・考えすぎるのはよそう。

まあ、濡れ落ち葉、溶けてしまうフリをするのも一考かも知れない。
最近スーパーなどで意気揚揚とするカミサンの後を力なく歩く年金受給以外にさほど用もなさそうなご亭主のお姿をよく見かける。
おそらく僕もそんな一人なんだろうが(笑)。

  

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2008年04月16日

僕の細道“八間道路”

それは僕の初めての外国だったのかも知れない・・・・・・

僕の細道“八間道路”

幼い頃、母に手を引かれて夕方の買い物はいつも八間道路だった。

それは昭和のその頃どこの横丁にもあった商店街の賑わい。
東小学校の通り、“東一条通”と“八間道路”の交差する角には天田自転車店、その辻向かいの小商い・・・・・
そして“神田菓子店”とたしか、ナントカ園とかいったお茶屋さんだったか?

今では都市計画とかですっかり新改築されて小洒落た自転車店の趣の“天田自転車店”だが、
その天田自転車店、先代がどちらかで自転車店修行ののちに戦後すぐ、そこに商いをはじめたとか聞いた。
神田菓子店は僕の娘たちも東小学校時代には結構お世話になったが・・・・・
僕らの時代は神田菓子店といえば“高級菓子店”の趣で、
お使い物などに母が時々お邪魔するくらいでそれは高嶺の花だった。

お菓子といえば僕らの時代はそう、駄菓子屋が花盛りで、
戦後のそれは今日日の不況どころの騒ぎではない、それどころか食糧統制の時代で・・・・・・・
砂糖、塩、米が配給からようやく専売になった頃で、

駄菓子屋のそれはその後大いに騒がれた“サッカリン”、“チクロ”にまみれた、
今ならそれこそそんなものがスーパーに並ぼうものなら今日の“食品偽装”どころの騒ぎではないだろう(笑)。

そんな駄菓子の中で僕の“ベスト3”は、

第一位・・・・・・ソースイカ
第二位・・・・・・ボタンキョウ
第三位・・・・・・いもようかん

ご案内の、サッカリン、チクロまみれの駄菓子・・・・・・
それをたらふく喰らってきた僕らのジンバラはそう考えると相当に鍛え上げられているようだ(笑)。
ちっとやそこらのことではそう簡単にはくたばらない。
僕ら世代が言われる“後期高齢者”になった日にゃあ食いもんには鍛え上げられた爺婆がそこいら中に屯する、
想像しただけでも恐ろしいというか可笑しいというか・・・・・


とにかく母に連れられ毎日のようにお使いに行った八間道路の魚屋。
それは八間道路というより今は珈焙屋とかいうこじんまりとした珈琲ショップになっているところの角をちょいと入った、
そう、実は旧道、“大類里街道”の角にあった魚屋、残念、屋号を失念してしまった・・・・・・
その魚屋さん、今は・・・・・あそこは旭町になるんだろうか、真町になるんだろうか、
都市計画で拡張された東一条通の一角に暖簾を構えている。

あの時代の夕飯といえばほとんどが旬の魚、僕は実は魚は好きだが食べるのが得意ではなかった。
さんまも実に美味しいのだがどうもあの骨が苦手、それとあのハラワタを上手くよけられず、
僕が食べたのは尻尾のほうばかり・・・・・

「頭のほうを食わねぇとエラクなれねえぞ!!」

と、いつも父に言われていたことを思い出すが、
頭のほうをいつも専門に食っていた父がそれほどエライ人になっていたとは当時も思っていなかったので、

「エラクなれなくてもいいもん」

と、僕はもっぱら母が上手い具合に骨を取り除いてくれた尻尾のほうを食っていた。

田村という屋号の畳三畳を横に並べたほどの八百屋が、その珈焙屋の対面、八間道路にあった。
野菜はいつもそこで買っていた・・・・・・

その先には江戸吉という鮮魚店、おざき文具店、松源自転車店、宗塚青果店、
路地をはさんで山口精肉、浦野履物店、春山豆店、すかや・・・・・

“すかや”

それはすでにない。
しかし僕はなんといっても“そば”は『すかや』だった。
因みに、ラーメンは『成吉思汗』、餃子、焼きそばは『らっちゃん』、スパゲティは『シャンゴ』、やきとりは『ささき』だ(笑)。

実は、その“すかや”にアルバイトを高校生の頃やっていた知り合いがいた・・・・・
その知り合いが言うには、“すかや”の漬け汁はそんじょそこらの漬け汁とは漬け汁が違うと言っていた。
聴けば「たしかに!!」であった。“すかや”のそばの美味さはどうやらその漬け汁にあったようだ。
もちろん、あそこでおばさんたちが手際よく茹で上げるそばの美味さもあったのだろうけど・・・・・

八間道路には同級生もかなりいた。

ざっと数えただけでも田口君、春山さん、藤木君、浦野さん、柴田さん、宗塚さん、田口君、宮口君、安部君、
高橋君、武藤さん、新井君・・・・・・
まるで“ちびまるこ”の世界ではあるが、とにかく東小学校が1000人からいた時代の話。

その“1000人”からの小学生の数からも、その八間道路の賑わいが想像できる。

そうそう、その八間道路には当時ではハイカラな喫茶店“モリエ”なんていうのがあった。
僕が小学校3年の時にはすでにあったのだから超ハイカラ、僕の同級生の家が商っていた。

澤田模型店・・・・・・あの時代の僕らには夢の世界がそこにはあった・・・・・
エンジンつきの模型飛行機やら鉄道模型、まだプラモデルが出現する以前の話だから、
小学生だった僕らはその澤田模型店の前で指をくわえて立ち尽くすのが精々だった(笑)。

いつしかボクシングジムに変わっていた、なんと言ったか、そこには“銭湯”があった。
僕が通った銭湯は旭町の“東湯”、もっと小さい頃母と行ったのは椿町の“椿湯”だったが、いつしか知らぬ間に、
煙突からは煙が消え、そして煙突も・・・・・今ではその面影すらない。

僕の細道“八間道路”

その先は電車通り、そして銀座通り・・・・・・・
えびす講には八間道路を抜けて電車通りから“うろころ”、銀座通りへ。

まさに八間道路は僕にとって別世界への入口だった。
エレキ人生を目指して初めて東京へ一人で旅立ったのも八間道路の交差点・・・・・・


  

Posted by 昭和24歳  at 15:32Comments(2)TrackBack(0)

2008年04月15日

“まだあげ染めし前髪の”

別に“ジョニーの伝言”ではない・・・・・

昨日TBSラジオ“大沢悠里のゆうゆうワイド”でゲストの加藤登紀子が言っていた。

「私たちが言い伝えなければならないことってたくさんあるのよね」

って。(確かこんな語り文言だったと思うが)

ふと思った・・・・・

最近、娘がいろいろなことを訊いてくる。

何でもかんでもだ。
わからないことがあると何でもかんでも訊いてくる。

笑っちゃうのが・・・・・

「パパたちって、SLに乗ったことあるの」

「SL?・・・・・蒸気機関車のことか。
馬鹿を言え、乗ったことがあるかどころか、
信越線なんてパパがオマエの頃にはあれしか走ってなかったんだ」

「ウソーーーッ!」

「4年生の秋の旅行は小諸の“懐古園”でな・・・・・
信越線でアプト式の碓氷峠を2両連結の蒸気機関車で登ったんだ。
トンネルに入ると先生が『オーイッ、みんな窓閉めろ真っ黒けになるぞーーー』って」

「エーーーッ、なんで、どうして???」

「あったりめぇだろ、汽車の煙がトンネルの中だ・・・・・・そっくり窓から入っちまう。
それでも閉めない連中は顔中が煤だらけになって大騒ぎだ」

娘はいかにも「面白そう」という風に声を立てて笑った。

「懐古園ってな~に?」

「懐古園か・・・・・
“小諸なる古城のほとり 雲白く遊子哀しむ・・・・・”
未だ習ってないのか『島崎藤村』、
ほら・・・“椰子の実”音楽で」

「知らない・・・・」

と怪訝に頭を横にふる娘。

懐古園の解説・・・・・
娘にとってはどうでもいいような話のようである(笑)。

「じゃあな・・・・オマエの通っていた保育園、ほら“法輪寺保育園”なっ、
あれはオマエ、1576年に高崎にできたんだぞ・・・・・」

「なにそれ???」

「『なにそれ』があるか・・・・・
豊臣秀吉の時代だ。ほれ、万博やった愛知、名古屋の殿様だ」

「それがどうかしたの・・・・・?」

てんで話しにならない・・・・・


世代の伝言。

“まだあげ染めし前髪の・・・・・”

の頃、“初恋”頃には、親父は用無し。

しかし、伝え残すこと・・・・・
まだまだ、あるんじゃあないのかなと、

・・・・・・と、ふと、思った。


  

Posted by 昭和24歳  at 14:25Comments(3)TrackBack(0)

2008年04月15日

「団塊の世代」と煽てられて・・・


幼稚にも自らを「戦争を知らない子供たち」等と囃し、他所の国の「火事場泥棒」で、浮世を踊った。

この国の周りは50年前と少しも変わってはいない。

ただ、今までの奴が死んで、これからの奴が生きる・・・そう単純に考えれば「戦争」、争い事がなくなる筈は無い。
福田元官房長官がいつかの会見で「リクルート事件・・・古い話ですね」、とお得意のスタイルで呟いた。
古いも新しいも無い・・・またぞろ、同僚の「逮捕」。
どうせ大なり小なり自分達もやっているのだから「どうして・・・」くらいなもんなんだろう。

古い、「悪い奴」がいなくなれば、新しい「悪い奴」が出てくる。
トカゲの尻尾どころか、人間様の体から生えているお呪い程度のもの。 切っても切っても、剃っても剃っても、厭らしく、面倒にも生えて来る。
其処にいる、人間様をそっくりとっ替えれば良いんだろうけど・・・上下左右と、全くそのつもりは無い。

いっそのこと・・・小菅に「国会移転」した方が手間が省けるかもしれない。
どいつもこいつも、塀の上を歩いている「トンデモナイ」奴等ばっかり。

間の悪い奴が、中に落っこちて健康的な生活を送っている・・・・・
しかも数千万円の「お手当て」を頂きながらだから「タニマチ国民」もこの不景気、堪ったもんじゃあない。

「団塊の世代」・・・なにが「団塊の世代」なもんか。名付け親の通産官僚、元民間大臣、トンズラしやがって。
「掃溜め世代」だ。
もうその「掃溜め」に「鶴」はいない。
もっとも、一本足で立っているのは、この世代の「鶴」には酷な話。

そろそろ、次世代の粋のいいのが、よぼよぼの「団塊の世代」を掃溜めにブン投げる算段でもしているのじゃあないのかな。
「鶴の恩返し」ったって、そんな殊勝な「鶴」はいない・・・
子どもに虐められた亀を助けた「浦島太郎」にしたって、よせばいいのに「玉手箱」空けた瞬間、死にそこないの爺さんに。
御伽噺・・・よく出来ているもんだで、良い事は長くは続かない。

次世代官僚の腹・・・

「なんで、糞の役にも立たない、団塊の世代『掃溜め世代』の年金、医療費、国が面倒見なければいけないんだ」

とでも言ってるような、「小泉改革」。 云われても仕方は無いが。

確かにそうだ、この世代・・・「キリギリス世代」とでも云おうか。
「アリ世代」は戦争をしたり、国の云うままの高度成長、バブルの崩壊で人生ともおさらば。
キリギリス世代は、人民開放、世界同時革命、お婆さんになった「重信房子」。

麻疹が治れば、車が欲しい、エアコンをつけろ、海外旅行などと人生の大半に現を抜かし、未だに夢覚めやらぬ。
挙句が、膝と腰の曲がった「ローリングストーンズ」に、イラク人の3年分の収入で通う。
それも、米粒大の、皺の中に、目鼻唇があるような「ミック・ジャガー」に呆ける。
世界が笑ってる・・・笑われてるのにも気づく事の無い「キリギリス世代」。

ようやく、本当の「冬」が来てしまった。
家も無ければ、食べるものも無い、下手にふらふら歩いていれば、孫のような世代から殴られるわ、蹴られるわ・・・
終いには、殺されてしまう。
そんな、キリギリス・・・電車に飛び込んで死ぬのも必然かもしれない。

僕も、その掃溜めの「キリギリス世代」。
もう一度、空を飛ぶ元気があるかな・・・
あるといいな・・・

榛名の山々の春景色が真っ青な空に眩しい・・・
この歳まで、この街に住んで、初めて見る景色・・・感じる景色。
こんなに美しいとは思わなかった・・・
本当に綺麗だ・・・これは僕だけの「心の絵」として、大事にしまっておこう。

  

Posted by 昭和24歳  at 07:48Comments(0)TrackBack(0)

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