2008年06月03日

憲法9条という思想

>問題は、誰が責任を持って、先が見える発言をするか。

二十歳で選挙権を得て早くも40年が過ぎようとしている僕ら世代。
そして次第次第に“攻め”の世代から“守り”の世代へ・・・・・
さらに“終焉”へと刻々と時間は迫り来る。

僕らは実に“特異な世代”の人種ではないだろうか・・・・・・
子供ながらに感じた戦後、敗戦と言う激動の時代。

その時代は僕らには何一つ押し付けがましいものはなかったと僕は感じている。
あたかも彼の大戦で300万余の無辜の犠牲を恥じ入るかのように、
それまでの時代とは比べようのない寛容さで、ある意味僕ら世代を甘やかしてきた。

それは僕らの父母が同じで・・・・・・
この、自分たちの子供にはもうあの戦争体験はさせたくないとの思い。
そして戦中戦後の食糧難を、もうこの子供たちには味合わさせたくない・・・・・
そんな思いからか、僕らはその親たちからだけではなく、
“社会”、いや、“時代”そのものから甘やかされてきたように思えてならない。

高校、大学進学が当たり前の時代・・・・・
敗戦後、たったの20年と待たずに他国の戦乱に乗じた奇跡的“経済復興”で。

そうした子供、若者たちが、時既に“中高年”の時代。
僕らが培ってきたものとは一体なんだったんだろうか・・・・・・


過日、NHKラジオ「私の戦争体験」と言うなかで、

“鶴見和子さん”(後藤新平の孫)という80を超えた社会学者、歌人のお話を聴いた。

とうとうと、とつとつと話される語りは実に傾聴させられた。

憲法9条という思想

「憲法9条は米国が作った憲法ではないのよ・・・・・
あれは第一次世界大戦の反省から生まれた“平和思想”なの。
みなさん勘違いしていらっしゃるのね。
憲法9条は人類の“理想”なのよ・・・・・」


と、話された。

「日本と言う国はそれを受け入れられる国なの・・・・・
日本と言う国は、仏教も、キリスト教も、イスラム教もヒンズー教もなにもかも包含してしまう国なの・・・・・
あなた、“曼荼羅”をご存知?」


聴き手のアナウンサーにそう問い掛ける鶴見さん。

自分が仏教徒でも、特別な信教を持つ人間ではないと断りながら、

「強いて言えば、“自然教”かしら・・・・・」

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%EE%CA%FD%B7%A7%C6%EF

“南方熊楠曼荼羅”

その鶴見和子さんは“南方熊楠”の研究者だと紹介されていた。

「戦争をしてはだめ。絶対にだめ・・・・・
でも愚かしいことに、ブッシュ大統領は己の正義だけを振りかざしてイラクを攻撃してるのね。
それを何の根拠もなく支持した小泉首相も私は許せないの・・・・・・
許してはいけないの。
私は日米開戦時米国に留学していたの・・・・・
だから“非国民”だって言われたのよ・・・・・・
なぜ戦争がいけないかをきちんと説明できる大人がいなくなったのね。
戦争体験なんてないほうが良いに決まってるわよ・・・・・
だから私は今も言い続けるの、戦争は絶対にだめだって。
それはね、今の子供たち、そしてこれから産まれようとしている子供たちへの“私の”責任なの・・・・・
でも、もうすぐ死んでしまうけどね・・・・・
ほら、半身不随の老婆よ、私は」。


そう言って鶴見和子さん言葉をひいた。慧眼である。

鶴見和子さんは一昨年逝去、享年88
「萎えたるは萎えたるままに美しく歩み納めむこの花道を」と生前に詠んだ歌にふさわしく、最後まで実践と学問と道楽をひとつの生き様として華やかに貫いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E5%92%8C%E5%AD%90
<Wikipedia抜粋引用>

僕が感じる今日までの自民党政権は日本国民、最悪の中の“最善”の選択だと思っています。

しかしそれはもう賞味期限、消費期限はとっくに期限切れ・・・・・
今日、国民はそんな「賞味、消費期限切れ」を目の前にして右往左往している。
それは長年政治を疎んじ続けてきた付けでもある。

暴動さえ起こせない国民・・・・・
もし欧米ならこれほどの政治家、官僚の不正と無茶苦茶な立法を前にすれば大規模デモ、スト、暴動は必ず起こる。
いや、現実に起きている・・・・・

政治は一度無茶苦茶に“破壊”されなければならない。

先の後期高齢者医療制度という特定の年代層を差別した政府の政策。
そこに見る政府、国家の意図は・・・・・
けして他人ごとではない、誰しも必ず高齢者になる。
そしてもっとひどいのはそこでは、
本来、国の責任で守られなければならない“重度障害者”をも差別した高齢者医療制度・・・・・
そこに見る、いとも簡単に国民を差別する官僚思想とは一体なんなのか!!???

これほどの差別的な所得再配分が続けられるなら、そして異常な物価高に何の政策も講じないのなら、
今後、国民が大規模デモ、ストをしたり、暴動を起こしたり・・・・・・

そこから生まれる健全な民主主義。

それを保障するのが思想としての“憲法9条”ではないだろうか。

まさかそんな時、国家、政府は国民保護法を盾に国民に銃口を向けるだろうか・・・・・・



Posted by 昭和24歳  at 15:36 │Comments(0)

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