2016年02月29日

日本は人口多すぎ(笑)。

日本は人口多すぎ(笑)。


一昨日もバンド仲間65歳が逝きました。
たしかに年寄り多いですねぇ(;´д`)


国勢調査で人口減少 調査開始以来初めて
去年行った国勢調査によりますと、日本の人口は1億2711万47人で、前回・5年前の調査と比べて94万7000人余り減りました。国勢調査で人口が減少したのは調査開始以来初めてで、総務省は「日本は人口減少の局面に入った」としています。

総務省が26日に発表した国勢調査の速報によりますと、去年10月1日現在の日本の人口は1億2711万47人で、前回・5年前の調査と比べて94万7305人、率にして0.7%減りました。
5年ごとに行われる国勢調査で日本の人口が減少したのは、96年前の大正9年に調査を始めてから今回が初めてです。

<抜粋引用:NHKニュース 2月26日 8時30分>
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160226/k10010422431000.html

>96年前の大正9年に調査を始めてから今回が初めてです。

嘘です!!

1940年  73,075 万人
1945年  71,998 万人

つまり、昭和15年の太平洋戦争開戦時から、敗戦に至る昭和20年にかけて、

1,077千人が統計上減少してます。

この統計も怪しいんだが、通説として言われているのがあの戦争の約4年間で民間、兵員300万人が犠牲となってる。

まあ、広島長崎、東京大空襲だけでも10万人、広島長崎25万人が犠牲。

で、帝国陸海軍の戦死者が、2,120,000人だからたったの5年間で300万人が消されちゃいました。

で、コレって統計上ですからこれより多いいのか少なのかなんだけど少ないはずはないです・・・・・・

満州移民、中には数のうちに入ってない、現地で生まれた赤ん坊とかを入れたら犠牲者もっと。

まあ、そんなわけで、大正9年の国勢調査なんかインチキです。それら統計が本物なら戦争しません、アメリカと。

で、戦後のベビーブームだって食糧難で慌てて産児制限しちゃったわけです。

だもの「少子化」とか言ったって子ども産めば生むほど下級市民は苦しいわけですから・・・・・・・

保育園は作らないし、子ども手当は減額しちゃうし、挙句「育休代議士」の不倫とか「一億総活躍」とか、バカです。

まあ、どっちみち日本は戦争させてもらえないんだから、戦争のための産めよ増やせよはいいわけです。

いずれにしてもあと30年~50年で「団塊・団塊jr」世代2000万人が確実に消えますから嘘っぱちの統計なんていいです。

それでも日本の総人口は1億人前後ですから、イギリスとフランスよりも3000万人から多い、多すぎ(笑)。

逆に人口減少率が最も高かったのは、全域が避難指示区域となっている自治体を除くと、福島県楢葉町の87.3%でした。

まあ、東日本大震災は自然災害だけど福島第一原発は人災っていうか日本政府のせいです。

東電は何も悪いことはしてません。まあ頭の方は悪いことしてますけど・・・・・・

で、全域が避難指示区域はその地域から他所に移動しただけですから、日本全体の現象ではないです。

日本は人口多すぎ(笑)。

  


Posted by 昭和24歳  at 13:30Comments(0)

2016年02月27日

上毛かるた「力あわせる160万」(笑)。

上毛かるた「力あわせる160万」(笑)。


 昭和42年・・・・・
ガソリン1リッター42円でした。



県人口200万人割れ 過疎地 歯止めなく
 県人口が200万人の大台を割り込んだ2015年国勢調査(10月1日現在、速報値)。県内35市町村のうち減少した市町村は31を数え、過疎化が進む地域では深刻さが浮き彫りになった。

 減少率トップは有識者団体から自治体機能を維持できない恐れがある「消滅可能性都市」の全国筆頭とされた南牧村で、「織都」と呼ばれ、繁栄した桐生市が最大の減少数となった。一方、減少幅が縮小したり、増加に転じるなど明るさの見える自治体もあった。

<上毛新聞:2016/2/27 11:00 | 2/27 11:03>
http://this.kiji.is/76132523719606274

>県人口200万人割れ 過疎地 歯止めなく

まあ、人口減少なのに労働分配率が低下、世話ないです(笑)。

そういえば昭和42年の日本の人口1億人・・・・・・

あの時代は金持ち、随分税金納めた。累進課税。

今は金持ち、税金逃れの法律作っちゃって逃げまくってます・・・・・

円安で輸出大企業、ウハウハなんだけど、絵画での儲けには税金、ほとんどかからない。

つう、法律作っちゃって、経団連、献金で自民党ウハウハ。

トヨタなんてこれまで法人税全く払ってなかった。

どころか、輸出戻し税で税務署から2300億円の還付、で自民党5140万円の企業献金でウハウハ。

まあ、そういう法律を自民党政権が作ってました。メデタしメデタしっつう話です。

で、人口が減って生産規模が同じなら労働分配率はあがりますから国民所得増えるけど・・・・・・

大店法とか、商法改正とかで国民に分配しない法律作っちゃってます。

まあ、それでも懲りずに「駅前イオン」ですから、庶民の懐はアウト。

で、14年度の群馬県のGDPは 7兆6440億、全国で22位でした。まあ、47都道府県ですからグンマーです。

だから上毛かるた、下駄履かせて200万なんて言ってないで「力を合わせる160万」でいいんです。

まっ、子どもを作っても生活が大変、子どもの貧困率6人に1人ですから、子ども増えません・・・・・・

まあ、街中見たらわかりやすいです、子どもいませんから。今や年寄りもいません。

本店タカハシ、よく頑張ってます。白銀屋も・・・・・

上毛かるた「力あわせる160万」(笑)。

  


Posted by 昭和24歳  at 19:56Comments(0)

2016年02月26日

新宿ACB「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」

新宿ACB「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」



僕が初めて「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」を見たのは・・・・・

昭和38年中学3年の夏休み、それは新宿甲州街道と明治通りがぶつかるところのビルの地下にあった「新宿アシベ」。
僕は中学生から渋谷区本町にある従兄の家で夏休みになると2週間ほどを過ごすことにしていた。
従兄の家は、タイル工事業を大きく営んでいて結構な羽振りで、その頃従兄は僕と6歳違い、昭和18年生まれだったから高校を卒業して家業を手伝っていた。
僕も、アルバイトというか、そんないとこの後をついていろんな現場へお供した。まあ、高度経済成長、東京オリンピック目前の頃だったからそれはそれはタイル工事業も忙しかった。職人さんは10人は超えていたんじゃあなかっただろうか・・・・・
で、日曜日、休みが取れると、その6歳上の従兄が僕を映画や、ボウリング、そしてその「アシベ」に連れて行ってくれた。

「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」

もちろん、当時の人気ロカビリー歌手のバックバンド。
人気ロカビリー歌手といえば、「鹿内タカシ」「フランツ・フリーデル」「尾藤イサオ」等など。
そうそう、ダニー飯田とパラダイスキングをバックに「森山加代子」とか「青山ミチ」とかの女性歌手も。
で、僕が見たときはジャッキー吉川とブルーコメッツをバックに歌ってたのは「鹿内タカシ」だった。

新宿「ACB」。いわゆるジャズ喫茶と言われていて、今で言うなら「ライブハウス」だ。

その新宿{ACB」、甲州街道沿いの間口が一軒ほど、螺旋状の階段になっていて地下2階、3階が客席。
で、中2階がステージになっていて、僕のファースト「ACB」、そこは熱気でムンムンしていた。
なにせ14歳の田舎もん、ステージではテレビで見る人が歌っているのを目の当たりにしてすっかり恍惚の少年(笑)。
従兄に引かれるまま、2階席の最前列、そこでは鹿内タカシのバックバンド、 「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」・・・・・・
その、 「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のドラマーが目の前で演奏。
瞬間、他の楽器には、もちろん鹿内タカシにも目もクレず 「ジャッキー吉川」のドラムに釘付けになった。

その時の光景と14歳の少年の熱き血潮の感情冷めやらぬまま高崎に戻った僕。
もう頭の中はあの 「ジャッキー吉川」のドラム」が脳裏に焼き付いて離れない、早速、僕は人づてにドラムの先生を探し当て門を叩いた。
とうじ、群響の打楽器奏者だった「渡辺さん」、確か井野に住んでいて、僕は時間の許す限り自転車で通った。

あれから53年が過ぎようとしている2016年です。
そんな折、ひょんなことからその 「ジャッキー吉川」さんと知古を得る、まさに万に一つもない偶然に運命の不思議に思いを馳、
昨夜は「ブルーシャトウ50周年コンサート」を高崎でということで、もちろん「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」ファンを自他ともに認める各界の皆さんにご賛同いただき由緒ある料亭「暢神荘」にて会食、懇談。

そこでは、「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のデビューのきっかけ、エドサリバンショー出演、ビートルズ東京公演出演・・・・・
紅白歌合戦、レコード大賞、そして「ザ・ヒットパレード」等々で一世風煎した時代のお話を聞かせていただきました。

未だに信じられない気持ちでいっぱいです。

夢のまた夢、ジャッキーさんを新宿「ACB」で見ることがなかったら、僕のドラム人生はなかった。
ドラムという僕のライフワークはなかった。僕にとって神様のような存在のジャッキー吉川さん・・・・・
いつまでも、若々しく、ダイナミックなドラムワークを見せ続けて欲しいと心から願います。

新宿ACB「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」
  


Posted by 昭和24歳  at 18:27Comments(0)

2016年02月25日

昭和「まほろば」

昭和「まほろば」



僕が物心ついての祭りというと・・・・・

そこいら中の神社という神社の入り口にはアコーディオンやバイオリンを物悲しそうに奏でる白服の傷痍軍人の姿が必ずあった。
もちろん兵隊帽子を深々と被り、色眼鏡に松葉杖、義足に片腕での演奏と、色々だった。

それをまるで無視するかのように、いや、無視するというよりは忌み嫌い蔑視するようにして聴き流し去る父母。
見て見ぬフリをする父母のその時の何故かしかめた顔もそのバイオリン、アコーディオンを聴くとき未だ思い出される。

そんな傷痍軍人は僕らの父母とほぼ同世代に違いない。
戦前、戦中と南方、北支に天皇陛下のため、お国の、家族のためと銃後の守りを信じての末の負傷復員兵。
新生日本「万歳万歳」の出征も敗戦焦土に迎える同世代の目はこうも冷たいものだったのかと今にしてみると思えてならない。
そして、それはこの平成の世に上野公園、墨田公園のブルーテントの脇を見て見ぬフリをしながら通り去る僕ら・・・・・・
僕らのその顔はまるであの頃の父母の映しえに見るようで心地悪い。

何れの時代それは「傷痍軍人」も、ブルーテントの「ホームレス」のみなさんも、その時代を括る情景としてそこに見る。
その時代の都合に作られたその情景は僕らに何を語りかけているのだろうか。
しかし、それらは今にして作られたのではないことをその「時代」走っている。おそらく「ホームレス」の人たちは僕等世代。

戦後復興、高度成長期、そしてバブル経済。
その中に、否応なしに畳み込まれた受験戦争、企業戦士といわれた競争社会を生き抜いてきた戦後世代の僕ら。
そこに僕らが目にする情景、それが僕ら世代の答えなんだろうか・・・・・・
そんな答えを得るために僕等は生きてきたのだろうかと自問自答する。それでいいのだろうかと。
高齢者と言われるようになって何故かそんな気がしてならない。


月光仮面世代がこの国の中枢で悪戯にどうしたことか余念がない。
かとおもえばニュースを騒がせるのは「子殺し、親殺し事件」や、得体の知れぬ「伝染病」やら。
当時では想像することもなかった「ネット事件」を報じる新聞、テレビの毎日。
情報過多なのだろうか。あの時代、知らされないことも随分とあったようにも思えるが・・・・・
逆にそれが嘘のニュースを創作することもなかったような良心の時代だったのかもしれない。

言われる敗戦直後からの政治腐敗、汚職、疑獄。それらも単純明快でそこには幾分その「良心」の呵責が見て取れたような気がする。
それはいつでもやり直しの利く「悪戯」のようなもので「嘘に嘘を重ねる」と言ったような慇懃なものではなかったような気がする。
今の平成のそれは、ひとつの嘘に幾重にも重ねに重ねてもなおボロボロとほころびの絶えない疑惑、事件。
そこには聴く「音」は何もない。空耳か、耳鳴りか・・・・・
記憶に留まる「情景」は何処を探しても見当たらない。そう感じるのは僕だけだろうか。

僕ら戦後世代には「夢」があった。

それは「戦争を知らない子どもたち」と歌い、その意味では極めて「幸せな」な時代を過した。
世界中で殺し合いをしていた東西南北問題という戦争が繰り広げられる中に世界でも稀有な時代に生まれ育ったからではないだろうか。
たしかに60年安保、70年安保と世間を騒然とさせる事件はあったがそれは世界で起きていたこととは比較にすらならない・・・・・
「安全地帯」での出来事でしかなかったのではないだろうか、と今は思う。
 
しかし、僕らが生まれ、育ちするその頃は、まあ何もなかったせいなのかも知れない。
たしかに何もなかった。だがそのことが僕ら世代の発想を高め、消費者として、そして生産者として時代を造形してきた。
とにかく、何もなかった・・・・・
テレビどころの話ではない。ラジオだって物心つくころでさえそう記憶はないし、オモチャや、ゲームがあるわけでもない。
その毎日は学校の校庭で、原っぱで、横丁で汗まみれ、泥まみれで仲間同士遊ぶしかなかった。

履物はズックなどは上等な物で正月にやっと買ってもらえるくらいで、普段はゴム草履か下駄。
靴下なんていう洒落た物はなく「足袋」それも幾重にも継ぎ当てをしたような代物だった。
真冬だって素足に草履、下駄なんていうのも珍しくはなかった。
その真冬にはしもやけ、アカギレ、青ん洟垂らしたり、ハタケにタムシなど等。
着るものといえばお下がりのズボンに詰襟のツンツルテンのテッカテカで汚いの汚くないのと・・・・・・
今時のパパやママがそれを見たら目をむいてひっくり返ってしまうかも知れない。

それは今に言う、〈あの頃は良かった〉などといった代物ではない、それしかなかったのだ。
日本全土が焦土と化した敗戦という時代そのものが貧しく、それまでの軍国主義、富国強兵一辺倒の時代から解放された親世代。
そしてそのの安堵感の中にも明日をも知れぬといった不安な毎日を暮らしたに過ぎなかったのだろうが。
しかし僕等、子ども達には「夢」があった。とてつもなくデッカイ夢をもてた。
それは敗戦による自由解放、民主主義のお陰なのだろうか。おそらく物不足の中にもその時代、初めて手にした自由。
大人たちは雑誌を漁り、僕等子どもたちは次々と発刊される「少年王、冒険王、漫画王、少年画報」。
そしてそれらに連載される月光仮面、赤胴鈴の助、はては二一世紀の現代を予測する鉄腕アトム、正義、正義、正義のオンパレード。

やがて、ラジオ、映画から・・・・・・
そして、それは白黒テレビの西部劇に、アメリカ製のホームドラマに、そして洋楽のヒットパレードに夢中になる。
そんな僕らの夢は外国へ行くこと、自動車を乗り回すこと、自分のなりたいものになると言う将来未来を描くこと。
しかしそれはけして手の届くことのない叶うことのない「夢また夢」の毎日だった。それでも僕等は夢を追いかけて、求め続けた。

はたしてそれが今はあるだろうか。僕らが夢にと描いていたことが今ではそれがいとも簡単に「手品」のように叶ってしまう。
しかし、その「夢」は掴むのではなく買う「夢」。じっくりと時間をかけて、心から願ってのそれではない「お金で買う夢」。
自分で想像した夢ではなく誰かが拵えた売り物の夢。

僕の言う夢とは小学生が見るような夢ではない。女の子なら看護婦さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか・・・・・
男の子ならパイロットとか野球選手、サッカーの選手とかのことではない。

やはりそれは一五、六で見る夢。それは「自分探し」の夢。

まさか僕自身、その時には自分が六七歳になるなどとは「努々」思いもしなかったがその一五、六で見た夢。

エレキを弾いて、エレキを作って家族を養ってきた生活・・・・・・

それを今、同世代の仲間と五〇年、半世紀前と同じ「バンド」で日々している言うことは満悦至極とふり返る。

僕には平成の「情景」はない。あるのは戦後、昭和の「まほろば」。

その昭和の「まほろば」、それはまるであの子どもの頃に押入れの中で見た「幻灯写真」のように僕に話しかけてくれる

  


Posted by 昭和24歳  at 10:24Comments(0)

2016年02月24日

横丁物語

横丁物語



“高砂町”序。

高砂町は日清製粉と東小学校の裏門の入り口からを起点に始まる、“高砂町一番地”。

そのとまくちは、弓町がわに武田文具店。高砂町側が山田畳店、対面かぎ状の交差点、九蔵町側が中村パン店。
そこは辻違いに弓町、九蔵町、そして高砂町が絡まるようにしてあった。
正式にはその横丁の表通りを、「東二条通り」というのだそうだが、僕は一度もそこをそう呼んだことはない。
その高砂町一番地から北へおおよそ、百メートルあるかないかの所が僕にとっての「横丁」だった。

高砂町は(上)と(下)に別れていて、はっきりしたことは知らないが僕の横丁辺りは(下)で、その高砂町を二分していた「五本辻」から向こうが(上)と言われていた。
僕の“横丁”はその高砂町一番地から一八番地辺りの「五本辻」までと、その東二条通りから日清製粉工場敷地手前の袋小路からなっていた。

その横丁の東には今は高層マンションが立ち並びかつての趣を偲ぶものは全て消し去られた。
元々そこには広大な日清製粉高崎工場があり、そのはるか向うは上越線、信越線、両毛線が走っていて・・・・・・・
その時代は蒸気機関車、SLやら最新式の電気機関車が轟音をたてて忙しく往来していた。

日清製粉は一年中、昼夜を違わず製粉機械の止まることはなかった。
その製粉工場の大きさといったら、ビルにしたら一〇階以上はあったのではなかっただろうか、円筒形のサイロ。
巨大な粉挽き機械の「ゴーッゴーッゴー」という音が、その異様に大きな建物と重なるようにしていまでも目に浮かぶ。

日清製粉はご存知、館林財閥の「正田家」の会社だ。
子どもの頃に噂で耳にした話だが、なんでも今上皇后、ご幼少の折にはそこ、日清製粉高崎工場をお訪ねになったとかならなかったとか。
というわけかどうかは知らないが僕の家の小路に面してその当時「テニスコート」なる物がその日清製粉にはあった。
さすが正田家の日清製粉、その頃はこの辺の工場ではテニスどころか社員、従業員が日曜休日にスポーツなどという時代ではなかったのだからいずれにしてもそのハイカラさを窺い知ることが出来る。
その日清製粉の塀づたいに小路を北へ詰めた所にその日清製粉高崎工場の“社宅”があった。

それは財閥系大企業・・・・・・

今にして思えば、あの時代「工場勤め」とはいえその横丁界隈ではエリートの趣でした。
その社宅に住む僕の同級生などは通っていたのは「高崎保育所」ではなく「聖光幼稚園」という私立のキリスト教系の洒落た奴だった。
典型的な「社宅族」、ニューファミリーで、当時、昭和30年代、、まだ世間では“ボーナス”などという贅沢ないただきモノはなかったように思うが、その時代に「クリスマスプレゼント」とか、同級生たちは騒いでいたように記憶している。

もちろん、電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビと・・・・・・
あの時代のこと、その日清製粉社宅の甍、屋根という屋根には“テレビアンテナ”が見る間に林立して、横丁の垂涎を誘っていた。

今はその面影さえない。それがあったことさえ知る人もいない。そこに育った子どもたちが高齢者と呼ばれる時代。
何もかもが変わってしまっている。
そのことが良かったのか悪かったのか、そんな思いが時々そこに立ったとき交錯する・・・・・・

高砂町(上)

 大川と染物工場。

ここ高砂町には僕らが子どもの頃、「大川」と呼んでいた。
それは箕郷、榛名、そして高崎北部の農業灌漑用水を源流にする「長野堰」が町内を南北に分けるようにして流れていた。
その長野堰は高崎市北部の並榎町辺りからその川沿いに何軒もの「染物工場」が林立していた。今では観ることもないが昭和四〇年頃まではその長野堰で染色上がりの布を川に流し、さらしながら大きな屋上の物干し台にそれを棚引かせるのが風物、風景だった。

高砂町(上)には、戦前戦中は軍需工場だった小島機械、水島鉄工所があり、昭和の30年代までは忙しくしていた。
その辺に昭和も終わる頃には7階建ての市営住宅が建ち、丁度、バブルと騒がれていた頃、その左手、高崎でも最大規模の染物工場跡には高層マンションが2棟も並んでいる。
随分と様変わりしたものだと心なしか侘しい。もちろん日清製粉高崎工場も跡も形もない。

その長野堰、大川沿いに、高崎随一の染物工場「川上染物店」があった。

その、川上染物店は僕の同級生「川上君」の家が当時何代続いていたか詳しくは知らないが経営していた。
僕は、小学校の頃その川上君ちの染物工場でよく遊ばせてもらったことを今でも良く憶えている。高崎一番の染物工場と言うだけあって、それは同じ町内であってもその「横丁」のそれではない。

川山染物店は、あの時代に「勝手口」なる玄関があった。その当時、勝手口などと言う物がある家はそうはなかったのではないだろうか。
その広さは盾には一〇〇メートル近くはあったのではないだろうか。そしてその川上君ちの工場には天を突くような高く、デッカイ煙突が聳え立っていた。
「お店」と言われた正面玄関はまさに名にしおう大店と言った趣で、上がり端の帳場にはその川上君のおばあさんが、高貴な、やはり大店の「女将さん」といった趣でいつも「シャン」っと座っていた。
川上君のお母さんは織物では全国でも有数の桐生市の、やはり織物問屋か、染物工場かか、そんな大店のお嬢さんで、高崎に嫁いで来たのだと川上君が言っていた。
やはり大店の、良いとこのお嬢様らしく、とてもじゃあないが横丁のオバサン、僕のオフクロなどとは「月とスッポン」、なんとも言えない、今風に言うならセレブな趣をなしていた。
まあ、戦後、昭和30年代のあの時代相当の大大尽だったに違いない川上染物工場。

電話室

昭和三〇年そこそこで、テレビはあるわ、僕の背丈ほどもあろうと言う「電蓄」、それよりもなによりも驚かされたのが、なんと、家の中に「電話ボックス」があるではないか。
まだここら辺りの横丁、どこの家にも電話の「デ」の字もない頃の話なのだから珍しいの珍しくないのと言ったら半端ではなかった。
ガラスの格子戸と、真鍮の重厚な取っ手のついた電話ボックスの扉には「電話室」と重々しく書かれていた。
僕はあまりもの物珍しさにその電話ボックスから出たり入ったりして川上君ちの番頭さんに良く叱られたのを憶えている。
もちろんその頃の僕の家なんかにはテレビなんて言う近代的文化的家庭電気製品などはまだなかった頃だったので、なにが楽しみったって、川上君ちで見せてもらう「ララミー牧場」が最高の楽しみだった。
もちろん川上君はそのララミー牧場の「ジェス・ハ―パー」を真似て、本物そっくりのモデルガンを得意げに「クルクル」っと回しながら早撃ちのポーズをとって見せるのだった。

「渡辺―――ララミー牧場ごっこしようぜ」

川上君は僕と遊ぶ時はいつもそれを楽しみにしていた。

「ララミー牧場ごっこ」とは、もちろん拳銃の早撃ちの真似もあるのだが、ジェスとスリムが殴り合いの喧嘩をするシーンの再現である。
どっちが、ジェスで、どっちがスリムだったかは・・・・・?
たぶん交代々々だったとは思うがどっちにしても、いつもテレビではジェスが喧嘩に勝つ。そのことで時々僕と川上君、よく仲違をした。

そう言えば、川上君ちにはピアノもあった。

そのピアノを弾く真似をした。と言うのはララミー牧場の「スリム一家」にいていつもピアノを弾いていた爺や。
その爺やがあの「ホーギー・カーマイケル」だった。
名曲「スターダスト、我が心のジョージア」の作曲家だと言うことを後々僕の仕事の中で知った時はなんともいえない感動を覚えた。

川上君の本物そっくりのモデルガン「コルト45」とガンベルト。きっと、お父さんに買ってもらったんだろう。僕は羨ましくて、羨ましくて仕方がなかった思い出がある。
 
その川上君・・・・・

今では会うこともほとんどないが、市役所の幹部になっているようだったことが広報に載っていた。
顔つきはお母さんそっくりで、頭髪こそ白いものが大分目立ってはいたが、その笑い顔は小学校六年の 時に川上君のお母さんに撮ってもらった川上君との写真、野球のユニホーム姿で笑っている川上君そのものだった。
時代の盛衰か、その染物工場は昭和が終る頃にはなくなっていた。

スポーツカー「MG」に跨る若き日の平成の大勲位

高砂町の(上)は広い。(下)に比べたら三倍はあるのではないだろうか。
恒例の「毎日元旦駅伝」のある国道356、駒方街道を跨いでもまだ高砂町(上)なのだ。その辺りどちらかと言うと豪邸の立並ぶ「お屋敷町」の趣き。
高砂町(上)には末広町とは背中を合わせてあの平成の大勲位「中曽根康弘元内閣総理大臣」の事務所があり、その大勲位のお建てになった「青雲塾」なる会館もそこにある。

大勲位と言えば、僕が小学校の頃は選挙と言えば高砂町「五本辻」で決まって演説をしていた。
高砂町の五本辻の辻角には渡辺薬局、魚市場、朝日材木店、堀越専売所と煙草屋、確かそこには赤い郵便ポストが立っていて向いには鰻の寝床のような飯島靴製造所があった。隣にウスイ理容店。
よくは知らないがあの辺りの横丁のスーパースターの趣の当時の大勲位。当時は科学技術庁長官。高崎に「原子力研究所」を作る作らないとかの頃ではなかったか。

それは、今から五五年ほども昔の話だから、大勲位、その時、御年四〇なったかならないか。そんな時代のある選挙の時の話だ。
高砂町五本辻での演説に大勲位、白塗りだったかクリーム色だったかのスポーツカー「MG」(だと思ったが)に、まさに跨るようにして「白馬の騎士」よろしく颯爽と万雷の拍手歓声の中来た。

「え~、高砂町、ご町内の皆さぁ~~~ん」

たしか白っぽい高級な背広に身を包み、背筋をシャンっと伸ばすと、ちょいと顎を引いた風にして白手袋に襷がけでそう切出した。
その襷には「衆議院議員候補中曽根康弘」とある。

まあ子どもの僕らにしてみれば、まだ自動車だって物珍しい時代だって言うのに、なんとスポーツカー、それも「外車」。
格好いいのなんのって半端じゃあなかった。しかも身の丈はそん所そこらの横丁の親父よりは頭ひとつデカイ。
マイクロフォンを握らせればあのバリトンがかった、一語一語がはっきりとした物言い。
近所のオバサンときた日には「ポ~っと」なっていたようないなかったような。
 それに、高砂町と言えば、婦人会の「あやめ会」。それは「中曽根康弘ファンクラブ」の趣き。
それこそ横丁の玉三郎、と言ったかどうかは知らないが、横丁、路地裏のご婦人方のアイドルであったことは「間違いない」。

大勲位、お生まれも、お育ちも、高砂町のお隣、末広町の貴公子。
で、町内、そのご婦人方の中には小学校当時の同級生も沢山居られたご様子で、横丁のオバサンたちの、

「やっちゃ~~~ん、やっちゃ~~~ん」

〈素敵―――っ!〉と、言ったかどうかは知らないが、そうした黄色い声が耳元に残っている。
キリっとした太い眉毛、目鼻立ちはどう見ても横丁のそれではない。
まあ、大勲位が大勲位だから取巻きの後援者もこの街の名士と言うよりは、ノリノリの「若旦那衆」の趣で、そんな戦後昭和の横丁に、突然として、いきなり大輪の花が咲いたような感じだった。

時々、テレビで見る大勲位。このところはご無沙汰だが・・・・・

その大勲位もそろそろ卒寿で大分お疲れのご様子。
既にその「あやめ会」、ファンクラブの横丁のオバサンたちのほとんどは鬼籍に入ってしまっている。

そしてそんな横丁は・・・今はない。

横丁物語



  


Posted by 昭和24歳  at 20:12Comments(0)

2016年02月23日

ジロリアンと自家製麺「大者」

ジロリアンと自家製麺「大者」



【食べる科学実験】なぜ人はラーメン二郎に並ぶのか? 魅入られる謎を科学で解明
開店前から閉店まで延々と途切れることなく人が並ぶ謎のラーメン屋「ラーメン二郎」。その何がそれほど人を熱狂させるのか? 

脂とうま味調味料に脳が中毒する 
グルタミン酸等のダシにも油と同様にマウスを執着させる効果があるという。

 これはグルタミン酸と脂肪酸の構造がよく似ているためらしい。

 油分の少ない日本料理に日本人が満足できたのは、ダシの力が大きいのだ(ただし味の素の研究では、うま味に習慣性は見られなかったそうだ。今後の研究が待たれる)。

 食べ物による報酬系の刺激は麻薬と違ってごく短い。しかも! 食べる前にピークを迎えるという。

 油をもらえるとわかったマウスは<口にする前から快感関連の神経系が興奮し始め><βエンドルフィンを作る遺伝子が動き出し>て最高潮に盛り上がっていく。

 ところが食べ始めると<速やかに潮が引くように遺伝子の働きが終わってしまう>。

 こうした食べる前に脳が準備する反応はマウスに油を何度も与えた後でのみ起き、<数日間油を与え続けると期待の快感が出現>する(新潮新書「コクと旨味の秘密」)。

 だからなのだ。だからラーメン二郎は“3度目からやみつきになる”。

 この脳の働きこそがラーメン二郎の秘密だった。その正体は脂とグルタミン酸と“行列”。

 無性に食べたくなるのはβエンドルフィンの働きであり、数日後に訪れた、急きたてられるような焦燥感はドーパミンの働きだ。

 行列も脳を刺激する。並ぶことで高まるβエンドルフィン! 

 そして食べた後の虚脱感とイヤになる感じはβエンドルフィンの生産終了のサインだったのだ。

 ラーメン二郎の大量の脂とグルタミン酸が、脳に恍惚感を引き起こす。しかしその気持ちよさが何によるのか、食べた人は知らない。

 知らないから、同じ恍惚感を得るには二郎のラーメンを食べるしかない。だから再び行列する。

 結論しよう。ラーメン二郎を食べた人は、ラーメン二郎によってしかイケない脳になってしまうのだ!

 ラーメン二郎、恐るべし。脂とうま味の恐ろしさを体感したければ、ラーメン二郎へ。

 自分の体で、文字通りに身をもって、その効果を知ることになる。アブラマシマシ! と唱えることも忘れずに。

<抜粋引用:サイエンスニュース:2016/02/16 07:00:55>
http://sciencenews.co.jp/2016/02/16/post-979/5/

ラーメン二郎大者を食べた人は、大者によってしかイケない脳になってしまうのだ!


そうだったのか・・・・・(;´д`)

時々、週一にはその「大者」の禁断症状に襲われる。

なんとなくキヨハラくんの気持ちがわかるような。

そんなわけで、僕は大者では「つけ麺」しか食べない・・・・・・

「麺半分でお願いします」

最初は普通に食ってたが、いつも残してしまうので思い切って半分に。

で、「トッピング~」には「普通で」。

最初は「野菜」とか言ってたんだけど、やっぱり残しちゃうので「普通」。

実は、僕にとってはその「大者」、結構コンディションコントロールになっているような気がするんだけど・・・・・

気がするだけかもしれないけど、つけ麺のスープにご案内の「一味唐辛子」をバサっと入れる。

で、これまたご案内の「酢」をほぼ全部使い果たす。

まあ、「ところてん」でも食っている感じで、時にはむせながら箸を進める。

まあ、「全マシマシ」とかは御法度。時には「大盛り」なんていう馬並みのお方もいらっしゃるが・・・・・・

一体全体どういう胃袋をしているのか不思議でならない。

それにしても、目白にいた頃は毎日「丸長」の「つけそば」を食べていた。

高崎に戻って、つけ麺らしいものがほとんどなかったので「大者」、「丸長」とは似て非なるものだがそれで良しとしている。

そうだったのかぁ、その正体は脂とグルタミン酸と“行列”。

「知りたくないでしょうけど・・・・・」

で、あの店長っていうかポマでオールバックに決めている井上さんとかって、高崎の出身て、ホント?

ジロリアンと自家製麺「大者」

  


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2016年02月22日

【備忘録】2008年5月27日(火)

【備忘録】2008年5月27日(火)



「いっそ、米国の一州となり・・・・・」
2008年に、オレ言ってた、丸山より早い(笑)。





この国の国民環境は戦前回帰している。

ただ“軍国主義”が隠されているだけで、他の社会体制は戦前のそれだ。

勝組、負け組とメディアは囃すが・・・・・
実際の国民生活は“戦前”のそれになっている。

政治はいうまでもなくオール与党体制ではないか。
自民、民主はその低レベルの政治力学的な、利権分捕り合戦の末の、自民別働隊、闇将軍旧田中派って言うところだろう。

そうした中の公明も、共産も、社民も絶対数での限界。
国民を代表する政党、政治家はどこにも見えない。
もちろんそうした「選挙システム」をこしらえたのが、自民、民主の親世代。
端から国民に選ぶ権利、“選挙権”などはないに等しい。

思想労組の解体に成功した自民、民主・・・・・・
残るはその「思想信条政党」への飴と鞭でどうにでもなる。
もっとも共産党などは今時革命でも起そうとしない限り、屁のツッパリにもならない・・・・・
机上空論政党、学問政党でしかないし。
多くの国民はその存在すら忘れている・・・・・

“赤旗”の売上でのシノギで、幹部、官僚党員だけが未だ“共産主義ごっこ”に明け暮れている。

今の日本共産党の存在は・・・・・
創価学会公明党のためにあるようなもので、
その両雄の新聞ガミはまるで「どつき漫才」の様。

そうした中・・・・・

英語を読めない喋れない日本人、日本語を全く読めない喋れないアメリカ人をいいことに、
国費で留学した官僚が・・・・・・

80の爺様に聞いたら、日本憲法より格上の占領軍政令201号で公務員争議権、団体交渉権を昭和23年に取り上げられている、

そうした英文署を情報公開しない。
昭和30年代からの文部省の国公立教職員への「勤務評定法」はあのアジテーション、

「キンピョー反対!!」

を真似てよく教師に叱られた。

国労、動労の思想労組のストライキはそもそもそのストライキ権が公務員には認められてないための、

“遵法闘争”

のろのろ機関車運転に、デモ・・・・・
いっそのことストはできないのだから、

乗車料金無料闘争でもやっていたら国民の支持は得られたかも知れない(笑)。
もっとも連中の頭には“国民”はない・・・・・・
あるのは、思想信条の“利己主義”の主張で、
実は本人達も、一体なにをやっているかは分かっていなかったのではないか。

国労、動労の幹部が、自民党の最高実力者と料亭争議・・・・・
その仲買が、社会党幹部。その構図は露見してしまった。

国民が“連帯”すべき時ではないのか・・・・・・“UNION JAPAN”

派遣労働者は戦前のそれ・・・・・
身分保障は何もない。
全て、“自己責任”

契約請負が原則だから、社会保険などはもちろんない。
果たしてそのような形態の“労働環境”がこの国民の“家計”、ひいては国民経済を支えられるのか・・・・・

いっそ、米国の一州となり・・・・・
人口規模から言ったら最大の州となる。
米国人口の半分、それでいて有権者は米国全州のその数をも凌ぐ。

日本系、合衆国大統領が誕生するかも知れない(笑)。
早い話、国民生活、安全と自由がそこそこに保障されれば文句はない。

アメリカさん、たのんまっせ!

一気にドル高!!

旧日本人の資産はドル換算で3倍くらいになるかも知れない。
そしたら、合衆国に忠誠を誓って納税し、正々堂々と権利を主張すればいい・・・・・・

【備忘録】2008年5月27日(火)

  


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2016年02月22日

【備忘録】2007/12/29(土)

【備忘録】2007/12/29(土)


新聞には出てないけど・・・・・
自民党代議士秘書が練炭自殺?とか。



当時の米国大統領セオドア・ルーズベルトは日露両艦隊の海戦に言及した書簡のなかで、

「日本艦隊が勝利を得る可能性は20パーセントと考えるのが妥当であり、日本艦隊が敗北を喫した折には日本は滅亡の悲運に遭遇するだろう」

と、記している。

日本の政府首脳、陸海軍の指導者達にも日本の勝利を信ずる者は極めて少なかった。
その理由を端的に示す数字がある。
日露両国はその年間歳入比で日本が2億5千万円、ロシアが20億円、また常備兵力比で日本が20万人、ロシアが300万人と国力の差は圧倒的といえた。
ロシアの強大な軍事力、そしてそれを支える工業力、経済力に日本が大きな畏怖を抱いていた所以である。
それゆえ、短期決戦に唯一の望みをかけ、日本有利の状況で停戦に持ち込み、後は外交交渉で決着を図るというのが政府首脳、軍指導層の一致した認識だった。
満州軍総司令官の任を受けた大山巌元帥が戦場に赴く際、山本権兵衛海相に、

「戦はなんとかやってみますが、刀を鞘に収める時期を忘れないでいただきたい」

と告げたのが、そのことを如実に物語っている。

そして1年半後に日露の戦闘は停止、戦況は日本に有利ではあったがすでに日本はその戦争を継続する“資金”は底をついていた。
そこで、ロシアとの講和を模索する中、先の米国セオドア・ルーズベルト大統領の仲介で、米国ポーツマスでの「日露講和条約」が締結された(明治38年9月)。

そのわずか35年後に米国との開戦、日本からの「宣戦布告」がなされようとは、
そこで講和に奔走した時の政府要人、すでに鬼籍に。知る由もなかった。

しかし、曲がりなりにもこの日露戦での勝利はその後の列強覇権争いの中で・・・・・・・
その時すでに米国はこの日本を“仮想敵国”として戦略し始めた。

セオドア・ルーズベルト米国大統領が言うように「勝利を得る可能性は20パーセント」、
そして「敗北を喫した折には日本は滅亡の悲運に」とまで言及したその米国に、
昭和のボンクラ官僚、政治家、軍人は明治の先人の知恵はなかった。
そして、最後の最後でその“ソ連”(旧ロシア)に米連合軍との停戦、講和の仲介を、望みを託すという愚かしさ。
そして、仲介どころか、不可侵条約はもろくも破棄され「ソ連参戦」でその戦争被害はいっそう拡大。
満州難民、結果、残留孤児の悲劇を招き・・・・・・
東京大空襲、ヒロシマ、ナガサキへと歴史の悲劇は未曾有のものとなった。

そして、その時のセオドア・ルーズベルト米国大統領が言ったように・・・・・・
この国は「日本は滅亡の悲運に遭遇」した。

もう一度考えたい。確かに僕らは戦争を知らない。
しかし、今はどうだろう。この国が“駐留”という名で米国に「軍事占領さ」れ、
さらに、米国のいう「テロとの戦い」という戦争に目に見える軍事支援金でこれまでに“3兆円”からが支出され。
駐留経費負担、「思いやり予算」はこの10年で5兆円とも、6兆円とも・・・・・
もっともこれらは、ことの善し悪しはともかく選良、立法府の審議を経て支出されていることだから、
それを認めた「国民」が四の五の言える立場にはないのだろう。
だが、日本政府が「経済行為」、金融政策、為替政策の一環と称しつつ、ほぼ「戦争賠償金」と思えなくもないそれ、
日本政府が世界の債券市場で売り抜けることのできない“米国債”・・・・・・
それを、日本国政府は「政府短期証券」の公募による為替介入という偽装で買い増しにつぐ買い増しで、上納。
その上納金総額は、外国為替資金特別会計の借入限度枠を“140兆円”とし、
その範囲でアメリカの戦況に合わせるかのようにして為替介入で、間接支出している。

「日本は滅亡の悲運に遭遇」しているのか・・・・・・

第一次湾岸戦争で小沢自民党幹事長は“総計135億ドル”。
この時、日本の国会がもめて出し渋っていたことに対し、「ならばアメリカ政府は日本から軍隊を撤退させる」と言ったとか。
つまりは、米政府の方で「安保廃棄」をちらつかせ、脅した。

そこからが今日までの増税、
「消費税5%」に、タバコ税、酒税率アップ、社会保障費の削減・・・・・

まさに70年ほど昔、昭和16年に「刀を鞘に収める時期を」考えることなく日米開戦した“御前会議”という日本政府。

今がその、米国大統領セオドア・ルーズベルトの言った・・・・・・

「日本は滅亡の悲運に遭遇」している時ではないのか。

2007年。「偽装」に明けて「偽装」に暮れる。
いや、それは去年も、一昨年も、一昨々年も、「雪印輸入牛肉“国産”偽装」、これらは農水省一味の仕業。
そして、ヒューザーの、総研の、アパの、大手ゼネコンの耐震偽装。これらが国土交通省一味の仕業。
そして、松岡勝利農水大臣の「なんとか還元水」の事務所費偽装、同じくバンソウコウ農水大臣の、遠藤農水大臣の政治資金偽装。
さらに防衛事務次官のオネダリ行政と山田洋行の防衛装備品請求書偽装。これが防衛省一味の仕業。
極めつけが、赤福に、御福、そして船場吉兆の食品偽装、賞味期限偽装、産地証明偽装・・・・・・・

そして今や、この国が「アメリカと戦争をしたことすら知らない」世代を見事に生んだ、「歴史の偽装」は、
「日本は滅亡の悲運に遭遇」を再確認させられることになりはしないか・・・・・

2007/12/29(土) 午後 3:17

【備忘録】2007/12/29(土)
  


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2016年02月21日

【高崎】カッペにはカッペの思想信条がある。

【高崎】カッペにはカッペの思想信条がある。


「パーク&ライド」はどうしたんでしょうか?

高崎に百貨店内初 「すき家」  群馬県産和牛使用 
 牛丼のすき家を展開するすき家本部(東京都港区、興津龍太郎社長)は24日、百貨店内の店舗として初となる「すき家 スズラン百貨店高崎店」を、群馬県高崎市宮元町のスズラン高崎店地下1階に開店する。

 メーン商品の和牛弁当(1080円)は、赤身と脂質のバランスが良い群馬県産の黒毛和牛を、新たに開発したたれで煮込み、ご飯の上に敷き詰めた。定番の牛丼弁当並盛(370円)、とん汁(190円)なども販売する。

 すき家は全国に1970店舗を構える牛丼チェーン。新店舗は、百貨店を利用する高年齢者や富裕層に牛丼を知ってもらい、新たな客層を開拓するのが狙い。木を基調に金色の看板を置くなど店舗には高級感を打ち出す。弁当販売が中心だが、4席分のテーブルも用意する。

 24、25の両日はオープン記念特典として、弁当購入者先着各100人に、「すき家」の金のロゴ入り湯飲みをプレゼントする。

<引用:上毛新聞 2016年2月20日(土) AM 06:00>
http://www.jomo-news.co.jp/ns/8214558904268790/news.html

>新店舗は、百貨店を利用する高年齢者や富裕層に牛丼を知ってもらい、新たな客層を開拓するのが狙い。


まあ、スズランも考えたほうがいい・・・・・・

「新たな顧客」って、「すき家」なんて誰でも知ってるし、「松屋」の方が商売上手(笑)。

それに、高崎近在の富裕層ってどんな人、所詮地場でカッペです。

まあ、ホントの富裕層っていうのは仕事してなくても金融資産回してるだけで高額納税している連中ですし。

そんなわけで、高崎は「カッペ」は「カッペ」でいいんです。

もともと「高崎」なんていう街、「都市」はなかったわけで、箕輪城が終わっちゃって徳川新政府が・・・・・

大々的に高崎藩、城を新設して城下町を作ったわけで、「わたしの城下町」でした。

で、井伊直政が近江なもんで、近江商人引連れて「城下町」を作ったわけです。

多分、糸偏商人のほとんどが近江、雑穀なんかを商う商人が信州、赤羽楽器の鼻祖は信州とか最初は炭屋。

まあ、米は越後でしょうか・・・・・

だから「高崎」って、言ったら「人工都市」なんで、コロコロ変わっちゃってきたわけです。

言ったら「風見鶏行政都市」でしょうか、住人のことは二の次。

だから、再開発もむちゃくちゃで、「遺す」っていう発想が全くないから、まともなもんは造らない。

せいぜいが、昭和の初めにできた高崎のランドマークタワー「観音様」なんだが・・・・・・

そろそろ80年とかだから、まあ、コンクリート建造物だし、そろそろです。

そんなわけで、高崎の街中も本来なら「町家」があったんだろうけど、そこに歴史を留める風景は?

まあ、戦前、戦後と本町2丁目あたりが繁華街で、で、中銀ができて・・・・・・

あら町方面って言ったら問屋街で、閑散としたもんでしたね、それが今じゃあ駅前だけですから。

まあ、カッペが都会の真似して高層マンションだのショッピングモールだのって言ったところで少子高齢化です。

人口収縮で、街中人口は江戸時代に遡ります。

だから、くどいんだけど、駅前イオンなんかやめて、中銀、田町、本町を復興させるべきなんです。

人口移動も含めてドーナツ化、核家族化した都市スタイルを旧市街地に復興させる。

いや、僕らが子供の頃は、江木、大類、いや、飯塚あたりだって田んぼに畑でしたから。

それこそが、コンパクトシティでしょ。

旧市街地を廃墟にして駅前をひとまとめにして行政も商業もワンストップサービスでって・・・・・・

そんなのコンパクトシティでも何でもありませんね。

【高崎】カッペにはカッペの思想信条がある。
  


Posted by 昭和24歳  at 11:13Comments(0)

2016年02月20日

オバマ大統領はハーフ、ベッキーと一緒(笑)。

オバマ大統領はハーフ、ベッキーと一緒(笑)。


1976年ころのLAX・・・・・
ロスアンゼルス国際空港、殺風景。


>黒人といえばイメージがそうなるんじゃないですか。

たしかに、LAXのイミグレに入った瞬間、まあ、照明も羽田、成田みたいに明るくないですし・・・・・
異様にデブった小錦みたいな黒人のポリス、拳銃むき出しでノッシノッシ歩いてます。
オバちゃんもそうで、白人は見ませんねイミグレの検査官以外は。
とにかくデッカイ、白人もデッカイですけど黒人はとくにデッカイ、コワイくらいです(笑)。

まあ、件の弁護士だけど、LAの法律事務所で3年。
昭和51年(1976年)らしいから、ちょうど僕も初めてのアメリカ、LAへ。
LAX周辺は空港ビルも今ほど大きくなく、R405まで出るの道路は石油採掘ポンプが並んでたりして、まるで「じゃじゃ馬億万長者」の風景。
で、最初はダウンタウンの、たしか「ニューオータニ」に一泊。一泊70ドルくらいだったと思うけど・・・・・
なにせ1ドル=360円でしたからキツかったなぁ、なんだかんだで3万円だもの(;´д`)

で、その後は友達のアパートに寄せてもらったんだけど、そこは一泊25ドルでいいよってぇことで・・・・・
で、石山君っていうやつだったんだけど、日本人も差別の対象だとか言ってた。
で、そのフラットには仙台から来ていた石山くんと中谷くんともう一人の3人でシェアしているとかだった。
まあ、そこをベースにフラフラしたんだけど、くれぐれもリトル東京の方へは行かないようにとかでした。

まあ、その間、グレイハウンドでアナハイムまで行ったんだけどディズニーランド周辺は一面いちご畑。
ホテルはマリオットとホリデーインが目立ってあったくらいで、ランド周囲にはモーテルが。
泊まったのはホリデーインだったんだけどモノレールに乗って行ったデイズニーランド、まあ1月だったんだけどガラガラ。
「全米楽器ショー」のコンベンションが目的で行ったんだけど、黒人はほとんどいなかった。
まあ、土地柄、メキシコ系アメリカ人は結構いたけど、ファーマーズマーケットとか、レストランの清掃員。

まあ、言おうとしたこと、言いたかったことはわからないわけでもないんだけど、禁句でした。
「奴隷」とか「黒人」がとか、それが大統領にだとか・・・・・
まっ、アメリカ合衆国の「日本州」っていうの悪くないと思うんだけど(笑)。
たしかに、そうなったら日系アメリカ人の「大統領」が生まれるかもしれませんね。

>アメ車は輸入する際国内で組み立てて売ったとか、

まあ、アメリカ製はガタガタですから、当時から。
たしかに、商社がパーツで輸入して当時の自動車生産工場でネジ回したかもしれませんね。
その方がしっかりした、アメ車ができますし、シヴォレー・コルベットとかフォード・ムスタングとか。

昭和40年代の若者にとっては「アメリカ」は何もかもが憧れの的でしたし・・・・・

で、当時は格安航空券なんてなかったから、僕が乗ったのは「ヴァリグ・ブラジル航空」、120に乗りくらいのやつ。
ホノルルで入管済ませてだったから、とにかくLAXまでが遠かった。

で、LAよりはサンフランシスコの方が安全だって言うんで、楽器を買いにシスコへ。
往復、200ドルくらいだったんだろうか、キツかった。
で、安めのホテル探して、3日間。ゴーデンゲートブリッジの見えるフィッシャーマンズワーフで食べたロブスターは美味かったなぁ。
で、ケーブルカーで楽器屋アッチコッチ回って、LPスタンダード・ゴールドトップとSGにストラト買っちゃいました。
中古で、600ドルくらいだった、3本で。

で、帰りはアラス・カアンカレッジ経由。
燃料給油しないといけないらしくて、ホノルル経由より時間がかかっちゃいました。
1月だったから真冬でっかい白熊が空港ロビーに飾ってあった。
多分、アンカレッジで出国手続きしたんだと思う・・・・・
まあ、ベトナム戦争が終わった翌年だったから、かなりやばかったみたいだけど。
若気の至りでした。

オバマ大統領はハーフ、ベッキーと一緒(笑)。
  


Posted by 昭和24歳  at 20:30Comments(0)

2016年02月20日

安倍vs野田「嘘つき同士が嘘の応酬(笑)

安倍vs野田「嘘つき同士が嘘の応酬(笑)


困ったもんです・・・・・
国民それどころじゃあないってぇのに。
下層じゃあ毎日殺し合いです。


定数削減「約束」で応酬=現首相VS前首相〔深層探訪〕
 19日の衆院予算委員会は、衆院選挙制度改革をめぐり、異例の「新旧首相対決」となった。民主党の野田佳彦氏は、首相だった2012年11月の党首討論で、衆院解散と引き換えに約束したはずの衆院定数削減がいまだに実現していないと厳しく批判。これに対し、安倍晋三首相は自民党案が示した20年以降の定数削減を前倒しする考えを表明、「身を切る改革」姿勢のアピールに躍起となった。
<抜粋引用:時事通信 2月20日(土)8時32分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160220-00000029-jij-pol

まあ、民主党もメデタク解党です・・・・・

「マネシタ政経グループ」は自民党に移籍。

アレ、民主党、今の幹事長誰だっけ「枝野る」でした。

まあ、岡田代表はもともとが自民党田中派だったし「アベル」は無理かもだけど(笑)。

どっちにしろ政治の季節は終わってますからどうでもいいです。

で、「定数削減」とかなんだけど、なんで「定数削減」なんだろうかと、不思議。

まあ、国会議員って言ったら「選良」とかで、国民の代表のハズなんだから・・・・・

「一票の格差」を言うんだったら、格差のある選挙区を増やせばいいわけです。

で、立法府の議員を減らしちゃってどうするんですか?

だったら、行政府のわけのわからない政務官とかのお飾りを減らしてまともな政治をするべき。

まあ、アレですこれだけ日本社会がくたびれて、国民の貧困率が先進国中最悪。

子どもの貧困率16.3%(2012年)で、6人に一人とか・・・・・・

まあ、2016年の今はもっとひどいのかもしれないけど、政治は知らんぷりしてます。

つまり、今の政治は上級国民の代表で、下級国民の代表はゼロ。

つまり、その「定数削減」っつうのは、そういう99%の下級国民の代表を奪うということです。

まあ、その下級国民の代表が日本共産党なのか、社民党なのかデモシカとうなのかは知らないけど・・・・・

まあ、見たところ「思想信条の自由」を旨としているようで下級国民の代表のようには見えない。

で、地方政治もそうで、先般の「前橋市長選」も30.9%台の投票率。

つまり、政治、行政に全く期待していないか、無関心。まあ、18歳からの選挙権て白紙委任状を強制するようなもん。

つまり、選挙権を得た瞬間棄権しても「信任」したことになってしまうわけです。

まあ、欧米のように自己主張がはっきりしている国民性ならそれでもいいだろうけど、日本人は違う。

「空気を読む」「空気に流される」、まあ、そういう国民性ですからそら、投票しないんだから政治家にとっては都合がいい。

だから、政治家のトップ、トップだった同士が「嘘つきの応酬」でもヘラヘラしてます。

まあ、30.9%の投票率で、当選市長の得票率は全有権者の約23%。つまり、「選挙」が機能していない証左。

自民党も絶対得票率は24.49%ですから、ご案内の通りです、ハイ。

安倍vs野田「嘘つき同士が嘘の応酬(笑)

  


Posted by 昭和24歳  at 13:53Comments(0)

2016年02月19日

ノブスケの孫、シゲルの孫、シンタローの息子、その他。

ノブスケの孫、シゲルの孫、シンタローの息子、その他。



東京円98銭高、1ドル=112円95~96銭
 19日の東京外国為替市場の円相場は午後5時、前日(午後5時)比98銭円高・ドル安の1ドル=112円95~96銭で大方の取引を終えた。

 対ユーロでは、同1円19銭円高・ユーロ安の1ユーロ=125円58~62銭で大方の取引を終えた。
<引用:読売新聞 2月19日(金)18時0分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160219-00050071-yom-bus_all

ノブスケの孫、シゲルの孫、シンタローの息子、その他。

これじゃあ良くなるわけがない、日本経済(笑)。

まあ、閣僚たってトーシロー集団、お友達内閣ですから。

誰だっけ「松下セーケー塾」出身ソーム大臣て?
誰だっけ、朝日テレビ女子アナ出身カンキョー大臣て?

で、事務方にレク受けながらの答弁ですから自分でも何言ってるかわからないわけです(笑)。
ノブスケの孫なんて二言目には「景気はいいんです」だから救いようがないです。

あの手の人間はホントのこと言われるとキレます・・・・・

誰か言ってやりゃあいいんだ、「あんたバカでしょ」って。
確実にバクギレしちゃいます。で、怒らせたらしめたもんで、喚きます必ず。

シゲルの孫だっていい年してノブスケの孫の後塵をはいしてるわけですからバカです。
みなさん、たまたまそこに生まれただけで、大変ちゃあ大変なんだろうけど。
世の中のこと全く知らないままひな壇に座ってますからカップラーメン400円だとか・・・・・
カミさんにペットフードを食わしちゃうとか平気で国会で言っちゃうわけです。

で、株が下げ止まりません。ビンボー人には関係ないけど(;´д`)
15,967.17円とか。
どんどん年金溶けてゆきます。まあ、ノブスケも満州で日本溶かしちゃいましたけど。

円高が止まりません、112.92。輸入物価下落でビンボー人には喜ばしい限りです。

で、トヨタが損するってぇんだけど、そら商売が下手なだけです。
まあ、ほとんどが現地生産なんでホントはどうってことないんだろうけど・・・・・
それでも損しちゃうって言うんなら、レクサスの値段4万ドルを5万ドルに知ればいいだけの話。
だって、昔はアメ車のポンコツだってムスタング500万円くらいしてたし。
クラウンが200万円くらいの時。まあ、高品質は高くて当然ですし。

で、馬鹿な政治家が宗主国様の大統領捕まえて「黒人奴隷の」って訳のわかんないこと言っちゃって・・・・・
大丈夫なのかねぇ自民党諸氏。どう考えても尋常じゃあないです「黒人奴隷の」って。

そんなわけで、だれかノブスケの孫を怒らせてください(笑)。

ノブスケの孫、シゲルの孫、シンタローの息子、その他。  


Posted by 昭和24歳  at 18:25Comments(0)

2016年02月19日

超高齢化社会の現実「あすは我が身」

超高齢化社会の現実「あすは我が身」



「在宅ひとり死」のススメ。何でもあり、どんな死に方もあり!身近な友人の死を経験して「次はいよいよ私の番だ!」と切実な関心のもとに、医療・看護・介護の現場への取材から得た収穫を、惜しみなく大公開。

まあ、カミさんと二人だけど・・・・・
一緒に死ぬわけじゃあないだろうから、
いつかはどちらかが「おひとり様」。


90歳の入居者が激白!介護ホームの“悲惨なる日常”
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawaikaoru/20160218-00054529/

文中にあるけど・・・・・

>この低賃金を一般平均である30万程度にするには、年間1兆4000億円ほど必要となり(NPO法人社会保障経済研究所算出)、労働人口で単純計算すると「ひとりあたり年間3万円弱の負担」が必要になる。

その必要額「年間1兆4000億円」なら消費税1%増税でお釣りが来る。
さらに言えば、「介護国債」でもいいだろう。建設国債とかいうあったくらいで、結果「赤字国債」。
さらに、道路特定財源で、石油特租税でそれらほとんどが道路公団、石油公団のみなし法人に私された。

今後、半世紀は続くであろうそうした高齢化社会の実態。
要介護の特老施設における入所者の疾病、特に痴呆は上記の文面にもあるように・・・・・

>入所者の中には大声で喚き散らす人、たえずヘルパーを呼びつける人、自分が判らなくなってしまった人、思うようにならないとヘルパーの手をかみつく人など、さまざまです。

カミさんも介護士をしていた経験上「殴りかかる」老人、排便したオムツを自分で取っちゃってベッドを排泄物まみれにする痴呆老人も。

誰でも老いる、そして痴呆になる可能性も、明日は我が身だろうという現実。
それは、金持ちであろうが貧乏人であろうが平等だ。その現実を前に政治は「財源が」と言ってその「質の低下」を誘うような政策をする。

最早、その現場は「戦場」さながらではないか。
そしてそこにいる高齢者は戦後経済復興支え、人生生きながらえた「高齢兵士」。

消費税の増税は「財政再建」だと政府は言う。
その裏で、国際競争力をいい法人税減税、富裕層の所得税減税促す。
結果、大衆を増税して納税力のある大企業を、富裕層を減税ではプラスマイナスゼロ。
財政再建は虚言でしかない。

少子化を言いながら「子どもの貧困率」が6人に一人という先進国中最もひどい。
そして、その高齢者対策には「民間」に丸投げ、しかもそれは介護保険料という自己負担。

言ったら、高齢者対策。少子化対策は「日本国民防衛予算」。
どうせ戦争なんて出きっこないんだから軍需産業への支出を介護産業へ。
そして真の意味での「思いやり予算」を・・・・・

  


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2016年02月18日

バカ丸出し、自民の丸山和也「黒人奴隷の・・・」大統領

バカ丸出し、自民の丸山和也「黒人奴隷の・・・」大統領


これが自民党の本音?
んなわけないよなぁ・・・・・


(書き起こし)丸山和也議員「アメリカは奴隷の黒人が大統領」発言の全容
2016年2月17日の参議院憲法審査会にて、自民党・丸山和也議員がアメリカのオバマ大統領を指して、「黒人の奴隷の血を引く人が大統領になっている」と発言したとされる問題。実際の発言はどのような内容だったのか、書き起こしでお伝えします。(丸山氏はこの発言について記者会見を開き、誤解を招く表現であったとして謝罪・発言撤回をしています)
<抜粋引用:ログミー 2月17日(水)22時31分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160217-00010000-logmi-pol

>アメリカのオバマ大統領を指して、「黒人の奴隷の血を引く人が大統領になっている」

仮にも、宗主国様の大統領をつかまえて「黒人奴隷・・・」云々て・・・・・

それにしても、差別意識がすごい人だね、この弁護士。

そんなこと言ったら、明治の元勲ほとんどが幕府から見たら「テロリスト」ですから。

そしたら、日本の首相のほとんどが「テロリスト」の血をひいた、テロリスト集団・・・・・

これ、オバマ大統領っていうか、アメリカの反応が気になりますねぇ。

「51番目の州」発言にしても、まあ、あの戦争でそうしなかったのにはワケがあるわけです。

まあ、人種差別されてたっていう話もあるけど、下手したら日本人皆殺し、か、奴隷。

まあ、奴隷みたいなもんですけど今を見たら。

>誤解を招く表現であったとして謝罪・発言撤回をしています

誤解って、そのまんまじゃあないの「黒人奴隷の」って。

まあ、さすがの反米帝の日本共産党だってそこまでは言わないでしょう・・・・・

自民党にはそういう話をする人がいるってぇことですね。

この、弁護士上がり、辞職したくらいでは済まないかも、侮辱罪、しかも宗主国様の。

横田に連れてかれたりして。

バカ丸出し、自民の丸山和也「黒人奴隷の・・・」大統領

  


Posted by 昭和24歳  at 20:15Comments(0)

2016年02月18日

【甘利事件】昨日今日始まったわけじゃあない。

【甘利事件】昨日今日始まったわけじゃあない。



元東京地検特捜部長が明かす「汚職事件」の真実の姿。刑法の条文は?罰則の重さは?政治家の言い逃れは?続発する汚職事件の捜査・公判はどう進むのか。汚職事件の捜査や公判、意外に知らない実態。


“現在進行形”

これはITで言えば“パケット”伝送。
皆さんはお憶えでしょうか・・・・・・

小泉厚生大臣の頃の、土建談合組織“埼玉土曜会”。
元厚生事務次官の“岡光序治”と課長補佐で“茶谷滋”が“財官政談合”で逮捕。
その茶谷滋は埼玉6区から平成8年の総選挙出馬、落選だが逮捕が平成11年。

そしてどういうわけか茨城の“中村喜四郎建設相”がその関連で逮捕。

この、特老建設は実にうまい商売・・・・・・

実質的には政治家のコネがあり地元で顔役なら全額国庫補助金で土地から上物まで仕上がるシステム。

「社会福祉法人「彩福祉」グループ代表の小山博史を贈収賄の容疑で逮捕」

がその典型、やりすぎだが。

その小山博史は、

「昭和55年頃、玉置和郎参議院秘書を経て福祉を目的とした「彩福祉」グループを設立した」

とあり、

「厚生省の岡光は平成元年6月に厚生省の老人保健福祉部長に就任。
このポストは社会福祉法人を認可する都道府県知事の監督、
特別養護老人ホームへの補助金許認可を担当するもので、ここに岡光と小山の利害関係が一致した。
更に岡光は厚生省から埼玉県に出向していた高齢者福祉課長の茶谷滋を小山に紹介し3者一体の汚職が開始された」

とあるように、官と財、そして・・・・・

「小山は、この特別養護老人ホームの建設にあたってJWMという建設会社を設立。
県からの建設認可でJWMを通して大手ゼネコンに請負させて利ざやを稼いでいた。
日本は高齢者社会に変遷していくなかで「高齢者保健福祉推進10ヵ年戦略(ゴールドプラン)」を制定したが、
岡光、小山、茶谷らは、この政策(補助金)につけこんで私腹を肥やしていた」

典型的な汚職・・・・・

「岡光は“要求型汚職”の典型で小山に数々の便宜の見返りとして、
自動車・ゴルフ会員権・自宅マンションの購入資金など約6000万円を受け取っていた。
茶谷も同様に1020万円を受け取っていた」

国会答弁で小泉厚相は「岡光次官にはそのような疑惑はあたらない、罷免はしない」

と、当時答弁している。

もちろん病院施設関係の設備はベッドから布団、シーツ、事務機器から医療器具が“リース”。
当時の橋本首相も、小泉厚相も疑惑をもたれたがうやむやになった。

因みに相前後して、

“大蔵省・日銀接待事件”が平成10年1月に発覚した。

あの“ノーパンしゃぶしゃぶ疑獄”。

今の顔ぶれ・・・・・

その時代、竹下派に後塵を拝し、オコボレ利権に預かっていた“三塚派”が総理を出している。
官僚が汚職のお膳立てをして、政治家がその提灯を持つ。
地回りのヤクザが地元の土建屋と組んで橋渡しをする。

竹下派のシマを完全に占領した小泉派・・・・・・

小さな政府?

んなわけがない(笑)。

2005年10月11日

【甘利事件】昨日今日始まったわけじゃあない。

  


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2016年02月18日

【週刊文春】少年Aから中年A酒鬼薔・・・

【週刊文春】少年Aから中年A酒鬼薔・・・



元少年Aを直撃!「命がけで来てんだろ? お前、顔覚えたぞ!」
・「神戸連続児童殺傷事件のことで」と伝えた瞬間、男の表情は一変。記者の腕を掴むと大声で威嚇した。問題の手記『絶歌』出版後も姿を隠し続ける元少年A。彼は本当に更生したのか。追跡250日の総力取材で問う。

http://www.zassi.net/detail.cgi?gouno=48563

>彼は本当に更生したのか。追跡250日の総力取材で問う。

まあ、「週刊文春」なんだが・・・・・・

250日の総力取材とかだが、タレコミ?そりゃないでしょう。

確かな情報源があるはずです。しかも公的機関の、言ったら国家権力の。

あの、どうでもいい個人的な「ベッキーのゲス不倫」だって「育休議員宮崎ゲス不倫」だったそうです。

まっ、キヨハラ君の「シャブ中事件」だって、総力取材で情報源は公的機関とツーカー。

で、国家権力の中枢にいたはずの甘利大臣の「20億円レクサスオネダリ事件」だって嵌められたわけだし。

なんで「嵌められた」かはそら、公的機関に聞かなくちゃあわかりません。

その意味では、内閣っていうか、総理大臣、官邸なんてなんの力もないわけです。

役人が全て情報握ってますから、役人の「輔弼」通り喋ってるだけです。

で、いくら最高学府、帝大卒の役人だって間違いますから、そんときは総理大臣が尻拭いです。

つまり、役人には逆らえませんってぇことです、下々には「週刊文春」があるし・・・・・

まあ、ここ一番は、「敗戦国」である以上は「戦勝国」に、「生殺与奪の権」がありますから、それが全て。

で、「少年A」だか「中年A」だかだけど「国家権力」が放免した以上は国家権力の責任です。何かあったら。

まあ、何かあっても国家権力が責任を取った験しはないわけで、その意味では「国家」はお化けです。

そろそろ終わりなんでしょうか、美しい日本の政権も、「生殺与奪の権」ですから。

つまり、アベノミクスの果実って役人が描いた画ですから、それが失敗したら言った人の責任です。

【週刊文春】少年Aから中年A酒鬼薔・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 10:52Comments(0)

2016年02月17日

【子ども食堂】豊かなはずだった日本の現実。

【子ども食堂】豊かなはずだった日本の現実。



子どもの貧困はさまざまな実相を見せています。それは、日本社会が構造的に生み出している問題であり、家庭だけに責任を求めても解決はできません。
「今、私たちにできることは何か?」ご一緒に考えてみませんか。


引きこもりや貧困など子どもの悩み積極支援へ 「子ども食堂」も 北九州市
 北九州市は新年度、不登校や貧困などに苦しむ子どもたちに寄り添った支援に乗りだす。引きこもりの中学生に臨床心理士らを派遣し心のケアなどに当たるほか、ひとり親家庭の児童を対象にした「子ども食堂」を開設、夜間の「居場所」も提供する。いずれもモデルケースとして取り組み、本格導入を視野に必要な支援策やノウハウを検証していく。

 市によると、引きこもりの子どもを含む市内の不登校の児童、生徒は675人(2014年度)。そのうち中学生が582人と、9割近くを占める。自宅から外出できない引きこもりの中学生に対し、支援団体などと連携して、臨床心理士らが定期的に訪問。生徒と保護者の双方から話を聞き、ボランティア活動などを提案しながら学校復帰の糸口を探る。中学生10人程度を想定し、16年度一般会計当初予算案に300万円を盛り込んだ。
 自治体として初めて開設する「子ども食堂」には、500万円を計上した。市内2カ所を予定し、食事の提供や学習指導などを行う。平日に放課後児童クラブ(学童保育)の終了後、数時間の利用とし、1施設当たり1日10~20人の受け入れを見込んでいる。
 市は「子どもの家庭環境を整えることで、課題の解決につなげたい」と話している。

<引用:西日本新聞 2月17日(水)11時54分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160217-00010004-nishinp-soci

>九州市は新年度、不登校や貧困などに苦しむ子どもたちに寄り添った支援に乗りだす。

なるほどね・・・・・

政治家が政治をすればするほど国民が苦しくなり、格差が広がる。

そうですか、甘利前大臣の秘書がURに20億円でどうだ?で、レクサス1250万円のご褒美?

「子ども食堂」が騒がれてるのに、政党助成金300億円超ですか、何に使ってるんでしょうか?

>自治体として初めて開設する「子ども食堂」には、500万円を計上した。

まあ、高崎市ではそういう話は聞かないけど・・・・・・

高崎市だって例外じゃあないでしょう「子ども食堂」の必要性は。

「子どもの貧困」は見かけじゃあなかなかわかりません。

まあ、見かけでわかった時は事件になってます、虐待もそうだけど。

で、北九州市で予算500万円付けたとかなんだけど、ないよりはマシかぁ(;´д`)

でもアレです。まあ、バベルの塔とかで評判の高崎市庁舎21F なんだけどむちゃくちゃ管理費がかかってるわけです。

高崎市議会の議事録でわかるんだけど旧庁舎の年間管理費が平成9年度予算で見ると1億4,527万円。

で、新庁舎、平成10年度で7億8,778万3,000円ということで、約5.4倍。

つうことは、その時点で6億円42,513000円余分にかかってるわけでもう17年過ぎてるわけだから・・・・・

100億円超の支出です。実際はもっとなんだけど。

まあ、21階じゃあなくて12階くらいでも十分用は足りたんだろうから余分にかかっても年間3億円くらい?

まっ、それでも50億円は余分。そしたら、「子ども食堂」だって「学童クラブ」だってかなり充実できる、50億円あったら。

それにしてもです。豊かなはずの日本が子どもの貧困6人に一人て、どうなってるの?

【子ども食堂】豊かなはずだった日本の現実。

  


Posted by 昭和24歳  at 19:03Comments(0)

2016年02月17日

【介護殺人】介護職員は全員「公務員」に。

【介護殺人】介護職員は全員「公務員」に。



「夜勤つらかった」殺人容疑の元職員供述 川崎・転落死
 川崎市の有料老人ホームで入所者の男女3人が転落死した事件で、うち1人の男性に対する殺人容疑で逮捕された元職員・今井隼人容疑者(23)が神奈川県警の調べに対し、「夜勤など仕事のストレスがあり、つらかった」という趣旨の供述をしていることが捜査関係者への取材でわかった。亡くなった人に対し、「申し訳ないことをした」とも話しているという。

 県警は17日午前、横浜市神奈川区立町の今井容疑者宅で捜索を始めた。パソコン類や手帳などを捜し、容疑の裏付けを進める。

 県警や施設側の説明によると、今井容疑者は2014年5月に入社するまで介護職の経験はなく、介護職員初任者研修修了の資格を入社後に取得した。定員約80人の施設で、月に5回程度、夜勤をしていたという。

<引用:朝日新聞デジタル 2月17日(水)13時3分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160217-00000033-asahi-soci

>「夜勤など仕事のストレスがあり、つらかった」

僕も50歳の時、鎖骨骨折で3ヶ月間の入院生活したことがあって・・・・・・

同じ病棟で「療養型」の部屋がかなりあって、そりゃあ大変です。高齢者の介護って。

まあ、早い話が「ボケ」ですから、子供と一緒です。

80過ぎのオバアサンだったけど、自分を「娘」だと思っちゃう時があるオバアサン。

一晩中、「お母さん呼んできて」って騒いでるんですから、介護士さんも大変です。

もう、20年くらい前の話なんだけど、今はもっとすごいことになってるんだろうねぇ、そういう施設。

だから、そういう施設も職員も、ホントはそういう施設、職員が不必要な社会がいいわけです。

つまり、消防とか警察と一緒で、もっと言えば自衛隊です。そうした官職が必要のない社会が一番いいわけです。

でも、今の日本社会「超高齢化社会」とかですから、否応なしにそういう施設、職員が必要不可欠。

まあ、いずれみんな高齢者になるわけだけど、例えは悪いかもしれないけど公務員だって「清掃員」とかいるわけだし・・・・・

水洗のなかった昔なら、汲み取りだって役所の委託で業者がやってたわけで、まあ、言ったら「準公務員」です。

つまり、民間ではできないこと。それが、消防士であり、警察官、自衛官です。

で、介護職、「必要性」がこれだけ騒がれてるわけだし、足りない足りないって騒いでるわけだし・・・・・・

役所にだってそうした事への対策をする「福祉課」だってあるわけだから介護職はそこが職員として雇用すること。

民間に丸投げして、低賃金で3Kさせないで、ちゃんと身分保障して、消防だって警察だってそうなんだから。

まあ、自衛隊だっていいわけです。何も軍事目的だけじゃあないくたっていいんだから。

当然、自衛隊、災害救助救援活動だってやってるんだから。そういうところで採用して身分保障をすること。

そしたら、消費税上げてそれを地方自治体に配分して雇用する、文句はそうは出ないはずです・・・・・・

少なくとも、団塊世代Jrが片付くまでの今後50年くらいまで、4人に一人が高齢者なんだから。

つまり、国のかたちそのものが変わっていくわけですから、「介護離職ゼロ」とか言ってないで「公務員」として採用する。

そして採用後「介護課」に配属され「介護職」を担う、まあ、それが消防署、自衛隊だっていいわけです。

少なくとも、「任務」として全うしてもらう、当然、給与も、身分保障もです。

どうも政治家の話を聞いていると「他人事」としか思えない発言ばかり。まあ、自分たちには関係ないからしょうがないんだが。

つまり、金目にならないと政治は動きません。悪い慣習です「UR=甘利=レクサス」ですから。

【介護殺人】介護職員は全員「公務員」に。

  


Posted by 昭和24歳  at 15:03Comments(0)

2016年02月16日

清原くんで群馬が有名になっちゃいました(;´д`)

清原くんで群馬が有名になっちゃいました(;´д`)


↑群馬のイメージだそうです゚(゚´Д`゚)゚

群馬の密売人を逮捕、清原容疑者に覚醒剤譲り渡した疑い
 覚醒剤を所持していたとして元プロ野球選手の清原和博容疑者(48)が逮捕された事件をめぐり、警視庁組織犯罪対策5課は15日、覚せい剤取締法違反(営利目的譲渡)容疑で、清原容疑者に覚醒剤を売っていた群馬県みどり市の無職、小林和之容疑者(44)を逮捕した。「まったく知りません」と容疑を否認している。

 逮捕容疑は1月31日午後9時ごろ、同県太田市のコンビニ駐車場の車の中で、覚醒剤約0・2グラムを4万円で清原容疑者に譲り渡したとしている。同課は2月15日午後5時半ごろ、小林容疑者を立ち回り先の沖縄県内で逮捕した。

<抜粋引用:産経新聞 2月16日(火)0時13分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160216-00000501-san-soci

まあ、全国営業してた時だけど・・・・・

群馬ってどこにあるか知ってる?

「知らない」

「雪国?」

「あっ、温泉があるところね」

まあ、その程度の認知度の群馬だけど、年の行った人は・・・・・

「あっ、大久保清」

「連合赤軍」

と、イメージ悪いです(;´д`)

で、これからは「清原、覚せい剤」です。

やっぱり、イメージ悪いです・・・・・

清原くんで群馬が有名になっちゃいました(;´д`)
  


Posted by 昭和24歳  at 11:53Comments(0)

2016年02月15日

安倍首相夫人は「ペット」。そういえばそうかも(笑)。

安倍首相夫人は「ペット」。そういえばそうかも(笑)。



安倍首相が衝撃の告白!「昭恵夫人にペット用食品をずっと飲ませてた」 ペットフードへの軽減税率の可否めぐり応酬
 安倍晋三首相は15日の衆院予算委員会で、昭恵夫人がペット向けの健康食品を食べ続けていたという衝撃的な事実を明らかにした。

 民主党の古川元久氏は消費税増税の軽減税率の対象品目の線引きについて、動物も人も食べることができるペットフードが対象となるかどうかを質問した。

 財務省の佐藤慎一主税局長は、食品表示法上、人向けの食品であれば軽減税率の対象となるとの答弁。古川氏はさらに「ペットフード業者は、軽減になるということで、人が食べられるものを作ってくるのではないか」と首相に見解を質した。

 首相は「ペット用のセサミン(健康食品の一種)というものがある。それをもらって間違えてうちの家内(昭恵夫人)に渡したら、ずっと飲んでいたこともあった。後で聞いたら中身は全く同じだった」と答え、第1委員室に爆笑が起きた。その上で首相は「食品衛生法上の表示はちゃんとする。そして当然、求められる基準を上回らねばならない」と述べた。

<引用:産経新聞 2月15日(月)12時5分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160215-00000519-san-pol

>うちの家内(昭恵夫人)に渡したら、ずっと飲んでいたこともあった。

まあ、笑っていいんだか、どうなんだか???

>後で聞いたら中身は全く同じだった

そんなはずはないと思うんだけど・・・・・

まっ、そうだったとしても「ペット用」を飲ましちゃいけませんねぇ。

だって、ペット用なら、ニャンコのとかチンクシャの画とか、写真があるはずですけど。

まあ、似てなくもないか。でも国会でバラしちゃう話じゃあないよね。

安倍首相夫人は「ペット」。そういえばそうかも(笑)。

  


Posted by 昭和24歳  at 18:13Comments(0)

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