2009年04月03日

デキモン問屋

デキモン問屋

こんな時代でした・・・・・・



デキモン問屋

兎に角僕等の時代は可笑しかった。

「デキモン問屋」とかです・・・・・・

「10円禿」とか、「タムシ、ハタケ」とか「蓄膿」とかと数え上げたらきりがなかった。

5、6年昔まで配給から、朝鮮戦争特需・・・
チョットでも具合のよろしくないのがいれば、寄って集って虐めた。

今の不景気の比ではない・・・米屋と言う米屋が闇米で捕まる。近所では、友だちの親父選挙違反で逮捕される・・・とか。
アカ、拝み屋、満州帰り・・・と、「闇鍋社会」。

そんな家の子どもは決まって「汚かった」。

いや、みんな汚かった(笑)。

そうです・・・まさにデキモン問屋の世代。

今になって、「団塊の世代」なんて囃されるが、要は国中が「貧乏人の子沢山」。
親父の仕事があろうが無かろうが、子どもはできる。昭和20年から30年くらいは「母ちゃん」年中太鼓腹。

履モンは、夏はゴム草履、冬は下駄に足袋、児童福祉法も糸瓜もない・・・・・・
停電はしょっちゅう、もちろんテレビも電話もあるわけではないから停電なんて屁でもない。
米、味噌、醤油の隣近所貸し借りは日常茶飯事。

僕の小学校は1,200人、今にして思えば、教師の指導力不足なんてチャンチャラ可笑しい。

教師は殴る・・・

それよりも何よりも、親が「殴ってくれ」なんて言い出す始末。

秋田の横手から家族で高崎に転居してきた同級生がいた・・・・・

遊びに行ったら、7人家族とかで、ガチャガチャとやたらうるさい小さな工場。

兎に角、そいつは虐められた。

「秋田弁」

何を云っているか全く分らない。
鼻を垂らし、顔中にデキモノ、テカテカのツンツルテンの服、多分兄貴のお下がり。

そいつは凄い、未だに嫌味を云う・・・・・・

「よく虐められたな・・・俺」

と笑い飛ばす。その度に僕は肩をすくめる。

「お前達は俺の言ってることがわからねえって言うが、俺も、お前達の云っている事が分んなかった」

と、小さいながらも会社を経営しているそいつはビシッと背広を決め込んで「ニコッ」と言う。

もちろん、テレビも、ラジオだってそうは無い・・・そんな時代だったのだから方言は仕方がない。
今ではそいつ、ズーズー弁はすっかり直ってる。僕は仕事で秋田に行く度に、そいつを思い出す。

東京から転向してきた奴も虐められる。

「なんだ、おめえ・・・女みてえにくっちゃべって」

って。

横浜から転向して来た奴・・・何かにつけて「ジャン」と云う・・・・・・・

もちろん、あだ名は「ジャン」・・・今はどうしているか。

そろそろ、僕等の世代がこの国の「虐められっ子」の団塊になるような気がする。




Posted by 昭和24歳  at 09:18 │Comments(0)

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