2010年02月13日

帯広・・・・・

帯広・・・・・

帯広・・・・・

富良野を舞台に、家族の愛や絆を描く名作ドラマの最終回を収録した2枚組。純と正吉が草太から受け継いだ牧場が倒産。2人は働き口を求め富良野を出ていく。一方、すみえに家を建ててくれるよう頼まれ、家作りに着手し始めた五郎は腹痛を訴え…。





帯広は寒い・・・・・

何度か冬にも行ったことがあるがあまり大雪に遭ったことはない。
僕がよく行っていた頃の「帯広駅」は北海道の都市の中でも独特の雰囲気を感じていた。
やはり札幌と同じように「一条、二条」と言ったように目当ての店を探すのには便利だ。

帯広での営業は「玉光堂」楽器店が僕のお得意先だった。
泊る宿は「パコ」。北海道一円にホテルチェーンを展開する・・・・・

帯広は富良野、新得から入るか、足寄から入る・・・・・・
何れも峠越えになるのだが、風景は夫々に大分趣は異なり、夫々のよさがある。

帯広へは旭川の営業を終えて釧路への途中か・・・・・
旭川、北見、弟子屈、釧路の帰路、白糠あたりに雄大な太平洋を眺めながら入る。

そこ帯広からは、清水、日勝峠を越えて夕張の炭鉱跡を右に見ながら、
札幌へと向かうのがルートだ。

道東は「アイヌ系」の地名、またその血を継ぐ人が多い。

僕などはよく地元の人間と間違えられたりした・・・・・・・
眉毛が濃く、髭も濃く、僕によく似た人も大分見つけた。

富良野に一泊した事があった・・・・・・

「富良野・・・・いい所ですね」

と、僕が地元の人に言うと、

「じゃあ住んでみれば」

と、笑った。

「いるんだ・・・・富良野はいいっていう内地の人。多分テレビかなんかのせいでね。
そりゃあ倉本聡さんはいいショ、ここの人間でないからね」

そう言えば、僕の音楽仲間が生まれ育った「軽井沢」もそうだった。

「いいな、こんな高級別荘地に住んで」

「冗談言うな、俺が別荘に住んでるわけじゃあない。
冬になれば誰もいなくなる・・・・・真冬は零下30度なんて言う日もある。
うちの親父もそうだったけど、炭焼き、満蒙開拓団、偶々戦後こうなっただけ、
俺たち小学校だってろくに通えなかったんだぜ、冬場は」

と笑った。

中学高校は、碓氷峠を下って、安中か高崎で下宿生活だった「避暑地の先住民」。
富良野でそんな話を聞かされたときはその軽井沢の友達を思い出した。

そういえば札幌にしろ、ひとつ街から外れれば未だ「開拓」の匂いすら感じられる。

「住めば都」

それは、終の棲家と思えた時初めてそう思えるのかも知れない。
ここ、上州、高崎は・・・・・・
天明の飢饉以来これといった災害はないという。
天災がない・・・・・全くない。

そのかわり「天才」も全くない。

まあ、どういうわけか内閣総理大臣だけは3人も。

僕の持論だが・・・・・・

「海を見ないで育つ」

という事は人間としてどこか、

「足りない」

部分があると思ってる。

僕の終の棲家は・・・・・

海辺の、それも雪の降る海がいい。




Posted by 昭和24歳  at 20:41 │Comments(0)

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