2013年05月02日
ナポリタン・スパゲッチィが人気
ナポリタン・スパゲッチィが人気
世界に誇る純和食ナポリタンのルーツに迫る
日本の庶民に愛されてきたスパゲッティナポリタンは、やっぱりイタリアにはなかった!? 150食以上のナポリタンを食べ歩いた著者がGHQとナポリタンの関係に迫り、ケチャップの歴史をひもとき、果ては北欧や米国など海外遠征し、そのルーツと謎に迫る! 今や懐かしき純喫茶の正統派から給食、食堂車、お子様ランチ、コンビニまでナポリタンを徹底取材。全国各地の風変わりなナポリタンも紹介する。純和食ナポリタンのディープな世界にようこそ!
ナポリタン、人気は鉄板…懐かしさと目新しさ
「鉄板ナポリタン」は冷めにくいだけでなく、香ばしさも食欲をそそる(東京都千代田区のプロントイルバールで) 東京都千代田区のカフェ・チェーン店「プロントイルバール」東京国際フォーラム店では、平日のお昼時、ステーキに使うような鉄板皿に薄焼き卵とスパゲティがのせられ、あちこちで湯気を上げていた。同店の人気メニュー、「鉄板ナポリタン」(690円)だ。鉄板で温められた香ばしさと卵のまろやかさが、甘辛いソースと絶妙な組み合わせだ。
都内の自営業女性(39)は「母が作ってくれた味の懐かしさと、鉄板にのって熱々で出てくるのが好きで、よく注文します」と話す。
同店を運営する「プロントコーポレーション」(東京都港区)では、昨年9月に一部店舗で試験的に販売したところ好評だったため、10月から全店で日中のメニューに、12月からは夕方以降のメニューにスパイスを利かせた品(780円)を加えた。店舗によっては売り上げ1位になるほどの人気という。
<抜粋引用:2013年4月20日 読売新聞>
ソース:http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20130413-OYT8T00281.htm
先日、というか一昨日辺りの夕方のテレビが特集していた。
「スパゲッチィ・ナポリタン」
そういえば僕が初めてその「ナポリタン」なるものを頂いたのは・・・・・
かれこれ、さかのぼること40年昔、高崎市役所の「地下食」だったような?
中学3年生にもなると、時に昼飯の時間学校を抜け出して、
その「地下食」やら、中央デパートの路地脇にあった「富士食堂」だったかへ走った。
当時の「二中」、昼時になるとたしか「パン」は松浦だったか、江木食ではなかったことは確かだ、
と思うがそこのところの記憶はいまいち曖昧である・・・・・
が、しかし、牛乳は「栗本」だった。これは「間違いない!!」。
その二中には「購買」というのがあって、昼時になると弁当を持ってこないときはそこに並ぶ。
まあ、大体が、「ぶどうパン」と栗本の「コーヒー牛乳」なんだが(笑)。
で、そんな折、時に誘い合って高崎市役所の「地下食」、そこではラーメンかカレー・・・・・
そうそう、「ソースカツ丼」なるものが美味かった記憶があるが、その「ソースカツ丼」と来たら、
如何にせん値段が貼る、たしか当時で120円くらいはしていたんじゃあなかったか。
で、ほぼラーメンと一緒の60円くらいの「ナポリタン」を頂いたような???
まあ、記憶は定かではない。で、ニキビヅラになって色気づいてきた頃、そう・・・・・
高崎の街中、喫茶店だらけだった。もちろん公式ではなかったんだろうけど「R-18」で、
もちろん「スナック」なんていう名前がない頃の話で、基本的にはコーシー専門。
まあ、いわゆる「オトナ」の香りがプンプンするエデンの園、そんな趣だった喫茶店。
高崎駅前にカウンターだけの(多分)「喫茶うえの」っていうのがあった、「キング・バー」の並び。
駅を出て日通の前を横切って、土産物屋の「さかい」の隣あたりだったか・・・・・
昭和40年頃のこと、砂賀町のダンスホールでシャイなしでバンドをやっていた時、
歩いて数分のその駅前の「喫茶うえの」で「ナポリタン」を頂いた、この記憶には自信がある。
まあ、当時、その喫茶店どころか「ラーメン屋」もそこいら中にあった。
そんな時、まあ、洋食です。言ってみたら「ハイカラ」な食いもんで、高崎で洋食って言ったら、
中銀の「ピナン」がその先駆けではなかったか、田町あたりに「かもしか」なんていうのも?
そんなわけで、それまで「箸」しか使ったことのなかった庶民の小倅が・・・・・
フォークを使って、粉チーズとやらをふりかけて、さらに「タバスコ」なるものを。
その「ナポリタン」、知らずに「ソース」をかけちゃったことがあって、店主に笑われた記憶が(^^ゞ
イタリアンレストラン「シャンゴ」
で、時が経つことそれから4、5年するとバンドの先輩が請地に新しくできたという・・・・・
イタリアンレストラン「シャンゴ」へ連れてってくれた。
まあ、「イタリアンレストラン」、今でこそ「イタ飯」とか「パスタ」とか言ってるけど、
当時、「イタリアンレストラン」・・・・・なんだそれ?
ってなもんで、で、何を食わせるのかといえば、「な~んだ、ナポリタンか」と、
その程度の認識しかなかった、その先輩「ピナン」にはよく言ってたらしく・・・・・
「おい、スパゲティったってナポリタンだけじゃあねぇぞ!!」とそれはそれは自慢げにいうのであった。
がしかし、その「シャンゴ」5、6人が座れるカウンターとテーブル席が5つくらいだっただろうか?
そのカウンターのところの厨房で、まあ、見るからに「コックさん」といった趣の衣装で、
ニコリともせず、フライパンを振ったり、包丁を使ったり・・・・・・
注文はママさんというかおカミさんが甲斐甲斐しくも忙しくしていた、といっても客は少なかったんだが。
で、僕が当時二十歳そこそこくらいだったから、そのマスターというかコックさんは30そこそこ。
まっ、当時、「マカロニウエスタン」なんてぇのが走りで、そのマスター、
その「マカロニウエスタン」に出てくるクリント・イーストウッドの手下のような(失礼)。
まあ、日本人離れしているといえば、言えなくもない、いかにも「シャンゴ」といった風・・・・・
で、いろいろメニューがあって、その先輩、得意そうに、
「ペペロンチーノ」とか「なんとかビアンコ」とか、挙句が「サラダ」で、ドレッシング多めって(^^ゞ
僕なんか、「ポテトサラダ」だって洋風の極みだったのに、レタスだのアスパラガスだの、
生の玉ねぎだの、ピーマンだの、それに食ったこともないどころか・・・・・
見たことも聞いたこともない「サラミ」とか「チーズ」とか、キュウリの酸っぱいやつだとか。
まあ、結局、僕のファーストシャンゴは無難なところで「ナポリタン」(笑)。
でも、シャンゴのそれ、街中で頂くそれじゃあない、大体、ケチャップがほとんかかってない。
それに、赤ウィンナーも混ざってなければ、ピーマンもない。
あるのは大ぶりのマシュルームとかと、やはり大ぶりのエビ、そして、嫌にパサパサした感じの仕上がり。
「ココのはな、ケチャップは焦がさないんだ、で仕上げにパルメザンを振りかける、それが美味いんだ」
先輩、得意げに講義をする、が・・・・・・
「俺には食えねぇよ、先輩、普通のナポリタンはないの?」
「ない!!」
それに、サラダも「コンビネーションサラダ」とかで、レタス、これも当時は不案内だったそれで、
さらに「ドレッシング」とかも初めて、マヨネーズさえ怖々使っていた当時の僕・・・・・
当然、庶民中の庶民、大衆中の大衆のわが家にはそんなハイカラな調味料は存在しなかったし。
「まあ、いいから食え、そのうち慣れる、タバスコもな!!」
マスターは相変わらず、ニコリともしないで、時々、ママさんに小言を言っている。
そろそろ、そんな「シャンゴ」にも慣れてきたっていうか、はまり始めてきた頃のこと、
厨房の脇の部屋の方から赤ちゃんの泣き声が・・・・・・
それが、現在の「ミスター・シャンゴ」であることは言うまでもない。
今でも時々そんなシャンゴの「ナポリタン」が食べたくなることがある・・・・・
請地の四角、時々通るが、いつもあのニコリともしないマスターが思い浮かぶ。
そうそう、「ナポリタン」といえばセントラルハイツ、国道沿いのマンションの一階にあった、
今はない、レストラン「タカシマヤ」、そこの「ナポリタン」は絶品だった。
ナポリタン・スパゲッチィが人気
世界に誇る純和食ナポリタンのルーツに迫る
日本の庶民に愛されてきたスパゲッティナポリタンは、やっぱりイタリアにはなかった!? 150食以上のナポリタンを食べ歩いた著者がGHQとナポリタンの関係に迫り、ケチャップの歴史をひもとき、果ては北欧や米国など海外遠征し、そのルーツと謎に迫る! 今や懐かしき純喫茶の正統派から給食、食堂車、お子様ランチ、コンビニまでナポリタンを徹底取材。全国各地の風変わりなナポリタンも紹介する。純和食ナポリタンのディープな世界にようこそ!
ナポリタン、人気は鉄板…懐かしさと目新しさ
「鉄板ナポリタン」は冷めにくいだけでなく、香ばしさも食欲をそそる(東京都千代田区のプロントイルバールで) 東京都千代田区のカフェ・チェーン店「プロントイルバール」東京国際フォーラム店では、平日のお昼時、ステーキに使うような鉄板皿に薄焼き卵とスパゲティがのせられ、あちこちで湯気を上げていた。同店の人気メニュー、「鉄板ナポリタン」(690円)だ。鉄板で温められた香ばしさと卵のまろやかさが、甘辛いソースと絶妙な組み合わせだ。
都内の自営業女性(39)は「母が作ってくれた味の懐かしさと、鉄板にのって熱々で出てくるのが好きで、よく注文します」と話す。
同店を運営する「プロントコーポレーション」(東京都港区)では、昨年9月に一部店舗で試験的に販売したところ好評だったため、10月から全店で日中のメニューに、12月からは夕方以降のメニューにスパイスを利かせた品(780円)を加えた。店舗によっては売り上げ1位になるほどの人気という。
<抜粋引用:2013年4月20日 読売新聞>
ソース:http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20130413-OYT8T00281.htm
先日、というか一昨日辺りの夕方のテレビが特集していた。
「スパゲッチィ・ナポリタン」
そういえば僕が初めてその「ナポリタン」なるものを頂いたのは・・・・・
かれこれ、さかのぼること40年昔、高崎市役所の「地下食」だったような?
中学3年生にもなると、時に昼飯の時間学校を抜け出して、
その「地下食」やら、中央デパートの路地脇にあった「富士食堂」だったかへ走った。
当時の「二中」、昼時になるとたしか「パン」は松浦だったか、江木食ではなかったことは確かだ、
と思うがそこのところの記憶はいまいち曖昧である・・・・・
が、しかし、牛乳は「栗本」だった。これは「間違いない!!」。
その二中には「購買」というのがあって、昼時になると弁当を持ってこないときはそこに並ぶ。
まあ、大体が、「ぶどうパン」と栗本の「コーヒー牛乳」なんだが(笑)。
で、そんな折、時に誘い合って高崎市役所の「地下食」、そこではラーメンかカレー・・・・・
そうそう、「ソースカツ丼」なるものが美味かった記憶があるが、その「ソースカツ丼」と来たら、
如何にせん値段が貼る、たしか当時で120円くらいはしていたんじゃあなかったか。
で、ほぼラーメンと一緒の60円くらいの「ナポリタン」を頂いたような???
まあ、記憶は定かではない。で、ニキビヅラになって色気づいてきた頃、そう・・・・・
高崎の街中、喫茶店だらけだった。もちろん公式ではなかったんだろうけど「R-18」で、
もちろん「スナック」なんていう名前がない頃の話で、基本的にはコーシー専門。
まあ、いわゆる「オトナ」の香りがプンプンするエデンの園、そんな趣だった喫茶店。
高崎駅前にカウンターだけの(多分)「喫茶うえの」っていうのがあった、「キング・バー」の並び。
駅を出て日通の前を横切って、土産物屋の「さかい」の隣あたりだったか・・・・・
昭和40年頃のこと、砂賀町のダンスホールでシャイなしでバンドをやっていた時、
歩いて数分のその駅前の「喫茶うえの」で「ナポリタン」を頂いた、この記憶には自信がある。
まあ、当時、その喫茶店どころか「ラーメン屋」もそこいら中にあった。
そんな時、まあ、洋食です。言ってみたら「ハイカラ」な食いもんで、高崎で洋食って言ったら、
中銀の「ピナン」がその先駆けではなかったか、田町あたりに「かもしか」なんていうのも?
そんなわけで、それまで「箸」しか使ったことのなかった庶民の小倅が・・・・・
フォークを使って、粉チーズとやらをふりかけて、さらに「タバスコ」なるものを。
その「ナポリタン」、知らずに「ソース」をかけちゃったことがあって、店主に笑われた記憶が(^^ゞ
イタリアンレストラン「シャンゴ」
で、時が経つことそれから4、5年するとバンドの先輩が請地に新しくできたという・・・・・
イタリアンレストラン「シャンゴ」へ連れてってくれた。
まあ、「イタリアンレストラン」、今でこそ「イタ飯」とか「パスタ」とか言ってるけど、
当時、「イタリアンレストラン」・・・・・なんだそれ?
ってなもんで、で、何を食わせるのかといえば、「な~んだ、ナポリタンか」と、
その程度の認識しかなかった、その先輩「ピナン」にはよく言ってたらしく・・・・・
「おい、スパゲティったってナポリタンだけじゃあねぇぞ!!」とそれはそれは自慢げにいうのであった。
がしかし、その「シャンゴ」5、6人が座れるカウンターとテーブル席が5つくらいだっただろうか?
そのカウンターのところの厨房で、まあ、見るからに「コックさん」といった趣の衣装で、
ニコリともせず、フライパンを振ったり、包丁を使ったり・・・・・・
注文はママさんというかおカミさんが甲斐甲斐しくも忙しくしていた、といっても客は少なかったんだが。
で、僕が当時二十歳そこそこくらいだったから、そのマスターというかコックさんは30そこそこ。
まっ、当時、「マカロニウエスタン」なんてぇのが走りで、そのマスター、
その「マカロニウエスタン」に出てくるクリント・イーストウッドの手下のような(失礼)。
まあ、日本人離れしているといえば、言えなくもない、いかにも「シャンゴ」といった風・・・・・
で、いろいろメニューがあって、その先輩、得意そうに、
「ペペロンチーノ」とか「なんとかビアンコ」とか、挙句が「サラダ」で、ドレッシング多めって(^^ゞ
僕なんか、「ポテトサラダ」だって洋風の極みだったのに、レタスだのアスパラガスだの、
生の玉ねぎだの、ピーマンだの、それに食ったこともないどころか・・・・・
見たことも聞いたこともない「サラミ」とか「チーズ」とか、キュウリの酸っぱいやつだとか。
まあ、結局、僕のファーストシャンゴは無難なところで「ナポリタン」(笑)。
でも、シャンゴのそれ、街中で頂くそれじゃあない、大体、ケチャップがほとんかかってない。
それに、赤ウィンナーも混ざってなければ、ピーマンもない。
あるのは大ぶりのマシュルームとかと、やはり大ぶりのエビ、そして、嫌にパサパサした感じの仕上がり。
「ココのはな、ケチャップは焦がさないんだ、で仕上げにパルメザンを振りかける、それが美味いんだ」
先輩、得意げに講義をする、が・・・・・・
「俺には食えねぇよ、先輩、普通のナポリタンはないの?」
「ない!!」
それに、サラダも「コンビネーションサラダ」とかで、レタス、これも当時は不案内だったそれで、
さらに「ドレッシング」とかも初めて、マヨネーズさえ怖々使っていた当時の僕・・・・・
当然、庶民中の庶民、大衆中の大衆のわが家にはそんなハイカラな調味料は存在しなかったし。
「まあ、いいから食え、そのうち慣れる、タバスコもな!!」
マスターは相変わらず、ニコリともしないで、時々、ママさんに小言を言っている。
そろそろ、そんな「シャンゴ」にも慣れてきたっていうか、はまり始めてきた頃のこと、
厨房の脇の部屋の方から赤ちゃんの泣き声が・・・・・・
それが、現在の「ミスター・シャンゴ」であることは言うまでもない。
今でも時々そんなシャンゴの「ナポリタン」が食べたくなることがある・・・・・
請地の四角、時々通るが、いつもあのニコリともしないマスターが思い浮かぶ。
そうそう、「ナポリタン」といえばセントラルハイツ、国道沿いのマンションの一階にあった、
今はない、レストラン「タカシマヤ」、そこの「ナポリタン」は絶品だった。
ナポリタン・スパゲッチィが人気
Posted by 昭和24歳
at 16:27
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