2013年09月10日
50年後の高崎を考察する(1)
50年後の高崎を考察する(1)
つまり50年後のわが街“たかさき”である。
もちろんそのころには僕はいない。とうぜんお墓の中にもいない。
50年後と言えばわが末娘が69歳となり、今の僕より5つも年上・・・・・・
そんな末娘、どんな“おばあちゃん”になっているのやら想像するだけでおかしい(笑)。
長女は88歳、次女が84歳・・・・・そんな時代の話である。
そうそう、長女の長男が54歳、そして次男ですら53歳。
次女の長女が63歳、次女が64歳、長男が60歳である。
2063年、厚生労働省予測では日本の人口は“8000万人台”前半とか。
さて、わが街“高崎”はいったいぜんたいどのくらいの人口になっているだろうか?
日本の人口、1億2千万人、それが30%以上減少するとかの予測。
わが街高崎もそれにならって30%減とすると今が34万人・・・・・・
それも平成の大合併でふくらませただけだから、計算したら20万人を割り込んでるかもしれない。
もっともその頃には高崎と前橋も近隣の町村を合併させて“上毛野市”とにでもなってるんだろうが。
で、50年後といったら、そのころには天を突く絢爛なご自慢の21階建て“高崎市庁舎”も築後70歳。
ところで、旧庁舎、今のもてなし広場のところにあったのが昭和29年4月に完成。
と言うことだから、西暦なら1954年、そして新庁舎が1998年で・・・・・・
なんと44年で老朽化を理由に新築だから、そんなことを言えば、今の21階建ての絢爛豪華な庁舎、
はたしてこれから50年といえば約70年も持つのだろうか?
“総工費343億6000万円”
70年ローンで毎月3800万円の返済の計算になるんだが。
まあ、しかし、その頃にはその市庁舎も老朽化が叫ばれやんやの騒ぎの中にあるのかもしれない。
今の、「群馬音楽センター」がしかりである。コンクリート建造物で築50年(^^ゞ
2063年のわが街、高崎。
ところで“わが街、高崎”もいいが、国債発行残高800兆円・・・・・・
国地方あわせて1200兆円にもなるというわが日本国“政府”の台所事情。
50年後、人口が30%も減少して、それも限りなく高齢化が進む。
なんてったって、わが娘たちが後期高齢者に、そしてその息子、娘達が中高年になっちまう(笑)。
そうなると国民の半数が“後期高齢者”なんていうことにもなりかねない。
その、1200兆円にも上る国地方の借金はどうなってるんだろうか?
巷間言われていることは、戦争で解決するしかないとか・・・・・・
超インフレ策で借金をチャラにするしかないとか物騒な論調が飛び交っているが。
しかし50年後、これからの50年の間に一体全体、この国で、世界でどんなことが起こるか?
因みにわが群馬県の財政も“とんでも”な状態になっているとかなっていないとか・・・・・
http://www.geocities.jp/mkqdj167/gunma.htm
(北海道は5兆8000億円。大阪府なみ。実態は大阪府どころの騒ぎではない)
http://www.geocities.jp/mkqdj167/hokkai.htm)
その負債は1兆円を突破。大阪府が6兆4千億円で当時の橋下新知事泣いて見せたが、
大阪府の人口が883万人。その人口規模と経済基盤からしたら、
わが群馬県は現時点で200万人を切ってしまっている。
それにいくら大阪が東京と比べたらしょぼいからと言ったって大都会で大手企業は腐るほどあるし・・・・
大阪府6兆円、群馬県1兆円、その差は“デカクナイかい”?!!
そんなに、一体なにに使っちまったんだろう?
きっと何かに使っちまったことには違いはないが、その財政難規模は人口比較からしたら大阪府並。
しかも、経済基盤規模は大阪の比ではなくショボイことは明らか。
2063年のわが街、高崎。
わが娘たちの娘の娘、息子たちにもきっと生まれているだろう・・・・・
わからないけど特殊出生数「1.29」にしても(笑)。
そんな、子どもの子どもの子どもたちが20代にならんとする50年後のわが街高崎は一体どんな街に?
そうさあねぇ・・・・・・
思えば、今から50年昔は昭和38年。敗戦、戦後干支がちょうど一回り半の頃。
そう、ちょうどこの度めでたくも招致決定した「2020年」の東京オリンピックと同じく、
その50年昔の10月10日にアジアで初めての「東京オリンピック」が開催された。
そういやあ、53歳で亡くなった父親もまだ生きていた。なくなったのはその翌年。
しかし、その時代に、僕らの父母、祖父母は2013年を、はたして想像しただろうか?
僕の祖父母について言えば、自分の子どもの子どもの子どもの子どもが小学生になっていてなんて。
それはつい昨日の出来事。陸軍高崎十五連隊から日露戦争に出征した祖父。
自分の子どもがそこから大東亜戦争に出征して・・・・・
その祖父の孫の僕が64歳に。そんな孫が「2063年のわが街、高崎」なんて想像しているなんて、
いったい、想像していただろうか。
さて、2063年のわが街、高崎はいったいどんな街になっているんだろうか・・・・・・
まあ、わが日本国。この調子で毎年30兆円づつ赤字国債発行、でもあと十数年もそれを続けたら、
その利息だけで毎年“30兆円”。そしてそれをすぐ超えてしまう。
つまり税収で国債の利払いをすることに確実になる。
しかし、その政府負債は国民の負債ではない。国債は国民の資産でもあるわけだし。
さて、みなさんの50年後の“わが街は”??
50年後の高崎を考察する(1)
つまり50年後のわが街“たかさき”である。
もちろんそのころには僕はいない。とうぜんお墓の中にもいない。
50年後と言えばわが末娘が69歳となり、今の僕より5つも年上・・・・・・
そんな末娘、どんな“おばあちゃん”になっているのやら想像するだけでおかしい(笑)。
長女は88歳、次女が84歳・・・・・そんな時代の話である。
そうそう、長女の長男が54歳、そして次男ですら53歳。
次女の長女が63歳、次女が64歳、長男が60歳である。
2063年、厚生労働省予測では日本の人口は“8000万人台”前半とか。
さて、わが街“高崎”はいったいぜんたいどのくらいの人口になっているだろうか?
日本の人口、1億2千万人、それが30%以上減少するとかの予測。
わが街高崎もそれにならって30%減とすると今が34万人・・・・・・
それも平成の大合併でふくらませただけだから、計算したら20万人を割り込んでるかもしれない。
もっともその頃には高崎と前橋も近隣の町村を合併させて“上毛野市”とにでもなってるんだろうが。
で、50年後といったら、そのころには天を突く絢爛なご自慢の21階建て“高崎市庁舎”も築後70歳。
ところで、旧庁舎、今のもてなし広場のところにあったのが昭和29年4月に完成。
と言うことだから、西暦なら1954年、そして新庁舎が1998年で・・・・・・
なんと44年で老朽化を理由に新築だから、そんなことを言えば、今の21階建ての絢爛豪華な庁舎、
はたしてこれから50年といえば約70年も持つのだろうか?
“総工費343億6000万円”
70年ローンで毎月3800万円の返済の計算になるんだが。
まあ、しかし、その頃にはその市庁舎も老朽化が叫ばれやんやの騒ぎの中にあるのかもしれない。
今の、「群馬音楽センター」がしかりである。コンクリート建造物で築50年(^^ゞ
2063年のわが街、高崎。
ところで“わが街、高崎”もいいが、国債発行残高800兆円・・・・・・
国地方あわせて1200兆円にもなるというわが日本国“政府”の台所事情。
50年後、人口が30%も減少して、それも限りなく高齢化が進む。
なんてったって、わが娘たちが後期高齢者に、そしてその息子、娘達が中高年になっちまう(笑)。
そうなると国民の半数が“後期高齢者”なんていうことにもなりかねない。
その、1200兆円にも上る国地方の借金はどうなってるんだろうか?
巷間言われていることは、戦争で解決するしかないとか・・・・・・
超インフレ策で借金をチャラにするしかないとか物騒な論調が飛び交っているが。
しかし50年後、これからの50年の間に一体全体、この国で、世界でどんなことが起こるか?
因みにわが群馬県の財政も“とんでも”な状態になっているとかなっていないとか・・・・・
http://www.geocities.jp/mkqdj167/gunma.htm
(北海道は5兆8000億円。大阪府なみ。実態は大阪府どころの騒ぎではない)
http://www.geocities.jp/mkqdj167/hokkai.htm)
その負債は1兆円を突破。大阪府が6兆4千億円で当時の橋下新知事泣いて見せたが、
大阪府の人口が883万人。その人口規模と経済基盤からしたら、
わが群馬県は現時点で200万人を切ってしまっている。
それにいくら大阪が東京と比べたらしょぼいからと言ったって大都会で大手企業は腐るほどあるし・・・・
大阪府6兆円、群馬県1兆円、その差は“デカクナイかい”?!!
そんなに、一体なにに使っちまったんだろう?
きっと何かに使っちまったことには違いはないが、その財政難規模は人口比較からしたら大阪府並。
しかも、経済基盤規模は大阪の比ではなくショボイことは明らか。
2063年のわが街、高崎。
わが娘たちの娘の娘、息子たちにもきっと生まれているだろう・・・・・
わからないけど特殊出生数「1.29」にしても(笑)。
そんな、子どもの子どもの子どもたちが20代にならんとする50年後のわが街高崎は一体どんな街に?
そうさあねぇ・・・・・・
思えば、今から50年昔は昭和38年。敗戦、戦後干支がちょうど一回り半の頃。
そう、ちょうどこの度めでたくも招致決定した「2020年」の東京オリンピックと同じく、
その50年昔の10月10日にアジアで初めての「東京オリンピック」が開催された。
そういやあ、53歳で亡くなった父親もまだ生きていた。なくなったのはその翌年。
しかし、その時代に、僕らの父母、祖父母は2013年を、はたして想像しただろうか?
僕の祖父母について言えば、自分の子どもの子どもの子どもの子どもが小学生になっていてなんて。
それはつい昨日の出来事。陸軍高崎十五連隊から日露戦争に出征した祖父。
自分の子どもがそこから大東亜戦争に出征して・・・・・
その祖父の孫の僕が64歳に。そんな孫が「2063年のわが街、高崎」なんて想像しているなんて、
いったい、想像していただろうか。
さて、2063年のわが街、高崎はいったいどんな街になっているんだろうか・・・・・・
まあ、わが日本国。この調子で毎年30兆円づつ赤字国債発行、でもあと十数年もそれを続けたら、
その利息だけで毎年“30兆円”。そしてそれをすぐ超えてしまう。
つまり税収で国債の利払いをすることに確実になる。
しかし、その政府負債は国民の負債ではない。国債は国民の資産でもあるわけだし。
さて、みなさんの50年後の“わが街は”??
50年後の高崎を考察する(1)
Posted by 昭和24歳
at 11:35
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