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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年08月09日

自民党、お止めなさい!!

自民党、お止めなさい!!





「日本を守る」。それは、政権交代が必要か否か、という視点に惑わされ、国民の生活にとって、社会にとって、本当に大切なことが何なのかが見失なわれそうになってしまっている今こそ、自民党が改めて発信したいテーマです。
日本を守るとは、経済を立て直して国民一人一人の生活を守ることであり、 より安心・安全に暮らせる社会をつくることでもあります。
また、北朝鮮の脅威から守ることはもちろん、世界に貢献する国家としての信頼を獲得することでもあります。
自民党は、政治にできることを常に考え、改めるべきは改め、伸ばすべきは伸ばす、という視点に立ち、全力で日本を守ります。

「責任力」。それは、これまで日本の発展のために政策を立案し、実行し、実現してきた自民党の政権担当能力の本質を表す言葉です。
国を守る、国民の暮らしを守る、そう掲げるだけなら誰にでもできます。
大切なのは掲げたことを行動に移し、実現まで全うする力。それが責任力です。
財源が明らかにされないなどといった、裏付けのない約束や、検証の不充分な約束は、本当の約束ではありません。
常に責任をもって政策を立案し、責任をもって実行、実現させてきた自民党だからこそ約束できるのです。

自民党はこれからも責任力を発揮し、日本を守るために、その総力を結集します。



 「日本を守る」。それは、政権交代が必要か否か、という視点に惑わされ・・・・・

たしかに、戦後というか敗戦による未曽有の事態に陥ったこの日本社会を、
戦後処理、そして、講和、独立に締結された日米安全保障条約から1960年、70年の安保闘争からそこにいう・・・・・

「日本を守る」

試行錯誤の政治があった・・・・・

それは、米ソ冷戦下、かつての大戦の贖罪を背負いながら、なおかつ敗戦国という負い目のなかを、
国際社会の一員として、政治も経済も、国民もただただ、生きるためだけに、食べるためだけに必死に働き続けた。
それが、数々の労働運動であり、農民運動であり、政治運動で、その結果・・・・・・

「奇跡の復興と高度経済成長」を成し遂げた。

そこで、あえていうなら、日本が今日「世界第二の経済大国」になりえた理由には、
世界中いたるところで繰り返される戦争、その犠牲によるものであったことを我々日本国民は忘れてはならない。

そこでだが、自民党が「日本を守った」というのは精々が田中角栄政権までだ・・・・・・

開戦、戦中、戦後をリアルタイムで生き、敗戦、焦土に、軍事占領される中を為政する、
その緊張感は今日の政治の比ではないことは、戦後生まれの僕らでも想像に難くない。
そして、55年体制の始まりにはその思想背景から日本社会党委員長の浅沼稲次郎の暗殺・・・・・
そして、60年、安保を承認して暗殺仕掛けられた岸信介首相、自民党総裁。

今の政治は自民党のみならず、いずれの政党も70年安保以降の金権政治の中に生まれた政治。
田中角栄の失脚を機にどうにもならない「異形の政治」が胚胎し始めた・・・・・

首相になるために右翼制圧を、あろうことか日本最大の広域暴力団組織の組長に依頼する。
それは、田中角栄以前の「金権」とは明らかに趣を異にした、ただ「カネのための政治」を見せた。

そして、その後は「汚職の連鎖」で、自民党は割れ、下野する・・・・・・
自民党を割って出たのは、全てが、「田中派」。田中角栄元首相の下で政治を始めた新人たちだった。
そしてそのほとんどが、世襲であり、蛙の子は蛙ばかりであった。

麻生さん・・・・・・

日本を守ったのは、戦後の荒廃から日本を復興させたのはあなたたちではなく、先代自民党だ。
あなたたちは、そんな先代自民党の遺産を食いつぶし、さらには日本社会を崩壊の憂き目に落とした。

民営化という名のもとに、国鉄も、日本電電、専売公社を私物化させ、
そして今や郵政も国民の手から奪い取ろうとしているのが今日の自民党での姿ではないか。
そこでいう、「公務員が悪い」というのは「政治が悪い」ということに他ならない・・・・・・

北朝鮮の脅威とかも、拉致被害者救出にもなんの手立ても講ぜずただ手をこまねくばかり。

「日本を守るとは、経済を立て直して国民一人一人の生活を守ることであり・・・・・」

というが、 

「立て直さなくてはならないほど」までに、経済を壊したのはどこの政権だろうか・・・・・

「改革なくして成長なし」の「バラ色の郵政民営化」

5年たった今、その成果を国民は未だ知らない。
知っているのはその先の不安ばかりである・・・・・

そしてここまでに至らしめた「年金問題、医療介護問題、失業問題」等々。

「常に責任をもって政策を立案し、責任をもって実行、実現させてきた自民党だからこそ約束できるのです。」

というが、自民党は・・・・・・
どのように責任をもって実行してきたのか?
どのように実行、実現してきたのか・・・・・


今日のこの日本社会の姿にあなた方自民党が取るべきことは「責任」ではないのか・・・・・
この際、清く下野して、民主党政権の悪しき部分を国民に知らせ、
その上で、これかららの、自民党というより政治家としての責任を語ってほしいものだ。
  


Posted by 昭和24歳  at 13:07Comments(3)

2009年08月09日

高崎駅西口界隈




小ぶりで美味い・・・・・
「馬車屋」のおにぎり

当時、昭和50年代・・・・・・・
あの頃の高崎駅前の土産物屋辺りは確か「アーケード」になっていたように憶えている。

今の朝鮮飯店の合い向かいがやはり旅館で道幅は現在の半分くらいだっただろうか・・・・・・
大きな建物といえば新町(あら町)交番までの右手の、月賦専門店「緑屋」が目立っていた。

僕は駅を背に右手の「馬車屋」と云う「おにぎり屋」が贔屓だった。日通の高崎支店の手前である。

その筋の、姉さん風の趣で、「キッ」とした女将さん。年の頃なら、四十半ばといったところだろうか、
手代のお姉さんは三十路も末とお見受け。そんなお姉さん・・・・・・・
女将さんにしょっちゅう叱られながらも甲斐甲斐しく客を案内していた。

そんな取り合わせの「馬車屋」・・・・・

「すみませんねぇ、気が利かなくて」

女将は手を休めることなくおにぎりを握りながら客を気遣う。

「すみません、すみません」

と、すみませんを口癖のように繰返す手代のお姉さん。

まあ、客が七、八人で目一杯のカウンターだけの店だからそう意気込むこともないのだろうが、
その女将さんはどう言う訳か律儀であった。
いや、時代がそういう時代だったのかも知れない。そして情の時代でもあった。

兎に角、その馬車屋ときたら、季節季節の漬物が美味い、これが堪らなく美味いのだ。
それに、大きくも無く小さくも無い、いつも炊き立てのご飯のおにぎりは絶品。

僕はもっぱら、「おかか、こんぶ、シャケ」で、
それに、さっと仕上げた「なめこ汁」もなかなかのものだった・・・・・・

今ではそんな気の利いたものを食わせる店に出くわすことはない。
もっとも食う方も、食う方、どうやらその辺、即席「インスタント世代」で、美味いも不味いも、
口が知らないのかも知れない・・・・・・・


その「馬車屋」も再開発とやらで、ついと、僕が暫く高崎を離れている間に姿を消してしまっていた。

どなたにもおありだろうが、忘れられない味・・・・・・・・
もう一度食べてみたい。どうしても食べてみたいもののひとつがそれ、

「馬車屋」のおにぎり。

しかし、どうやらそれは思い出の中に仕舞われてしまったようだ・・・・・・

そうと思うと無性にもう一度食べてみたくなるのが人情です。
最後にそれを食べたのが昭和55、6年、高崎駅西口に帳の下りる刻・・・・・・・

間口半間のガラスの格子戸のシブイ滑車の音が今も耳に残っている。


そんな「馬車屋」を挟んで南に、「もみじ食堂」「小徳食堂」そして「堺屋土産物店」があり・・・・・・・
北隣には、「キング・バー」「喫茶うえの」とあったように記憶する。そして「日通」が。

そこから先は、今はニチイ、高島屋となっているが、その辺り一帯は「高崎倉庫」と「群バス」の車庫で、
もちろん舗装などはされてはおらず、梅雨時などの雨上がりは歩くのにも一苦労・・・・・・
また、雨が上がって乾けば乾いたで砂埃でずいぶん往生させられたものだ。

その頃は高島屋の「た」の字も無い。今の高島屋、旧ダイエー辺りで・・・・・・・
大手門からの「慈光通り」は袋になっていて、
日通の貨物トラックと国鉄の客車の操作場が昼夜違わずけたたましく轟く雑然とした所だった。

因みに、昭和三十年代まではそこには、その客車を揃える「客車区」と、
上、信越線、両毛線を挟んだ向かいには「蒸気機関車」のターンテーブルが忙しくしていた。

そんな、高崎駅西口界隈・・・・・・・
そこには、昭和50年代のもったいない風情があった。


  


Posted by 昭和24歳  at 04:22Comments(5)

2009年08月09日

ごくぴーだったら!??

ごくぴーだったら!??



次シリーズではぜひ、のりピーもやんくみのお姉さん役で、


いいかっ、おまえらぁ!!
シャブなんかやりやがったら、
しょうちしねえからなあっ!!!



それにしても、酒井法子さんて幸せではなかったんですね・・・・・

そうですか・・・・・お父様がその筋のお方だったとかで事故死ですか。
早いうちにお母様も亡くされて・・・・・
で、弟さんもその筋とかで、きっと子どもの頃は淋しかったんでしょうね。

酒井法子さんの、あの清純そのものの趣は、潜在願望だったんでしょうね・・・・・・

スポットライトを浴びれば浴びるほど、一人になった時、
その現実と、タレント、歌手、女優という虚像とのギャップに耐えられなかった。

それにしても、よく、今日の今日までバレなかった・・・・・

国民的というか、日中文化・スポーツ交流親善大使になったり、
手話を交えて歌ったり・・・・・





「包み隠さず正直に」=社長コメント読み上げ-酒井容疑者所属事務所・東京
8月9日0時3分配信 時事通信

 女優の酒井法子容疑者(38)の逮捕を受け、所属事務所「サンミュージックプロダクション」(東京都新宿区)は8日夜、担当者が「包み隠さず、正直に話してほしい」とする相沢正久社長のコメントを読み上げた。
 8日午後10時45分ごろ、富岡弘明制作部長が会見場に姿を現すと、報道陣から一斉にフラッシュがたかれた。
 同部長は冒頭、「多大なご迷惑をお掛けし、申し訳ない」と頭を下げ、「自ら出頭したという報道を聞き、最悪の事態は避けられた。警察の取り調べに包み隠さず正直にすべてを話してほしい。関係者、ファンの皆様にご心配をお掛けしたことを深くおわび申し上げる」とコメントを読み上げた。
 報道陣からは矢継ぎ早に質問が飛んだが、同部長は「警察から報告がない。改めて社長が会見する」と繰り返し、約5分間で会見場から立ち去った。
 事務所関係者によると、相沢社長は体調不良で、7日に点滴を打ち、寝込んでいるという。 



「包み隠さず、正直に話してほしい」

とする相沢正久社長のコメントとかだが・・・・・・
包み隠さず話さなければならないのはサンミュージックの方ではないのか!!???
「そういう事実」をひた隠しに隠して「虚像」を売り物にして稼がせてきた芸能プロ。

まあ、40にもなろうとする元アイドルにどうこうすることは難しいだろうが、
夫婦でシャブ中とか、姉弟でシャブ中とか・・・・・・
まっ、親父さんのことはともかく、その辺のことは察知していたはずではなかったのか。


まあ、まさかの酒井法子覚醒剤所持、出頭逮捕という顛末だが、
「まさか」でなさそうな・・・・・・


「バカ」

を売りにしたような天才的振り師、男も女もだけど、タレント・・・・・・
わがやでも例外でない、女房、娘どもはそんな番組を追っかけている(笑)。

商売人は例外なく、売れるとなるととことん行っちゃいますね。
その商品がぶっ壊れるまで使いまわします。

「自由民主党商店」もでしょうか(笑)。

いいかっ、おまえらぁ!!
シャブなんかやりやがったら、
しょうちしねえからなあっ!!!

  


Posted by 昭和24歳  at 03:20Comments(0)

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