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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年03月18日

闇サイト殺人

<闇サイト殺人>2被告に死刑、1人に無期判決 名古屋地裁3月18日12時11分配信 毎日新聞





<3月18日10時17分配信 毎日新聞引用開始>

名古屋市千種区の派遣社員、磯谷(いそがい)利恵さん(当時31歳)が07年8月、拉致・殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われた闇サイト仲間の3被告に対し、名古屋地裁の近藤宏子裁判長は18日、神田司(38)、堀慶末(よしとも)(33)両被告に求刑通り死刑、川岸健治被告(42)に無期懲役(求刑・死刑)を言い渡した。検察側は「3人の刑事責任は等しく重大だ」と訴えたが、近藤裁判長は「神田被告が主導的役割を果たした」と認定した。

<3月18日10時17分配信 毎日新聞引用貼り付け>

名古屋千種区の“闇サイト殺人”・・・・・

二人に死刑、一人に無期懲役!!

聞けば聞くほど、知れば知るほど・・・・・・

自分の、自分の家族に置き換えてこんなことが、事件があっていいのだろうかの思わずにはいられない。

ひとり残された母親は「三人に死刑判決を」との思いだった。


その判決の中で殺害の計画性を巡っては、検察側が論告で、

「当初から拉致・殺害を認める合意があり、事件当日に再確認した」

と強調。一方、弁護側は・・・・・・

「寄せ集めの集団で、意思の通じ合いがない行き当たりばったりの犯行。事前に具体的な殺害方法や場所を決めておらず、殺害も突発的だった」

と計画性を否定していた。

とあるが、「寄せ集めの集団で、意思の通じ合いがない行き当たりばったりの犯行」・・・・・・という・・・・・・

しかしこれで“計画性の否定”とかいうが、そもそもこの事件全体が「計画性」そのものではないか。

裁判員制度が言われている今、もしこれがあなたならどう評決し、もしくはどう弁護するか?


さらに弁護側はこうつづける・・・・・

「過去の死刑確定事件に比べ、特別悪質とは言えない」と訴えていた。

と言うのだ。

「特別に悪質とは言えない」の、その「特別」とは何なのか・・・・・・!!???

この事件はその意味では極めて、前例のない、どの事件よりも「悪質」とかの言葉では言い切れない、
そもそも「強殺」と言う意思で、残忍な殺害方法で三人の男が一人の全く見ず知らずの女性を、切な命乞いをせせら笑い・・・・・
これは人間のすることではない。

ある意味、小泉政治の顛末ような気がしてならない・・・・・・

つまり世の中の空気、社会の気分がこのような非人間的な事件を創り出してしまった。

その後も、荒川沖無差別殺人、秋葉原無差別殺人とか、江東区の殺人遺体損壊事件等々・・・・・・
その種の今日の世の中を、政治を反映するかのような事件が頻発している。

おそらく、彼ら三人も20年前、バブルに浮かれたその日本の社会の中では「ランドセルを背負った小学生」だったに違いない。
生まれたころはきっと可愛い赤ちゃんだったに違いない。
この時期、桜の季節には夢をパンパンに膨らませた「ピカピカの一年生」だったに違いない・・・・・

そんな、子どもたちがたったの20年でこのように鬼のような人間に変貌してしまう。


一体これは何なんだ!!???

「社会が悪い、政治が悪い」などと言うな。のような風潮もあるが・・・・・
今日の貧困増大、自殺者増大、そしてこの政治のあり様が何度も何度も繰り返す「政治とカネ」の世相。


ハッキリ言って、その「社会が悪い、政治が悪い」と言うことを真正面から認め、受け止め、
そこから改めて、その「社会、政治」を考え直す必要があるのではないか。


僕は三人が死刑でもいいと思う。



  


Posted by 昭和24歳  at 13:28Comments(5)

2009年03月18日

亀山社中




時代は変わろうとしている!!

それを感じるべきだろう。

今までにない、今までに経験したことのなかった胸騒ぎがある・・・・・・

確実に自民党という良くも悪くも敗戦後の日本を為政してきた、

それは近代の60余年はもしかしたらその時代時間は徳川為政の260年に匹敵しはしまいか。

徳川政府に終焉を齎せたのはいずれも20代、30代の当時の地方の一介の若者たちだった・・・・・

もちろん、歴史の事実としては“外圧”の作用が大きくかかわったことは紛れもないことはすでに証明されている。

それは今の時代も全く変わらない・・・・・・

地方の、無名の若者、市民国民が選挙を通じて政治参加する。

しかしそれが今までのようなお仕着せのものであってはならない。つまり今までの概念であってはならない。

少なくとも、それが民主主義というなら、行政の長が国民の会議の場である「国会を解散」すというようなことを許してはいけない。

選挙は国民のモノなのである・・・・・・

本来なら国民の代表が採決をもって、「国会の解散」をいうことのできる唯一の存在でなければならない。

この国の欺瞞をひとつづつ検証しようではないか・・・・・


鳥越俊太郎が言っていた。

「少しでも戦中を知る者として“万世一系”は、
あの時代の“現人神”の再来を仕掛けられているような気がしてならない」と。

生き証人がいない以上“神武天皇”以来・・・・・
とは、あまりにも幼稚が過ぎるのではないか。

そこで“刷り込み”だが・・・・・

そうですね。僕はこれまでその“刷り込み”と言う発想が無かった(笑)。

あの時代・・・・・“神と崇めた”天皇。
単純な発想だが、天皇が現人神ならそのファミリーも“神様一家”ということになる。
テレビで明治天皇の玄孫にあたると言う30歳の竹田という青年がやはり“神武天皇”を云っていたが・・・・・

僕ら“刷り込まれていない”世代からすると、
そう言うことを真顔で云う人のいることに異様な気持ちにさせられる。

はっきり云って、当の天皇陛下こそ本当は“いい迷惑”なのではないか・・・・・・
ひとつには国家の特殊な装置としてのこの国の“皇室”という存在。

まさに“公務”とは国家の“装置”そのものではないのか。

本来であるなら、幕末の大政奉還ではないが、
あの未曾有の敗戦でその意味では天皇を中心とした“大日本帝国”は、
民主主義という名の社会構造に大政奉還したのではないのか。

ならば、現皇室は江戸幕府の居城をその民主主義に明渡し、今日の御所に蟄居する・・・・・・
あるいは、開かれたロイヤルファミリーとして一般国民と同じように“戸籍”を有し、
そのスタイルはある種、国家の保障する伝統・・・・・・“人間国宝ファミリー”として尊敬し、
その上でそれなりの行動の自由を保障する。

何代目かは知らないが、徳川慶喜からの“徳川ファミリー”のように・・・・・

だが、実はこの国には“皇室”がそうした特別な“普通”の国民になることを望んでいない階層がいる。
それは天皇の名を借り、その特権をほしいままに・・・・・・
天皇という一人の人間の“自由”を束縛し、本来国民であるなら戦後有すべき“戸籍”まで剥奪し、
その実為政の埒外に置き、事を構える時があるならその存在を“万世一系”・・・・・
“神話”の主を祖とし何時でも物言わぬ(言わせぬ)大帝に祀り上げようとの画策がそれ。

まさか“四手”の向こうにお隠れあそばされました・・・・・・

なんてぇことには。

時代の変化・・・・・・おそらく30年、40年後の“女帝”。
これほどの時代で、外界より嫁いだお母さんはその事実をどう見るか。

かえすがえすも御不憫であられる・・・・・その時の“皇太后”。
  


Posted by 昭和24歳  at 09:07Comments(0)

2009年03月18日

捏造の“ニッポン民主主義”

>選挙できる自由1つ取っても、それをどう行使するか、

この国、本当は国民主導の“選挙管理委員会”が必要で、
それは“三権分立”の外に国民の“第四の権力”として国家、中央からではなく、
それぞれの地方自治体レベルで構成された自主組織、
それこそ本当の意味での“自由民主国民会議”のようなものが必要なのではないか。

国の最もたる基本は“憲法”であることは云うまでもない。

ならばその憲法は国民に全権、“主権”を置いている・・・・・・

ではその全権、主権を持つ“国民”とはこの国のどこに存在するのか。

それはどこにも存在しない・・・・・・
その際たる形が、捏造された“ニッポン民主主義”ではないか。
そしてその、捏造の“ニッポン民主主義”の諸悪根源がモノマネの“議会制民主主義”。

米国民主主義が全て正しいという風には思わないが、
新しい国家としてそれの統合には“連邦政府制度”が大きく作用している。

日本のように地方自治、県の“首長”が、官僚であったり、国会議員であったりの“天下がり”。

本来は、自治体でもその議会の中に“国家財政・外交・国防”等を、
さらに云えば予算・決算も議論する議会、委員会がこの幼稚な民主主義国ニッポンには不可欠であるのではないか。

国家が定めた、国家にとって実に都合のいい政治システム。

それは地方自治が“大統領制”で、中央が“議会制”代議員(士)制をとるという、
英国の国会を真似た、もしくは戦前までの選挙を経ない国会議員“貴族院・枢密院”をそのままで、
実は“選挙”の実態は国会議員の捏造そのもの。

実はこの国は“地方政治”を国家の“具”としか思っていない。
それは地方自治に殆どの“裁量権”を与えず、今なお中央政府からの出向官僚が、
まるで“逆参勤交代”のように、地方自治を管理監視監督に就けている。

地方行政の助役、参与、局長、部長などの役職はほとんどが若手キャリア官僚。
この群馬県の小寺知事も自治省から群馬県へ出向、
医務課長、企画課長、財政課長、秘書課長から総務部長、副知事、知事へと、
常に中央政府が地方自治行政の根幹を抑えている。

県警本部長も、税務署長も中央から若手キャリア官僚の出向。
因みに小泉チルドレンの片山さつき代議士も広島県のどこかの税務署長を“30そこそこ”でやっている。

要するに、市民、大衆、国民には主権は全く存在しない。
適当に働かせるために“手綱”を多少緩める程度の“自由”を与え、
その戸籍法で100%国民を監視、管理し、それでも不足と“住基ネット”。

>どう行使するか、

どうもこうも“行使”出来ないのが実態ではないでしょうか。

それは、まず国民にその意思が全くないと思わざろう得ない・・・・・
それは昨今のメディアが捏造する情報に踊りる“平和な国民”の姿。
“平和”が悪いわけではない。でもその平和が国家によって捏造されたものだとしたら、
100%の死亡率を指折りする僕ら世代はかまわないが、
今日生まれた子どもたち、明日生まれようとしている子どもたちにはどんな“平和”が待っているのだろうか。

少子化をいいながら子殺しを誘発するような福祉行政と、
承知の上で看過し、若者を享楽のみに誘引する行政・・・・・国家。

パチンコ賭博、管理売春。それらは犯罪の無罪を国家が捏造している。

1億円の裏金を貰った元首相が「みんなが言うのならそうでしょう」。

こんなのは、一民間人が裁判所で言ったらその場で“お縄を頂戴”することになる。

  


Posted by 昭和24歳  at 07:18Comments(0)

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