2024年05月01日

臨死体験

もうすぐ5月4日三度目の「その」日がやってくる。

看護師が言うには三日三晩(無意識状態)眠り続けていたらしい。つまり外見上は生死状態をさ迷い続けていたらしい。

人間の運命なんてわからないものだ、「死」はそうやって襲って来るものなんだろう。そしてその記憶は僕の落ち着き払った物言いで「救急車を呼んでくれ」にそう慌てた様子もなかった。というよりとかくに住む次女に連絡する方が先だったらしい。

僕自身のその症状の見立てとしては肩から下左半身に全く力が入らないことからもいよいよかなと覚悟をしたところだった。
ひしひしと
そうこうするうちに救急車のそれが秒単位で自分の身にひしひしと迫ってくるのがわかる、と同時にその現実と近い将来自分の身に起こるであろう「かも知れない」、そう30年前の父がそうであったそれと、そうだあれは「綿貫病院」父が73才僕が40才だったか僕が東京の会社への出勤前に見舞うそのぼくに「早く行け」追い払うようなその仕種がついこの間のように目の前に浮かんだ。

父親と言ってもそれは実の父親ではない、つまり養子そのへんの事情はここでは省くが父親のその時はやってきた。それは出張先、金沢の都ホテルへの会社からの一本の伝言電話だった、

「父危篤すぐ帰れ」

僕はホテルのカウンターに事情を話し予約をキャンセルすると北陸道上り線を高崎へおよそ460キロのの道のりへと急いだ。

5月4日、今日は末娘の誕生日。平成6ネ5月12日30歳。

https://www.youtube.com/results?search_query=ryo07121+3

あの時あのまま逝ってしまってたらこうして30歳になった娘にこの世で巡り合うことも、そしてこうしてブログを書き残す事もできなかったかと思うと感慨深いものがある。



Posted by 昭和24歳  at 12:49 │Comments(0)

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