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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2013年11月21日
今日の爺放談「団塊世代の終焉」
今日の爺放談
「団塊世代の終焉」
西暦2015-2028年、彼ら「団塊の世代」は想定外の人生に直面する! 1976年に刊行され、予測小説の先駆けとともに流行語となった「団塊の世代」。その著者が「団塊」の総決算として放つ近未来シミュレーション。 現在、60代中盤の男女7名が主要登場人物。彼らが80代に突入する西暦2028年までを、政治・経済・外交・生活・文化など多方面の情勢変化を背景に描く。日本の第一次ベビーブームに生まれ、高度成長とバブル崩壊を経験した彼らは、人生の晩節をいかに生きるのか。 近未来予測であるとともに、超高齢化社会に向けた人生指南の書。 東京五輪(2020年)、戦後80年(2025年)などを扱った「未来の新聞記事」を各章に掲載。
僕の姉が昭和14年、16年生まれ・・・・・
終戦時国民学校一年生と4歳。
父は昭和18年に32で徴兵され“帝国陸軍高崎第十五連隊”で北支へ。
そうそう、確か祖父もsの十五連隊から「日露戦争」へ。
父の徴兵と同年に生まれた僕のすぐ上の姉は昭和20年に逝く・・・・・
そして父の出征中には弟が一人、妹が二人・・・・・逝った。
父の復員は昭和22年。生きて還れるとは思わなかったとは後日談だが、
未だ見ぬ娘の死。弟、妹の死と、その人生、めぐり合わせの悲惨さには相当落胆していたとか。
昭和24年。僕を産むと母は脊椎カリエスを患い10年の闘病生活・・・・・
長姉が10歳、次姉が8歳。祖父に祖母は戦後の混乱中の稼業で、
その当時の状況は詳らかではないが僕は父の妹の所に養子に出された。良くある話です。
この昭和24年の頃が僕の・・・・・・
と言うより僕ら世代の“空白”な時代ではないかと思うのです。
戦後の超インフレと占領下での世情は聞きしに勝るものであったに違いないとは思うのですが、
僕には全く想像ができないその時代。
かすかに記憶にあるその「戦後」とは・・・・・・
小学校一、二年の頃だっただろうか、夏休みになると行っていた伯母の家。
東京、渋谷区本町、水道道路土手沿いに建ち並んだバラックや、
祭りと言えば、白装束に義手、義足に色眼鏡をかけ、兵隊帽子かぶり、
アコーディオンを弾きながら物乞いをする・・・・・・
傷痍軍人とか言ったでしょうか、その人たちの侘しそうな、それでいて何かを威嚇するような、
子どもながらに怖いと父母にしがみついた、そんな記憶でしかありません。
その戦後、10年くらいがいったいどんな時代だったのか・・・・・・
実は僕らは全く知らないのです。
今でこそ生意気にも“戦争”だの“平和”だの、国がどうした、政治がどうのこうのと、
忌憚な物言いで失礼を重ねてますが、凡そ団塊の世代とかいう今の60代は、
その“戦後”を全く知らないのです。
たしかに、言われる貧しさあったかもしれませんが、食糧難は知らない。
その戦後、父母がどんな思いで僕を育てたかも知らない・・・・・・
僕らはあまりにも恵まれすぎていた。
考えようによっては、今の若者よりも数段恵まれていたかも知れません。
そんな僕ら世代が現実問題として何が出来ると言うのでしょうか。
昨今の、政財界は言うに及ばず、混沌とするこの世相、その解決の糸口を見つけるどころか、
ますます混迷の淵に追いやられそうな時代。
そうした犯罪の主役が、談合にしろ汚職にしろ僕ら世代が中心になっている。
いや、今ではその人世代したが三面記事を騒がす。
この後、いったいどんな時代が到来するのだろうか・・・・・・
僕らは何にも知らない。しかし、何にも知らなければ、何にも始まらない。
昭和10年生まれの身近な諸先輩のお話を聞けば、
記憶に残るのは米軍「B-29」の銀影に、戦闘機の射撃に逃げ惑った日々・・・・・
そして東京大空襲、敗戦になり集団学童疎開から帰ったら焼け野原となった自分の家。
ただ、呆然と立ち尽くした。
そして今日、何事もなかったかのように口角泡を飛ばす世相。
僕らは、ただただ馬齢を重ねるというより、それは夢を貪ったように・・・・・
“馬齢を貪った”自分に恥ずかしさを覚える今日です。
しかし、僕らは、その意味ではある一つの時代と一つの時代をつなげる接着剤なようなものなのかも。
リアルタイムでその悲惨な戦後を語れる諸先輩は鬼籍へとベルトコンベアの上。
まあ、僕らも遠くない将来その様は待っているわけだが・・・・・・
つくづく、今日の国会なんかを見ていても下らない茶番劇というか三文芝居。
いよいよ福島第一の原子炉すべての廃炉が決定だそうだが問題はその「汚水処理場」がない。
まあ、過去数十年、数兆円を費やし「もんじゅ」「ふげん」に知恵なしでした。
今日の爺放談
「団塊世代の終焉」
「団塊世代の終焉」
西暦2015-2028年、彼ら「団塊の世代」は想定外の人生に直面する! 1976年に刊行され、予測小説の先駆けとともに流行語となった「団塊の世代」。その著者が「団塊」の総決算として放つ近未来シミュレーション。 現在、60代中盤の男女7名が主要登場人物。彼らが80代に突入する西暦2028年までを、政治・経済・外交・生活・文化など多方面の情勢変化を背景に描く。日本の第一次ベビーブームに生まれ、高度成長とバブル崩壊を経験した彼らは、人生の晩節をいかに生きるのか。 近未来予測であるとともに、超高齢化社会に向けた人生指南の書。 東京五輪(2020年)、戦後80年(2025年)などを扱った「未来の新聞記事」を各章に掲載。
僕の姉が昭和14年、16年生まれ・・・・・
終戦時国民学校一年生と4歳。
父は昭和18年に32で徴兵され“帝国陸軍高崎第十五連隊”で北支へ。
そうそう、確か祖父もsの十五連隊から「日露戦争」へ。
父の徴兵と同年に生まれた僕のすぐ上の姉は昭和20年に逝く・・・・・
そして父の出征中には弟が一人、妹が二人・・・・・逝った。
父の復員は昭和22年。生きて還れるとは思わなかったとは後日談だが、
未だ見ぬ娘の死。弟、妹の死と、その人生、めぐり合わせの悲惨さには相当落胆していたとか。
昭和24年。僕を産むと母は脊椎カリエスを患い10年の闘病生活・・・・・
長姉が10歳、次姉が8歳。祖父に祖母は戦後の混乱中の稼業で、
その当時の状況は詳らかではないが僕は父の妹の所に養子に出された。良くある話です。
この昭和24年の頃が僕の・・・・・・
と言うより僕ら世代の“空白”な時代ではないかと思うのです。
戦後の超インフレと占領下での世情は聞きしに勝るものであったに違いないとは思うのですが、
僕には全く想像ができないその時代。
かすかに記憶にあるその「戦後」とは・・・・・・
小学校一、二年の頃だっただろうか、夏休みになると行っていた伯母の家。
東京、渋谷区本町、水道道路土手沿いに建ち並んだバラックや、
祭りと言えば、白装束に義手、義足に色眼鏡をかけ、兵隊帽子かぶり、
アコーディオンを弾きながら物乞いをする・・・・・・
傷痍軍人とか言ったでしょうか、その人たちの侘しそうな、それでいて何かを威嚇するような、
子どもながらに怖いと父母にしがみついた、そんな記憶でしかありません。
その戦後、10年くらいがいったいどんな時代だったのか・・・・・・
実は僕らは全く知らないのです。
今でこそ生意気にも“戦争”だの“平和”だの、国がどうした、政治がどうのこうのと、
忌憚な物言いで失礼を重ねてますが、凡そ団塊の世代とかいう今の60代は、
その“戦後”を全く知らないのです。
たしかに、言われる貧しさあったかもしれませんが、食糧難は知らない。
その戦後、父母がどんな思いで僕を育てたかも知らない・・・・・・
僕らはあまりにも恵まれすぎていた。
考えようによっては、今の若者よりも数段恵まれていたかも知れません。
そんな僕ら世代が現実問題として何が出来ると言うのでしょうか。
昨今の、政財界は言うに及ばず、混沌とするこの世相、その解決の糸口を見つけるどころか、
ますます混迷の淵に追いやられそうな時代。
そうした犯罪の主役が、談合にしろ汚職にしろ僕ら世代が中心になっている。
いや、今ではその人世代したが三面記事を騒がす。
この後、いったいどんな時代が到来するのだろうか・・・・・・
僕らは何にも知らない。しかし、何にも知らなければ、何にも始まらない。
昭和10年生まれの身近な諸先輩のお話を聞けば、
記憶に残るのは米軍「B-29」の銀影に、戦闘機の射撃に逃げ惑った日々・・・・・
そして東京大空襲、敗戦になり集団学童疎開から帰ったら焼け野原となった自分の家。
ただ、呆然と立ち尽くした。
そして今日、何事もなかったかのように口角泡を飛ばす世相。
僕らは、ただただ馬齢を重ねるというより、それは夢を貪ったように・・・・・
“馬齢を貪った”自分に恥ずかしさを覚える今日です。
しかし、僕らは、その意味ではある一つの時代と一つの時代をつなげる接着剤なようなものなのかも。
リアルタイムでその悲惨な戦後を語れる諸先輩は鬼籍へとベルトコンベアの上。
まあ、僕らも遠くない将来その様は待っているわけだが・・・・・・
つくづく、今日の国会なんかを見ていても下らない茶番劇というか三文芝居。
いよいよ福島第一の原子炉すべての廃炉が決定だそうだが問題はその「汚水処理場」がない。
まあ、過去数十年、数兆円を費やし「もんじゅ」「ふげん」に知恵なしでした。
今日の爺放談
「団塊世代の終焉」