2010年05月09日

腎バラ

腎バラ

腎バラ

「煮込みの美味い店はいい居酒屋、いい居酒屋のある町はいい町」
この思いを胸に、チンタラ、プラプラ、路地・横丁を飲み歩き。
浅草橋、小岩、新橋、立石、赤羽、北千住、銀座、上野、王子......、
ホッピー、ビール、酎ハイ、日本酒、ワイン、にアブサン......。
散歩依存症のシゲモリ先生が「Route253」(ルートニコミ)を行く極小東京旅行。
今宵もグツグツの鍋底から、誘いの匂いが町に漂う。






僕が子どものころの話である・・・・・

僕の「横丁」には「エライ」人は随分と居た。

頭の「新井さん」とか、「団子屋のマーボー」に、縄抜けの「真ちゃん」とか・・・

あぼん屋の「ナミチャン」なんて云う人も居た。

戦後は右も左も・・・・・・

ソレはソレは「エライ」時代だった。

昭和33年、「赤線」が消え・・・・・

ここ「横丁」からチョイの間のところには北関東きっての「歓楽街」と名を馳せた、

柳川町というのがあって、

「横丁」の長屋には、「お水」のお姉さんが一方の風情を織り成していた。

「横丁」には、何処の「横丁」にも、コップ酒場があった。

大体が、酒屋。今で云うなら「コンビ」の趣、カウンターで飲む、縁台で飲む。

良くは知らないが、何でも「料飲法」という奴で・・・・・

座らせて、飲ませてはいけない決まりがあったようだが、そんなことはお構いなし、

「エチルアルコホール」のきついのが一杯も入れば「矢でも鉄砲でも持って来い」のご時世。

しかし、いつの世も「お上」云う奴は「庶民」には横柄だ。

昭和30年代も半ば・・・・・・

買防でパクラレル、お姉さん、選挙違反でしょっ引かれる、小父さん。

垣根越しの悪たれ、罵詈雑言、鍋釜が飛び交う夫婦喧嘩・・・・・

それでいて「離縁」なんて云う話は聞くこともない。

6畳一間の長屋に下手をすれば、三世代・・・共同便所に、共同炊事場、共同水道。

疫痢、赤痢、はたけに、田虫・・・チョイト運が悪ければ、トラホームに蓄膿、デキモン問屋。

町医者にしたって、ヤブもへ簿もない・・・・・・

国民皆保険がやっと始まる頃だから、医者なんかにはかかる筈もない、殆どが往診。

もっとも、病院たって、別に「医療機器」があるわけじゃあないし、医者もこられても困っただろう。

あの頃、あの時代の「ガキ」だから・・・・・・

僕らの「腎バラ」は今の「ガキ」の「腎バラ」とは「腎バラ」が違う。

考えてみれば、肉こそ食わなかったものの、

冷蔵庫と云う物が無かったお陰でいつも、旬の物、新鮮な物を食べていたわけだ。

ここら辺りは、内陸、海なし県だから鮮魚は殆ど縁が無い。

秋刀魚、鯖、鯵の開き、鰹のナマリに、鯖の煮付け・・・

佃煮屋も「横丁」には必ず一軒あった、豆腐屋、八百屋は引き売り、納豆屋、卵屋は朝の目覚まし。

牛乳も、搾りたて、野菜も採れたて、梅干、糠漬け、沢庵に白菜漬け。

今頃は、チョイト漬き過ぎた、紫紺の「ナス」と口の曲がりそうな「キュウリ」があれば、3杯飯は行ける。
今朝も、そのナスと、大根・・・・・

豆腐と大根の味噌汁でレトロな贅沢三昧。

大型冷蔵庫には・・・賞味期限すれすれの生鮮食品が汗をかいている。

「時代」という物は、随分と無駄を作る・・・・・・

別に、高速道路や、大型公共事業だけではないようだ。

我が家の「公共事業」も、ここに来て、相当「怪しい」(笑)。



Posted by 昭和24歳  at 19:25 │Comments(0)

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