2014年12月23日

老化する「高崎市」の近未来②

老化する「高崎市」の近未来②



これらの高層マンション群は平成8年順次完成予定だった・・・・・・

バブル経済崩壊の影響もあり、丸紅、東京建物とデベロッパーの勢いも衰え放置。

行政の目論見も大きく外れたのではなかったか。

僕らは当時、あの界隈の住人だった。そこは戦後の復興期にできた、いわば「新興住宅街」。

もっとも、中里街道踏切の向こうの江木はまだ田んぼで高崎駅東口からは「競馬場」が透けて見えていた。

その頃の東小学校は一学年160人、それが6学年だから全校では千人近い児童生徒がいた。

僕らが小学校入学する、たしか2年前に城東小学校ができて線路向こうの児童生徒は転移したと聞いている。

当然、それまでの東小学校では教室が足らず「講堂」を仕切って教室にしていたとか・・・・・・

そして昭和36年高崎市立第二中学校へ入学だったんだがひとクラス40人超で10クラスだったから全校3学年では1000人超。

で、僕らが一年生の頃の校舎は「大日本帝国陸軍第十五連隊」の兵舎跡と、そんな時代だった(笑)。

当然、その時代に群馬音楽センターが完成し、街中はデパートがひとつふたつと増えてゆき、映画館も7箇所。

まさに高度経済成長の中、その街中は喧騒を極めていた。

そしていつの間にか、僕らが成人する頃になると、いわゆる「ニューファミリー」、核家族化ということなのか・・・・・・

山名団地、根小屋団地、豊岡団地、中居団地等々と、その居住地は郊外へ郊外へと拡散していった。

昭和40年代の初め、そうした団地には子供用のブランコが、子供用の自転車が庭に、そして自家用車が。

そしてアレから半世紀が経とうとしている今日、その若々しく煌めいていたその光景も閑散としたものに変容してしまっている。

このことは、その、およそ半世紀前に「想像」は出来ていたはずだ。

当然、そこにある「人口構造」と「人口形態」から鑑みれば、何をどうすべきか、ということもだ。

そしてそれは、その郊外の新興住宅街の盛衰は世の理であることも・・・・・・

つまり、今、その駅周辺に高層マンションが林立し、人口増加を喜ぶが、それは今後50年後、その光景がどうなるか?

まあ、高崎駅東西口に行政による大規模集客施設、民間のイオができるわけだがそれで果たして「高崎」に発展を見るのか。

つまり、街中における「歩行者交通量」が増大するの?

当然、高崎市内の居住者だけでその商圏の経済効果を期待することは困難なはずである。

要するに、ショッピングに、遊びに、街中を散策できる環境がなければそこの「歩行者交通量」は増えない。

本来なら、高崎の旧市街地ど真ん中に「図書館」を持ってくるとか、「音楽センター」を建設するとか、それは医療施設でもいい。

それらを核に平面、せいぜいが3階建てくらいのショッピングモールを作り・・・・・・・

アメニティ・ゾーンとしての映画館や、小さな子供が遊べる遊具施設、あるいは保育施設を併設する。

つまり、その駅東西の大規模集客施設では、街中の「歩行者交通量」は増加しない。むしろ減少することになるだろう。

そして郊外、あるいは周辺地域からの来客者には「パーク・アンド・ライド」もいいでしょう。

もちろんそれには、自動車を駐車してからの快適なコミュニティ・バスの提供とか、「高チャリ」などもその一考ではある。

つまり、「歩行者交通量」、「徒歩圏(半径2キロ以内)」をどのように空間デザインするかだろう。

駅前ワンストップではなく「歩きたくなる街づくり」。そこが、高崎の近未来を老化から救う・・・・・・

老化する「高崎市」の近未来②





Posted by 昭和24歳  at 14:21 │Comments(0)

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