2008年04月17日

メルティング・ジェネレーション“団塊世代”

“団塊世代”

池口小太郎(堺屋太一)――――――

池口小太郎がなんで“堺屋太一”なのかはわからないが、その池口小太郎氏の著書が『団塊世代』。
せめて大臣になった時くらいは本名“池口小太郎”を名乗ればよかったものと思うのだが・・・・・
そう言えば日本共産党の頭目も本名は“上田健二郎”とかで見栄を張って“不破哲三”とかの渾名で大衆の目を曇らせている。

まあそんなことはどうでもいいが、最近どうでも良くないと思っていることがある。実に世の中が“ヘン”である。
そう思うしかない事件がこの『団塊世代』――――とくにその男社会に“生物本能的”な異変が起きているような気がしてならない。

『団塊世代』――――――

これを辞書で引くと“グレープ・ジェネレーション”とある。つまりは“葡萄の房”のような“ひと塊”と言うことらしいのだが。
その『団塊世代』。“葡萄の房”が、どうやら戦後60年を経て腐りかけて、溶け始めているのではないだろうか。
つまり、“メルティング・ジェネレーション”『溶解世代』ではないか。

“戦後”――――実は「敗戦後」と言うのが正確な表現だろう。

その“敗戦後”。突然として下げ渡された“民主主義”と“婦人”の人権の確立。
けして悪いことではなく、むしろ歓迎されるべきことだったのだが・・・・・・
あまりにも急激な“自由”と“民主主義”であったがためにその副作用らしきものもあったのではないだろうか。
どんな良薬でも副作用があるように。

そしてここで言う『団塊世代』はその副作用の中、成長してきたように思われる。
それが昨今の、なんとも「モノが“饐えた”ような」、それが“腐臭”を放つような事件の数々に見るような気がしてならない。
そしてその“副作用”が家庭崩壊、家族崩壊。
実は、家族の中心、家庭の中心、大黒柱はその“副作用”の末の男“父親”などではなく、女“母親”だったのではないかと最近思い始めている。

なぜなら―――――子どもは男の子も女の子も“母親”の影響は極めて大きい。

父親にその影響があるとすれば、精々が良くて“反面教師”でしかない。
要するに子どもの成長には“父親”と言う存在は「いないよりいたほうが・・・・・」といった“マシ”程度でしかなく、
かえっていない方がいい時の場合の方が多い(笑)。
その実、僕自身が子どもの時はどうも“オヤジ”は出来ればいないほうが・・・・・・
存在しない方がということではなく、
今風に言うなら「亭主元気でルスがいい」といった感覚だろうか、どうも煙たい存在で“オヤジ”がいるときの家は居心地が悪かった。とくに思春期のそれは。
しかしながら自分自身がそんな“オヤジ”になっているのだからなんともイヤハヤだが・・・・・・

“ヒト”が生きる――――――

“ヒト”が社会生活を送る上においての男、いわゆる“オス”の役割は種の保存・存続以外の用は大してなしてない。
“ヒト”以外の動物の場合は大方がそのようで『それ』さえ済ませてしまえばたいていはお払い箱である。

“ヒト社会”でも実は“そういうこと”がただ隠されているだけで実態は動物のそれと変るところはないのではないかと。
男“オス”の社会活動は実はその“ヒト社会”の雑用をさせられているに過ぎない。
肉体構造からしてそのような仕組みで、“肉体労働”、雑用に適しているようにできている。

“ヒト社会”から『経済』と言うものをのぞけばそこには自給自足。農業、漁業であろうが工業であろうが・・・・・・
いつの場合も“エネルギー”を最大限に消耗させいつしか“労働”苦役が美徳とされるように“オス”の脳内にはプログラミングされているようだ。

男を見るときそれにはたしかに経済的自立はこの“ヒト社会”においては最も重要とされているようだが、
それ以前に“ヒト”として自立しているかどうかだろう。
このことは、男“オス”という生き物が他の生き物の社会では見られない“ヒト社会”オスだけにあると思われる、

同種同族(属)の殺し合い。いわゆる『戦争』。
少なからず“ヒト社会”のオスの脳内には生存の理由という、原始的には生存競争もあったろうがその『戦争』と云うものがプログラミングされている。
またそれをさせているのも実は、女“メス”ということもひとつの事実だが。

母親を見ると大体その“ヒト”の男は分かる・・・・・・
母親というものは子ども(オス)を胎内から生み出し二足歩行し知恵がつきだし思春期を向かえてもなお自分の従属物であると本能的に思い込んでいる。
そして多くの母親はその成長過程にある子ども(オス)の『甘え』には最大限に応える。
そこのところが、男“オス”の“ヒト”として一人立ちできるかできないかの分岐点ではないか・・・・・・

“妻”に母親を見る男“オス”

どんな無理難題も引き受けてくれる“母親”という存在。
多くの男“オス”は妻“メス”に母親を見る。見てしまう・・・・・・

今盛んに世間は囃す『熟年離婚』。

残念ながら今はその熟年の男に最大限の甘えを許す“母親”はいない。
いたとしても老身の母親でしかなく、最早、そんな“オス”が甘えるかつての“母親”ではない。
40年近く“ヒト社会”の雑用、苦役をさせられ気付けばその社会は一変していた。
既に“狩”の出来ない“オス”を暖かく温めてくれる“ヒト”はどこにもいないことに気付く。

四の五の言って取り留めがないが、

その『団塊世代』――――――

よくよく考えてみると“女”はその範疇にいないように思えてならない。

“女”はメルティング・・・・・“溶解”するどころかマスマス元気、闊達そのもの。
溶解と言うよりは“妖怪”ではないかとさえ思えてきてしまう(笑)。

怒られてしまう・・・・・・考えすぎるのはよそう。

まあ、濡れ落ち葉、溶けてしまうフリをするのも一考かも知れない。
最近スーパーなどで意気揚揚とするカミサンの後を力なく歩く年金受給以外にさほど用もなさそうなご亭主のお姿をよく見かける。
おそらく僕もそんな一人なんだろうが(笑)。




Posted by 昭和24歳  at 05:08 │Comments(2)

この記事へのコメント
興味深く読ませていただきました・・・!
確かに‘女’は‘妖怪’かもしれませんね!
でも‘男’‘女’がいて、‘お父さん’‘お母さん’‘夫’‘妻’それぞれの役目があって持ちつ持たれつ成り立っているのであって・・・
母がよく言います・・・“お父さんのおかげ”感謝してます!私もそう思います・・・!
Posted by ひまわり at 2008年04月17日 17:45
>母がよく言います・・・“お父さんのおかげ”感謝してます!私もそう思います・・・!

たしかに高度成長期は労働分配が適正に行われていました。
高額所得者には累進課税で、その意味では“一億総中流”意識の所得再配分。
つまりお父さんが働いて、お母さんが家庭を守る。僕の家もそうでしたし、僕らもかろうじて(笑)。
しかし僕らの娘たちは最初から共稼ぎ・・・・・
出なければ生活がママならない。
結局、女性の社会進出、経済的自立が男社会に変革をもたらしたものの、社会構造は大きく変わってしまった。
保守的といわれるかもしれませんが、男女の役割の区別は差別ではありません。
お父さん、お母さんの大切な役割は大切にしたいものですね。
顧みれば僕らの子供時代はそんな時代ではなかったでしょうか・・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳 at 2008年04月17日 20:06
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