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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2009年03月19日
高崎音頭
今日の天気はまるで初夏のようでした。
ここ高崎は関東平野のどん詰まり・・・・・・
南南東以外はほとんどが山々山です。
赤城、榛名が1800メートル級でそのあいさっこには子持山、武尊山に谷川岳。
天気でもよければ苗場山も覗ける。
(問屋町駅からはほとんどの山が見渡せます)
榛名の左横には白根山。赤城の右横にはかすかに男体山・・・・・・
西方にはこの季節、白銀の浅間山、荒船山、妙義山・・・・・西南西には秩父連山が・・・・・
旧中山道はこの町のど真ん中を北へ走る。そこから覗く赤城山のその長くなだらかな裾野は心を和ませる。
榛名山はどこまでも青々とせまり幾重にも重なる連峰は郷愁へと誘う・・・・・
春ですね・・・・・・
あと2週間ほどで観音山丘陵がすっぽりと桜の花に包まれる。
高崎城址、お堀の桜もその水面を覆い隠すほどに咲き乱れる様をライトアップはまさに花の宴。
今年も花見へと繰り出せそう・・・・・・
香ばしい串刺しのイカ焼きを肴に“ワンカップ”もちろん桜に因んで“黄桜”なんぞをグイッとやる。
春ですね・・・・・・
♪高崎音頭♪
♪花の上州どこから開ける~
絹の高崎観音様の細い繭から世があける~~~♪
“5”をクリックしていただければ・・・・・・
↓無断拝借しました(スミマセン)。
藤本流三味線教室(永絃会)
師範 藤本 實 (永原 實)
高崎市倉賀野町2141
電話 027-346-2580
FAX 027-346-2760
なんと、あの『古賀政男』大先生が作曲の古賀メロディー。
瀬尾良雄、作詞。 大作詞家『サトー・ハチロー』大先生が補作詞(1952年)のご当地ソング。
今では想像もできないほど“ハイカラ”な高崎でした・・・・・・
1955年には小林圭樹主演の『ここに泉あり』がクランクアップ。
僕らが小学校の頃はそのストーリーのモデルとなった“群馬交響楽団”が移動音楽教室で。
それどころか同級生のオヤジさんがその“群響”のメンバーだったり、音楽の先生がバイオリンを弾いていたり・・・・・・
それどころか・・・・・・
あの山本直純のオヤジさんがその群響のプロとしての初指揮者で、
その“ナオズミ少年”は・・・・・・公民館の練習場に・・・・・
とにかくハイカラな高崎でした・・・・・でした(笑)。
2009年03月19日
“僕の細道”行商記 北陸行脚
北陸の行商は大阪からの帰途、岐阜から始まる・・・・・・
米原JC、関が原をやり過ごし岐阜羽島で降りて岐阜の楽器店“フレンズ”からがいつものルートだ。
この“フレンズ”の社長が僕より2つ年上だが実に独特の雰囲気、趣をもった“美濃人”とでもいうのか・・・・・・
大都市、名古屋から40キロ程度の位置にあると言うのにそこは名古屋、尾張とはまた一味も二味も違った独特の文化がある。
もっとも戦国時代からを言えば、尾張より美濃だとは“美濃人”の主張、肯けないでもない。
一つ思ったことがある・・・・・・・
岐阜、美濃はえらく、というよりは“どえりゃぁ”、それは『かかあ天下』。上州なんて比じゃあない。
岐阜にはもう一軒取引の店があるのだがそこの社長夫婦、ここなどはその典型で、
せっかく社長と商談が成立しても、途中でカミサンでも帰ってきようもんなら全てが破談になる(笑)。
僕としては、カミサンが戻らぬうちに、というか前もって留守を確認してさっさと商談の算段なのだが、
この美濃の男ときたら、とにかく“イエス・ノー”がはっきりしない・・・・・・
商談が成立したかと思うといつまでたっても伝票にサインをしない。
「飯でもいかんかね・・・・・・」
とあの独特のねっとりとしたしゃべくりで・・・・・・
「わかっとるがね、わかっとるがね」
と強引に飯。
そうこうしているうちに、奥方のお帰りで破談になったこともしばしば。
「カミサン、きゃあってきてもうたもんで勘弁してちょ~」
そんな調子で半日が潰されてしまうこともしばし・・・・・・
上得意と言えば“フレンズ”の方なんだが。
こちらの社長ご夫婦は、カミサン、強いのだとは思うが・・・・・・
もちろん帳面はカミサンの仕事だから、仕入れには五月蝿い。
とは言うものの目だって口をはさむと言うのではなく、
「・・・・・・」
商談の途中、店員に注文を付けてみたり、
暗に、“いいかげんにせぇよ”みたいな雰囲気を、空気を社長に送る。
が、この社長、馬耳東風、暖簾に腕押し、カエルの面にションベンというか・・・・・・
「ええで、ええで・・・・・」
と、必ず何か注文をくれる。
楽器屋のオヤジというよりは“マツキヨ”に打ちのめされ、
寂れたドラッグストアの、いつも黄ばんだ白衣で店番をする薬局のオヤジさんの趣。
でも、こういっちゃあ叱られそうだが、経営はすこぶる調子がいい。もちろん、もう一軒のそれとは違って。
岐阜の楽しみはなんといっても、水谷の“土手焼き”でキューっと一杯だ。
岐阜の常宿は名鉄のところの“キャッスルイン”か“ワシントン”・・・・・・
どうしても取れない時は問屋街の旅館だが、いずれもその“水谷”は至近である。
言っとくが、“漬物”、旬の新香がめっぽう美味い。
僕の酒には“漬物”は必須である・・・・・
美味い不味いはともかく、“自家製”に店主の心意気を感じる。
そこいらのスーパーで出来合いでお茶を濁すような縄暖簾は二度とくぐらない。
いや、一軒だけある。
実は、それが、自家製か、出来合いか怖くて訊けない赤提灯が・・・・・・
それは後段に譲ることにする。
岐阜の商いを終えると、各務原の店によって一路、21号線、関が原から、365線、
そこを湖北の手前で8号線、北陸道に合流して越前福井の入り口、
敦賀の“オーディオワタナベ楽器”へ。間が悪く担当の坂本君が留守ともなれば敦賀湾“気比の松原”あたりで時間をつぶすことにしている。
ちなみに敦賀駅前の“カニ屋”、土産物屋は朝飯にはもってこい。
それに、特段、取り立てて美味いというわけではないのだが、『駅そば』・・・・・・
その『駅そば』、敦賀のそれも悪くは無い。
まあなんと言っても駅そば“チャンピオン”は、蕎麦ではなく“きしめん”なのだが、
名古屋新幹線ホームの“立食いきしめん”・・・・・・
踊るたっぷりの鰹節と、なんとも尾張名古屋ったらしい干物のような油揚げの刻みの“素きしめん”。
また店番のお姉ちゃんの無愛想さがその“貧相”で“めちゃ美味”な『きしめん』とが偉大な“ミスマッチ”で僕の喉を鳴らせてくれる。
僕は“味噌カツ”は好きではない。
名古屋人は「どえりゃあうみゃぁから食べよみゃー」というが・・・・・・
「まーかんかんかんでまってかん」
まあ名古屋弁、なにをゆうとるかさぁっぱりわからんでかん・・・・・・
米原JC、関が原をやり過ごし岐阜羽島で降りて岐阜の楽器店“フレンズ”からがいつものルートだ。
この“フレンズ”の社長が僕より2つ年上だが実に独特の雰囲気、趣をもった“美濃人”とでもいうのか・・・・・・
大都市、名古屋から40キロ程度の位置にあると言うのにそこは名古屋、尾張とはまた一味も二味も違った独特の文化がある。
もっとも戦国時代からを言えば、尾張より美濃だとは“美濃人”の主張、肯けないでもない。
一つ思ったことがある・・・・・・・
岐阜、美濃はえらく、というよりは“どえりゃぁ”、それは『かかあ天下』。上州なんて比じゃあない。
岐阜にはもう一軒取引の店があるのだがそこの社長夫婦、ここなどはその典型で、
せっかく社長と商談が成立しても、途中でカミサンでも帰ってきようもんなら全てが破談になる(笑)。
僕としては、カミサンが戻らぬうちに、というか前もって留守を確認してさっさと商談の算段なのだが、
この美濃の男ときたら、とにかく“イエス・ノー”がはっきりしない・・・・・・
商談が成立したかと思うといつまでたっても伝票にサインをしない。
「飯でもいかんかね・・・・・・」
とあの独特のねっとりとしたしゃべくりで・・・・・・
「わかっとるがね、わかっとるがね」
と強引に飯。
そうこうしているうちに、奥方のお帰りで破談になったこともしばしば。
「カミサン、きゃあってきてもうたもんで勘弁してちょ~」
そんな調子で半日が潰されてしまうこともしばし・・・・・・
上得意と言えば“フレンズ”の方なんだが。
こちらの社長ご夫婦は、カミサン、強いのだとは思うが・・・・・・
もちろん帳面はカミサンの仕事だから、仕入れには五月蝿い。
とは言うものの目だって口をはさむと言うのではなく、
「・・・・・・」
商談の途中、店員に注文を付けてみたり、
暗に、“いいかげんにせぇよ”みたいな雰囲気を、空気を社長に送る。
が、この社長、馬耳東風、暖簾に腕押し、カエルの面にションベンというか・・・・・・
「ええで、ええで・・・・・」
と、必ず何か注文をくれる。
楽器屋のオヤジというよりは“マツキヨ”に打ちのめされ、
寂れたドラッグストアの、いつも黄ばんだ白衣で店番をする薬局のオヤジさんの趣。
でも、こういっちゃあ叱られそうだが、経営はすこぶる調子がいい。もちろん、もう一軒のそれとは違って。
岐阜の楽しみはなんといっても、水谷の“土手焼き”でキューっと一杯だ。
岐阜の常宿は名鉄のところの“キャッスルイン”か“ワシントン”・・・・・・
どうしても取れない時は問屋街の旅館だが、いずれもその“水谷”は至近である。
言っとくが、“漬物”、旬の新香がめっぽう美味い。
僕の酒には“漬物”は必須である・・・・・
美味い不味いはともかく、“自家製”に店主の心意気を感じる。
そこいらのスーパーで出来合いでお茶を濁すような縄暖簾は二度とくぐらない。
いや、一軒だけある。
実は、それが、自家製か、出来合いか怖くて訊けない赤提灯が・・・・・・
それは後段に譲ることにする。
岐阜の商いを終えると、各務原の店によって一路、21号線、関が原から、365線、
そこを湖北の手前で8号線、北陸道に合流して越前福井の入り口、
敦賀の“オーディオワタナベ楽器”へ。間が悪く担当の坂本君が留守ともなれば敦賀湾“気比の松原”あたりで時間をつぶすことにしている。
ちなみに敦賀駅前の“カニ屋”、土産物屋は朝飯にはもってこい。
それに、特段、取り立てて美味いというわけではないのだが、『駅そば』・・・・・・
その『駅そば』、敦賀のそれも悪くは無い。
まあなんと言っても駅そば“チャンピオン”は、蕎麦ではなく“きしめん”なのだが、
名古屋新幹線ホームの“立食いきしめん”・・・・・・
踊るたっぷりの鰹節と、なんとも尾張名古屋ったらしい干物のような油揚げの刻みの“素きしめん”。
また店番のお姉ちゃんの無愛想さがその“貧相”で“めちゃ美味”な『きしめん』とが偉大な“ミスマッチ”で僕の喉を鳴らせてくれる。
僕は“味噌カツ”は好きではない。
名古屋人は「どえりゃあうみゃぁから食べよみゃー」というが・・・・・・
「まーかんかんかんでまってかん」
まあ名古屋弁、なにをゆうとるかさぁっぱりわからんでかん・・・・・・
2009年03月19日
虎の尾を踏んだ小沢一郎!!???
虎の尾を踏んだ小沢一郎!!
とかいう小見出しが週刊誌に踊っている。
ということは「検察は“虎”」なのか・・・・・
そして小沢一郎の政治の師は田中角栄。その田中角栄はその卓越した政治的才覚が故に独自エネルギー外交から“アメリカの虎の尾”を踏んだと・・・・・
ということは「検察」と「アメリカ」は一体なのか。
で、今度の小沢一郎の「検察批判」だが、新聞、テレビ、メディア、そして政府、自民党、いや、民主党内部までその小沢を批判する声がある。
では、検察は絶対善なのか。けしてそうではあるまい。なかなか表面化することではないが元検事、大阪高検公安部長三井環氏の告発にもある・・・・・
そしてそのことでいえば警察も、北海道、宮城、群馬、愛知、愛媛、福岡等々県警の「裏金作り」も表面化している。
検察警察とてその意味ではあくまでもそれは組織であって、一人の人間としては国民を超えて特別な存在であろうはずがない。
それを「検察批判」はまかりならんといった風潮は暗黒政治を彷彿させるものとなるばかりではないか。
つまり国民には「検察批判」は、「国家権力批判」は口に出してはいけないということなのか。
そこまで、検察、警察権力が強大なものになっているのでは、国会議員ですらこの有様だから、
一般国民なんかはいとも簡単に事件をでっち上げられてしまうことだろう。
で、小沢一郎さんです・・・・・・
ハッキリ言って僕ら世代はリアルタイムでその「小沢一郎」を見てきている。
正直、田中角栄、竹下登、金丸信と、昭和40年代~昭和末期までのいわゆる「田中軍団」の功罪は相まみれるものがあったと確信している。
その典型は「金権政治」と轟々の非難を浴びた田中角栄元首相の政治手法だった・・・・・
ついに、「信濃川河川敷買収問題」を立てられ、その「カネづくり」金脈を暴かれるようにして首相の座を退く。
そして「ロッキード事件」だ!!
小沢一郎は田中角栄元首相の秘蔵っ子として昭和44年に初当選以来その裏表をずっと見届けてきただろう。
それが故に、40代にして自治大臣になり幹事長になり官房副長官にもなりその意味ではこの間の政治劇のすべてを熟知している政治家である。
まあ、そのロッキード事件ではこのニッポンが軍事の面どころか司法の面でも「非独立国」、「被占領」国であることを明らかにしてしまった。
つまり、「アメリカの司法制度」で元内閣総理大臣が小菅にしょっ引かれて裁判でさらし者になる・・・・・
「嘱託尋問調書」である。おおよそ日本の裁判では証拠採用はされないしかも贈賄側を免責してという嘱託尋問だ。
そこで田中角栄元首相の弁だが・・・・・・
「俺は絶対にこの汚名をそそいでやる。百年戦争になっても構わない」。
そしてこれらの事件が動く中で記憶に残るのが「鬼頭判事補ニセ電話事件」である。
偽メール事件じゃあない「ニセ電話事件」である・・・・・
読売新聞スクープで
京都地裁の鬼頭史郎判事補が、布施検事総長の名を騙って三木首相に電話をかけ、中曽根幹事長逮捕に対する指揮権発動を要請するという事件が発覚した。
それは後に内閣総理大臣になる中曽根康弘自民党幹事長逮捕許諾に関する「指揮権発動要請」のニセ電話だというのだ。
さらに小沢一郎です・・・・・・
第一公設秘書逮捕までは「政権交代」一色で盛り上がっていました。
ハッキリ言って、小泉以降の安倍、福田、麻生の自公政権は終わりです。
そこで次の政権にどんな政党が内閣、政府を構成するかが、国民以上に「官僚」にとって問題なのではないか・・・・・
小沢一郎民主党代表は政権交代の暁には官僚の「局長以上の人事権は内閣で一元管理する」マニフェストする。
そしてわかりやすく「官僚政治の打破」を宣言している。閣議前の「事務次官会議」も廃止すると言っている。
つまり小沢民主党は明治維新以来の「官僚政治」を革命的に改革するというのだ。
ここで小沢一郎のスキャンダルを立て、小沢一郎を失脚させても世論調査から見れば次期総選挙では予測される岡田民主党と現野党の連立政権になることはほぼ確実だ。
しかし、そこには「小沢一郎民主党」ほどのパワーも、キャリアもあるのか、「官僚政治」を打破する政治的権力を行使できるのか。
つまり、真に政治を国民のモノにするには、官僚出身の、財界御曹子の政治では希望が見えないということだ。
たしかに、公共事業がほとんどの事業主体のゼネコンに暗に政治献金を要請するのは許されることではない・・・・・・
しかし、それをあえて飲んだ上で、「毒をもって毒を制す」。そんな判断がいま国民の中に少なからずあるのではないか。
つまり、小沢一郎でなければできないことを最後の仕事としてやってもらう。
まず、政治家の政治を、国会議員の政治を見せてもらう・・・・・・
来年は参議院選挙だ。もしそこに綻びがあれば、衆議院解散「衆参同時選挙」でもいい。
今でも、多くの国民が解散総選挙を望んでいる。民が主体であるなら、民の意思で解散総選挙させる・・・・・
本来そういう政治体制でなければならないのではないか。
しかし読売の世論調査はデタラメだ(笑)。
未だ、小泉元首相が「総理大臣にふさわしい」第一位だと発表していた・・・・・
今時そんな国民がいるんだろうか?
因みに小沢さんが5位で、麻生さんは8位だそうだ。