2017年01月03日

「もりや食堂閉店」たかさき団塊世代の記憶遺産

「もりや食堂閉店」たかさき団塊世代の記憶遺産
「もりや食堂閉店」たかさき団塊世代の記憶遺産

焼きそば人気店 60年の歴史に幕 高崎の「もりや食堂」
 昔ながらの焼きそばが人気だった群馬県高崎市新田町の「もりや食堂」が六十余年の歴史に幕を閉じた。店主の柳沢美根子さん(72)が昨年3月、股関節の手術を受けるために休業していたが、術後も思うように動けなかったことに加え、調理器具の老朽化と後継者の不在を理由に決断した。柳沢さんは「再開を待ってくださったお客さまには大変申し訳ない」と話し、寂しそうな表情を浮かべる。

◎市民の忘れられない味 再開へ努力もかなわず
 もりや食堂は、柳沢さんの両親の森谷重三さん、ひでさん夫妻(故人)が1951年ごろに開店。ひでさんが作り上げたという名物の焼きそばのほか、定食のおかずとして焼き肉やメンチ、ハムエッグ、ポテトサラダなど20種類以上の家庭的な一品料理を提供していた。焼きそばの名物店としてテレビ番組に取り上げられたこともあった。

 近年は柳沢さんと長女の貴子さん(46)で切り盛りしていたが、柳沢さんが昨年11月ごろから長年悩んできた右脚の痛みに耐えられなくなり、今年3月に手術を受けた。当初は5月の連休後にも店を再開し、焼きそばだけでも提供するつもりだったという。

 再開できないまま時間だけが過ぎていき、左脚にも痛みが出てきたことから10月に閉店を決断。11月に高崎市保健所に廃業届を提出し、今月19日に店舗出入り口に閉店を告知する用紙を張った。

 柳沢さんは「幼い頃から手伝ってきた食堂は私のふるさと。これまでにいろいろな人と出会えた。素晴らしい思い出を胸に第二の人生を歩んでいきたい」と話す。

 高校生の時から訪れている市内の男性(52)は「閉店の情報を聞いて驚いている。何度も食べた焼きそばの味が忘れられない」と残念そうに話していた。

<引用:上毛新聞 2017年1月2日(月) AM 06:00>
http://www.jomo-news.co.jp/ns/3314831858172895/news.html

>「もりや食堂」が六十余年の歴史に幕を閉じた。

「とうとうその時が来た」という感じかなぁ・・・・・

たかさき・団塊世代の「記憶遺産」です。

去年は「赤羽楽器」が閉店、まあ、昔ながらって言えば末広町の中華の「大連」閉店、もっと前は中銀の「らっちゃん」閉店。

そうだ「オリタ」の焼きそばも女将さんが亡くなったとかで今はオヤジさんが「焼きまんじゅう」を商っている。

柳川町の「富士久」も終了、やきとりの「万作」も終了。昔ながらって言ったら残ってるのは柳川町の「時々」くらいだろうか。

まあ、中華って言ったら、だいたい「チャーハン」で決まる。

「来々軒」も終わって、その線だと「精華軒」と「萬来軒」別館くらいだ。あっ、大類の「大将」を忘れてはいけない、昔ながら。

まあ、好き好きだが、高崎の団塊世代の記憶遺産、僕にとっては2軒、そのうちの一軒は・・・・・

郷土料理「いろり」(末広町)と、やきとり「ささき」(通町)、とんかつの「永寿亭」(新田町)、中華「松島」(若松町)等々。

それにしても、もう一度食べたいとかすかな希望を抱いていたのだが、記憶遺産になってしまったとは残念だ。

「もりや食堂閉店」たかさき団塊世代の記憶遺産



Posted by 昭和24歳  at 10:47 │Comments(0)

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