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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2010年08月14日
♪ Route 66 ♪
♪ Route 66 ♪
6月のLAは久しぶりだった・・・・・・
“LAX”
梅雨空の夕暮れに成田を発った時とは比べ物にならないくらい「カラッ」としていて・・・・・・・・
この時差から来る独特の躁鬱感さえなければきっと心地よいに違いない。
だからと言って到着ロビーでボーッとしているわけにもいかないので、
「ヨイショッ」と日本から持ってきた数千個のボビン(JB用)を担いでレンタカーのカウンターに急いだ。
円形のカウンターにはレンタカー会社が数社デスクを置いていた。
特別に細かいオーダーをするわけではないのだが僕は日系のお姉さんのいるカウンターで申し込みすることにしていた。
ハッキリ言って、「日本語」が通じる方が細かいオーダーができるからなのだが・・・・・・
僕は一番小型のフォードにした。もちろんそのリーズナブルさからだ。
早速とランクに荷物を押し込むと戸惑いつつも「あっ、そうか」と左側の運転席に腰を落とした。
まあ、慣れるのにはチョイとと時間がかかる。一番苦労するのが、フラッシャーだ。
つまり、フラッシャーを操作すると、ワイパーが回転してしまう(笑)。
で、キーを回すと自然にシートベルトが・・・・・・・
自由の国アメリカでも不自由なことがあるものだと変な感心の仕方をする。
日本にはこのシステムというか、サービスは無い。これがあれば反則切符の心配はいらないのに。
さて、いつもの事だ、一路、10番のフリーウェイにのる。
何故ならそれはドジャーズスタジアムの裏手にあるチャイナタウンの外れ・・・・・・・・
「ゴールデンシティ」
という広東料理屋へ「ワンタンヌードル・エキストラ」と「チャイニーズブロッコリー・オイスターソース」を、
僕の胃袋が「早くしろ、早くしろ」、と急かせるからだ。
ゴールデンシティのすぐまん前の駐車場に車を停める。
5ヵ月前に通った時のウエイターがまだいた。
香港から留学している学生だという、彼は僕の胃袋の気持を察してくれたかのように・・・・・・・・
僕を見つけると聞覚えのある広東語訛りの英語で厨房に向って、
「XXXXXXーーー!!」
っと大声で叫ぶと、お茶を手に余り清潔そうでない箸と茶碗を「ガッチャッ」とおいた。
とくに愛想はない。
「ハイ」と言って厨房に消えた・・・・・・・・
厨房ではまるで言い争っているかのように広東語が飛び交っていた。
ハリウッドのユニバーサルスタジオで、“ダク博士”と握手(笑)。
数ヶ月ぶりの満足感で10番に戻るとそのまま、あの観光パンフレットでお馴染「Hollywood」のサインを正面に、
サンセットブルバードを西に降りた。
以前シェクターのスタッフだった「ジンボ」のいる「ブギ・ショップ」にパーツの注文をしておくために寄ったが、
ジンボは留守だった。
ところで、アメリカは実に面白い習慣がある。
というより、アメリカ人に言わせると日本の場合が全くその逆になるのだが・・・・・・
それは楽器屋であろうがなんであろが、ローカルなショップは日曜日は休み。
土曜日は半日、ウィークデーでも昼休みはしっかり2時間はちゃんととる。
そんな訳だから、何か注文しておいてもそのこと忘れているととんでもないことになってしまうのだ。
おおよそ、それはアメリカだろうがヨーロッパだろうがそうだろう・・・・・・
まあ、宗教観から来ているのかどうかはわからないが、日本のソレはどうやら世界の非常識らしい。
しかし、アメリカ経済というかGDP、それでちゃんと周っているのだからスゴイといえばスゴイ(笑)。
♪ Route 66 ♪
ナタリー・コールとダイアナ・クラル・・・・・・・
何ってったって、♪ルート66♪はこのバージョンが最高 !!
ジンボとは89年、シカゴ最後の「ナムショー」に行った・・・・・・
僕らはLAからヨレヨレのダッジで、出発寸前までかけてやっと調整の終えた50数本のシェクターを積み込み、
ルート66をまるで歌の文句のようにシカゴへ。
とはいっても、すでにあの「ルート66」は今はない・・・・・・
まあ、全くないというわけではないのだが、早い話が「旧中山道」みたいなもんで、
途中で、途切れ途切れになっていたりで、つながる街町もすでに「ゴーストタウン」だとか。
しかし、あの「ルート66」は今はないが、やはりアメリカに憧れた青春時代を持つ僕らの世代は、
テレビドラマそのものの「ルート66」をひたすら走ることを夢見てしまうのである。
まあ、全長は3,755km。つまり「東京=青森」を5往復する勘定だ・・・・・・
で、どこをどう走ったかは分からない。とにかく「シカゴ」のショーに間に合わせるために丸二日タダひた走った。
まっ、 「フリーウエイ」です。
二日間徹夜同然でビルドアップしていたため、その初めての「LA-シカゴ」の旅も、
車、ダッジの中では爆睡状態で、トイレタイムにフリーウエイを降りてガソリンスタンドでハンバーガーを食べながら・・・・・・
ようやくたどり着いた「シカゴ・コンベンションセンター」。ミシガン湖まで車で数分のところだった。
まあ、とにかくこんなに長い距離車に乗ったことはなかったのでただただだ疲れました。
ソレでも、日本で最長距離、連続で走ったのは札幌から高崎まで。
まあ、途中、「函館-青森」間のフェリーがあったので、連続とは言えないが・・・・・・・・
ソレでも走行距離数は1000キロはるか超えていた。
ところで、僕の夢は、ずっと言ってるんだが、そのアメリカのマザー・ロードの「ルート66」をホンダスーパーカブで走破すること !!
まあ、別に「ホンダスーパーカブ」でなくてもいいわけだけど・・・・・・
僕が初めて乗ったバイクが「ホンダスーパーカブ」だったこと。しかも無免許で、15歳の春でした(笑)。
♪ Route 66 ♪
6月のLAは久しぶりだった・・・・・・
“LAX”
梅雨空の夕暮れに成田を発った時とは比べ物にならないくらい「カラッ」としていて・・・・・・・・
この時差から来る独特の躁鬱感さえなければきっと心地よいに違いない。
だからと言って到着ロビーでボーッとしているわけにもいかないので、
「ヨイショッ」と日本から持ってきた数千個のボビン(JB用)を担いでレンタカーのカウンターに急いだ。
円形のカウンターにはレンタカー会社が数社デスクを置いていた。
特別に細かいオーダーをするわけではないのだが僕は日系のお姉さんのいるカウンターで申し込みすることにしていた。
ハッキリ言って、「日本語」が通じる方が細かいオーダーができるからなのだが・・・・・・
僕は一番小型のフォードにした。もちろんそのリーズナブルさからだ。
早速とランクに荷物を押し込むと戸惑いつつも「あっ、そうか」と左側の運転席に腰を落とした。
まあ、慣れるのにはチョイとと時間がかかる。一番苦労するのが、フラッシャーだ。
つまり、フラッシャーを操作すると、ワイパーが回転してしまう(笑)。
で、キーを回すと自然にシートベルトが・・・・・・・
自由の国アメリカでも不自由なことがあるものだと変な感心の仕方をする。
日本にはこのシステムというか、サービスは無い。これがあれば反則切符の心配はいらないのに。
さて、いつもの事だ、一路、10番のフリーウェイにのる。
何故ならそれはドジャーズスタジアムの裏手にあるチャイナタウンの外れ・・・・・・・・
「ゴールデンシティ」
という広東料理屋へ「ワンタンヌードル・エキストラ」と「チャイニーズブロッコリー・オイスターソース」を、
僕の胃袋が「早くしろ、早くしろ」、と急かせるからだ。
ゴールデンシティのすぐまん前の駐車場に車を停める。
5ヵ月前に通った時のウエイターがまだいた。
香港から留学している学生だという、彼は僕の胃袋の気持を察してくれたかのように・・・・・・・・
僕を見つけると聞覚えのある広東語訛りの英語で厨房に向って、
「XXXXXXーーー!!」
っと大声で叫ぶと、お茶を手に余り清潔そうでない箸と茶碗を「ガッチャッ」とおいた。
とくに愛想はない。
「ハイ」と言って厨房に消えた・・・・・・・・
厨房ではまるで言い争っているかのように広東語が飛び交っていた。
ハリウッドのユニバーサルスタジオで、“ダク博士”と握手(笑)。
数ヶ月ぶりの満足感で10番に戻るとそのまま、あの観光パンフレットでお馴染「Hollywood」のサインを正面に、
サンセットブルバードを西に降りた。
以前シェクターのスタッフだった「ジンボ」のいる「ブギ・ショップ」にパーツの注文をしておくために寄ったが、
ジンボは留守だった。
ところで、アメリカは実に面白い習慣がある。
というより、アメリカ人に言わせると日本の場合が全くその逆になるのだが・・・・・・
それは楽器屋であろうがなんであろが、ローカルなショップは日曜日は休み。
土曜日は半日、ウィークデーでも昼休みはしっかり2時間はちゃんととる。
そんな訳だから、何か注文しておいてもそのこと忘れているととんでもないことになってしまうのだ。
おおよそ、それはアメリカだろうがヨーロッパだろうがそうだろう・・・・・・
まあ、宗教観から来ているのかどうかはわからないが、日本のソレはどうやら世界の非常識らしい。
しかし、アメリカ経済というかGDP、それでちゃんと周っているのだからスゴイといえばスゴイ(笑)。
♪ Route 66 ♪
ナタリー・コールとダイアナ・クラル・・・・・・・
何ってったって、♪ルート66♪はこのバージョンが最高 !!
ジンボとは89年、シカゴ最後の「ナムショー」に行った・・・・・・
僕らはLAからヨレヨレのダッジで、出発寸前までかけてやっと調整の終えた50数本のシェクターを積み込み、
ルート66をまるで歌の文句のようにシカゴへ。
とはいっても、すでにあの「ルート66」は今はない・・・・・・
まあ、全くないというわけではないのだが、早い話が「旧中山道」みたいなもんで、
途中で、途切れ途切れになっていたりで、つながる街町もすでに「ゴーストタウン」だとか。
しかし、あの「ルート66」は今はないが、やはりアメリカに憧れた青春時代を持つ僕らの世代は、
テレビドラマそのものの「ルート66」をひたすら走ることを夢見てしまうのである。
まあ、全長は3,755km。つまり「東京=青森」を5往復する勘定だ・・・・・・
で、どこをどう走ったかは分からない。とにかく「シカゴ」のショーに間に合わせるために丸二日タダひた走った。
まっ、 「フリーウエイ」です。
二日間徹夜同然でビルドアップしていたため、その初めての「LA-シカゴ」の旅も、
車、ダッジの中では爆睡状態で、トイレタイムにフリーウエイを降りてガソリンスタンドでハンバーガーを食べながら・・・・・・
ようやくたどり着いた「シカゴ・コンベンションセンター」。ミシガン湖まで車で数分のところだった。
まあ、とにかくこんなに長い距離車に乗ったことはなかったのでただただだ疲れました。
ソレでも、日本で最長距離、連続で走ったのは札幌から高崎まで。
まあ、途中、「函館-青森」間のフェリーがあったので、連続とは言えないが・・・・・・・・
ソレでも走行距離数は1000キロはるか超えていた。
ところで、僕の夢は、ずっと言ってるんだが、そのアメリカのマザー・ロードの「ルート66」をホンダスーパーカブで走破すること !!
まあ、別に「ホンダスーパーカブ」でなくてもいいわけだけど・・・・・・
僕が初めて乗ったバイクが「ホンダスーパーカブ」だったこと。しかも無免許で、15歳の春でした(笑)。
♪ Route 66 ♪