グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  

Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年08月18日

三宅雪子辻立ち!!

三宅雪子辻立ち!!





三宅雪子氏、小沢の教えで福田討ち/衆院選 (1/2ページ)
SANSPO.COM 2009.8.7 05:05

 群馬4区から出馬予定(本日公示で候補者)の民主党新人、三宅雪子氏(35)は、小沢氏直伝の“選挙3カ条”を胸に必勝を期す。フジテレビ社員(現在は休職中)の出馬で話題になったが、祖父は元労相、父親も外交官。その縁で民主党・小沢一郎代表代行(67)と親交があり、“口説かれて”出馬を決意。福田康夫前首相(73)の“国”に鋭く斬り込んでいく。

オイオイ、サンスポさんよ三宅雪子は35歳じゃあねえぞ、44じゃあなかったか!!???
で、ポロシャツにパンツ、スニーカーじゃあダメだ、びしっとスーツで決めなくちゃあイケません!!
上州、カカア天下。強い女に男衆どういうわけか弱いんです・・・・・

オッカア連中にしたって、蚊の鳴くような声じゃあダメ!!
弱い女じゃあダメなんです!!男勝りです!!!
そこんとこ、分かってのかねぇ、選対本部とやら!!???







それにしても、慣れてないとはいえ三宅雪子、声がちっちぇえなぁ。
そんなんじゃあ勝てねえぞ!!

だいたい、大の男が二人も付いていて何とかしろよ!!
選対本部長とかだけど、ダメじゃあねえか!!!

まあ、公示前の話だったけど、本日公示です。
30日までの限られた時間で、さてどうなるかなんだけど・・・・・・





そうですか、田中真紀子さんがオシドリ入党でしたか・・・・・・・
だったら、田中真紀子さんに一度入って貰って、ケツ叩いてもらった方がいいなぁ!まあ、田中真紀子さんにしてみれば宿敵ですからねぇアノお方・・・・・・
面白い演説になるんですけど。
  


Posted by 昭和24歳  at 14:37Comments(2)

2009年08月18日

小鳩山内閣

小鳩山内閣




細川護熙元首相 鳩山由紀夫多分、次期首相も田中派でしたね。  


まあ、その昔“田中曽根内閣”っていうのがあったわけです。

まっ、お噂の限りですが、当時、風見鶏とかカンナ屑とか言われていた小派閥の領袖だった中曽根康弘元首相でした。
で、永田町の勢力図ではナントカ次期首相に滑り込みセーフだたんですけど・・・・・・
何せ「目白の闇将軍」が「ヨッシャ!!」と言ってくれないことには事は丸く収まらないのがあの時代の政界。

んで、モノの本によれば、まあ、中曽根といえば読売新聞です。
その読売新聞の名主と連れ立って目白邸の襖の下張に「ナニトゾヨシナニ」と言ったかどうか・・・・・
小沢一郎のみぞ知る・・・・・まあ、それも噂の噂ですけど。
で、当時中曽根さんのお家は都電、目白学習院下から徒歩数十秒ほどのところにあったはずです。

早い話、見上げるとそこには目白御殿があるという何ともイヤハヤな画なんですけど、
で、めでたく田中派の重鎮、後藤田正晴元警察庁長官を官房長官、目付役に田中曽根内閣誕生秘話。

しかしそれを思うと、小沢一郎は古いですねぇ。とにかく古いです。
で、小沢さんなんですけど、第二次田中曽根内閣では自治大臣、兼国家公安委員長に就任してるんですね。

まあ、分けあって自民党を飛び出して新党ブームで見事、「細川政権」だったんですけど。
コレは実のところ「小細川内閣」だったとモノの本には記されています。
まっ、主要閣僚は全部田中派でしたね。見事に。官房長官もその田中派だったムーミンパパ武村正義さん。
因みに、官房副長官が、ムーミンパパに合わせたわけではないでしょうけど、スナフキン鳩山由紀夫とかです。

で、小沢一郎さんなんですけど、世にいう、「一市ライン」でそのホカ弁連立政権をコントロールしていたわけです。
まあ、今からほぼ20年前の話です。中には万年野党のはずの社会党、民社党がいるわけですから、そういう人たち、
なにがなんだかわからない、なにをしたらいいかわからないもんですから、またたく間にスッタモンダでしたね(笑)。

そりゃあそうです、ケチつけて反対ばっかりのうちはよかったけど、今度は「ケチ」つけられて「反対」されちゃう。
まあ、官僚の作った答弁書をなぞってるだけなんですけど、埒が明かない・・・・・
あとは、目白の御殿で雑巾がけやってた連中ばかり、まあ、20年前ですから鳩山兄弟だって40そこそこです。
ハッキリ言って、門前小僧ばっかしだからまとまる話もまとまらない・・・・・・

で、細川政権、在任期間は263日間でオジャンでした。

まあ、無理もありません。日本社会党に民主党、それに公明党が同じ船じゃあ闇鍋です・・・・・・
で、ウィキペにもありますけど、細川護熙さん、15代目熊本藩主の父、細川護貞さんに、

「そんなヤクザな道に入るのなら、家とは縁を切ってくれ。カネも含めて今後一切の面倒は見ない」

と勘当を言い渡されたとかで、まあ、佐川急便事件というか面倒見てもらっちゃったためとか、
よからぬ高利貸しに資金運用を任せていたことでスキャンダルになっちゃたりで、まあ、突然の記者会見で、

「私とあなたとは違う」

みたいに、内閣を放り投げちゃったわけです。
まあ、オレンジ共済事件でも追及されたり、7%の国民福祉税構想を真夜中に発表してみたり・・・・・
まあ、ぶっちゃけて、その資格じゃあなかったわけです。器じゃあなかったわけです。
まっ、首相からしてそうですからほかの閣僚も知れたもんでご案内の状態・・・・・・

その後は、 「新進党」だとか、またそこももめて、細川、鳩山弟の「フロムファイブ」とか、
そしたら「羽田務の「太陽党」とか、岡田克也(鹿野道彦)の「国民の声」だとか「新党みらい」・・・・・・
中野寛政(旧民社)の「新党友愛」「民政党」もう何が何だかわからない・・・・・・
結局、村山内閣、自民党の猫だまし政権を挟んで、みんな野党に転落しちゃうんだけど・・・・・
まあ、「新党ブーム」というよりは「新党ごっこ」のおままごとした。

で、本日8月18日公示の総選挙なんです。
まあ、その「新党ごっこ」の諸君も大方が還暦を過ぎて、よもやなんですけど・・・・・・

「二度あることは三度ある」

コレ、世の常ですね。しかも役者がほとんど当時のままですね。
旧自民党の田中派、旧日本社会党、旧民社党の面々。まあ、どういうわけか若くて活きのいい方は何故か静か。
結局、民主、社民、国民、新党日本、新党大地と、あっ、ぁぁぁああーーーーっていう感じなんですけど。

小鳩山政権、あるやなしや!!???   


Posted by 昭和24歳  at 12:47Comments(0)

2009年08月18日

自然に・・・・・



犬が西向きゃ尾は東


自然に・・・・・

僕は、比較的・・・「自然人」の、つもり。
別に「ナチュラリスト」とかと、気取った「自然人」なんかじゃあない。

ようするに「自然」なんだ・・・これも生きる術かも知れない。

「自然」に怒って、笑って、泣いて、躓いて、転んで・・・

後悔して、反省しての繰り返し・・・それもこれも、自分と云う小さな「自然」の中で。


よく、「親の顔がみたい」とかいうが・・・・・

子供は親の「映しえ」である。

粗野、粗暴な「子」、常に他人を競争の対象に見る「子」・・・
物事に思いやれない「子」、虐めに走る「子」。

気付かないけど、殆ど、「親」の日常が子供に「映る」。
甘いものしか食べない「子」、インスタント食品しか食べない「子」、ゲームボーイに夢中になる「子」(笑)。

とうとう娘にも買って上げてしまった「ゲーム」。
上のお姉ちゃんたちには、僕の娘を止めるまで「ゲーム」は買ってあげなかった。

長女、次女が云う・・・・・

「やっと、普通のパパになったねっ」

って。とにかく僕は「ゲーム」と云うあの異様な音の出る、
パラパラ漫画のようなのが「キライ」なのだ。

案の定、娘は夢中になる・・・・・
声をかけても夢中で返事をしない・・・「ゴツン」と拳骨。
ソフトを引抜くとゴミ箱へ投げ捨てた・・・娘は「ごめんなさい」と。
云って分からなければ「拳骨」しかない・・・
それも親子の「自然のふれあいだっ」、と僕は決めている。

先日「スーパー」での事・・・娘の娘と末娘を連れて「スーパー」へ行った。
駄菓子コーナーへ一目散・・・兎に角子どもはそれが楽しみ。

やはりそこは子供の世界。「自然児」の集団疎開のような所で随分と五月蝿い。
娘の娘は「2歳」。やはり「2歳」くらいの「ガキ」が、小さなプラスチックの椅子を振り上げて、娘の娘に投げつけた。
もちろん、理由も減った暮れもない・・・幼児特有の悪ふざけ。
僕が「コラッ」と叱ると、その「ガキ」はキョトンとしている。
娘の娘はいつものように「ぎゃーぎゃー」と泣き出した。

そのうちに、その「ガキ」の父親がやってきて・・・・・
「すみません」と神妙になる。
その「ガキ」を叱りながら抱きかかえ上げると、また申し訳なさそうに「ぺコリ」と頭を下げ行った。
年恰好は20代後半か・・・見立ては「粗」にして「野」。
しかしそのお父さんは「自然」と云う「社会」の法則に律儀であった。

僕は、その「自然児」と「自然人」に清々しさを感じた・・・・・

世の中捨てたもんじゃあない。

この時代・・・今日の為に「生きる」ことが大切なんじゃあないかと思った。

貯める、遺す、を世間は云い続けてきた。
明日のため、将来のため、「備えあれば憂いなし」と。

貯めた「つもり」が、遺した「つもり」が、紙屑。
紙屑でも残ればいいが・・・・・
それどころか、それが「手枷、足枷、重石」となり、この国の「社会」を「自然破壊」せしめている。

今日を「一所懸命」に生きるこの国の未来に「備えあれば憂いなし」と、
首相は「有事法」を高らかにするが・・・・・

「捨てたもんじゃあない世の中」を、

政治家のみなさん。今度は誰がなるかは知らないが・・・・・

「捨てない」で欲しいもんだ。

矢鱈、手を加えなくても、
かえってその方が、「自然」は「自然」に育つもんじゃあないだろうか。

自然に・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 10:29Comments(0)

2009年08月18日

溶けてゆく時間・・・・・




溶けてゆく時間・・・・・

十代のそれは、風を切るように・・・・・
時計を早回しにしてもなお、明日が待ちどうしい。
パンパンに膨らんだ夢は、食べても食べて食べきれないほど溢れてくる。

20代のそれは、だんだんと、そして少しづつ長い方の針の動きが気になる。

「チックタック・・・チックタック・・・」

十代の頃のそれは弾むように楽しかったのに、今はその音さえ追立てるように聴こえる。
それでもまだ僕は萎みかけた「夢の風船」に、思いっきり息を吹込む。

30代のそれは、そこにはもう一人の自分がどうなるか、どうなって行くかを考えている。
そしてその時計の針を待ち遠しく、早く回したくなっている自分がいる。
しかし、気がつくとその時間は短い針までがなぜか早い・・・・・・
ひとつ、二つ、三つ・・・と、目まぐるしく、もう一人の自分が楽しくも五月蠅い。







40代のそれは、そろそろ溶け始めている。
何の前触れも無く、それは溶け始める・・・・・・
気が付いた時・・・・・それは、「時」既に遅しか。
その昔、「の」の字を書いていた恋人も、やけに自信たっぷりな物言いに変わっているから可笑しい。
変に「夢・・・」などと「ユメユメ」云おうものなら「努々」思うな・・・と、諭される。

50代のそれは、儚くも「心も身体も」その時間の中に溶けている。
その分、開き直って益々気分は「少年帰り」しているのだが・・・・・・
その傍らで、昔の「恋人」は僕の「少年」を嘲笑いながら今日も元気だ。

まあ、それはそれでよいとしよう。
その昔、「ピーピー」と五月蝿かったもう一人の自分も、僕と同じ道を辿り始めているのだから。
可笑しきかな人生である・・・・・
この時分の時計の長い針と短い針は何時も重なりながら動いている。
それも、ゼンマイ時計のように振り子も、重そうに。

そして暦が還る今日この頃には、
新しく生まれたもう一人の自分が・・・・・・
僕が、一体、どこの誰なのかを教えてくれている。

溶けてゆく時間の中で・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 08:47Comments(0)

2009年08月18日

未来の僕たちへ



囀り石、囀石(さえずりいし)
群馬県の文化財である大きさ約4メートルの巨石。しゃべり石ともいう。 




未来の僕たちへ

時代を囀り、瓦礫の中・・・・・
僕等は始まった。

昭和32年、北海道北見から・・・高崎の炭鉱(炭田)へ。
同じ頃、下久保ダム建設で埋没のため「一部落」高崎の観音山丘陵北端に入墾。

「母子寮」というのもあった・・・・・日本の至る町にあったのだろう。
僕等の同世代の子どもたちが殆どだったので、父親が「戦死」したという事情ではないようだった。
敗戦の瓦礫の中、ただ「生きる」ことだけに生きる母と子ども。

満蒙開拓団、所謂「満州帰り」。新婚で国に誘われるまま満州に渡り、そして敗戦。
命からがら、乳飲み子を残し焦土を踏んだ若い母親・・・・・・

それが、僕等の「母世代」です。

そのまま、夫は「お国の三百里」の土になったやも知れず・・・・・
30代そこそこの「母達」の明日知れぬ暮らしが、昭和20年8月15日を境に始まった。
僕の世代、年子で4人兄弟、姉妹は当たり前・・・・・

街には廃墟の中にもバラック仕立ての2軒長屋がいっぱいだった。
水道、洗い場は「共同」。大人達の心は「荒み」きっていた。
大人たちは、ただ敗戦という理由に180度の価値観の変貌に世間を忌み、嫉み、妬む。

そんな時の、松川事件であり、三河島事件であり、三鷹事件であり、帝銀事件だったのろう・・・
街は、喧騒に溢れ、怒声、罵声の渦・・・・・全ての食糧が「配給」。

そんな中、僕等は湧くように生まれたのだった。

忘れてはいまいか、かつてのあの時代の、その世情を。
今のように、政治に不満を云うどころの騒ぎではない。
国民が食うことに、生きることだけに精いっぱいだった、そうした世情の責任を回避したまま・・・・・
戦争責任者たちはこの国を売り、狡猾にも再び、この国を私腹し始めた。

伝播されているように、A級戦犯の「巣鴨プリズン」謎の出獄である。
公職追放されていた、その時分、40代からの時代の支配者たちは見事に復活し・・・・・
占領政策に、新憲法下、普通選挙でこの国を誑し始めた。

中国革命、朝鮮動乱で米国の後方支援、兵站基地として、ものの見事に他国を犠牲に「経済復興」を遂げ、
後にも先にも、猿芝居「政・官・財」癒着の「55年体制」を、物言えぬ民草を踏みつけて謀った。
そして今日、国家は厚化粧のなか、創られた「豊かさ」も崩壊し世相は変わったかに見えるが・・・・・・
世情は何らの変化を見ない。

あの時のままだ・・・・・

逝った人の、逝った人の世襲者たちの「潜み笑い」が囀り。

あの時の極度な貧困化に湧くようにして生まれた世代が「団塊の世代」と煽てられ、
醜いほどの消費、消耗文化を弄んだ、その「ツケ」の精算はまだ済んでいない。
それは、湧くようして生まれた、そしてその一世代上の戦中生まれ世代・・・・・
いわれる、「4人に一人」がその次世代、次々世代に集ろうとしているがそれでは持つまい。

精算しないまま逝くのですか。「醜塊」を遺したままで・・・・・

せめて、自分の「戒名代」くらいは、今、遺しておきましょう。生きているうちに。
葬儀一式400万円くらいが相場とか。
そして、あの世への戒名代、「税務署がうるさいもので」と20万円、40万、70万円・・・・・・
「その先はお気持ち次第です」とお釈迦様の使途が品書きをそっと出す。

僕等世代、合わせたら、戒名代だけでも、ほぼ、3兆円・・・お寺さんがお待ちです。
別に神仏を冒涜するつもりはありませんが、仏になるのに(仏教のみ)借り物の祭壇、儀礼に400万円は・・・・・
おくり人の皆様には申し訳ありませんが、その莫大なおカネ、もっと違う使道もあるのではないでしょうか。

葬儀社の、病院への売り込み合戦も壮絶らしいですからと報道特番。
やはり其処でもその地の有力者(議員)が跋扈するという。

せめて、人としての最後くらい、
いや、死んでまで「商品」にされたのではたまらない。

いつのころから、そういう死人(しびと)を商品にする世相になったのか・・・・・・
僕が知る限り、僕の祖父母の葬儀(昭和30年頃)はただただ、それはしめやかにであった。
その、高度経済成長は戦後の清貧、人々の心を塗りつぶすようにして拝金した。

御殿のような貸し葬儀場・・・・・・

どう考えたらいいのか、人生の終わりと、人生の始まり、冠婚葬祭が同じ商い。
他所の国のことは詳らかではないが、この国のその事情を知るとたいそう驚かれるそうだ。

そして、少子高齢化、冠婚事情は曇りのち雨だが、葬祭事情は晴天つづき・・・・・・
今や、葬祭産業の経済規模は2兆円。今後ますます活況ですとか。

僕が死んでも、位牌もいらない、墓も要らない、石塔もいらない・・・・・・
灰にして、この「星」の土に返してくれればそれでいい。

そして、僕のことなんか、とっとと「忘れて」幸せに生きてください。

未来の僕たちよ。
  


Posted by 昭和24歳  at 07:56Comments(0)

< 2009年08>
S M T W T F S
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
過去記事
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 125人
プロフィール
昭和24歳
昭和24歳
オーナーへメッセージ