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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年08月15日

ついに出た、三宅雪子のHP!!




みやけ雪子公式ホームページ

 みやけ雪子。民主党群馬県第4区総支部代表、元テレビ局記者。プロフィール、メディアで培った情熱と行動力が武器。福祉や教育をはじめとした重点政策。祖父は故石田博英(石田内閣官房長官、元労相)。日本再生は群馬から!


民主党 群馬マニフェスト

「私たちは約束します」
そして「私たちは約束を守ります」・・・・・・
と、するべきです。


「約束」だけされても困るんです。
それでは、小泉、安倍、福田、そして麻生政権とおんなじことですから。

「約束したら」それを確実に守って実行してください!!

僕ら、国民大衆は一つの分岐点としては中曽根政権以降、
政党政治に騙されつづけているからです。

もちろんその時間軸の中の中心に居られたのが三宅さん・・・・・・
あなたをこの群馬4区に候補指名された小沢一郎代表代行です。

そして、消費税制度を施行した竹下内閣の副官房長官であったのも小沢一郎代表代行です。
さらに、今日までの政治状況の中にあって、その意味では常に中心に位置していた・・・・・
竹下政権崩壊後も、東京佐川急便事件で渦中で露見した竹下登総理誕生の内幕。

つまり、中曽根首相が次期首相後継指名の条件として「皇民党事件」を解決を要件づけた。
そのことで、竹下、金丸、そして小沢さんは都内某ホテルで、東京佐川急便の渡辺広康社長を仲介に・・・・・・
当時の広域暴力団のトップを訪ね、いわゆる「竹下登首相候補」の誉め殺しを中止するよう、その皇民党のトップへの要請を依頼した。

そのことで、小沢一郎代表代行(当時自民党)は・・・・・・

第126回国会 予算委員会 第10号 平成五年二月十七日(水曜日)の証人喚問で、
竹下登元首相と証人として出席(議事録)。


その意味では、現民主党代表代行は55年体制中後期の歴史の生き証人でもあるわけで、
だからこそ、この2度目の政権交代に当たっては・・・・・・

「約束します」だけでは、許せない。
つまり、「小沢一郎」にも、われわれ国民は裏切られきた過去がある・・・・・・


昭和20年代、戦後生まれの僕らの時代が終わりつつある今日、それらの事実をあいまいにしたまま、
今日の政治状況を次世代につなぐわけにはいかない。

三宅さん、「約束を守ります」と「約束」してください・・・・・・

過去の、中島さんの票読みからすれば、共産党が立候補しないことから、
5分5分の確立、いや、6,4の確率で福田城を落城させる可能性が見えてるのですから。 
  


Posted by 昭和24歳  at 21:11Comments(2)

2009年08月15日

2009年08月15日

日野皓正長女もシャブ



1964年 日野皓正大麻取締法違反で逮捕.


酒井法子に続いて…日野皓正長女も覚せい剤で逮捕
8月15日7時3分配信 スポニチアネックス

 警視庁愛宕署は14日、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで、ジャズトランペッター日野皓正(66)の長女で無職の日野良美(ろみ)容疑者(37)を逮捕した。同容疑者は容疑を認めている。

 同署によると、東京都港区浜松町2丁目の路上で13日深夜、行動が不審だったため警察官が職務質問。同署に任意同行を求め尿検査をしたところ、覚せい剤の陽性反応が出たため、14日午前3時、同法違反の疑いで逮捕した。

 目撃者によると、日野容疑者と一緒にいた人物が職務質問をされる前に現場から立ち去ったという。

 同署では入手ルートなどを追及している。


1964年 日野皓正大麻取締法違反で逮捕.
1970年 ミッキー吉野・柳ジョージ・アイ高野・デイブ平尾大麻取締法違反で逮捕.
1977年 岩城滉一覚せい剤取締法違反で逮捕. 井上陽水・にしきのあきら・研ナオコ・内田裕也・美川憲一・ジョー山中 ...



「元アイドル内偵中」…芸能界薬物ショック
捜査関係者明かす


 芸能人の薬物汚染、とくに覚醒剤の魔手による逮捕はこの半年間に相次いでいる。

 ミュージシャンの岡村靖幸(42)は今月5日、東京・新宿の自宅で。その前日4日には夫婦デュオ「ヒデとロザンナ」の二男でミュージシャンの加藤来門(29)が同じく自宅で逮捕された。

 昨年10月には東京・池袋の路上で元光GENJIの赤坂晃(34)、翌11月には三田佳子の二男でタレントの高橋祐也(28)と歌手の桂銀淑(45)が逮捕されている。

 このうち、岡村と高橋は3度目の常習犯。

 捜査関係者は「まだ内偵中の男性アイドル出身者やミュージシャンがいる。以前は売人が限られルートが割り出しやすかったが、最近では新宿や渋谷、池袋など繁華街だけでなく、周辺の住宅街でもたやすく手に入るようになってきた。徹底して膿を出したい」と話している。

ZAKZAK 2008/02/07


まあ、いわゆる芸能プロダクションが“カタギ”でないことはご案内でしょうけど・・・・・・

世の中、適当におカネが回っていて、だいたいがそうは不満のない時代ならこんな事件はこれほどない。
酒井法子にしたって、つまりは「仕事が上手くいってない」っていうのが実態だろう・・・・・

で、芸能人だけといわず、一般市民の間にも覚醒剤が蔓延しているとか。

さらには、暴力団の“シノギ”も、この不況ではままならない。で、それを商う。

今日が64回目の「敗戦の日」だが・・・・・・
アノ時代も、軍部で戦闘時に兵隊に使用していたヒロポンが大量放出され、それは、その敗戦、戦後の混乱に、
明日をも知れぬ社会、そこに蔓延した。
もっとも、薬局で普通に売られていたというのだから、それでは暴力団のシノギにはならない。

・・・・・・また1943年から1950年まで、薬局では印章さえ持っていけば誰でもヒロポンのアンプルや錠剤を購入可能で、タクシーの運転手や夜間勤務の工場作業員など、長時間労働が要求される職種の人々に好んで利用されていた。その疲労回復力から大変重宝された。だが実際は即効性の高いアンプルは常に闇に流れて常に品不足状態であり、薬局では錠剤しか入手できなかったことが、1949年の新聞で報道されている。この結果、日本ではメタンフェタミンが社会に蔓延し多数の依存症患者を生み出す事となった。

・・・・・・・覚せい剤蔓延が社会問題化し、1951年に覚せい剤取締法が制定されると覚せい剤の取引は地下に潜り、暴力団等の主要な資金源となっていった。


世の中を混乱させるには実に都合のいいのがこうした麻薬だ・・・・・・

今日の、この「日野皓正長女も覚せい剤で逮捕」といった、その世界での薬物禍だが、
これは何も昨日今日始まったことではない。

昭和、日中戦争の折には大日本帝国政府は国策として、戦争の手段としてそれを中国大陸で用いた。

日中アヘン戦争  2003.07.18

もしかしたら・・・・・・





  


Posted by 昭和24歳  at 10:39Comments(1)

2009年08月15日

64回目の“火垂るの墓”

64回目の“火垂るの墓”





「パパ・・・・・セツ子のドロップ買って」

サクマ式ドロップスは問屋町の「お菓子の川上」にある・・・・・・
毎週土曜日になるとわが家のセツ子たちとそのお菓子の川上へ行くことが習わし(笑)。
本日、土曜日だけれど川上、お盆休みだろうか?


昨夜のTV『火垂るの墓』・・・・・・・

やっぱり、セツ子はその「サクマ式ドロップス」、
石ころの「サクマ式ドロップ」を握り締めたままホタルに守られるようにして死んでいた・・・・・


『火垂るの墓』は、原作:野坂昭如、不朽の名作である。

ところで、久しく作者の「野坂昭如」さんはお見えでない。永六輔の「土曜ワイド」ではそのお手紙をアナウンサーの朗読でお聴きして、早1年からが・・・・・
あの、シャイな感じでなんともお茶目な黒メガネで、吃音気味に話されるお姿が懐かしい。
筆耕もままならないとかで、口述を奥様が代筆されてのご紹介とか・・・・・

♪マリリン・モンロー~ノーリタ~ン♪

なんて歌ってた、シャンソン歌手でもあるの野坂昭如さん、

♪アキユキ・ノサカ~ノーリターン♪

なんてえことになったりしないでしょうねと、いささか心配である。


「パパのお姉さんも2歳の時に、戦争に負けた年に死んじゃったんだよ」

「うそっ、初めて聞いた!!」

「なに言ってんだ、初めてなもんか、ほらお墓参りに行くと“松原美佐子、享年2歳、昭和20年9月・・・・・
パパがいつも話してるじゃあないか、パパのお姉さんだよって」

「うそ・・・・・聞いてないよ、聞いてない・・・・・今度よく見てみよ」


僕の実家の墓碑には昭和18年から20年の間に二十歳前に没した法名が3つ、伯父、叔母、そして姉・・・・・
幸いに“戦死者”は出なかったものの、父はその姉が生まれる年、昭和18年に出征し、シベリアから22年に復員。
出征中に、姉の死を知らず復員・・・・・


「戦争・・・・・パパが生まれる4年前に終わったんだ・・・・・」

「パパって、大変な時に生まれたんだね・・・・・
でも、あれって・・・・・テレビのあれって本当のことなの?“この物語はフィクションです”なんていってるけど・・・・・」

「いや、本当はもっと酷かったらしい。東京大空襲、広島、長崎の原水爆、とてもじゃあないが・・・・・
テレビだって、映画だって再現できるもんじゃあないよ。残忍で、残酷で」

「なんで戦争したの・・・・・ハワイのとりっこ、沖縄のとりっこ・・・・・」

「違う違う・・・・・そのうち学校で習うかな、歴史で」

「ふ~~~ん・・・・・」


僕にもその戦後の臭いが娘たちにはあるらしい・・・・・

「パパって・・・・・貰い子だったんだって?」

「えっ、誰が言ってた?」

「ママが・・・・・この間死んだ、小ちゃいおばあちゃんがパパの本当のお母さんなんだって。
小ちゃいおばあちゃん、パパを生むとすぐ病気になっちゃって・・・・・それで・・・・・って」



その意味では僕も戦後とはいえその“戦争”の中に生まれたのかも知れない。
しかし、そのことの事実を“時代”は急ぐようにして“墨塗り”してきた・・・・・

そして今、勇ましくも“普通の国になれ”だと言う。
自国で自国を守れないようでどうするとも言う

北朝鮮が弾道ミサイルに燃料注入を確認した時点で先制攻撃とみなし・・・・・・

さてそうだろうか・・・・・???

あの当時国家予算のほとんどを費やし、国民総動員しても守れなかった、
守れなかったどころか300万人も犠牲者を出して“破滅”の道を辿った事実を前にして、
戦争という手段で、どのようにして“守れ”というのだろうか。

国力にあった外交・・・・・
そして叡智ある外交、いかにして“戦争”をしないか、“和平”に徹するかという外交。

いつだったか、NHKであの平成の大勲位“中曽根康弘翁”が鄧小平の名言を紹介していた・・・・・・

「解決しない解決策というのも、ひとつの“解決策”である」と。

昭和の日華事変から太平洋戦争にいたる史実を学べばその戦争という愚かさ、
そしてそれは、その“欲望”のための殺し合いでしかない・・・・・

国のために殉じたというが・・・・・・それはまやかしで、
その“時”には、

「上官の命令は天皇陛下の命令!!上官の命令に叛くことは天皇陛下に叛くこと!!」

そう言って、戦争をし、挙句は発狂的“特攻”まで命令した“上官”。

その上官は・・・・・その上官に叛くことはと言い、無辜の若者を死地に強制した・・・・・・

そして散って逝った若い命。いかにこの国、国家が国民の命を軽んじていたか。

国を守る・・・・・???

そんなことで国を守れるわけがないじゃあないか!

そのことが、そのこと自体が本当は“フィクション”だったことは多くの国民は気づいていたはず・・・・・

「現人神」、そして「神国」という偽装を歴史は今、教えている。

野坂昭如の描く、清太とセツ子・・・・・
この国に、何千、何万といたであろう“清太とセツ子”。
お国のために戦った末の“清太とセツ子”・・・・・


その史実を消し去らない為にも僕らは語り続けなければいけない。

そして、「一国平和主義」とか、「平和ボケ」とかいわれる・・・・・・・
“異様”な“異常”な平和憲法をもってしまった国民として、その“異様”な“異常”な憲法9条を至高のものとして受止め、

二度と“清太とセツ子”をこの国に作らないためにも、
それを生きなければいけない。
 

戦争そのものが犯罪である・・・・・    


Posted by 昭和24歳  at 07:47Comments(0)

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