2016年02月26日

新宿ACB「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」

新宿ACB「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」



僕が初めて「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」を見たのは・・・・・

昭和38年中学3年の夏休み、それは新宿甲州街道と明治通りがぶつかるところのビルの地下にあった「新宿アシベ」。
僕は中学生から渋谷区本町にある従兄の家で夏休みになると2週間ほどを過ごすことにしていた。
従兄の家は、タイル工事業を大きく営んでいて結構な羽振りで、その頃従兄は僕と6歳違い、昭和18年生まれだったから高校を卒業して家業を手伝っていた。
僕も、アルバイトというか、そんないとこの後をついていろんな現場へお供した。まあ、高度経済成長、東京オリンピック目前の頃だったからそれはそれはタイル工事業も忙しかった。職人さんは10人は超えていたんじゃあなかっただろうか・・・・・
で、日曜日、休みが取れると、その6歳上の従兄が僕を映画や、ボウリング、そしてその「アシベ」に連れて行ってくれた。

「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」

もちろん、当時の人気ロカビリー歌手のバックバンド。
人気ロカビリー歌手といえば、「鹿内タカシ」「フランツ・フリーデル」「尾藤イサオ」等など。
そうそう、ダニー飯田とパラダイスキングをバックに「森山加代子」とか「青山ミチ」とかの女性歌手も。
で、僕が見たときはジャッキー吉川とブルーコメッツをバックに歌ってたのは「鹿内タカシ」だった。

新宿「ACB」。いわゆるジャズ喫茶と言われていて、今で言うなら「ライブハウス」だ。

その新宿{ACB」、甲州街道沿いの間口が一軒ほど、螺旋状の階段になっていて地下2階、3階が客席。
で、中2階がステージになっていて、僕のファースト「ACB」、そこは熱気でムンムンしていた。
なにせ14歳の田舎もん、ステージではテレビで見る人が歌っているのを目の当たりにしてすっかり恍惚の少年(笑)。
従兄に引かれるまま、2階席の最前列、そこでは鹿内タカシのバックバンド、 「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」・・・・・・
その、 「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のドラマーが目の前で演奏。
瞬間、他の楽器には、もちろん鹿内タカシにも目もクレず 「ジャッキー吉川」のドラムに釘付けになった。

その時の光景と14歳の少年の熱き血潮の感情冷めやらぬまま高崎に戻った僕。
もう頭の中はあの 「ジャッキー吉川」のドラム」が脳裏に焼き付いて離れない、早速、僕は人づてにドラムの先生を探し当て門を叩いた。
とうじ、群響の打楽器奏者だった「渡辺さん」、確か井野に住んでいて、僕は時間の許す限り自転車で通った。

あれから53年が過ぎようとしている2016年です。
そんな折、ひょんなことからその 「ジャッキー吉川」さんと知古を得る、まさに万に一つもない偶然に運命の不思議に思いを馳、
昨夜は「ブルーシャトウ50周年コンサート」を高崎でということで、もちろん「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」ファンを自他ともに認める各界の皆さんにご賛同いただき由緒ある料亭「暢神荘」にて会食、懇談。

そこでは、「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のデビューのきっかけ、エドサリバンショー出演、ビートルズ東京公演出演・・・・・
紅白歌合戦、レコード大賞、そして「ザ・ヒットパレード」等々で一世風煎した時代のお話を聞かせていただきました。

未だに信じられない気持ちでいっぱいです。

夢のまた夢、ジャッキーさんを新宿「ACB」で見ることがなかったら、僕のドラム人生はなかった。
ドラムという僕のライフワークはなかった。僕にとって神様のような存在のジャッキー吉川さん・・・・・
いつまでも、若々しく、ダイナミックなドラムワークを見せ続けて欲しいと心から願います。

新宿ACB「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」
  


Posted by 昭和24歳  at 18:27Comments(0)

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