2016年09月09日

「9.10 昭和の風コンサート」高崎キネマ横丁・電気館

「9.10 昭和の風コンサート」高崎キネマ横丁・電気館

「9.10 昭和の風コンサート」高崎キネマ横丁・電気館

明日PM5時オープン、PM6時スタート!!
オープンカフェ同時開催(高崎電気館前広場)。
ソフトドリンク、生ビール、ウーロンハイ等々アルコール類と軽食も。


ザ・プラネッツ(高崎、伝説のGS)のメンバーを中心に・・・・・
エレキにシビレた昭和40年代の青少年(不良)が50年後に復活。
まあ、ゾンビかもしれないけど、その青少年、残すところを数えれば確実に終は近い。

そうなんです。僕は高崎市立第二中学校で、その電気館の通りは通学路だった。
何故かっていうと、もう一本北側の通りには紳士の殿堂「フランス座」(ストリップ劇場)があってR18ストリート。
そんなわけで九蔵町の方から高崎中央銀座通りを通って、当時、高崎の地価トップの「関口メガネ」を右に・・・・・
するてぇと、「高崎電気館」が。そこには市川雷蔵の大きな看板があって、それを横目に柳川通りからお濠端へ。
そういやあ、あの頃はどこんちも犬は放し飼いで、お堀の堤防の上を歩くと犬のウンコが散乱していた。
そんなもん踏んだ日には臭いのなんのって、実にその運の悪さに落胆したもんだった(笑)。

今でも、その「高崎電気館」の前に立つと当時の光景が目に浮かぶ。

で、そこは北関東随一の歓楽街「柳川町」で、戦後、昭和31年の「売防法施行」までは青線、赤線だったかで紳士の殿堂。
まあ、21世紀の今日にも柳川町の裏路地にはその名残を留める、いわゆる「だるま屋」とか。
そんなわけで、大日本帝国第十五連隊」を置く軍都だった高崎市です界隈、料亭やらカフェやらでごった返していた。

アレから半世紀以上が経ち、その情景は一変してしまっている。
昭和40年代、その柳川町を中心に、キャバレーが5軒、ホステスさんのいるバー、クラブは星の数ほど。
そこが、高度経済成長と僕ら団塊世代が紳士になる頃になると連日連夜お祭り騒ぎでした。

まあ、当時20代、30代の青年が今や60代、70代です。
しかし、巷間言われるような深刻な「高齢化社会」ではないですね、現実問題。
みなさんお元気です。当然3人に一人が60歳以上ってぇんですからたしかに高齢化社会ですけど。
で、今回、この企画というかイベントは僕らを含めて、まちなかに出かけようとしても行く「場所」がない・・・・・
そんな多くのご意見から、だったら、自分たちで「場所」、居場所を作っちゃえということが始まりです。

てなわけで、僕ら高齢者「団塊世代」には悪ガキ、不良だった頃からのアイディア、遊び心が未だ溢れています。
戦後、何もない時代に、いろんな遊びを考えました。「ベーゴマ・メンコ・ビー玉」は自分たちでルールを作ってずるい事は御法度に。
野球だって道具がなければボールは布で作ってバットは棒キレ、ミットは新聞で、三角ベースで。

そんな僕ら世代もそろそろ終わります。

確かに戦争を知らない子どもたちだけど、占領軍の子どもだったことは確か。
その占領軍から夢いっぱいの文化を授かりました。それが、戦後「昭和の風」です・・・・・

「9.10 昭和の風コンサート」高崎キネマ横丁・電気館



Posted by 昭和24歳  at 10:25 │Comments(0)

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