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2009年04月17日
高崎の偉人
都市鉱山

いつだったろうか・・・・・・
カーラジオで聴いた「都市鉱山」伝説。
「都市鉱山」が日本を救う
まあ、伝説と言っていたかどうかは・・・・・僕の脚色です(笑)。
その中で、 「壁を壊す」の著者、吉川広和同和ホールディングスCEOの実に興味深いお話があった。
環境リサイクル事業:「都市鉱山」は無限の宝 使用済み携帯電話から地金回収
で、その高崎の偉人なんですけど・・・・・・
なんとその吉川広和同和ホールディングスCEOが高崎市出身だった。驚きです。
まあ、高崎市出身とはいっても平成の大合併で高崎市に糾合された箕郷町なんですけど(残念)。
で、さらに驚きは、その吉川広和同和ホールディングスCEOが僕の仕事上の先輩の同級生!!
「いやあ、昨日さぁ、吉川のABLA(Asia Business Leaders Awards)大賞の受賞記念パーティーがあってさ、オレが司会をやったんだよ」
って言うんです。
「あいつはすごいぜ、知ってるだろ、同和ホールディングス、あそこのCEOだ。ワシントンホテルとかのトップだぜ・・・・・
オレとは大違いだけど(笑)。まあ、同級生だし、俺が美術部で吉川は英語部だった。
よく吉川、美術部の部室に遊びに来てたよ。で、東大だろ、あいつ、一切仕送りなしで家庭教師掛け持ちして・・・・・
オレなんかはそこへいくと親の脛かじりで美大だろ、えらい違い。今も・・・・・(笑)。」
まあ、その先輩もそれなりに、その筋では著名というか知る人ぞ知るなんだけど・・・・・・
「いつだったか、ラジオで聴きましたよ、その吉川さんの話。都市鉱山とか、“壁を壊す”とかの会社の話」
「へえ、あいつラジオに出てたの・・・・・・知らなかったなぁ」
まあ、何ともトボケタ先輩なんですけど・・・・・・
実は、その先輩、ずいぶん前にここのブログにも書いた「高崎千年紀委員会」(空想)の筆頭メンバーなんです。
まあ、高崎っていうか、群馬県、結構すごい人がいるもんですね。
ところで、その「高崎千年紀委員会」なんですけど、あまり関係はないんですけど・・・・・・・
昨日の上毛新聞に、「群馬音楽センター建設」についての記事があって、チョット気になりました。
なぜかって言うと、なんでも昭和30年そこそこにその「音楽センター建設構想」が立ちあがったんですけど、その建設資金が当時のおカネで約3億円とか。
たばこ、ピースの値段が60円くらいの時の話だったとかです。その時高崎市民が一人当たり平均1500円くらいの寄付、で、音楽センター建設総工費の半分が賄えたとか・・・・・・
今のおカネなら約5倍ですか、7000円から8000円の寄付ですね。
「昭和の高崎市民の心粋」
で、平成の高崎市民は!!???
っていうような問いかけで記事は終わっているんですけど。その吉川広和さんの「都市鉱山」にも相通ずるんですが・・・・・・
やっぱり、「街づくり」って壮大な構想でないといけないんですね。
前にも書いたけど、コンクリートの建造物、21階の高崎市庁舎ですけどその寿命は精々が60年だそうです。
しかし、とてつもない天変地異か戦争でもない限り、現代、僕らの子々孫々がこの街に生きつづける、生命を繰り返すんですね。
そうしたとき、やはり、200年、300年、いや、500年、千年を見据えた都市の、街の在り方を考える必要が、その自然と尾の共生の中に・・・・・・
つくづくそう思いました。それこそが人類の、人間の叡智ではないだろかと。
同和ホールディングスCEO吉川廣和著、「壁を壊す」を読んで。

いつだったろうか・・・・・・
カーラジオで聴いた「都市鉱山」伝説。
「都市鉱山」が日本を救う
まあ、伝説と言っていたかどうかは・・・・・僕の脚色です(笑)。
その中で、 「壁を壊す」の著者、吉川広和同和ホールディングスCEOの実に興味深いお話があった。
環境リサイクル事業:「都市鉱山」は無限の宝 使用済み携帯電話から地金回収
で、その高崎の偉人なんですけど・・・・・・
なんとその吉川広和同和ホールディングスCEOが高崎市出身だった。驚きです。
まあ、高崎市出身とはいっても平成の大合併で高崎市に糾合された箕郷町なんですけど(残念)。
で、さらに驚きは、その吉川広和同和ホールディングスCEOが僕の仕事上の先輩の同級生!!
「いやあ、昨日さぁ、吉川のABLA(Asia Business Leaders Awards)大賞の受賞記念パーティーがあってさ、オレが司会をやったんだよ」
って言うんです。
「あいつはすごいぜ、知ってるだろ、同和ホールディングス、あそこのCEOだ。ワシントンホテルとかのトップだぜ・・・・・
オレとは大違いだけど(笑)。まあ、同級生だし、俺が美術部で吉川は英語部だった。
よく吉川、美術部の部室に遊びに来てたよ。で、東大だろ、あいつ、一切仕送りなしで家庭教師掛け持ちして・・・・・
オレなんかはそこへいくと親の脛かじりで美大だろ、えらい違い。今も・・・・・(笑)。」
まあ、その先輩もそれなりに、その筋では著名というか知る人ぞ知るなんだけど・・・・・・
「いつだったか、ラジオで聴きましたよ、その吉川さんの話。都市鉱山とか、“壁を壊す”とかの会社の話」
「へえ、あいつラジオに出てたの・・・・・・知らなかったなぁ」
まあ、何ともトボケタ先輩なんですけど・・・・・・
実は、その先輩、ずいぶん前にここのブログにも書いた「高崎千年紀委員会」(空想)の筆頭メンバーなんです。
まあ、高崎っていうか、群馬県、結構すごい人がいるもんですね。
ところで、その「高崎千年紀委員会」なんですけど、あまり関係はないんですけど・・・・・・・
昨日の上毛新聞に、「群馬音楽センター建設」についての記事があって、チョット気になりました。
なぜかって言うと、なんでも昭和30年そこそこにその「音楽センター建設構想」が立ちあがったんですけど、その建設資金が当時のおカネで約3億円とか。
たばこ、ピースの値段が60円くらいの時の話だったとかです。その時高崎市民が一人当たり平均1500円くらいの寄付、で、音楽センター建設総工費の半分が賄えたとか・・・・・・
今のおカネなら約5倍ですか、7000円から8000円の寄付ですね。
「昭和の高崎市民の心粋」
で、平成の高崎市民は!!???
っていうような問いかけで記事は終わっているんですけど。その吉川広和さんの「都市鉱山」にも相通ずるんですが・・・・・・
やっぱり、「街づくり」って壮大な構想でないといけないんですね。
前にも書いたけど、コンクリートの建造物、21階の高崎市庁舎ですけどその寿命は精々が60年だそうです。
しかし、とてつもない天変地異か戦争でもない限り、現代、僕らの子々孫々がこの街に生きつづける、生命を繰り返すんですね。
そうしたとき、やはり、200年、300年、いや、500年、千年を見据えた都市の、街の在り方を考える必要が、その自然と尾の共生の中に・・・・・・
つくづくそう思いました。それこそが人類の、人間の叡智ではないだろかと。
同和ホールディングスCEO吉川廣和著、「壁を壊す」を読んで。
2009年04月17日
ヤマダVSBIC!!
家電流通“上州戦争”!!

旧大蔵官僚、旧国鉄官僚を、通産官僚を、国税官僚、電電公社官僚を天下りにするビックカメラ
昭和43年高崎の藤伍デパートの入り口、高崎駅、北高崎駅の所に・・・・・・
「高崎DPセンター」という一坪か、二坪の、いわゆる「写真現像取次所」が出来た。
確か当時はモノクロです。昭和43年と言えば昭和10年代生まれの若者が次々と結婚・・・・・・
いわゆる、第一次、“ニューファミリー”時代とでも言うんでしょうか。高崎市近郊にも山名団地、豊岡団地と公営団地がつくられ、
その後、昭和50年前後にかけて高崎市の田園風景が、丘陵が、高層、と言っても4階建てや7階建ての市県営住宅・・・・・
そして、50坪前後の分譲地で埋め尽くされ一変、一家に一台の「自家用車時代」で、まさに高度経済成長真っ只中です。
そんな時代、家族の幸せを留める「写真」産業が興隆してきました。
当時はモノクロ写真です。現像代はいくらだったか忘れましたけど、「焼増し」はたしか、一枚40円だった、50円だったかと、相当高額でした。
もっともカメラそのものがキャノン一眼あたりでも2万とか3万円していた時代です。
たしか高卒初任給が17000円、大卒で24000円とかの時代でした。しかし、翌年、昭和44年ころから給料が一挙に倍くらいになったのを憶えています。
昭和46年当時には20歳そこそこで4~5万円前後になっていました・・・・・・
当時僕は、バンドマンでひと月のギャラが、休みなしでしたけどピンハネされても8万円くらいでした。
そんな時代、ご案内の“BICカメラ”の前身「高崎DPセンター」が創業されました。
僕の後輩が、中大類にあった現像所に就職しています。
ところで、その高崎DPセンター、BICカメラの創業者“新井隆二社長”は高崎市江木町の出身です。ご実家は薬局。
お兄さんは安中方面の某総合病院の院長先生です。とある隠れ家で何度かご一献、ご同席頂いたことがありました。
東証データにはその、現在同社代表取締役会長、新井隆二氏、昭和21年5月28日とありますから・・・・・・・・
察するに高崎市立城東小学校、第二中学校、高校、大学は定かではありませんが、まあ今日のその隆盛ぶりを見れば立志伝中の人物であることは確かです。
で、「高崎DPセンター」なんですけど、ご案内のモノクロ写真「焼増し」の市場価格が4、50円のころ何と、1枚10円!!
まあ、“モノクロ”いわゆる「白黒」ですけど、破格値でした!!
で、そうこうするうちに、カラー現像焼増しも通常が1枚7、80円だったモノを40円くらいで・・・・・・
もちろん、中大類にあった自前の「現像所」で。
まあ、その後僕も結婚して子どもが出来てご多分にもれず「写真」です。もうその頃はほとんどがカラーでしたけど、
「高崎DP センター」でしたね・・・・・・とにかく安いですから(笑)。
コレはあくまでも仄聞なんですけど、古くからの「高崎DPセンター」を知る知人に言わせると・・・・・・
その立志伝中の人物新井隆二会長は、一番最初は豊島区大塚の駅前で「薬の安売り」を始めて、若干二十歳そこそこの自分に相当の財をなしたとか。
ビックの創業者は新井隆二会長(62)。ビック株の72.3%を保有するオーナー。群馬県高崎市の薬局の次男坊に生まれた。20歳の時に東京・大塚駅前に薬店を出店。しかし、父親が病気で倒れたため薬店を他人に譲り帰郷。その資金を元手に1968年、高崎DPセンターを開設。72年カメラ販売部門を分離してビックカラー(現ビックカメラ)を設立。78年に東京・池袋に東京店を開設。駅前立地の大型店で快進撃を続けた。
と、まあ、ネット時代です・・・・・・・
すぐに情報の真贋が確かめられます。知人の言っていることは間違ってませんでした。「大塚駅前」(笑)。
そこで、ヤマダVSBIC戦争です!!
家電量販店7位のベスト電器(福岡市、有薗憲一社長)をめぐるM&A(合併・買収)は、最大手のヤマダ電機(群馬県前橋市、山田昇社長)、2位のエディオン(大阪市、久保允誉社長)、5位のビックカメラ(東京都豊島区、宮嶋宏幸社長)の3社の思惑がからみ、長期化の様相を呈してきた。
ベストがM&Aの標的になったのは07年8月。ヤマダが約7%の株式を取得したことが判明。ヤマダは敵対的TOB(株式公開買い付け)をしないとして、ベスト株40%以上を取得し、商品仕入れを一本化する提携を提案した。
ベストはこれに対抗して9月、ビックと提携。ビックはベストの増資を引き受けて9.3%の筆頭株主になり、買収防衛策に協力した。
しかし、すごいですね高崎と前橋の決戦でしょうか!!???
現在家電流通業界ナンバーワンの「ヤマダ電機」の山田昇会長は・・・・・・・

1943年宮崎県生まれ。
1963年、日本ビクターに入社し、品質管理の担当として腕を振るう。
1973年、「人に使われるのが嫌で」ビクターを退社。
その頃勤務していた工場のあった前橋市で「ヤマダ電化センター」を開業し、独立。
電化製品の購入は訪問販売が常識だった当時、顧客開拓の努力と、その場で故障を直せる技術者ならではの強みが功を奏し、好調なすべり出しを見せた。
ヤマダ電機に関する著書では奥様が前橋の人で当地で結婚とありました。
いわゆる「ヤマデン」ですけど、高崎第1号はたしか和田橋を渡ったところだったのではと記憶しています。
高崎では、「コジデン」の方が先駆で僕の知り合いも務めていましたけど、ほとんどの社員さんが「栃木訛り」だったことが印象的でした。
たしか、「コジデン」、コジマ電機は宇都宮が発祥だったような・・・・・・
僕は平成8年5月までエレキの行商で全国を行脚していました。
まだそのころは、北は北海道、南は沖縄まで、ヤマダも、BICもありませんでしたね。わずか12年ほど前の話ですけど。
池袋に特大の“BICカメラ”が誕生して、そこでFUJICAのビデオカメラを買った憶えがあります。
その意味では、首都圏争奪戦では“ヤマデン”の方が“BIC”よりは後発でした。
現在、ヤマデンはその売り上げ“1兆円超”とかのマンモス家電流通企業です。
その店舗数は直営360店舗、フランチャイズ等を含めれば700店超とかです・・・・・・
一方、“BICカメラ”は売り上げでは業界5位と遅れをとるも、九州のベスト電器とのM&Aで2位に!!
店舗展開では池袋、新宿、有楽町、渋谷、そして地方では名古屋、大阪、札幌、広島、福岡、等々と大都市圏で。
まあ、その意味では家電の「上州戦争」はほぼ決着がついたようですが、栄華盛衰は世の常です・・・・・・・
アノ巨大流通「ダイエー」がそうであったように、ある時を境に一挙に崩れ落ちないとも限りません。
企業は進化するか・・・・・・
それとも、退化するか、そのいずれかです。
しかし、20世紀後半から、21世紀の始まりに、間近にこの巨大流通企業の行方を見ることができるのも何かの巡り合わせかも知れません。
人の命に限りがあるように、万物に限りがあるとすれば、実に面白いものを見せてもらっているような気がします。
独禁法違反で取締りを受けたヤマダ電機・・・・・・
BICカメラも証取で問題が指摘いされたりして、新井隆二会長が責任を取る形で相談役に。
それぞれが、官僚の天下りを役員に受け、企業増殖、あるいは維持に懸命である。やはりそこには政治の影も隠せない。
家電両雄といわず、ほとんどが家電メーカーの在庫調整、処理の役割を担うのが現状です。
さて、今後どのようなシナリオが展開されるか・・・・・・

旧大蔵官僚、旧国鉄官僚を、通産官僚を、国税官僚、電電公社官僚を天下りにするビックカメラ
昭和43年高崎の藤伍デパートの入り口、高崎駅、北高崎駅の所に・・・・・・
「高崎DPセンター」という一坪か、二坪の、いわゆる「写真現像取次所」が出来た。
確か当時はモノクロです。昭和43年と言えば昭和10年代生まれの若者が次々と結婚・・・・・・
いわゆる、第一次、“ニューファミリー”時代とでも言うんでしょうか。高崎市近郊にも山名団地、豊岡団地と公営団地がつくられ、
その後、昭和50年前後にかけて高崎市の田園風景が、丘陵が、高層、と言っても4階建てや7階建ての市県営住宅・・・・・
そして、50坪前後の分譲地で埋め尽くされ一変、一家に一台の「自家用車時代」で、まさに高度経済成長真っ只中です。
そんな時代、家族の幸せを留める「写真」産業が興隆してきました。
当時はモノクロ写真です。現像代はいくらだったか忘れましたけど、「焼増し」はたしか、一枚40円だった、50円だったかと、相当高額でした。
もっともカメラそのものがキャノン一眼あたりでも2万とか3万円していた時代です。
たしか高卒初任給が17000円、大卒で24000円とかの時代でした。しかし、翌年、昭和44年ころから給料が一挙に倍くらいになったのを憶えています。
昭和46年当時には20歳そこそこで4~5万円前後になっていました・・・・・・
当時僕は、バンドマンでひと月のギャラが、休みなしでしたけどピンハネされても8万円くらいでした。
そんな時代、ご案内の“BICカメラ”の前身「高崎DPセンター」が創業されました。
僕の後輩が、中大類にあった現像所に就職しています。
ところで、その高崎DPセンター、BICカメラの創業者“新井隆二社長”は高崎市江木町の出身です。ご実家は薬局。
お兄さんは安中方面の某総合病院の院長先生です。とある隠れ家で何度かご一献、ご同席頂いたことがありました。
東証データにはその、現在同社代表取締役会長、新井隆二氏、昭和21年5月28日とありますから・・・・・・・・
察するに高崎市立城東小学校、第二中学校、高校、大学は定かではありませんが、まあ今日のその隆盛ぶりを見れば立志伝中の人物であることは確かです。
で、「高崎DPセンター」なんですけど、ご案内のモノクロ写真「焼増し」の市場価格が4、50円のころ何と、1枚10円!!
まあ、“モノクロ”いわゆる「白黒」ですけど、破格値でした!!
で、そうこうするうちに、カラー現像焼増しも通常が1枚7、80円だったモノを40円くらいで・・・・・・
もちろん、中大類にあった自前の「現像所」で。
まあ、その後僕も結婚して子どもが出来てご多分にもれず「写真」です。もうその頃はほとんどがカラーでしたけど、
「高崎DP センター」でしたね・・・・・・とにかく安いですから(笑)。
コレはあくまでも仄聞なんですけど、古くからの「高崎DPセンター」を知る知人に言わせると・・・・・・
その立志伝中の人物新井隆二会長は、一番最初は豊島区大塚の駅前で「薬の安売り」を始めて、若干二十歳そこそこの自分に相当の財をなしたとか。
ビックの創業者は新井隆二会長(62)。ビック株の72.3%を保有するオーナー。群馬県高崎市の薬局の次男坊に生まれた。20歳の時に東京・大塚駅前に薬店を出店。しかし、父親が病気で倒れたため薬店を他人に譲り帰郷。その資金を元手に1968年、高崎DPセンターを開設。72年カメラ販売部門を分離してビックカラー(現ビックカメラ)を設立。78年に東京・池袋に東京店を開設。駅前立地の大型店で快進撃を続けた。
と、まあ、ネット時代です・・・・・・・
すぐに情報の真贋が確かめられます。知人の言っていることは間違ってませんでした。「大塚駅前」(笑)。
そこで、ヤマダVSBIC戦争です!!
家電量販店7位のベスト電器(福岡市、有薗憲一社長)をめぐるM&A(合併・買収)は、最大手のヤマダ電機(群馬県前橋市、山田昇社長)、2位のエディオン(大阪市、久保允誉社長)、5位のビックカメラ(東京都豊島区、宮嶋宏幸社長)の3社の思惑がからみ、長期化の様相を呈してきた。
ベストがM&Aの標的になったのは07年8月。ヤマダが約7%の株式を取得したことが判明。ヤマダは敵対的TOB(株式公開買い付け)をしないとして、ベスト株40%以上を取得し、商品仕入れを一本化する提携を提案した。
ベストはこれに対抗して9月、ビックと提携。ビックはベストの増資を引き受けて9.3%の筆頭株主になり、買収防衛策に協力した。
しかし、すごいですね高崎と前橋の決戦でしょうか!!???
現在家電流通業界ナンバーワンの「ヤマダ電機」の山田昇会長は・・・・・・・

1943年宮崎県生まれ。
1963年、日本ビクターに入社し、品質管理の担当として腕を振るう。
1973年、「人に使われるのが嫌で」ビクターを退社。
その頃勤務していた工場のあった前橋市で「ヤマダ電化センター」を開業し、独立。
電化製品の購入は訪問販売が常識だった当時、顧客開拓の努力と、その場で故障を直せる技術者ならではの強みが功を奏し、好調なすべり出しを見せた。
ヤマダ電機に関する著書では奥様が前橋の人で当地で結婚とありました。
いわゆる「ヤマデン」ですけど、高崎第1号はたしか和田橋を渡ったところだったのではと記憶しています。
高崎では、「コジデン」の方が先駆で僕の知り合いも務めていましたけど、ほとんどの社員さんが「栃木訛り」だったことが印象的でした。
たしか、「コジデン」、コジマ電機は宇都宮が発祥だったような・・・・・・
僕は平成8年5月までエレキの行商で全国を行脚していました。
まだそのころは、北は北海道、南は沖縄まで、ヤマダも、BICもありませんでしたね。わずか12年ほど前の話ですけど。
池袋に特大の“BICカメラ”が誕生して、そこでFUJICAのビデオカメラを買った憶えがあります。
その意味では、首都圏争奪戦では“ヤマデン”の方が“BIC”よりは後発でした。
現在、ヤマデンはその売り上げ“1兆円超”とかのマンモス家電流通企業です。
その店舗数は直営360店舗、フランチャイズ等を含めれば700店超とかです・・・・・・
一方、“BICカメラ”は売り上げでは業界5位と遅れをとるも、九州のベスト電器とのM&Aで2位に!!
店舗展開では池袋、新宿、有楽町、渋谷、そして地方では名古屋、大阪、札幌、広島、福岡、等々と大都市圏で。
まあ、その意味では家電の「上州戦争」はほぼ決着がついたようですが、栄華盛衰は世の常です・・・・・・・
アノ巨大流通「ダイエー」がそうであったように、ある時を境に一挙に崩れ落ちないとも限りません。
企業は進化するか・・・・・・
それとも、退化するか、そのいずれかです。
しかし、20世紀後半から、21世紀の始まりに、間近にこの巨大流通企業の行方を見ることができるのも何かの巡り合わせかも知れません。
人の命に限りがあるように、万物に限りがあるとすれば、実に面白いものを見せてもらっているような気がします。
独禁法違反で取締りを受けたヤマダ電機・・・・・・
BICカメラも証取で問題が指摘いされたりして、新井隆二会長が責任を取る形で相談役に。
それぞれが、官僚の天下りを役員に受け、企業増殖、あるいは維持に懸命である。やはりそこには政治の影も隠せない。
家電両雄といわず、ほとんどが家電メーカーの在庫調整、処理の役割を担うのが現状です。
さて、今後どのようなシナリオが展開されるか・・・・・・
2009年04月17日
神の国の僕たち
神の国の僕たち

アノ不良女優の桃井かおりまでが・・・・・・
「“オーラ”というモノを初めてみました!!」
とかいってテレビで興奮していました(笑)。
わかりません・・・・・!!???
もし僕がそこに招かれて、いいわゆる“神”陛下と目を合わせることになったとしたら・・・・・・
“オーラ”
感じるかも知れませんね・・・・・・???
たしかに“オーラ”ですけど・・・・・・・
去年、国営放送で当時の財務大臣とか、元総務大臣とかと、いわゆる「権力サイド」の人たちでしょうか・・・・・・・
まあ、スタジオに現れるなり、それなりのSPとかをご引率なんですけど、つまり特別な人たちです。
しかし、なんの“オーラ”も感じませんでした。ただ臭いだけです(笑)。
まあ、僻みで言うんじゃあありませんけど・・・・・・・
じゃあ、どうなんです、この国!!???
いいですよ、イギリスみたいに「女王陛下の国」でもなんでも・・・・・・・
まあ、今朝のニュースです!!
<推計人口>4人に3人が戦後生まれに 減少幅、秋田が最大
4月16日22時10分配信 毎日新聞
総務省は16日、国勢調査を基にした08年10月1日現在の年齢・都道府県別推計人口を発表した。1945(昭和20)年8月15日以降の戦後生まれは9645万6000人と、総人口(1億2769万2000人)の75.5%を占め、推計を取り始めた1950年以来初めて75%を超えた。4人に3人が初めて戦後生まれとなった。
だいいち、戦後なんて・・・・・・
誰も知りません。
わが娘、平成6年生まれですけど・・・・・・・
「パパ、天皇陛下ってなに?愛子さまってなに・・・・・!!???」
どうなんでしょう・・・・・・
お叱りを受けるかも知れません!!
しかし、民主主義を言いながら、その戦後世代が「3人に一人」といいながら・・・・・・・
「園遊会」っていったい何なんでしょうか・・・・・・!!???が正直なところです。
まあ、歴史です、伝統です・・・・・それが「歌会始」とかなら、「ああ、なるほどなぁ」と分からないわけでもありません。
しかし、「園遊会」という、つまりこの国に功績のあった人たちだけを特別に「お招きして」の・・・・・・
いわゆる、「神」とのご対面。
で、一応にお招きにあった人々は「緊張の面持ちで」、“オーラ”を言う・・・・・
で、今の皇太子が天皇に即位しても“オーラ”なの・・・・・・
女帝問題で揺れてますけど、いわゆる“愛子さま”が「女王陛下」でも“オーラ“なの!!???
いいです!!
国民が決めることです!!
徳川時代は、いわゆる「お公家」という存在で、ほとんどの国民はその存在すら意識していませんでした。
権現と言えば「徳川家康」でした・・・・・・
明治維新です!!
明治維新がどうのこうのではありません!!
明治維新は、薩長、土佐の下級武士の革命です。で、所詮下級武士です・・・・・・
革命を起こして、政権を転覆したところで国民の信頼を得ることはそう容易いことではありません。
そこで、それまでには見せなかった「神の国の創造」です・・・・・・
ハッキリ言って、大久保利通にしろ、先の「篤姫」の所にしろ、この国の統治には揺れていた。
僕らの祖父母が生まれた時代です。明治の大帝が日清日露戦争を勝利した・・・・・・
そして、明治大帝の崩御には時の陸軍大将、乃木希介が夫婦で殉じた。
そして大正昭和と、これまで数千年のその歴史を装丁するかのごとく今日のこの国の形を築いた。
たったの1世紀そこそこである・・・・・・・
それぞれの、それぞれの国にはそれぞれの国なりの歴史、謂われはある。
しかし、今この時代、僕ら戦後生まれが、あの「未曽有」の漆黒敗戦を通じて、得た今日の和平、この時代に・・・・・・・
子、そして孫を持つにいたった僕らが、この国の歴史の「事実」をどう伝え残すかを、
今朝の「園遊会」のニュース、テレビ報道をを見てつくづく思った。
色々なご意見はあろうかと思いますが、これはこの国の将来を占う極めて重い問題ではないのだろうか・・・・・
と、思う次第です。

アノ不良女優の桃井かおりまでが・・・・・・
「“オーラ”というモノを初めてみました!!」
とかいってテレビで興奮していました(笑)。
わかりません・・・・・!!???
もし僕がそこに招かれて、いいわゆる“神”陛下と目を合わせることになったとしたら・・・・・・
“オーラ”
感じるかも知れませんね・・・・・・???
たしかに“オーラ”ですけど・・・・・・・
去年、国営放送で当時の財務大臣とか、元総務大臣とかと、いわゆる「権力サイド」の人たちでしょうか・・・・・・・
まあ、スタジオに現れるなり、それなりのSPとかをご引率なんですけど、つまり特別な人たちです。
しかし、なんの“オーラ”も感じませんでした。ただ臭いだけです(笑)。
まあ、僻みで言うんじゃあありませんけど・・・・・・・
じゃあ、どうなんです、この国!!???
いいですよ、イギリスみたいに「女王陛下の国」でもなんでも・・・・・・・
まあ、今朝のニュースです!!
<推計人口>4人に3人が戦後生まれに 減少幅、秋田が最大
4月16日22時10分配信 毎日新聞
総務省は16日、国勢調査を基にした08年10月1日現在の年齢・都道府県別推計人口を発表した。1945(昭和20)年8月15日以降の戦後生まれは9645万6000人と、総人口(1億2769万2000人)の75.5%を占め、推計を取り始めた1950年以来初めて75%を超えた。4人に3人が初めて戦後生まれとなった。
だいいち、戦後なんて・・・・・・
誰も知りません。
わが娘、平成6年生まれですけど・・・・・・・
「パパ、天皇陛下ってなに?愛子さまってなに・・・・・!!???」
どうなんでしょう・・・・・・
お叱りを受けるかも知れません!!
しかし、民主主義を言いながら、その戦後世代が「3人に一人」といいながら・・・・・・・
「園遊会」っていったい何なんでしょうか・・・・・・!!???が正直なところです。
まあ、歴史です、伝統です・・・・・それが「歌会始」とかなら、「ああ、なるほどなぁ」と分からないわけでもありません。
しかし、「園遊会」という、つまりこの国に功績のあった人たちだけを特別に「お招きして」の・・・・・・
いわゆる、「神」とのご対面。
で、一応にお招きにあった人々は「緊張の面持ちで」、“オーラ”を言う・・・・・
で、今の皇太子が天皇に即位しても“オーラ”なの・・・・・・
女帝問題で揺れてますけど、いわゆる“愛子さま”が「女王陛下」でも“オーラ“なの!!???
いいです!!
国民が決めることです!!
徳川時代は、いわゆる「お公家」という存在で、ほとんどの国民はその存在すら意識していませんでした。
権現と言えば「徳川家康」でした・・・・・・
明治維新です!!
明治維新がどうのこうのではありません!!
明治維新は、薩長、土佐の下級武士の革命です。で、所詮下級武士です・・・・・・
革命を起こして、政権を転覆したところで国民の信頼を得ることはそう容易いことではありません。
そこで、それまでには見せなかった「神の国の創造」です・・・・・・
ハッキリ言って、大久保利通にしろ、先の「篤姫」の所にしろ、この国の統治には揺れていた。
僕らの祖父母が生まれた時代です。明治の大帝が日清日露戦争を勝利した・・・・・・
そして、明治大帝の崩御には時の陸軍大将、乃木希介が夫婦で殉じた。
そして大正昭和と、これまで数千年のその歴史を装丁するかのごとく今日のこの国の形を築いた。
たったの1世紀そこそこである・・・・・・・
それぞれの、それぞれの国にはそれぞれの国なりの歴史、謂われはある。
しかし、今この時代、僕ら戦後生まれが、あの「未曽有」の漆黒敗戦を通じて、得た今日の和平、この時代に・・・・・・・
子、そして孫を持つにいたった僕らが、この国の歴史の「事実」をどう伝え残すかを、
今朝の「園遊会」のニュース、テレビ報道をを見てつくづく思った。
色々なご意見はあろうかと思いますが、これはこの国の将来を占う極めて重い問題ではないのだろうか・・・・・
と、思う次第です。