2009年05月03日
<訃報>忌野清志郎
<訃報>忌野清志郎さん58歳=ロック歌手 がん治療続け
5月2日22時54分配信 毎日新聞
忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館
「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。
東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。
僕の会社にも熱烈なファンがいたなあ・・・・・・
忌野清志郎
フォーク、GS全盛の1970年代にあって、バンド形態こそアコースティックながらデビュー時よりロック、R&Bを基調としたオリジナル曲を作り、歌い続ける。特に影響を受けたと自身が語るのは、黒人音楽とビートルズである。
黒人音楽であるソウル・ミュージック、R&Bへの造詣はことのほか深く、往年の名ソウルシンガー、オーティス・レディングを最も影響を受けたアーティストの一人であると公言している。その影響は、メロディーやリズムの取り方はもちろん、ステージ上でオーディエンスに問いかける「愛しあってるかい?」というMCや、曲中での「ガッタ、ガッタ」という独特の発声・シャウトなどからも伺うことができる。ソウル、R&Bへの憧憬から、自身のライブにおいてジェイムス・ブラウンのガウンショーを再現、ブッカー・T.&ザ・M.G.'sとのレコーディングやツアーの実施(1992年)、ブルース・ブラザーズ・バンド来日公演時のサプライズゲストとしての参加(2007年4月)、サム・ムーア(ex. サム&デイヴ)のステージへの飛び入り出演(2007年10月)なども実現させている。自身の曲中においてもオーティス・レディングの曲をカバーしたり部分的に使用したりしている。(例:「Sweet Soul Music」の曲中で「(Sittin' on)the Dock of the bay」、ライブアルバム『The KING OF LIVE』中の同曲では「I've been loving you too long」を歌っており、「よぉーこそ」の曲中では「I can't turn you loose」の有名なホーンセクションのフレーズを使用している。)
また、ビートルズに関しては多くの曲にビートルズへのオマージュと見られるアレンジやコード進行、ファルセット、歌詞などが散りばめられている。
その意味では、吉田拓郎もなんだろうか・・・・・・
もっとも音楽性としてはその対極にあるようなイメージで、
僕らの時代としては、吉田卓郎のメジャーに対して忌野清志郎、RCはマイナーだったなぁ。
1970年代の学園祭ライブで一度対バンしたことがあったけど、
僕らの“デルタブルース”に対して忌野清志郎、RCのはなんとなく笑っちゃったのを覚えている。
今から36年前の話だ・・・・・・
時代が変わった。
先日だったが、山崎ハコさんがシティギャラリーで夫婦ライブ・・・・・・
行きそびれたが、ファンであるそうな、やきとり“ささき”の亭主はいたくご機嫌だった。
あの亭主がご機嫌だったっていうことは相当良かったに他ならない。
因みに、その御亭主、今年の拓郎ツアーも予約済みだとか。
そして“アヤカ”もいいとか、いつかのライブでは最前列で見ていて、目のやり場に困ったとか・・・・・・
都はるみもいい、美空ひばりもいい・・・・・・
クラプトンも、オーティス・レディングも、おーティス・ラッシュも、フレディ・キングもとか。
因みに、ご機嫌な寅目のGIBSON LPが宝物だとか。
全く弾けないけど。
さて、明日あたり“RC”でも肴にしながらやきとり“ささき”に行ってみようかな・・・・・・
5月2日22時54分配信 毎日新聞
忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館
「ベイベー!」や「愛し合ってるかーい!」などの決めぜりふ、奇抜な衣装と演出で知られるロック歌手、忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日、がん性リンパ管症のため死去した。58歳だった。葬儀は9日午後1時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻の栗原景子(くりはら・けいこ)さん。
東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。
僕の会社にも熱烈なファンがいたなあ・・・・・・
忌野清志郎
フォーク、GS全盛の1970年代にあって、バンド形態こそアコースティックながらデビュー時よりロック、R&Bを基調としたオリジナル曲を作り、歌い続ける。特に影響を受けたと自身が語るのは、黒人音楽とビートルズである。
黒人音楽であるソウル・ミュージック、R&Bへの造詣はことのほか深く、往年の名ソウルシンガー、オーティス・レディングを最も影響を受けたアーティストの一人であると公言している。その影響は、メロディーやリズムの取り方はもちろん、ステージ上でオーディエンスに問いかける「愛しあってるかい?」というMCや、曲中での「ガッタ、ガッタ」という独特の発声・シャウトなどからも伺うことができる。ソウル、R&Bへの憧憬から、自身のライブにおいてジェイムス・ブラウンのガウンショーを再現、ブッカー・T.&ザ・M.G.'sとのレコーディングやツアーの実施(1992年)、ブルース・ブラザーズ・バンド来日公演時のサプライズゲストとしての参加(2007年4月)、サム・ムーア(ex. サム&デイヴ)のステージへの飛び入り出演(2007年10月)なども実現させている。自身の曲中においてもオーティス・レディングの曲をカバーしたり部分的に使用したりしている。(例:「Sweet Soul Music」の曲中で「(Sittin' on)the Dock of the bay」、ライブアルバム『The KING OF LIVE』中の同曲では「I've been loving you too long」を歌っており、「よぉーこそ」の曲中では「I can't turn you loose」の有名なホーンセクションのフレーズを使用している。)
また、ビートルズに関しては多くの曲にビートルズへのオマージュと見られるアレンジやコード進行、ファルセット、歌詞などが散りばめられている。
その意味では、吉田拓郎もなんだろうか・・・・・・
もっとも音楽性としてはその対極にあるようなイメージで、
僕らの時代としては、吉田卓郎のメジャーに対して忌野清志郎、RCはマイナーだったなぁ。
1970年代の学園祭ライブで一度対バンしたことがあったけど、
僕らの“デルタブルース”に対して忌野清志郎、RCのはなんとなく笑っちゃったのを覚えている。
今から36年前の話だ・・・・・・
時代が変わった。
先日だったが、山崎ハコさんがシティギャラリーで夫婦ライブ・・・・・・
行きそびれたが、ファンであるそうな、やきとり“ささき”の亭主はいたくご機嫌だった。
あの亭主がご機嫌だったっていうことは相当良かったに他ならない。
因みに、その御亭主、今年の拓郎ツアーも予約済みだとか。
そして“アヤカ”もいいとか、いつかのライブでは最前列で見ていて、目のやり場に困ったとか・・・・・・
都はるみもいい、美空ひばりもいい・・・・・・
クラプトンも、オーティス・レディングも、おーティス・ラッシュも、フレディ・キングもとか。
因みに、ご機嫌な寅目のGIBSON LPが宝物だとか。
全く弾けないけど。
さて、明日あたり“RC”でも肴にしながらやきとり“ささき”に行ってみようかな・・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 08:07
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