2012年01月08日
“藤五”高崎百貨店百花繚乱にて候・・・・
“藤五”高崎百貨店、
百花繚乱にて候・・・・

<高崎百年>第72回大型店の進出と商店街より転載。
リクエストにお応えして(謝)。
まあ、高崎の商店街っていうか百貨店なんだけど・・・・・・
中央デパートより、「中銀」の「おしゃれデパート」のほうが古いはず。
で、もっと古いのが「有賀園百貨店」ってぇのがあった。
かすかな記憶だが、前にもどこかで書いてるけど、僕、昭和24歳が保育園のころです。
もちろんエレベーターとか、エスカレターはなかったけど。
屋上には、豆自動車のようなものがあったような記憶が、かすかな。
その「有賀園」だが、そうです、「ゴルフの有賀園」のあの「有賀園」です。
「ゴルフの有賀園」の創業者、確か「昭和13歳」の寅年、まあ、趣味が高じて「ゴルフ用品販売業」・・・・・
っていういか、その昔から「ゴルフ練習場」を、高崎でも最古では。
何せ、その昭和13歳の「ゴルフの有賀園」創業社長、某一流大学卒でゴルフ三昧。
それもそのはずで、先代が「有賀園」の創業者、っていうか、風聞だが、つまり、「糸商」。
まあ、戦後っていうか、「糸へん」産業華やかりし頃、で、多分「相場師」だったのでは。
まあ、相当の財を成したとの風聞、当時の人で知らない人はいないとかは、おふくろから聞いた話です。
まあ、そんなわけで、「有賀園」なんだが、現在の「本店タカハシ」です。
その「本店タカハシ」の前が、つまり、「有賀園」のあとがその・・・・・・・
「藤五」
まあ、戦後っていうか、まだチンチン電車が走っていたころの高崎なんだけど、
商業中心地は本町二丁目から、九蔵町、田町、と、そのあたり。
だいいち、本町三丁目には「東京電力」があって、そこで、僕が小学校4年生の時、
「電気のポスター」で、選ばれて飾られたことがあった。
まあ、それはともかく、本町二丁目交差点には、「久保川」とかいう大きな呉服屋さんがあった。
今現在は、その「久保川」さん、「白銀屋」の隣、東和銀行の並びで、
当時はその隆盛は高崎近在に響き渡っていた、とか、つまり、「成田山」の門前市とか・・・・・・
その後、昭和30年代に入ると、昭和24歳の記憶では、まあ、、いわゆる「民主化」です。
解放された日本のオネエさん、若いお母さんは中銀へ繰り出しました。
チョット、洒落た、オネエさんとかお母さんだと「おしゃれデパート」、で、呉服と言ったら、
まあ、その頃は「うろころ」、その後はスーパーになったりしたけど、我が家、親父がポッポ屋だったもんで、
まあ、ボーナスとかになると、必ず、「うろころ」でした、祖父が亡くなって、「一回忌」の時も引きものは「うろころ」。
まあ、うちのお袋なんかの場合だと、「おしゃれデパート」はアウト、「富士屋」とか、「正直屋」とか「大正堂」。
っていうか、中銀一帯は、もちろん色町でもあったわけだけど、「柳川町界隈」につづく・・・・・・
今はそんな面影はないけど、中銀の大型駐車場はほとんどが「糸へん問屋」の跡。
まあ、そうこうするうちに「問屋町」ができて、街中が一変するわけです、昭和30年代から。
で、「藤五」なんだけど、まあ、「商店組合」の創業だったと風聞、「藤五」の由来分からないけど、
人の噂では、「藤」にちなんで「五人」とかで、「藤五」とか、知ってる人いたら教えてください。
まあ、そんなわけで、「有賀園」跡から、一気に、確か地上五階、屋上に遊園地、もちろんデパ地下も。
スズランができる前でしたから、それはそれは、すごかったです。
で、ご案内の「森永レストラン」、森田店長お元気かな・・・・・多分、今65歳くらい。
屋上ビヤガーデンのバンド、わが「ザ・プラネッツ」はレギュラーでした。
まあ、その時代は、スズランのところは更地で、やっぱり、「ビヤガーデン」でしたね、真夏の夜の夢。
結局、「藤五」、モータリゼーションとかの影響だったのか、
まあ、スズランと比較すると経営センスの問題もあったみたい、っていうか、まあ、「伊勢丹」との提携もイマイチ。
まあ、前橋では「前三」がそうでしたね、三越と提携で、アウト、まあ、ど田舎ですから、前橋も高崎も、
伊勢丹の商品、「藤五」では買いませんね。同じく「三越」のも前橋では(汗)。
そんなわけで、試行錯誤も、時代の波には敵いませんでした・・・・・・
つまり、市場っていうか、「キャパ」知れてるわけですから、高度経済成長の終焉で、まあ、「安売り」が主流。
「藤五」、昭和とともにその灯も消えましたね、跡形もなく。高島屋大丈夫でしょうか?
スズランも、頑張ってるとかですけど、少子高齢化だし、限界はあるんじゃあないかと。
そうです、「藤五」、現在の「本店タカハシ」のところは10年くらいだったんじゃあないでしょうか営業。
文中誤り、また事実と異なることがありましたらご一報ください。
削除、またはご案内により、訂正、再掲させていただきます。
“藤五”高崎百貨店、
百花繚乱にて候・・・・
百花繚乱にて候・・・・

<高崎百年>第72回大型店の進出と商店街より転載。
リクエストにお応えして(謝)。
まあ、高崎の商店街っていうか百貨店なんだけど・・・・・・
中央デパートより、「中銀」の「おしゃれデパート」のほうが古いはず。
で、もっと古いのが「有賀園百貨店」ってぇのがあった。
かすかな記憶だが、前にもどこかで書いてるけど、僕、昭和24歳が保育園のころです。
もちろんエレベーターとか、エスカレターはなかったけど。
屋上には、豆自動車のようなものがあったような記憶が、かすかな。
その「有賀園」だが、そうです、「ゴルフの有賀園」のあの「有賀園」です。
「ゴルフの有賀園」の創業者、確か「昭和13歳」の寅年、まあ、趣味が高じて「ゴルフ用品販売業」・・・・・
っていういか、その昔から「ゴルフ練習場」を、高崎でも最古では。
何せ、その昭和13歳の「ゴルフの有賀園」創業社長、某一流大学卒でゴルフ三昧。
それもそのはずで、先代が「有賀園」の創業者、っていうか、風聞だが、つまり、「糸商」。
まあ、戦後っていうか、「糸へん」産業華やかりし頃、で、多分「相場師」だったのでは。
まあ、相当の財を成したとの風聞、当時の人で知らない人はいないとかは、おふくろから聞いた話です。
まあ、そんなわけで、「有賀園」なんだが、現在の「本店タカハシ」です。
その「本店タカハシ」の前が、つまり、「有賀園」のあとがその・・・・・・・
「藤五」
まあ、戦後っていうか、まだチンチン電車が走っていたころの高崎なんだけど、
商業中心地は本町二丁目から、九蔵町、田町、と、そのあたり。
だいいち、本町三丁目には「東京電力」があって、そこで、僕が小学校4年生の時、
「電気のポスター」で、選ばれて飾られたことがあった。
まあ、それはともかく、本町二丁目交差点には、「久保川」とかいう大きな呉服屋さんがあった。
今現在は、その「久保川」さん、「白銀屋」の隣、東和銀行の並びで、
当時はその隆盛は高崎近在に響き渡っていた、とか、つまり、「成田山」の門前市とか・・・・・・
その後、昭和30年代に入ると、昭和24歳の記憶では、まあ、、いわゆる「民主化」です。
解放された日本のオネエさん、若いお母さんは中銀へ繰り出しました。
チョット、洒落た、オネエさんとかお母さんだと「おしゃれデパート」、で、呉服と言ったら、
まあ、その頃は「うろころ」、その後はスーパーになったりしたけど、我が家、親父がポッポ屋だったもんで、
まあ、ボーナスとかになると、必ず、「うろころ」でした、祖父が亡くなって、「一回忌」の時も引きものは「うろころ」。
まあ、うちのお袋なんかの場合だと、「おしゃれデパート」はアウト、「富士屋」とか、「正直屋」とか「大正堂」。
っていうか、中銀一帯は、もちろん色町でもあったわけだけど、「柳川町界隈」につづく・・・・・・
今はそんな面影はないけど、中銀の大型駐車場はほとんどが「糸へん問屋」の跡。
まあ、そうこうするうちに「問屋町」ができて、街中が一変するわけです、昭和30年代から。
で、「藤五」なんだけど、まあ、「商店組合」の創業だったと風聞、「藤五」の由来分からないけど、
人の噂では、「藤」にちなんで「五人」とかで、「藤五」とか、知ってる人いたら教えてください。
まあ、そんなわけで、「有賀園」跡から、一気に、確か地上五階、屋上に遊園地、もちろんデパ地下も。
スズランができる前でしたから、それはそれは、すごかったです。
で、ご案内の「森永レストラン」、森田店長お元気かな・・・・・多分、今65歳くらい。
屋上ビヤガーデンのバンド、わが「ザ・プラネッツ」はレギュラーでした。
まあ、その時代は、スズランのところは更地で、やっぱり、「ビヤガーデン」でしたね、真夏の夜の夢。
結局、「藤五」、モータリゼーションとかの影響だったのか、
まあ、スズランと比較すると経営センスの問題もあったみたい、っていうか、まあ、「伊勢丹」との提携もイマイチ。
まあ、前橋では「前三」がそうでしたね、三越と提携で、アウト、まあ、ど田舎ですから、前橋も高崎も、
伊勢丹の商品、「藤五」では買いませんね。同じく「三越」のも前橋では(汗)。
そんなわけで、試行錯誤も、時代の波には敵いませんでした・・・・・・
つまり、市場っていうか、「キャパ」知れてるわけですから、高度経済成長の終焉で、まあ、「安売り」が主流。
「藤五」、昭和とともにその灯も消えましたね、跡形もなく。高島屋大丈夫でしょうか?
スズランも、頑張ってるとかですけど、少子高齢化だし、限界はあるんじゃあないかと。
そうです、「藤五」、現在の「本店タカハシ」のところは10年くらいだったんじゃあないでしょうか営業。
文中誤り、また事実と異なることがありましたらご一報ください。
削除、またはご案内により、訂正、再掲させていただきます。
“藤五”高崎百貨店、
百花繚乱にて候・・・・
Posted by 昭和24歳
at 14:51
│Comments(1)
さすが、記憶力抜群の昭和24歳さんです。
とても同い年とは思えません。
ほんとは、4,5年先輩なんじゃ・・・(^_^)
拙ブログにリンクさせて頂きます。