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2010年08月15日
終戦の日に、ふと・・・・・
終戦の日に、ふと・・・・・

終戦…蛍のように儚く消えた二つの命。激化する戦火の下、兄妹で生きることを選んだ清太14歳と節子4歳。愛情と無情が交錯する感涙の物語。
雨上がりの夕暮れを見て・・・・・
娘が、言いました。
「空になりたいな」
・・・って。
「どうして?」
って聞くと・・・
「死なないから」
って。
「パパも死んじゃうの?」
「パパは死なないよ。ず~っと生きている、リョウがいいよって言うまで」
「よかった」
ですって・・・・・
子どもの幸せって、「安心」なんですね。
欲望の欠片もない・・・ただ、安寧を安らかに求め、そして健やかに。
日の丸も「パンツ」・・・
憲法も「パンツ」・・・
だって、はいてなければ恥ずかしいでしょう(笑)。
その程度のものなのに・・・・・・
・・・・・なのに、寄って集って「パンツを下ろせ」とか、「パンツを替えるな」とか。
この国に限ったことではないけど、生活する人と、為す人は、どうやら人種が違うようですね。
この歳で、小さな子どもを持つといろいろ考えさせられます。
世界中で子どもが泣いている。
笑っている子どもは僅か・・・・・・
“ホタルの墓”の季節ですね。
・・・・・僕は何度も子どもと観ます。
「パパたちの子どもの頃って可哀相だったんだね」
って。
昭和24年生まれですから敗戦、終戦は知りませんけど・・・・・・・
そういうことにしておいてます。今のところ(笑)。
アンドロメダ・・・・・
200万光年余。
その銀河には、未だ僕たちの存在はないのです。
“200万光年も彼方・・・・・
未だこの地球の姿は“石器時代”。
光の速さが映し出す今のこの地球は“石器時代”。
拝金資本主義は生活を消耗します・・・・・・
それは医療も社会保障も知りません。
社会保険も、医療保険も実は官僚の打ち出の小槌。
僕はもういいけど、子どもたちにはきっと重石。
娘が母親になる頃・・・・・
終戦の日に、ふと・・・・・

終戦…蛍のように儚く消えた二つの命。激化する戦火の下、兄妹で生きることを選んだ清太14歳と節子4歳。愛情と無情が交錯する感涙の物語。
雨上がりの夕暮れを見て・・・・・
娘が、言いました。
「空になりたいな」
・・・って。
「どうして?」
って聞くと・・・
「死なないから」
って。
「パパも死んじゃうの?」
「パパは死なないよ。ず~っと生きている、リョウがいいよって言うまで」
「よかった」
ですって・・・・・
子どもの幸せって、「安心」なんですね。
欲望の欠片もない・・・ただ、安寧を安らかに求め、そして健やかに。
日の丸も「パンツ」・・・
憲法も「パンツ」・・・
だって、はいてなければ恥ずかしいでしょう(笑)。
その程度のものなのに・・・・・・
・・・・・なのに、寄って集って「パンツを下ろせ」とか、「パンツを替えるな」とか。
この国に限ったことではないけど、生活する人と、為す人は、どうやら人種が違うようですね。
この歳で、小さな子どもを持つといろいろ考えさせられます。
世界中で子どもが泣いている。
笑っている子どもは僅か・・・・・・
“ホタルの墓”の季節ですね。
・・・・・僕は何度も子どもと観ます。
「パパたちの子どもの頃って可哀相だったんだね」
って。
昭和24年生まれですから敗戦、終戦は知りませんけど・・・・・・・
そういうことにしておいてます。今のところ(笑)。
アンドロメダ・・・・・
200万光年余。
その銀河には、未だ僕たちの存在はないのです。
“200万光年も彼方・・・・・
未だこの地球の姿は“石器時代”。
光の速さが映し出す今のこの地球は“石器時代”。
拝金資本主義は生活を消耗します・・・・・・
それは医療も社会保障も知りません。
社会保険も、医療保険も実は官僚の打ち出の小槌。
僕はもういいけど、子どもたちにはきっと重石。
娘が母親になる頃・・・・・
終戦の日に、ふと・・・・・
2010年08月15日
8.15“終戦記念日”
8.15“終戦記念日”

東條英機とは何者だったのか。感情的な断罪や讃美を排し、綿密な資料調査と徹底的な取材を通して、なぜ軍人が総理大臣となり、戦争へと突き進んでいったのかを明らかにする。幼少期から軍人の道を歩み始め、やがて戦争指導者となり、敗戦、東京裁判へといたる過程と、その人物像をさぐることで、近代日本の実像へとせまる。あの戦争を歴史として、冷静かつ正確に認識するためにも必読の名著。
「海軍は腰ぬけだ・・・・・
戦争はやってみなければわからない」とか。
<東條英機首相>
なぜ戦争をはじめたのか!!???
4年間にわたる米英との「太平洋戦争」。
今にして思えば“4年間”も戦争をするというその日本政府の無謀さ・・・・・
当時、昭和16年、その時点で日本の国際的位置付けはどうであったのか。
たしかに、明治来「日清戦争」「日露戦争」と・・・・・・
この米欧の「白人至上主義」の国際社会にアジア地域における、唯一、
独立軍事国家
としてその将来を模索する時代だったが・・・・・
はたして“米英”を相手の開戦が日本の命運のカギであったかは今にして、多いなる疑問だ。
つまり、「米英」がいかなる思想の国家なのか・・・・・
当時は地球上のほとんどの民族を白色人種、英米仏蘭西独伊が、その地を武力で侵略、略奪、虐殺を繰り返し、
植民地支配、隷属化し、さらにそこで、その侵略者である白人種同士が、国家間で植民地の・・・・・・・
権益争奪戦
を繰り返していた、そんな時代だった。
当然、それはこの日本もその対象の例外ではなかった。
それが江戸幕府崩壊から明治維新の流れとなっていったのだが、その意味では、欧米にとってこの国、日本を、
「植民地にするほどの“価値”」
がなかったか・・・・・
それに、とりあえずは武士、武家が統治する「軍事国家」であったがため、
あえて侵略戦争を仕掛けて手間をかけるより、
内乱、内戦工作、つまり革命を惹起させその「革命政府」を隷属化させる政策を米英はとった。
明治革命(維新)政府に莫大な戦費を貸与し、武器、弾薬、軍艦を売り「日清・日露戦争」を工作した米英。
つまりそれが、「日本の近代化」、文明開化の源泉であった。
まもなく勃発した、欧米の「第一次世界大戦」は遠く離れた極東、日本の産業、経済発展に大きく寄与し、
結果、そのことが日本の中国大陸侵略戦争へ道を開くこととなり・・・・・・
そもそも英国の「アヘン戦争」来、米欧の権益争奪の場であった中国大陸。
そこへ日本がその意味では「米英の子分」の存在であるにもかかわらず、
「辛亥革命」
で没した清朝、最後の皇帝“愛新覚羅溥儀”(アイシンカクラフギ)を皇帝に仕立て昭和7年・・・・・
“大日本帝国”は関東軍を侵攻させ満州全土を占領し、
「満州国」

“愛新覚羅溥儀”復活させたラストエンペラー
を、事実上日本政府の傀儡政権として誕生させた。
しかしその満州一帯は、欧米、とくに「米国の権益」・・・・・・
つまり「親分のシマ」に「子分」が勝手に入り込んで賭場を開いてしまった。
当然、米英は日本政府に「満州から手を引くこと」迫り、そのためのあらゆる手段を講じ、
決定的な最後通牒が後の・・・・・・
米国国務長官「ハル・ノート」
アメリカ側から提示された交渉案である。
その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ・・・・・・・
およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、
日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものであった。
概要は以下の10項目からなる↓
1.アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する
2.日本の仏印(フランス領インドシナ)からの即時撤兵
3.日本の中国からの即時撤兵
4.日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府をも認めない
5.日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄
6.通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄 –
10.本協定内容の両国による推進
つまり、大日本帝国はこの米国の通牒に従い中国(満州国は含まれず?)、欧アジアの欧米植民地からの即時撤兵し、
英米に屈し隷属化(?)の道を行くか・・・・・・・
この通牒を無視し米英と開戦し将来への死活を探るか・・・・・・
現在の北朝鮮の核開発廃棄にからむ「米朝交渉」に似ているような似ていないような(?)。
そこでの大きな違いは、ありとあらゆる段階において、北朝鮮政府が「狡猾」であると言うことはいえまいか(笑)。
当然、当時の日本と英米の国力は、今日の“米朝”のそれほどではないにしても、そこには天と地ほどの差があった。
はっきり言えば、「天皇の」という、大日本帝国の“沽券”でしかなかった・・・・・・
「交渉力」の貧困、つまりは「外交力」が無力だということ。
それにしても米英相手に4年間も戦争をするとは狂気でしかない。
もっとも、実質戦争をしたのは日本政府ではなく「日本国民」だけだった・・・・・・
「天皇陛下の命令」「天皇陛下のため」。
そのために死んでいった無辜の命300万余・・・・・・
それは、その姿は今も変わらない日本国政府の国民無視。
財政再建のためと消費税10%を言う政府、何人国民を殺したらすむのか・・・・・・
8.15“終戦記念日”

東條英機とは何者だったのか。感情的な断罪や讃美を排し、綿密な資料調査と徹底的な取材を通して、なぜ軍人が総理大臣となり、戦争へと突き進んでいったのかを明らかにする。幼少期から軍人の道を歩み始め、やがて戦争指導者となり、敗戦、東京裁判へといたる過程と、その人物像をさぐることで、近代日本の実像へとせまる。あの戦争を歴史として、冷静かつ正確に認識するためにも必読の名著。
「海軍は腰ぬけだ・・・・・
戦争はやってみなければわからない」とか。
<東條英機首相>
なぜ戦争をはじめたのか!!???
4年間にわたる米英との「太平洋戦争」。
今にして思えば“4年間”も戦争をするというその日本政府の無謀さ・・・・・
当時、昭和16年、その時点で日本の国際的位置付けはどうであったのか。
たしかに、明治来「日清戦争」「日露戦争」と・・・・・・
この米欧の「白人至上主義」の国際社会にアジア地域における、唯一、
独立軍事国家
としてその将来を模索する時代だったが・・・・・
はたして“米英”を相手の開戦が日本の命運のカギであったかは今にして、多いなる疑問だ。
つまり、「米英」がいかなる思想の国家なのか・・・・・
当時は地球上のほとんどの民族を白色人種、英米仏蘭西独伊が、その地を武力で侵略、略奪、虐殺を繰り返し、
植民地支配、隷属化し、さらにそこで、その侵略者である白人種同士が、国家間で植民地の・・・・・・・
権益争奪戦
を繰り返していた、そんな時代だった。
当然、それはこの日本もその対象の例外ではなかった。
それが江戸幕府崩壊から明治維新の流れとなっていったのだが、その意味では、欧米にとってこの国、日本を、
「植民地にするほどの“価値”」
がなかったか・・・・・
それに、とりあえずは武士、武家が統治する「軍事国家」であったがため、
あえて侵略戦争を仕掛けて手間をかけるより、
内乱、内戦工作、つまり革命を惹起させその「革命政府」を隷属化させる政策を米英はとった。
明治革命(維新)政府に莫大な戦費を貸与し、武器、弾薬、軍艦を売り「日清・日露戦争」を工作した米英。
つまりそれが、「日本の近代化」、文明開化の源泉であった。
まもなく勃発した、欧米の「第一次世界大戦」は遠く離れた極東、日本の産業、経済発展に大きく寄与し、
結果、そのことが日本の中国大陸侵略戦争へ道を開くこととなり・・・・・・
そもそも英国の「アヘン戦争」来、米欧の権益争奪の場であった中国大陸。
そこへ日本がその意味では「米英の子分」の存在であるにもかかわらず、
「辛亥革命」
で没した清朝、最後の皇帝“愛新覚羅溥儀”(アイシンカクラフギ)を皇帝に仕立て昭和7年・・・・・
“大日本帝国”は関東軍を侵攻させ満州全土を占領し、
「満州国」

“愛新覚羅溥儀”復活させたラストエンペラー
を、事実上日本政府の傀儡政権として誕生させた。
しかしその満州一帯は、欧米、とくに「米国の権益」・・・・・・
つまり「親分のシマ」に「子分」が勝手に入り込んで賭場を開いてしまった。
当然、米英は日本政府に「満州から手を引くこと」迫り、そのためのあらゆる手段を講じ、
決定的な最後通牒が後の・・・・・・
米国国務長官「ハル・ノート」
アメリカ側から提示された交渉案である。
その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ・・・・・・・
およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、
日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものであった。
概要は以下の10項目からなる↓
1.アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する
2.日本の仏印(フランス領インドシナ)からの即時撤兵
3.日本の中国からの即時撤兵
4.日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府をも認めない
5.日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄
6.通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄 –
10.本協定内容の両国による推進
つまり、大日本帝国はこの米国の通牒に従い中国(満州国は含まれず?)、欧アジアの欧米植民地からの即時撤兵し、
英米に屈し隷属化(?)の道を行くか・・・・・・・
この通牒を無視し米英と開戦し将来への死活を探るか・・・・・・
現在の北朝鮮の核開発廃棄にからむ「米朝交渉」に似ているような似ていないような(?)。
そこでの大きな違いは、ありとあらゆる段階において、北朝鮮政府が「狡猾」であると言うことはいえまいか(笑)。
当然、当時の日本と英米の国力は、今日の“米朝”のそれほどではないにしても、そこには天と地ほどの差があった。
はっきり言えば、「天皇の」という、大日本帝国の“沽券”でしかなかった・・・・・・
「交渉力」の貧困、つまりは「外交力」が無力だということ。
それにしても米英相手に4年間も戦争をするとは狂気でしかない。
もっとも、実質戦争をしたのは日本政府ではなく「日本国民」だけだった・・・・・・
「天皇陛下の命令」「天皇陛下のため」。
そのために死んでいった無辜の命300万余・・・・・・
それは、その姿は今も変わらない日本国政府の国民無視。
財政再建のためと消費税10%を言う政府、何人国民を殺したらすむのか・・・・・・
8.15“終戦記念日”