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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2008年12月07日

私は貝になりたい・・・・・

私は貝になりたい・・・・・





「ふさえ、賢一さようなら お父さんは二時間ほどしたら遠い遠いとこへ行ってしまいます
 もう一度逢いたい、もういちど暮らしたい・・・・

お父さんは生まれ変わっても人間にはなりたくありません、人間なんていやだ。
もし生まれ変わっても牛か馬の方がいい
いや牛や馬ならまた人間にひどい目に逢わされる。

どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ深い海の底の貝にでも・・

そうだ貝がいい

貝だったら深い海の底でへばりついていればいいからなんの心配もありません

深い海の底だったら戦争もない、兵隊に取られることも無い。
ふさえや賢一のこと事を心配することもない
どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は貝になりたい・・・・・」




絞首台への13階段を上がる清水豊松・・・・・

僕が小学校3年、10歳の時の東宝映画『私は貝になりたい』・・・・・
TBS(東京放送)のTVドラマだったと言うが、昭和33年、日本のほとんどの家には“テレビ”などはなかった。
たしか、学校の“映画教室”で映画鑑賞したんだと思う。かすかな記憶だが。

主演するフランキー堺は東宝の『駅前シリーズ』や『社長シリーズ』で名脇役を演じたコメディアンだったが、
僕の印象には“ジャズドラマー”のその姿が脳裏にしっかりと焼き付いている・・・・・
そういえばぼくがドラムに興味を持って練習し始めたのは“スター千一夜”かなんかでフランキー堺のドラム演奏を見てからだったような気がする。

10歳の時に見た『私は貝になりたい』は僕の記憶の中にどのように映っていたんだろうか。
僕の父も、そのフランキー堺扮する“清水豊松”と同じ復員兵だったので「もしかしたら」と、子どもながらに不安を覚えた。
父は昭和22年、北支(シヴェリヤ)からの帰還、復員だったし、徴兵されたのが昭和18年、32歳の初年兵だったから・・・・・
因みに、群馬の場合は“高崎十五連隊”に入営させられる。今の高崎市役所のそびえ立つところだ。
縁というかなんというか、僕が通った高崎市立第二中学校も、長女、次女の通った高松中学校も・・・・・
そして、53歳で逝ったその父も、不思議なことに高崎国立病院、つまり“高崎十五連隊”の中だった。

『私は貝になりたい』

よく、だんまりを決め込むことを「貝になる」とかいうが、その意味では「貝にしちまいたい」のが麻生太郎(笑)。
先週金曜日の委員会でも、品位下劣というか、いくら育ちが悪いにしてもひどすぎる言葉使い・・・・・
まあ、ヒラ議員、ヒラ閣僚のうちは口が滑ったの転んだの、“失言”で済ませれたが、一国の宰相ともなれば、
日常使うはずもない、取ってつけたような“べらんめい調”とかでは話が汚い、ミスボラシイことこの上ない。無様である。

ところで、その劇中の“清水豊松”さんなんだけど・・・・・・
今の世の中、そんな“清水豊松”が日本全国に溢れているんじゃあないだろうか。
時代が変わって、たしかに戦争とかじゃあないけれど、家族を抱え必死に生活を支えている三十代、四十代、いわゆる“働き盛り”のお父さん。
まっ、この時代“お母さん”もそうなんだろうけど・・・・・・

僕の娘夫婦もそろそろ三十代で、小学校二年を頭に、一年生、保育園年少(少年院じゃありません)と三人の子どもを抱え、
住宅ローンにマイカーローン・・・・・
そういえば、僕らもその時代はあっという間だった。ただ我武者羅に生きてきて気がついたら“黄昏”(笑)。
それでも、その我武者羅な時代には“夢”があった。そして結果としてその夢がかなったかどうかといえば、難しいところだが・・・・・
振り返れば、良い思い出ばかりのような気がする。

ところが今はどうだ・・・・・
普通に生活していれば、この夏、七月、八月には想像もしていなかったような異様な空気にこの現実が覆われてしまっている。

まあ、こう言っちゃあなんだけど・・・・・
政治が、行政がアンポンタンだと言うことに尽きるのではないか。
たしかに、戦後、五五年体制とか、それを疑問視したり四の五の言うが、それは“敗戦”、そして“占領”と、
そんな極めて異常な現実社会を乗り切るための清濁併せ持っての“知恵”が、それは為政者ばかりでなく、大衆、民衆の中にもあった。

そう思うと、政治の世界では中曽根首相以前は、田中角栄を除いて政治のトップは官僚出身・・・・・
三木武夫という党人派もいるにはいたが、いわゆる閨閥の人で、官僚の身内。
したがってその意味ではそれぞれに、ここぞという難局に“知恵”があった。そしてその知恵で乗り切った。
それが、今日までの半世紀、“一国平和主義”と揶揄されようが経済発展の恩恵に浴したまさに世界史上、稀有な国民でいられた理由ではないだろうか。

このままでは自由民主党という、その五五年体制も自然崩壊だろう・・・・・
政権交代を覚悟してでも、自ら改革に立ち向かう勇気ある政治が今は必要なのではないか。まるでそれをオモチャのように、政治を弄び、知恵もなければ策もなくただただ、政権にしがみつく。

年金問題にしても、医療問題にしても、その政治の要諦であるはずの社会保障がチンケな盗人の巣窟と果てている。
経済も、タコ部屋社会。労働組合も壊滅、労働貴族社会・・・・・

『私は貝になりたい』




隣組の万歳!!で召集される清水豊松。


赤紙で召集された理髪店の主人が捕虜を上官の命令で銃剣で刺殺。
戦争終了、復員、夫婦で営む理髪店にある日突然MPに連行され東京裁判にかけられる。
そして最後に死刑を宣告・・・・・

東京裁判という、勝者が敗者を裁くというこれまでの国際法にない、その意味では今日のアメリカを象徴する歴史的事実。
なぜ日本だけが裁かれて原爆や東京大空襲などという民間人大虐殺を行なったアメリカ軍は、その戦争犯罪では無罪となってるのか・・・・・!!???
当時のインド、パル判事は日本の戦犯容疑者全員を無罪と主張した。

東京裁判

清水豊松のような、牛馬のような、赤子、臣民、民草の大日本帝国兵士を父に持った僕らは・・・・・・
次世代に何を語り、何を伝えたらいいのか。

その意味では、日本という国そのものが「貝になってしまった」のではない・・・・・
そんな気がしてならない。


  


Posted by 昭和24歳  at 07:08Comments(0)

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