2011年11月11日
11月11日はグリコ「ポッキー&プリッツの日」とか。
11月11日はグリコ
「ポッキー&プリッツの日」
11月11日は「ポッキーの日」ではなく「ペペロの日」 現地韓国では当たり前だった!
11月11日と言えば日本では「ポッキーの日」というのが馴染み深い。数字の1がポッキーの形をしていることからその1が並んだ11月11日を「ポッキー&プリッツの日」としているのだが、韓国では状況が違うようだ。
大手コンビニチェーン店、ファミリーマートに行ったところ店内に置かれて居るお菓子は当然のことながら韓国の物が多い。日本の物もあるのだが、数はそんなに多くはない。偽物の『かっぱえびせん』、『おっとっと』などが並ぶ中に『ペペロ』という『ポッキー』の偽物も陳列されている。それを販売するのはあのロッテである。『ポッキー』といえば国内ではグリコが販売するお菓子。韓国では委託販売しているのかと思ってしまう人もいるが、実はそうではなく全くの偽物なのだ。
そんな『ペペロ』が韓国では当たり前のお菓子となっている。そのためか11月11日は「ペペロの日」となっており、店内にも『ペペロ』を大々的に飾ったディスプレイがされている。この「ペペロの日」も「ポッキー&プリッツの日」から真似たのは容易にわかるだろう。
<抜粋引用:2011.11.09 12:00:46 by ソル ガジェット通信>
ソース:http://getnews.jp/archives/150743
まあ、韓国がどうしたとかだけど・・・・・
それを言っちゃったら、戦後日本だって進駐軍のコピーしまくりでしたから。
まっ、そもそもが駄菓子なんてえのもそのパッケージデザインは進駐軍。
チューンガムにしたって、チョコレートにしたってです。
まあ、大手っていったら森永と明治くらいで、まっ、それって政官財+進駐軍でした。
で、昭和30年代です。ここ高崎でも街中に駄菓子屋があふれかえってました。
まっ、戦争未亡人やら満州帰りのおばちゃんが長屋の隅でガキ相手に・・・・・
まあ、当時のガキっていったら今のガキとは、風体、そら違うわけです。
で、甘いものなんてそうはなかったし、甘味料ったって「チクロ」とかですから今ではご禁制品。
で、駄菓子屋で売ってる駄菓子なんてパッケージなんてなかったわけです。
よくて、「サグリ」の袋が、そこいら辺のおばちゃんの作った新聞紙でしたから・・・・・
そら、そんなもん、インク擦れ擦れで、毒も糸瓜もなかったわけですから、僕らの胃袋は頑丈(笑)。
で、そもそも戦後とかその時代「お菓子屋さん」なんて、あったにはあったけど垂涎。
まあ、この辺も、八間道路の「神田菓子店」とか「太陽堂」。
あとは駄菓子屋さんばっかでしたね。そらそうです親父の月給1万円くらいでしたから。
で、チョコレートなんて当然ないわけです。ガムだってないわけです、駄菓子屋には。
で、小学校の遠足とかになるとおふくろが奮発してチューブ入りの煉りチョコレートとか、
ミルキーとか森永のキャラメル。あのころはどこで買ったんだろうか・・・・・
多分、そういう時って高島屋ストアだったんだろうか、連雀町の。
あっ、九蔵町にも「加賀屋」とかいうお菓子屋さんがあったけど、
まあ、アレ、そういうメーカー品は遠足とか運動会とかのイベントじゃあないと売れませんから、
だいいち、仕入れも高いだろうし、冷蔵ケースのある時代じゃあないし、
夏場は溶けちゃうだろうし、賞味期限なってなかったけど多分、売りもんになりません。
そんなわけで、駄菓子屋だと「フルヤ」とか「カバヤ」のキャラメルが高嶺の花でした。
まあ、そういうことで、グリコに限らず森永だって、明治だって、そら時代が進むにつれて、アレ、
進駐軍、パクリまくったんじゃあないの、韓国笑うけど・・・・・
ってなわけで、戦後の貧しい時期はそんなもんパクルしかないわけで、まあ、アレです、
僕らのエレキギター業界なんて、パクリ王でしたね。
「グレコ」なんて「ギブソン」のロゴ、パクっちゃって、
そのうち「フェルナンデス」が「フェンダー」パクリでしたから、
まあ、日本もそうやって、大きくなっちゃったわけですけど、っていうか韓国はずっとそれ?
まあ、「ロッテ」って韓国系企業だけど、そのロッテが「グリコ」パクルって・・・・・
ちょっと、淋しいかもしれません。
で、ポッキーなんだけど、僕は年甲斐もなく「ポッキー」が大好きです。
酒のつまみにも、いただきます。「プリッツ」よりは「ポッキー」かな(笑)。
で、いただくときは、いっぺんに4、5本、ガッツリです。
11月11日はグリコ
「ポッキー&プリッツの日」
「ポッキー&プリッツの日」
11月11日は「ポッキーの日」ではなく「ペペロの日」 現地韓国では当たり前だった!
11月11日と言えば日本では「ポッキーの日」というのが馴染み深い。数字の1がポッキーの形をしていることからその1が並んだ11月11日を「ポッキー&プリッツの日」としているのだが、韓国では状況が違うようだ。
大手コンビニチェーン店、ファミリーマートに行ったところ店内に置かれて居るお菓子は当然のことながら韓国の物が多い。日本の物もあるのだが、数はそんなに多くはない。偽物の『かっぱえびせん』、『おっとっと』などが並ぶ中に『ペペロ』という『ポッキー』の偽物も陳列されている。それを販売するのはあのロッテである。『ポッキー』といえば国内ではグリコが販売するお菓子。韓国では委託販売しているのかと思ってしまう人もいるが、実はそうではなく全くの偽物なのだ。
そんな『ペペロ』が韓国では当たり前のお菓子となっている。そのためか11月11日は「ペペロの日」となっており、店内にも『ペペロ』を大々的に飾ったディスプレイがされている。この「ペペロの日」も「ポッキー&プリッツの日」から真似たのは容易にわかるだろう。
<抜粋引用:2011.11.09 12:00:46 by ソル ガジェット通信>
ソース:http://getnews.jp/archives/150743
まあ、韓国がどうしたとかだけど・・・・・
それを言っちゃったら、戦後日本だって進駐軍のコピーしまくりでしたから。
まっ、そもそもが駄菓子なんてえのもそのパッケージデザインは進駐軍。
チューンガムにしたって、チョコレートにしたってです。
まあ、大手っていったら森永と明治くらいで、まっ、それって政官財+進駐軍でした。
で、昭和30年代です。ここ高崎でも街中に駄菓子屋があふれかえってました。
まっ、戦争未亡人やら満州帰りのおばちゃんが長屋の隅でガキ相手に・・・・・
まあ、当時のガキっていったら今のガキとは、風体、そら違うわけです。
で、甘いものなんてそうはなかったし、甘味料ったって「チクロ」とかですから今ではご禁制品。
で、駄菓子屋で売ってる駄菓子なんてパッケージなんてなかったわけです。
よくて、「サグリ」の袋が、そこいら辺のおばちゃんの作った新聞紙でしたから・・・・・
そら、そんなもん、インク擦れ擦れで、毒も糸瓜もなかったわけですから、僕らの胃袋は頑丈(笑)。
で、そもそも戦後とかその時代「お菓子屋さん」なんて、あったにはあったけど垂涎。
まあ、この辺も、八間道路の「神田菓子店」とか「太陽堂」。
あとは駄菓子屋さんばっかでしたね。そらそうです親父の月給1万円くらいでしたから。
で、チョコレートなんて当然ないわけです。ガムだってないわけです、駄菓子屋には。
で、小学校の遠足とかになるとおふくろが奮発してチューブ入りの煉りチョコレートとか、
ミルキーとか森永のキャラメル。あのころはどこで買ったんだろうか・・・・・
多分、そういう時って高島屋ストアだったんだろうか、連雀町の。
あっ、九蔵町にも「加賀屋」とかいうお菓子屋さんがあったけど、
まあ、アレ、そういうメーカー品は遠足とか運動会とかのイベントじゃあないと売れませんから、
だいいち、仕入れも高いだろうし、冷蔵ケースのある時代じゃあないし、
夏場は溶けちゃうだろうし、賞味期限なってなかったけど多分、売りもんになりません。
そんなわけで、駄菓子屋だと「フルヤ」とか「カバヤ」のキャラメルが高嶺の花でした。
まあ、そういうことで、グリコに限らず森永だって、明治だって、そら時代が進むにつれて、アレ、
進駐軍、パクリまくったんじゃあないの、韓国笑うけど・・・・・
ってなわけで、戦後の貧しい時期はそんなもんパクルしかないわけで、まあ、アレです、
僕らのエレキギター業界なんて、パクリ王でしたね。
「グレコ」なんて「ギブソン」のロゴ、パクっちゃって、
そのうち「フェルナンデス」が「フェンダー」パクリでしたから、
まあ、日本もそうやって、大きくなっちゃったわけですけど、っていうか韓国はずっとそれ?
まあ、「ロッテ」って韓国系企業だけど、そのロッテが「グリコ」パクルって・・・・・
ちょっと、淋しいかもしれません。
で、ポッキーなんだけど、僕は年甲斐もなく「ポッキー」が大好きです。
酒のつまみにも、いただきます。「プリッツ」よりは「ポッキー」かな(笑)。
で、いただくときは、いっぺんに4、5本、ガッツリです。
11月11日はグリコ
「ポッキー&プリッツの日」
Posted by 昭和24歳
at 09:02
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