2011年04月04日
未曾有の危機だからこそ「田中角栄」
未曾有の危機
だからこそ「田中角栄」
1934年(昭和9年)3月 - 上京。住み込みで井上工業に働きながら、神田の中央工学校土木科(夜間部)に通う。
<引用:wikipedia>
大正7年5月7日生まれですから、わが郷土の誉れ平成の大勲位、同年5月27日・・・・・・
その意味では生まれた環境、育った環境は対局に合った。
まさに一兵卒と青年将校、それが政治家になる直前の「大正モボ」。
高崎白衣観音建立にも深く関わるエピソードも、昭和11年、田中角栄18歳のとき。
で、政治家「田中角栄」。
「政治は数であり、数は力、力は金だ」(=数の論理)
極貧に生まれ育ち、独力で宰相の地位に。
つまり、まさに「民主主義」の体現者たる言葉=「政治と金」だろう・・・・・・
その政治力で金を生み出す錬金術。
で、その金に群がった諸々の政治家、官僚、選挙民(国民)。
その典型が「日本列島改造」に見られる巨大な公共事業だった。
関越高速道路、上越新幹線の開通は田中角栄に莫大な政治資金。
そして、30代にして郵政大臣になり、全国津々浦々に「特定郵便局網」を作り上げ、
と同時に「テレビ局」の全国放送網を政策し、マスコミの実権を掌握。
まあ、皮肉にも、自分で作り上げたマスコミによって事実上失脚するわけだが・・・・・・
もし、田中角栄が平成の大勲位ごとく生存していたなら、今、どんな言葉を発するか ???
ぼくら世代が見た「田中角栄」は自民党幹事長から、「田中派」を擁し、
内閣総理大臣に登りつめるところ、その時、田中角栄54歳。
そして、狂乱物価とか中東戦争によるオイルショックとか、米ソ冷戦下、世界そのものが争乱の時代。
昭和51年7月27日5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で逮捕。
長女が生まれた年でした・・・・・
まあ、今では地に落ちた感の「東京地検特捜」の国策捜査、「なぜ ??? 」だが。
しかし、あの時代と今を比較したとき「政治家」、つまり、その背景が全く異なる。
二世、三世の「内閣総理大臣」と、現下「左翼クズレ」とか(-_-;)
この「東日本大震災」を戦後最大の危機というが、それは違うだろう。
戦後最大の危機というより、戦後そのものが最大の危機だった。
300万余の犠牲者を出した敗戦、いわれる「一億総懺悔」、国民全てが犠牲者だった、その危機。
そして、占領という屈辱の中の「政治」は想像を絶する・・・・・・
つまり、マイナスからの復興には金もなく、当然政治的力も奪われたまま。
つまり、「知恵」しかない、日本国、それこそ未曾有の存亡の危機。
まあ、故にして「田中角栄」の登場だったのかもしれない。つまり、もたらされた革命。
この国の「エスタブリッシュメント」の崩壊に新たな「アドミニストレーター」の排出。
しかし、それは平成を境にあまりにも奇天烈なものへと姿を変えていた。
竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎、
小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎・・・・・・
そして、たったの8ヶ月の鳩山由紀夫、菅直人。
いずれも、戦後の宰相とはそのキャリア、背景は比べるべくもない。
その中でも、田中角栄は傑出していた↓
田中がソ連に訪れる折、秘書から盗聴されるから気をつけるようにと忠告を受けた。しかし、田中は発想を転換してこの盗聴を利用し、「石鹸が悪い、トイレットペーパーが悪いと大声で怒鳴ると、翌日には上等のものに変わっていた。盗聴されるのもいいものだ!」と帰国後笑って秘書に伝え、秘書を絶句させた。
大臣には大臣機密費という自分の裁量で自在に使える機密費があるが、田中は郵政、大蔵、通産大臣時代一度も手を付けず「部下の面倒も見なければならんだろう、自由に使ってくれ」と全て事務次官に渡していた。官僚が驚いたのはいうまでもなく、特に課長クラスには目をかけ、飲み食いできる金額を人知れず渡していた。
<出典:wikipedia>
まあ、今回の大震災と福島第一原発事故だが・・・・・・
大震災はともかくとして、長く尾を引くであろう原発」と「放射能汚染」。
すべて官僚体質が引き起こしたこれまでの不始末。
そもそも官僚と政治家に意志の疎通はなく、菅総理からして「官僚はバカ」と言った↓
「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」
結局、「政治主導」が崩壊して、己の無能をさらけ出すハメに・・・・・・
まあ、「ミニ角栄」がいるんだが、どこに隠れてるんだ ???
未曾有の危機
だからこそ「田中角栄」
だからこそ「田中角栄」
1934年(昭和9年)3月 - 上京。住み込みで井上工業に働きながら、神田の中央工学校土木科(夜間部)に通う。
<引用:wikipedia>
大正7年5月7日生まれですから、わが郷土の誉れ平成の大勲位、同年5月27日・・・・・・
その意味では生まれた環境、育った環境は対局に合った。
まさに一兵卒と青年将校、それが政治家になる直前の「大正モボ」。
高崎白衣観音建立にも深く関わるエピソードも、昭和11年、田中角栄18歳のとき。
で、政治家「田中角栄」。
「政治は数であり、数は力、力は金だ」(=数の論理)
極貧に生まれ育ち、独力で宰相の地位に。
つまり、まさに「民主主義」の体現者たる言葉=「政治と金」だろう・・・・・・
その政治力で金を生み出す錬金術。
で、その金に群がった諸々の政治家、官僚、選挙民(国民)。
その典型が「日本列島改造」に見られる巨大な公共事業だった。
関越高速道路、上越新幹線の開通は田中角栄に莫大な政治資金。
そして、30代にして郵政大臣になり、全国津々浦々に「特定郵便局網」を作り上げ、
と同時に「テレビ局」の全国放送網を政策し、マスコミの実権を掌握。
まあ、皮肉にも、自分で作り上げたマスコミによって事実上失脚するわけだが・・・・・・
もし、田中角栄が平成の大勲位ごとく生存していたなら、今、どんな言葉を発するか ???
ぼくら世代が見た「田中角栄」は自民党幹事長から、「田中派」を擁し、
内閣総理大臣に登りつめるところ、その時、田中角栄54歳。
そして、狂乱物価とか中東戦争によるオイルショックとか、米ソ冷戦下、世界そのものが争乱の時代。
昭和51年7月27日5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で逮捕。
長女が生まれた年でした・・・・・
まあ、今では地に落ちた感の「東京地検特捜」の国策捜査、「なぜ ??? 」だが。
しかし、あの時代と今を比較したとき「政治家」、つまり、その背景が全く異なる。
二世、三世の「内閣総理大臣」と、現下「左翼クズレ」とか(-_-;)
この「東日本大震災」を戦後最大の危機というが、それは違うだろう。
戦後最大の危機というより、戦後そのものが最大の危機だった。
300万余の犠牲者を出した敗戦、いわれる「一億総懺悔」、国民全てが犠牲者だった、その危機。
そして、占領という屈辱の中の「政治」は想像を絶する・・・・・・
つまり、マイナスからの復興には金もなく、当然政治的力も奪われたまま。
つまり、「知恵」しかない、日本国、それこそ未曾有の存亡の危機。
まあ、故にして「田中角栄」の登場だったのかもしれない。つまり、もたらされた革命。
この国の「エスタブリッシュメント」の崩壊に新たな「アドミニストレーター」の排出。
しかし、それは平成を境にあまりにも奇天烈なものへと姿を変えていた。
竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎、
小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎・・・・・・
そして、たったの8ヶ月の鳩山由紀夫、菅直人。
いずれも、戦後の宰相とはそのキャリア、背景は比べるべくもない。
その中でも、田中角栄は傑出していた↓
田中がソ連に訪れる折、秘書から盗聴されるから気をつけるようにと忠告を受けた。しかし、田中は発想を転換してこの盗聴を利用し、「石鹸が悪い、トイレットペーパーが悪いと大声で怒鳴ると、翌日には上等のものに変わっていた。盗聴されるのもいいものだ!」と帰国後笑って秘書に伝え、秘書を絶句させた。
大臣には大臣機密費という自分の裁量で自在に使える機密費があるが、田中は郵政、大蔵、通産大臣時代一度も手を付けず「部下の面倒も見なければならんだろう、自由に使ってくれ」と全て事務次官に渡していた。官僚が驚いたのはいうまでもなく、特に課長クラスには目をかけ、飲み食いできる金額を人知れず渡していた。
<出典:wikipedia>
まあ、今回の大震災と福島第一原発事故だが・・・・・・
大震災はともかくとして、長く尾を引くであろう原発」と「放射能汚染」。
すべて官僚体質が引き起こしたこれまでの不始末。
そもそも官僚と政治家に意志の疎通はなく、菅総理からして「官僚はバカ」と言った↓
「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」
結局、「政治主導」が崩壊して、己の無能をさらけ出すハメに・・・・・・
まあ、「ミニ角栄」がいるんだが、どこに隠れてるんだ ???
未曾有の危機
だからこそ「田中角栄」
Posted by 昭和24歳
at 15:05
│Comments(1)
この際小沢一郎先生を(離党させて、民間人として、は極端か)危機管理総監みたいな立場に付けちゃうとか!(小沢さんて公民権停止されてましたっけ?)まぁそれでもね、超法規的措置しちゃいませんか?菅さん…責任は小沢さんが全部引き取るさ。間抜けな大連立なんぞするよりも、シンプルかつドラスティックじゃないかい(Θ_Θ)