2024年03月05日
高崎ロックのルーツは未だ現役
高崎ロックのルーツは未だ現役
高崎のミックジャガーは角刈り!!
昭和44年9月吉日“”ザ・プラネッツ”群馬音楽センターにて...
プラネッツのオープニングテーマはもちろんローリングストーンズでお馴染みの (Time is on My Side)とはいってもストーンズのオリジナルナンバーではない1964年テルミーのB面ギターイントロバージョン。
オリジナルは、アメリカのジャズ・トロンボーン奏者のカイ・ウィンディングが1963年に発表したインスト曲。タイトルの意味は「時間は私の味方」で、歌詞は「俺と別れて自由になりたいと言ってるが、きっと俺の所に戻って来るさ」という内容。
兼谷時男のギターイントロは完璧だった。そのだるいようなギターフレーズで始まるコーラスはリードボーカルの高木賢次郎、ベースの中島憲治、サイドギターの野中恭二、そしてドラムスの渡辺一のフォーカウントで緞帳が開く、と同時に髙木賢次郎のジャンプパフォ-マンスで始まる。
歌サビは高木賢次郎のその音楽センターステージを上手下手と所狭しと走り抜けるその様はまさに高崎「角刈りのミックジャガーだた。
群馬音楽センターというレガシー
群馬音楽センター
建設にあたっては、高崎市の予算が約7億円(合併前の平成16年次の予算が700億円)であった当時、市の予算から1億円、市民の寄付から1億円を募って建設された。
このことから「理想の公共建築」と評されたこともある(実際には、市の予算で2億円、市民の寄付が1億円の合計3億円かかった)。構造形式は最大スパン60mの鉄筋コンクリート折板構造で、内部は地下1階・地上2階で構成されている。
日本の建築家として著名な磯崎新に「日本におけるモダニズムのもっとも良質な部分をこの建物でみることができる。」と言わしめた。
しかし建設後50年を経過し、各部の老朽化が目立ち始めたことから、音楽ホールとしての機能を疑問視する意見もある。
<詳細:http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2964/2009/47gunma/gunma.htm>
「公国立スカラ新劇場(Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala)」の名で1778年8月3日に落成
座席数は3000席とか・・・・・・
その1778年来改修に改修を重ね今日位に至ってるとか。
つまり、およそ227年のレガシーです。
「群馬音楽センター」が老朽化だって・・・・・?
じゃあ、なんで50年くらいで草臥れちゃうようなやつを、いったい誰が設計したんだ?
いったい、どこのドイツが建築したんだ???
まあ、ゲージツなんて古くなればなるほど味が出てきますね、ワビ、サビです。
つまり、なんですか、群馬音楽センターがあったんじゃあ新しい「音楽ホール」ができないから?
1999年にはDOCOMOMO Japanが選定する「日本の近代建築20選」(あとの「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」)にも選ばれ、日本に於けるモダニズム建築の代表の一つとされる。
だそうです・・・・・・
どうするんだ?壊すのか?
まあ、「市民投票」でもするんだな。
それで壊すんだったら、それまでだろうし、民度ですから。
で、維持、修繕費とかったってあの21階の市役所庁舎ほどからんでしょうに。
まあ、あれも、あと50年で老朽化ですけど・・・・・・
群馬音楽センターというレガシー
ちなみに、クラシックじゃあないけど・・・・・・
19の時、「群馬音楽センター」でリサイタルやりました「GS」の。GSったってガソリンスタンドじゃありません(笑)。
思い出深い場所です。あれから47年が過ぎました、老朽化しています(^_^;)
でも、まだメンバー全員存命、あっ残念天才ギタリスト兼谷時男はお先に失礼しちゃいましたけど2年ほど前に、
まっそいつこそレガシーかも、だって19歳にしてジミヘン、クラプトン完コピなんだから、今でも目に浮かぶよ紫の煙、そうそうついぞものにならなかったロバジョンの♪クロスロード♪どうしてかって?、ドラムの渡辺がどうしても叩けねえって言うからさ、そしたら兼谷・・・
育英のケネスてえ3年坊が叩けてるから「ケネスに教わってきたら」だって(笑)
群馬音楽センターというレガシー
高崎のミックジャガーは角刈り!!
昭和44年9月吉日“”ザ・プラネッツ”群馬音楽センターにて...
プラネッツのオープニングテーマはもちろんローリングストーンズでお馴染みの (Time is on My Side)とはいってもストーンズのオリジナルナンバーではない1964年テルミーのB面ギターイントロバージョン。
オリジナルは、アメリカのジャズ・トロンボーン奏者のカイ・ウィンディングが1963年に発表したインスト曲。タイトルの意味は「時間は私の味方」で、歌詞は「俺と別れて自由になりたいと言ってるが、きっと俺の所に戻って来るさ」という内容。
兼谷時男のギターイントロは完璧だった。そのだるいようなギターフレーズで始まるコーラスはリードボーカルの高木賢次郎、ベースの中島憲治、サイドギターの野中恭二、そしてドラムスの渡辺一のフォーカウントで緞帳が開く、と同時に髙木賢次郎のジャンプパフォ-マンスで始まる。
歌サビは高木賢次郎のその音楽センターステージを上手下手と所狭しと走り抜けるその様はまさに高崎「角刈りのミックジャガーだた。
群馬音楽センターというレガシー
群馬音楽センター
建設にあたっては、高崎市の予算が約7億円(合併前の平成16年次の予算が700億円)であった当時、市の予算から1億円、市民の寄付から1億円を募って建設された。
このことから「理想の公共建築」と評されたこともある(実際には、市の予算で2億円、市民の寄付が1億円の合計3億円かかった)。構造形式は最大スパン60mの鉄筋コンクリート折板構造で、内部は地下1階・地上2階で構成されている。
日本の建築家として著名な磯崎新に「日本におけるモダニズムのもっとも良質な部分をこの建物でみることができる。」と言わしめた。
しかし建設後50年を経過し、各部の老朽化が目立ち始めたことから、音楽ホールとしての機能を疑問視する意見もある。
<詳細:http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2964/2009/47gunma/gunma.htm>
「公国立スカラ新劇場(Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala)」の名で1778年8月3日に落成
座席数は3000席とか・・・・・・
その1778年来改修に改修を重ね今日位に至ってるとか。
つまり、およそ227年のレガシーです。
「群馬音楽センター」が老朽化だって・・・・・?
じゃあ、なんで50年くらいで草臥れちゃうようなやつを、いったい誰が設計したんだ?
いったい、どこのドイツが建築したんだ???
まあ、ゲージツなんて古くなればなるほど味が出てきますね、ワビ、サビです。
つまり、なんですか、群馬音楽センターがあったんじゃあ新しい「音楽ホール」ができないから?
1999年にはDOCOMOMO Japanが選定する「日本の近代建築20選」(あとの「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」)にも選ばれ、日本に於けるモダニズム建築の代表の一つとされる。
だそうです・・・・・・
どうするんだ?壊すのか?
まあ、「市民投票」でもするんだな。
それで壊すんだったら、それまでだろうし、民度ですから。
で、維持、修繕費とかったってあの21階の市役所庁舎ほどからんでしょうに。
まあ、あれも、あと50年で老朽化ですけど・・・・・・
群馬音楽センターというレガシー
ちなみに、クラシックじゃあないけど・・・・・・
19の時、「群馬音楽センター」でリサイタルやりました「GS」の。GSったってガソリンスタンドじゃありません(笑)。
思い出深い場所です。あれから47年が過ぎました、老朽化しています(^_^;)
でも、まだメンバー全員存命、あっ残念天才ギタリスト兼谷時男はお先に失礼しちゃいましたけど2年ほど前に、
まっそいつこそレガシーかも、だって19歳にしてジミヘン、クラプトン完コピなんだから、今でも目に浮かぶよ紫の煙、そうそうついぞものにならなかったロバジョンの♪クロスロード♪どうしてかって?、ドラムの渡辺がどうしても叩けねえって言うからさ、そしたら兼谷・・・
育英のケネスてえ3年坊が叩けてるから「ケネスに教わってきたら」だって(笑)
群馬音楽センターというレガシー
Posted by 昭和24歳
at 11:41
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