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2010年01月05日
やってられません、ハイッ!!

<藤井財務相>辞意伝える 首相は慰留1
月5日20時50分配信 毎日新聞
藤井裕久財務相(77)は5日、鳩山由紀夫首相に健康不安を理由に辞意を伝えた。政府関係者が同日、明らかにした。首相は慰留しているという。藤井氏は体調を崩して検査入院中で、同日の閣議後の記者会見で「医師の判断を尊重する」と述べ、辞任の可能性に含みを持たせた。近く開会する通常国会での10年度予算案審議を目前に控え、担当閣僚が辞任すれば政権運営への影響は避けられず、首相は難しい判断を迫られている。
藤井氏は5日の閣議終了後、首相と首相官邸で会談し辞意を伝えた。会談では「通常国会で長時間にわたる予算案審議への出席など激務に耐えられない」ことなどを理由に挙げたとみられる。
首相は昨年9月の組閣の際、藤井氏の経験と安定感を高く評価して財務相に起用しただけに、藤井氏を慰留した。
まあ、ハトヤマ首相に・・・・・・
オザワ国家主席ではやりにくいっていうか、
藤井さん、小沢さんとはそりが合いませんとか。
っていうか、嫌いなんじゃあないんでしょうか(笑)。
当然、小沢さんの方も・・・・・
で、オザワ国家主席にかかってはマニフェストも糸瓜もありませんから。
そりゃあ、藤井さん・・・・・・
やってられません(笑)。
2010年01月05日
舛添が新党。アッソっ!!
舛添が新党。アッソっ!!

新党結成に意欲=「政界再編の目的遂げる」-自民・舛添氏
1月5日12時47分配信 時事通信
自民党の舛添要一前厚生労働相は5日午前、自らの政治行動について、党本部で記者団に「最終的には政界再編という大きな目的を遂げないといけない。新しい感覚で政治をやる人たちを糾合することが必要だ。一つの政党が失敗したときに受け皿になる政党をつくるという原点を守って判断していく」との考えを示した。
舛添氏は、自民党の現状に関し「古くなって国民から見捨てられた政党を再生しても駄目だ」と強調。その上で「新しく(政党を)つくるぐらいの気構えがないといけない。一緒になる人たちが野にいようが、いまの政権にいようが、わが党(自民党)の中にいようが構わない」と語った。
で、コノ人、舛添さんですけど・・・・・・
先の総選挙で落っこちちゃった30年前の「ミス東大」だったとか、大蔵主計官だったとかの、
片山さつき元衆議院議員です。
で、舛添さん、今のカミサン何人目だったけか???
まあ、どうでもいいことですけど・・・・・・
で、舛添さん、今度の夏の参院選で改選なの?
ソレで焦ってるんでしょうか、自民党の看板じゃあ戦えないとかで(笑)。
自民党の現状に関し、
「古くなって国民から見捨てられた政党を再生しても駄目だ」
と強調。
なんか、厚生労働大臣までやらせてもらって、ダメだとなると見切り、早いですね。
新党ですか・・・・・・・
カネがかかりますねぇ。
スポンサーでもついたんでしょうか???
舛添氏、自民に必要なのは「独裁的指導者」
自民党の舛添要一前厚生労働相が私的勉強会を立ち上げ、14日に初会合を開く。将来を担う若手の人材育成が主目的だ。ただ、自民党内には存在感が薄い谷垣禎一総裁の代わりに舛添氏の総裁就任を待望する声も多いだけに、永田町では「舛添派の旗揚げ準備か」「将来の新党含みでは」との憶測も飛び交っている。
「舛添政治カレッジ」とか・・・・・
自民党の舛添要一前厚生労働相が14日、衆院選に党公認で落選した若手を集めた「政治塾」を党本部で開講した。支持率低迷が続く自民党にあって「ポスト谷垣」の最有力である舛添氏が、落選者ばかりとはいえ自前の勉強会を開くことは、党内の存在感を示し、総裁選への足場づくりとの見方が出ている。
で、新党ですか・・・・・・
アホクサッ!!!

新党結成に意欲=「政界再編の目的遂げる」-自民・舛添氏
1月5日12時47分配信 時事通信
自民党の舛添要一前厚生労働相は5日午前、自らの政治行動について、党本部で記者団に「最終的には政界再編という大きな目的を遂げないといけない。新しい感覚で政治をやる人たちを糾合することが必要だ。一つの政党が失敗したときに受け皿になる政党をつくるという原点を守って判断していく」との考えを示した。
舛添氏は、自民党の現状に関し「古くなって国民から見捨てられた政党を再生しても駄目だ」と強調。その上で「新しく(政党を)つくるぐらいの気構えがないといけない。一緒になる人たちが野にいようが、いまの政権にいようが、わが党(自民党)の中にいようが構わない」と語った。
で、コノ人、舛添さんですけど・・・・・・
先の総選挙で落っこちちゃった30年前の「ミス東大」だったとか、大蔵主計官だったとかの、
片山さつき元衆議院議員です。
で、舛添さん、今のカミサン何人目だったけか???
まあ、どうでもいいことですけど・・・・・・
で、舛添さん、今度の夏の参院選で改選なの?
ソレで焦ってるんでしょうか、自民党の看板じゃあ戦えないとかで(笑)。
自民党の現状に関し、
「古くなって国民から見捨てられた政党を再生しても駄目だ」
と強調。
なんか、厚生労働大臣までやらせてもらって、ダメだとなると見切り、早いですね。
新党ですか・・・・・・・
カネがかかりますねぇ。
スポンサーでもついたんでしょうか???
舛添氏、自民に必要なのは「独裁的指導者」
自民党の舛添要一前厚生労働相が私的勉強会を立ち上げ、14日に初会合を開く。将来を担う若手の人材育成が主目的だ。ただ、自民党内には存在感が薄い谷垣禎一総裁の代わりに舛添氏の総裁就任を待望する声も多いだけに、永田町では「舛添派の旗揚げ準備か」「将来の新党含みでは」との憶測も飛び交っている。
「舛添政治カレッジ」とか・・・・・
自民党の舛添要一前厚生労働相が14日、衆院選に党公認で落選した若手を集めた「政治塾」を党本部で開講した。支持率低迷が続く自民党にあって「ポスト谷垣」の最有力である舛添氏が、落選者ばかりとはいえ自前の勉強会を開くことは、党内の存在感を示し、総裁選への足場づくりとの見方が出ている。
で、新党ですか・・・・・・
アホクサッ!!!
2010年01月05日
蓮舫、事務所費疑惑!!
蓮舫、事務所費疑惑!!

<仰天スクープ>
“仕分けの女王”にお手盛り政治資金疑惑!
蓮舫サン「事務所費172万円の血税はどこへ消えた?」
「主たる事務所は白亜の豪邸」のアレレ? になぜ答えないのか
「天下りは何人いるんです?」「説明できないんですか!」
――「事業仕分け」での舌鋒鋭い詰問で注目を浴びた民主党の蓮舫参議院議員。
そんな「仕分けの女王」に、なんとも歯切れの悪い「政治資金疑惑」が発覚した。
アレレ、これって、あのバンソーコー大臣、赤城徳彦元農水相のケースとそっくりじゃないですか。
レンホーサン、そりゃあないでしょう!!???
まあ、週刊ポストがホントなら・・・・・・・
なんでそんなせこいことすんの!!???
さんざっぱら、そっち、叩いてきたんじゃあないの・・・・・・
「報告書によれば、この団体(蓮舫氏の資金団体)は06年には63万3280円、07年には54万5980円、08年には54万4980円、3年間で約172万円の事務所賃借料を計上しています。しかし、この報告書には、その支払先についてはまったく記されていない。さらに、蓮舫議員に近い筋から話を聞いても、“彼女は議員会館以外に事務所をもっていないはずだ”というのです」
さて、仕分けの女王、如何されます!!???
蓮舫事務所
〒100-8962
東京都千代田区永田町2-1-1
参議院会館214号室
・・・・のはずですけど。
確か自殺された元自民党の農水大臣、松岡利勝さんと同じように。
もちろん家賃はいりませんです。そこは。

<仰天スクープ>
“仕分けの女王”にお手盛り政治資金疑惑!
蓮舫サン「事務所費172万円の血税はどこへ消えた?」
「主たる事務所は白亜の豪邸」のアレレ? になぜ答えないのか
「天下りは何人いるんです?」「説明できないんですか!」
――「事業仕分け」での舌鋒鋭い詰問で注目を浴びた民主党の蓮舫参議院議員。
そんな「仕分けの女王」に、なんとも歯切れの悪い「政治資金疑惑」が発覚した。
アレレ、これって、あのバンソーコー大臣、赤城徳彦元農水相のケースとそっくりじゃないですか。
レンホーサン、そりゃあないでしょう!!???
まあ、週刊ポストがホントなら・・・・・・・
なんでそんなせこいことすんの!!???
さんざっぱら、そっち、叩いてきたんじゃあないの・・・・・・
「報告書によれば、この団体(蓮舫氏の資金団体)は06年には63万3280円、07年には54万5980円、08年には54万4980円、3年間で約172万円の事務所賃借料を計上しています。しかし、この報告書には、その支払先についてはまったく記されていない。さらに、蓮舫議員に近い筋から話を聞いても、“彼女は議員会館以外に事務所をもっていないはずだ”というのです」
さて、仕分けの女王、如何されます!!???
蓮舫事務所
〒100-8962
東京都千代田区永田町2-1-1
参議院会館214号室
・・・・のはずですけど。
確か自殺された元自民党の農水大臣、松岡利勝さんと同じように。
もちろん家賃はいりませんです。そこは。
2010年01月05日
会津“鶴ヶ城の変”
会津“鶴ヶ城の変”

猪苗代湖を過ぎて峠を下り始めると一面に会津盆地の広がりが目に入る。
“鶴ヶ城の変”と勇ましいが所詮が“エレキの商人”の話である。
その鶴ヶ城とは全く関係が無い。
もしあるとすれば、これから商いをさせてもらう会津でピンの楽器店、
“楽器屋DON”の社長がなんと土佐高知の人間だと言うことくらいか。
しかもその楽器屋DONの社長、小松さん・・・・・・
会津坂下のご婦人を娶っていらっしゃるという、幕末なら四の五の前に“打ち首”もん。
「ハハハーーー成り行きですよ、成り行き」
流石、土佐人剛毅である。
と思いきや、ご案内の小松さん。その風貌は・・・・・
ほれ、あのオフコースとかいうグループのボーカル“小田和正”さんに瓜二つで、
どうも“坂本竜馬”といった趣はどこにも感じられない妙な“いごっそ”の小松さんなのである。
会津での旅籠は出来立ての“ワシントンホテル”と決めていた。
“楽器屋DON”はそのワシントンから徒歩で4、5分のところにあった。
僕が行商で通い始めた頃は間口が1間半、奥行き2間ほどの狭い小さな楽器店だった。
“だった”と言うのはそれからしばらくして少しダウンタウン方面に瀟洒な店舗の2階、
数倍の広さのところに新装開店したからだが。
「いやぁ、来てもらってもいつもたいした仕入れできなくて申し訳ないね」
これが“いごっそ”小松さんの決まり文句だった。
まあ、それでも会津にはおカネ持ちの人も結構いて、僕のところのオーダーメイドギター・・・・・
30万円、40万円とかも年に4、5本は当時は注文をいただいていた。
まあ、平素は確かに“小商い”には違いは無かったが、個の“楽器屋DON”、
どういうわけか楽器問屋の行商人が決まって腰を落ち着けるところなのだ。
したがって、南東北の楽器卸商人の交通の要衝の趣で、商売情報の交換場所でもあった。
パール楽器の中村さん、テイハツの中田さん、共和のウルトラマンフリークの増田さん、
そして遠くは松本から行商にやってくるモーリスの金山さんとか。
いずれの面々も営業用バンに商品を満載しての“陸奥ひとり旅”なのだ。
“楽器屋DON”夕暮れともなるとそんな行商人の溜まり場と化す。
終いには閉店も間近になると店の中で“酒盛り”が始まる。
「良いのがあるんだ、良いのが!」
いつものように金山さんが長身の背中を丸めるようにして大事そうに一升瓶を抱え、
ニコニコしながらやってくる。
「ほれ、八海山、八海山だぞ!」
小松さんが“また始まった”といった感じで呆れたようにしている奥さんに、
「オーーーイッ、コップコップ!!」
と、やや遠慮がちに注文をつける。
まあこの辺りが、
“いごっそ”と“会津ッポ”の・・・・・・
ご案内の“鶴ヶ城の変”とでも言うところかも知れない。
こんな時ばかりではない。
ほとんどが僕とその小松さんだけの時が多いいのだ。
未だ古い店の頃はその店とはつながりの自宅の居間でなんやかんや手料理でもてなしてくれた。
なんでも、奥さんのお母さん・・・・・・
未だ、“会津坂下”で小料理屋をやっているとか。
「ナベさん・・・・・・
今度、母の店行きましょうよ」
そんな時小松さん・・・・決まって船を漕ぎ始めている。
「この人弱いのね、お酒」
会津訛とでも言うのか、独特の優しいようで怖いような響きの口調で。
“金の草鞋”年上の女房殿がそう言いながら笑う・・・・・
しかしそのお母さんの店もお誘いいただいたままで、
とうとうそれっきりで僕もこの行商からいつしか離れてしまった。
それでも時々商売のことで電話をすると必ず奥さんが電話口に・・・・・
「ナベさんお元気」
と、懐かしさを無性に誘う。
娘さんが二人居られた。
僕のところと同じようなものだからそろそろお二人とも三十路では・・・・・・、
いらぬ思いが、自分のことと重ねてふと過ぎる初春。
仙台“国分町”の空騒ぎへと続く。

猪苗代湖を過ぎて峠を下り始めると一面に会津盆地の広がりが目に入る。
“鶴ヶ城の変”と勇ましいが所詮が“エレキの商人”の話である。
その鶴ヶ城とは全く関係が無い。
もしあるとすれば、これから商いをさせてもらう会津でピンの楽器店、
“楽器屋DON”の社長がなんと土佐高知の人間だと言うことくらいか。
しかもその楽器屋DONの社長、小松さん・・・・・・
会津坂下のご婦人を娶っていらっしゃるという、幕末なら四の五の前に“打ち首”もん。
「ハハハーーー成り行きですよ、成り行き」
流石、土佐人剛毅である。
と思いきや、ご案内の小松さん。その風貌は・・・・・
ほれ、あのオフコースとかいうグループのボーカル“小田和正”さんに瓜二つで、
どうも“坂本竜馬”といった趣はどこにも感じられない妙な“いごっそ”の小松さんなのである。
会津での旅籠は出来立ての“ワシントンホテル”と決めていた。
“楽器屋DON”はそのワシントンから徒歩で4、5分のところにあった。
僕が行商で通い始めた頃は間口が1間半、奥行き2間ほどの狭い小さな楽器店だった。
“だった”と言うのはそれからしばらくして少しダウンタウン方面に瀟洒な店舗の2階、
数倍の広さのところに新装開店したからだが。
「いやぁ、来てもらってもいつもたいした仕入れできなくて申し訳ないね」
これが“いごっそ”小松さんの決まり文句だった。
まあ、それでも会津にはおカネ持ちの人も結構いて、僕のところのオーダーメイドギター・・・・・
30万円、40万円とかも年に4、5本は当時は注文をいただいていた。
まあ、平素は確かに“小商い”には違いは無かったが、個の“楽器屋DON”、
どういうわけか楽器問屋の行商人が決まって腰を落ち着けるところなのだ。
したがって、南東北の楽器卸商人の交通の要衝の趣で、商売情報の交換場所でもあった。
パール楽器の中村さん、テイハツの中田さん、共和のウルトラマンフリークの増田さん、
そして遠くは松本から行商にやってくるモーリスの金山さんとか。
いずれの面々も営業用バンに商品を満載しての“陸奥ひとり旅”なのだ。
“楽器屋DON”夕暮れともなるとそんな行商人の溜まり場と化す。
終いには閉店も間近になると店の中で“酒盛り”が始まる。
「良いのがあるんだ、良いのが!」
いつものように金山さんが長身の背中を丸めるようにして大事そうに一升瓶を抱え、
ニコニコしながらやってくる。
「ほれ、八海山、八海山だぞ!」
小松さんが“また始まった”といった感じで呆れたようにしている奥さんに、
「オーーーイッ、コップコップ!!」
と、やや遠慮がちに注文をつける。
まあこの辺りが、
“いごっそ”と“会津ッポ”の・・・・・・
ご案内の“鶴ヶ城の変”とでも言うところかも知れない。
こんな時ばかりではない。
ほとんどが僕とその小松さんだけの時が多いいのだ。
未だ古い店の頃はその店とはつながりの自宅の居間でなんやかんや手料理でもてなしてくれた。
なんでも、奥さんのお母さん・・・・・・
未だ、“会津坂下”で小料理屋をやっているとか。
「ナベさん・・・・・・
今度、母の店行きましょうよ」
そんな時小松さん・・・・決まって船を漕ぎ始めている。
「この人弱いのね、お酒」
会津訛とでも言うのか、独特の優しいようで怖いような響きの口調で。
“金の草鞋”年上の女房殿がそう言いながら笑う・・・・・
しかしそのお母さんの店もお誘いいただいたままで、
とうとうそれっきりで僕もこの行商からいつしか離れてしまった。
それでも時々商売のことで電話をすると必ず奥さんが電話口に・・・・・
「ナベさんお元気」
と、懐かしさを無性に誘う。
娘さんが二人居られた。
僕のところと同じようなものだからそろそろお二人とも三十路では・・・・・・、
いらぬ思いが、自分のことと重ねてふと過ぎる初春。
仙台“国分町”の空騒ぎへと続く。