2013年01月03日

世代を語る

世代を語る



まあ、想像力の欠如ですな(笑)。


嘉田知事 日本未来の党の代表退く意向滋賀県の嘉田知事は、日本未来の党の代表を兼務していることに県議会から批判が強まっていることを受けて、近く、党の代表を退く意向を固めました。
<抜粋引用:NHKニュース 1月3日 5時55分>
ソース:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130103/t10014562471000.html

>党の代表を退く意向を固めました。

まあ、ただのお騒がせばあさんでした・・・・・


世代

僕らの父母世代は・・・・・・

いかにしてこの豊かな日本を気づいたのだろうか。

僕の父は大正元年生まれ子年。

父の父、僕の祖父は農家の次三男、しかし僕の知る限りではかなりの田地田畑を持ち、

村では専売を商う「万屋」も営み、農業というよりは市場の仲買で巾を利かせていたとか。

戦前の話、それも昭和初期、父がまだ成人する前の話だが父の母、僕の祖母の弟が高崎で家具職人として成功していた。

僕が知るのは戦後のその祖母の弟なんだが、家具職人を数十人と使い、高崎では一番の「家具屋」だった・・・・・

祖父は元来が農業ではなく「農商」だった。そんなわけで祖父は父には農業を継がせる気がなく、

その祖母、つまり妻の弟のところに父を丁稚奉公に出した。

そして僕の養母が昭和18年に結婚する。その時「祝い」にと自分で作った「桐箪笥」を東京の巣鴨まで自転車リアカーで運んだとか。

やはり父の運命を変えたのは「徴兵」だった・・・・・

昭和18年、戦時体制下、というよりは敗戦色の濃かったそんな時代の徴兵。

父、32歳。高崎十五連隊からの出征、そして復員が昭和22年、36歳、シベリア抑留だった。

そして昭和24年2月11日、長男(僕)が生まれる・・・・・38歳。

実は、その父が出征の年、昭和18年に僕の姉が生まれていた・・・・・

父はその誕生を前にして戦地へ駆り出された。

その「姉」は昭和20年3月に死去。名は「美佐子」と墓碑には刻まれている。

その果敢な時代を「戦争」に翻弄され、戦後のあの超インフレの時代・・・・・

つまり「生き馬の目を抜く」そのんな時代を生き抜かなければならなかった父だったが、

昭和31年に「父」祖父が亡くなり、昭和33年母「祖母」がなくなり。

僕は今でも覚えている、父のあの「母」(祖母)の死を、父が棺桶にこれでもかというほど丁寧に・・・・・

何も知らない、それを見てはしゃぐ僕を叱り飛ばした父の涙を。

「大人も泣くんだ」

その時初めてそう思った。

そんな父も、昭和41年長患いの糖尿病がもとで旅立った。享年53歳・・・・・

>政治はボランティア、を徹底させること。金儲けじゃないと。目覚めさせるしか答えはないと思いますが・・・・

そう、今思えば、大衆は政治なんて全くあてにしていない。

「政治にお金がかかる」。じゃあ、何のための浄財なのか・・・・・

つまり、「政治にお金を」かけてきたのは被選挙人の都合でしかなかった。

まあ、逆説的だが、一般国民が戦後「政治」を忌避してきたからこそ経済発展した。

その間、政治運動、労働争議にかまけてきた連中の今の姿を見れば瞭然とする。

まあ、「目覚めなくていけないのは」有権者の方ではないかと・・・・・

まあ、被選挙人が人間的「キャピタルゲイン」の優先意識である限りは大衆は政治を忌避する。

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Posted by 昭和24歳  at 07:54Comments(0)

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