2010年02月10日

堕胎の世代

堕胎の世代

堕胎の世代

小学生のころ、どんな少年だった?
海沿いの町にぼくは越してきた。

少年時代を描く傑作長編

東京から、父のふるさと、瀬戸内の小さな町に引越してきたヒロシ。アポロと万博に沸く時代、ヒロシは少しずつ成長していく。慣れない方言、小学校のヤな奴、気になる女の子、たいせつな人との別れ、そして世の中……。「青春」の扉を開ける前の「みどりの日々」をいきいきと描く、ぼくたちみんなの自叙伝。






僕等は堕胎の世代かも知れない。

生まれることしか選択肢がなかった「生命」。

敗戦、抑留、復員・・・・・
大正元年生れの父の時代。
二十歳の時には戦争、暗黒の時代・・・違いますか(笑)。
そして徴兵、出征、捕虜・・・こんな生き方、生かされ方ってありますか。

団塊の世代・・・・・
生れるしか道のない「生命」。
あの時。あの時代・・・明日を夢見た父たちはいただろうか。
生れてしまっただけの僕等・・・・・
恨み辛みではなく、僕自身、父母を知らない。
今だから言える「父母」を知らない。

今なら、この時代なら僕なんぞは父親の精嚢から撒き散らされるか・・・・・
母の子宮に辿り着いたとしても、この世に生を受ける前に堕胎された運命だろう。

あの時代・・・・・・

生れるしかなかった僕等。

僕はいつも、自分の節目節目でそう思う。
もしこの時代が、戦争の真っ只中だったとしたら、果たして、子供を生んだだろうか・・・・・
しかし戦争、荒廃の中なら堕胎すらできない、産むしか許されなければ産んだだろう。

あいのこ、戦災孤児、そして僕等の姉世代の中国残留孤児。

そんなことはすっかり忘れてしまっている・・・・・
僕は、今の政治状況を見ていても、微塵もそのことへの哀惜の感情を見ることはない。
僕等だけが知っている、僕等だけの時代。

忘れるのは止そう・・・・・

僕等しか知らない時代。

忘れてはいけない・・・・・

僕等が生まれなければいけなかった時代。

一人一人の「悲劇」は体よく隠されてしまった時代。

僕の家の近くにあった「母子寮」・・・・
6畳一間に家族5人、6人での生活は当たり前・・・・・
小学校の時から家計を助ける為に新聞配達、牛乳配達、納豆売りをしていた同級生。
彼等の姿は修学旅行の記念撮影の中にはいない・・・・・

それは、そんな時代だった。

僕等普通の人間が、疑問に思うこと、疑うこと・・・・・

そのことの是非などあるわけがない。

思想が人間を幸せにした例はない。
溺れて盲目になるのは構わないが、生まれてしまった僕等には何の意味もない。
為政者が、僕等、普通の生活者のことに何の思いも馳せていないことは・・・・・
また知らされている。

生まれてしまった僕は、生きるように生きる。
人様の拵えた「道」ではなく・・・・・
それがたとえくねくねと曲がりくねった「道」でも。
僕は僕の「道」を生きる。

僕は思想家でもなければ、宗教家でもない・・・・・
ましてや、モドキなんかでは更々ない。

ただの石コロ。

生まれ堕ちてしまった・・・・・・

路傍の石コロ。

堕胎の世代




Posted by 昭和24歳  at 13:43 │Comments(1)

この記事へのコメント
内容が重すぎて何とコメントしてよいのか、ただ子供時代の私達は貧富の差に思いの外、敏感だったような気がします。貧富は学力に直結していました。それは所謂、先生の贔屓に反映し、学級内の序列となり、体力のない貧乏人のとりたてて学力のない私のような目立たない子供は、ただじっと時の過ぎていくのを耐えて行く毎日だったのです。
Posted by 捨蚕 at 2010年02月10日 21:47
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