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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2015年10月06日

【二中友の会】歴史に消えた高崎市立第二中学校

【二中友の会】歴史に消えた高崎市立第二中学校



「隠居の思ひつ記」迷道院高崎さんより無断拝借(;´д`)
http://inkyo.gunmablog.net/e28109.html

そうだ、僕がこの間のコンサートで立ったステージ・・・・・・

そこは高崎市立第二中学校1年4組の僕の「席」だった。担任は「中島松男先生」。
因みに、英語が中原先生、数学が藤沢先生、理科が徳武先生、社会が戸塚先生、音楽が細谷先生・・・・・
そして国語が、担任の中島先生(旧群馬町保渡田)から自転車で通勤されていた。

その高崎市立第二中学はまだ戦後の匂いがプンプンプンしていた。

上の写真でもわかるように、新校舎建設中で僕らの学び舎(学ばなかったが)は・・・・・・
旧大日本帝国陸軍歩兵高崎十五連隊兵舎跡だった。
その後者の裏に見えるのが裁判所と前橋地検高崎市部拘置所。
そしてその横並びに国立高崎病院の病棟が見える。そこで僕の父は53歳の生涯を閉じた。
プールも建設中で、丁度その写真では「群馬音楽センター落成」の頃だったようだ。

2025年、そのコンサートのステージで僕は一瞬あのころのことが走馬灯のように駆け巡った。

なぜか。僕は思わずその理由を探していた・・・・・・

ふと、客席を見渡すとそこには高崎市立第二中学校「3年1組」の同級生が二人の眼差しが僕に。

一人は、僕のFBからこのコンサートを知りはるばる千葉県柏市から駆けつけてくれた後藤正則さん。
そしてもうひとりはその3年1組、それも僕の隣の席に座っていた石原昌子さん・・・・・
なんと、お二人共その道は違えど音楽には造詣が深い。
後藤正則さんは中学時代はブラスバンド部でトランペットを吹いていた。
石原さんは、幼い頃からお母様の倣ってクラシックギターを習得され、現在もお母様のご意志高崎市内で「石原昌子ギター教室」を主宰。
時代のめぐり合わせなんだろうか、中学時代の僕は当日ご出演いただいた「ジャッキー吉川さん」に憧れ密かに「ドラム」に夢中になっていた。
折しも、「エレキ時代」幕開け前夜、その真っ只中の頃だった。
とにかく、洋楽にハマり、テレビでは尾藤イサオさんのバックで熱演する「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」に夢中になり・・・・・
姉にもらったモータブル電蓄とソノシートでコニーフランシス、ブレンダ・リーに夢中になっていた。
もちろん、その頃の同級生はそんな僕を知る由もなかったが(笑)。



あっ、後藤さんも石原さんもいます。15歳です(笑)。
藤巻くん元気かなぁ、高橋昭さん、聡明だった島田さん・・・・・
石原先生、未だ20代。徳武先生もお若い、30代後半。


僕のライブには必ず駆けつけてくれている同級生の島田御夫妻、小野里さん、櫻井さん、老川御夫妻。
そして本グンブロでも著名な、上記ご案内の「隠居の思ひつ記」の迷道院さん、に先輩の有間さん、吉田さん御夫妻、笠原さん。
そしてなんと驚いたことに、僕が初めて「エレキバンド」のメンバーとしてお世話になった中島さん御夫妻・・・・・・
高崎一、いや、群馬一、いや、北関東一、関東一、ついでに日本一のギタリスト・・・・・と嘱望された兼谷(時男ちゃん)御夫妻。
それに、当時、インストロメンタルグループとしては群馬随一との評判の高かった「マイティーズ」のリーダ、兼谷清さん。
そしたらそこへなんと驚くことに、当時僕らのバンドのマネージャーをやってくれていた「イクオちゃん」が。
まあ、客席最前列の元「べイビィズ」の塚越さん、毎回欠かさずご光来感謝感激雨霰でした。

まさか、丸々半世紀が過ぎて、そこに立っていた、その場所に、風景こそ全く変われど再びこうして立つ・・・・・・

「デジャブー」でしょうか。それもあの憧れの、神様のようなジャッキー吉川さんが僕の目の前に。

2015年10月3日(土)、会場を埋め尽くしてくれたのはほとんどの皆様が青春時代そのままの「幸齢者」でした。

【二中友の会】というのが昭和28年、29年生まれの卒業生で創設されtます。
今回の成功も、僕らの「KINEZUKA倶楽部」メンバーの上中公二さんたちその【二中友の会】のメンバーの皆様のご協力の賜物でした。

【高崎市立第二中学校】って無くなっちゃったんですね、歴史からも消えているようで、ネットでもオフィシャルにはないようです。
そういえば【高崎市立第三中学】もない。二中と背中合わせにあった中学校でした。
今回、「ジーコ上中とシルバーファンキーズ」で、ベース・ボーカルを担当していたのが三中卒業生の「加部三中」です(笑)。
で、「三中」なんだけど、ご案内の高木さん、兼谷さんご兄弟、中島さん、皆さん【高崎市立第三中学校】卒業生です。

そんなわけで、これからも、「高崎市立第二中学校」があったことを忘れないように、三中とともに・・・・・・

勝手に「高崎記憶遺産」としましょう。

石原先生、徳武先生お元気でしょうか・・・・・・

【二中友の会】歴史に消えた高崎市立第二中学校

  


Posted by 昭和24歳  at 20:18Comments(0)

2015年10月06日

ノーベル賞は「死の商人賞」。

ノーベル賞は「死の商人賞」。



まあ、学者なんてピュアですから・・・・・・
資本に手篭められたらひとたまりもないわけです。
で、資本にくっついて手先になる政治ですからなんか哀れ。



10億人を救った特効薬=ノーベル賞
 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった大村智・北里大特別栄誉教授は、長年にわたり微生物が作る有用な化合物を探求してきた。
 中でも1979年に発見された「エバーメクチン」は、アフリカや東南アジア、中南米など熱帯域に住む10億人もの人々を、寄生虫病から救う特効薬へとつながった。
 大村さんは73年、大手製薬会社メルク社と共同研究を開始。さまざまな微生物が作る抗生物質などの探索を進める中で、静岡県内の土壌から分離された微生物が生産するエバーメクチンを発見した。
<抜粋引用:時事通信 10月5日(月)20時52分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151005-00000149-jij-soci

まあ、10億人救って、10億人殺してるのが「ノーベル賞」ですから(笑)。

で、ISISにしたって裏ではアメリカとロシアのネゴシエーションですから、アウトです。

まっ、最早アメリカにはその気もないし元気もない、共和党大統領候補のトランプ氏以外は。

そら、ロシアだってアメリカだって主要産業っていうか消耗産業は軍需ですから、平和なんてとんでもない・・・・・

っていうか、数世紀にわたって、帝政ロシアとかソ連とかで資本の手先でしたし。

アメリカだってそうです。大学で「銃乱射」永遠にやってます。他人事ですから、で、トランプ共和党候補いうことにゃ、

「銃を持ってたら殺されずに済んだ」ですから、アメリカ、未だ西部劇です(笑)。

日本なんて「侍」やってるの「ヤクザ」だけですから、最近そのヤクザも参勤交代がままならず分裂ですけど。

しかし、ここに来て思うこと、僕ら団塊世代、わけのわからないまま70年間徴兵もされずでした。

でも、日本が豊かになったのは周り中で殺し合いしてくれたからです。「死の商人」ノーベル(;´д`)

まっ、「ノーベル賞」拒否したら、それがホントの「ノーベル賞」だなんてね・・・・・・

まあ、はっきり言って、学者を騙すのはやめて欲しいと思う今日このごろです。

まっ言っちゃあなんだけど、教員、教師だって、アレ、一種の「社会的痴呆症患者」ですから。

まず、一般の社会では生きてはいけない生物です。

ちょっと言い過ぎいかもしれないけど、人生そんなに長くないから」小さな世界では身を滅ぼします。

ノーベル賞は「死の商人賞」。
  


Posted by 昭和24歳  at 03:41Comments(0)

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