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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2009年04月02日

高齢者、母子家庭、弱者切り捨て



オイッ、いいかげんで解散しろよ!!


4月から負担増、ヒドくなる庶民生活
2009/4/2 日刊ゲンダイ

高齢者、母子家庭、弱者切り捨て


バラマキ定額給付金や燃油サーチャージ値下げで、「海外旅行だ」「給付金セールだ」と消費意欲が高まっているかのような報道が目立つ。
しかし、浮かれるあまりムダ遣いするのは禁物だ。お年寄りなどを中心に、4月から“負担増メニュー”がズラリだからだ。


全国で「また老人イジメか!」と大ブーイングなのが、後期高齢者医療制度の月額保険料一部負担増。75歳以上で年金収入が年80万超〜168万円以下の場合、均等割り軽減が85%から70%になって負担増となる。
これまでの年6000円強ほどの負担から、1万2600円程度にまで倍増する見込みだ。

また、65歳以上の介護保険料が月平均4090円から4270円程度となり、年2160円ほどの増額。国民年金保険料は月250円アップし、年間にして3000円の負担増である。

「母子家庭も大変です。15歳以下の子供がいる家庭に支給されていた生活保護の母子加算が、4月から廃止されます。
06年には東京23区で月2万3000円だった支給額が、昨年は7800円に減り、今年はついにゼロ。働きたくても不況で仕事が見つかりません」(母子家庭の40代主婦)

多くの電力会社は電気代を下げるが、中部・九州電力は値上げ。ガス代も東京や大阪ではアップだ。

経済ジャーナリストの荻原博子氏が言う。

「3月決算時期で株価が値上がりしていますが、4月以降は市場は一段と冷え込むでしょう。
春闘はベアゼロや賃下げが相次ぎ、多くの家庭では家計が厳しくなると予想されます。パーッと使いたい気持ちも分かるが、油断してはいけません」

今の状況下、定額給付金でパーッとなんてサラリーマンは、まあいないだろうけど。


問題はこの国の荒廃と選挙民の低次元
日刊ゲンダイ(04月02日10時00分)

県知事がみんなバカタレントの再就職口になってしまったら…

森田健作氏(59)が得票100万票超で勝利した千葉県知事選。予想された結果とはいえ、次点の民主推薦・吉田平氏(49)に約38万票もの大差で圧勝である。いったい千葉県民の民度はどうなっているのか、との嘆きも聞こえてくる。

選挙期間中、大マスコミはほとんど報じていなかったが、タレント国会議員だった森田氏のこれまでの政治行動をよく思い出して欲しい。



まあ、政府の情報機関の戦略が功を奏して、NHKまでが小沢降ろしと偽装テポドンを垂れ流しまくる。

で、庶民の暮らしとかなんですけど・・・・・・

定額給付金は一回こっきりの12000円で、年金税やら保険税は増税に次ぐ増税です(笑)。

「くどいなあ」って言われそうですが、高速道路の土日、1000円ポッキリも憲法違反の詐欺話・・・・・・

まあ、国民、呑気です。

トヨタをはじめとする大企業、軒並みボーナスダウンとかです。
コレまで毎年1兆円から積み上げてきた利益はどこかへ隠しちまったんでしょうか(笑)。

で、政府に「雇用調整助成金」ですか?

たまりませんね。庶民というか国民・・・・・・

まあ、このまま自公政権なら小泉政権の時の法律で国民、ケツの毛までむしり取られます。


<麻生首相>赤字国債辞さず 追加経済対策で補正予算編成へ
毎日新聞(03月31日13時15分)

麻生太郎首相は31日昼、与謝野馨財務・金融・経済財政担当相、二階俊博経済産業相ら政府・与党幹部と国会内で会談し、4月中旬までに追加経済対策を取りまとめるよう正式に指示した。首相は「状況によっては赤字国債の発行も辞さない気持ちでやっていく」と述べ、09年度補正予算案の編成に前向きな考えを示した。 与党側からは自民党の細田博之幹事長や公明党の太田昭宏代表らが出席し、それぞれの党内で検討中の追加対策の…

まあこんなもんです・・・・・・

特別会計に自公政権は手を突っ込む算段はないようです。

小沢民主党はそれをやると言ってます。だもの漆間には潰されますわなぁ・・・・・・

政権交代させなくちゃあとんでもないことになります。





  


Posted by 昭和24歳  at 17:56Comments(2)

2009年04月02日

森田健作、失職か!!



自民党なのに無党派を偽装「おれは男だ!!」ですけど・・・・・
わかってます、どう見ても女には見えませんから。
モリケンのホームページにLINK



森田健作、違法献金発覚…政治資金規正法に抵触か
05、06年外国人持ち株比率50%以上の企業から

千葉県知事選で初当選した元衆院議員の森田健作氏(59)に、違法献金問題が発覚した。
自身が代表を務める政治団体が2005年と06年、外国人や外国法人の持ち株比率が50%を超える企業から献金を受けていたのだ。
改正前の政治資金規正法(企業・団体献金の外資規制)に抵触した可能性もあり、森田氏の事務所でも事実関係を調べている。



へ~“ドンキホーテ”ですか・・・・・・

まあ、自民党東京支部長とかなのに無党派装う、偽装はよくありませんね。

まあ、ネット時代です。情報公開しなくても勝手に情報が独り歩きしてしまいます。良くも悪くも。

こんな記事もです↓

<森田健作氏>自民党支部献金の一部を自身の団体に寄付3月30日13時35分配信 毎日新聞

千葉県知事選で政党色を出さない選挙運動で初当選した森田健作氏が、自民党の政党支部「自民党東京都衆院選挙区第2支部」の代表を現在も務め、この支部が受けた企業献金の一部を森田氏の資金管理団体に寄付していたことが分かった。


「完全無所属」実は「自民支部長」…千葉知事当選の森田氏

千葉県知事選で100万票余を獲得して初当選した元衆院議員の森田健作氏(59)が、現在も東京都の自民党支部長を務めていたことがわかった。
 森田氏は、政党と距離を置く「完全無所属」をアピールして無党派層の支持を集めており、一夜明けた30日の記者会見で「近く支部を解散したい」との考えを明らかにした。
 森田氏が支部長を務めるのは、自民党東京都衆議院選挙区第2支部(東京都中央区)。森田氏が参院議員だった1995年1月に設立された。衆院議員に転じた森田氏が2003年10月に辞めた後も、支部は存続している。

 収支報告書によると、支部長の登録は本名の「鈴木栄治」。04~07年には計1億6185万円の企業・団体献金を受け、同時期に計1億5030万円を、同支部と同じ事務所で、森田氏が代表を務める資金管理団体「森田健作政経懇話会」に寄付していた。使途については、「知事選には使っていない。知事選に無所属での出馬を決意する前に、自民党候補の応援などのために使った」と釈明した。

(2009年3月30日14時20分 読売新聞)


森田健作知事“ 集中砲火”に逆ギレ

29日投開票の千葉県知事選で初当選した俳優の森田健作元衆議院議員(59)が30日、千葉市の選挙事務所で会見した。100万票を超える圧勝劇からの一夜明け。無党派を強調しながら森田氏が現在も自民党支部の代表を務めていることや、支部が受けた企業献金が森田氏側に流れていることなど、報道陣から手厳しい質問の“集中砲火”を浴びた。途中、森田氏が声を荒らげる場面もあり、前夜のお祝いムードから一転、嵐の船出を予感させた。

政治資金収支報告書です
森田健作政策懇話会(代表:鈴木栄治)

鈴木栄治って森田健作新知事の本名です。


まあ、そろそろ総選挙ですけど・・・・・

また低投票率なんでしょうか50%前後の???

民主党の仮事務所、小沢さんの顔消えちゃったし。

どうするんでしょ・・・・・

「百年に一度の危機」だっていうのに。


  


Posted by 昭和24歳  at 13:41Comments(7)

2009年04月02日

追想“横丁の風景”



赤バットの川上ファンだった小学校3年のころの僕。もちろん長嶋も王もまだいない、そんな時代。


時代だ。僕の横町には駄菓子屋が多かった・・・・・・

そういえば横町のとっつきには山田畳店、その隣が「大塚」とかいった赤提灯だった。

その赤提灯と、対面の「安藤自転車店」をおいて、「山盛、長井」と駄菓子屋が2店、軒を並べていた。
並べたと云うよりは、長屋状態で、安藤自転車、山盛、長井、そして持田鮮魚店と棟続きだったように憶えている。

そうだ、自転車屋の「安藤の浩ちゃん」。

何処で自転車屋の修行をしたかは知らないが、僕等が物心付く頃には三〇代そこそこで既に独立していて「社長」。
今で言うなら青年実業家で威勢がよかった。
まあ、横丁の若社長の趣で羽振りも良かったようで、いち早く時代に先駆けてテレビなんかも何処よりも早く入っていて、
僕らも浩ちゃんにお嫁さんが来るまでは毎晩のようにテレビを観に寄せてもらっていた。

安藤の浩ちゃん。けっこう面倒見が良かった。

まあ当時のこと、自転車屋と言えば最もハイカラな商売だったに違いない。
その内には自転車と花のオートバイの全盛時代。
黒金のスクーター、富士のラビット、ホンダのスーパーカブ、カワサキの四気筒混合燃料のピカピカのバイクが・・・・・・
その店先に燦然と輝いていた。

その安藤の浩ちゃん・・・・・・・

晩年と言うか60そこそこで平成の始まりの頃に亡くなった。
自転車屋の方は時代の盛衰か、ホームセンターに圧され店は閉めていた。
何でも市内の大型ホームセンターの自転車売り場に勤めているとか言っていたが・・・・・・・
横丁の寄り合いなどでは昔の「青年実業家」の面影もなくどことなしに淋しそうにしていたのが今でも気になる。

そうそう、安藤の浩ちゃんは、
東地区の消防「第四分団」で、時には勇ましい「火消し」の井出達で僕ら子どもの憧れの的だった。

「おうっ、みんなもデッカクなったら消防団へえるんだぞっ!!」

と、それが口癖の浩ちゃんだった。

今でもその「安藤自転車店」の店先で、自転車のパンク修理、バイクのエンジン調整をする浩ちゃんの姿・・・・・・
そしてそれをしゃがんで興味深々に見入る僕らの姿が見えるような気がする。

「浩ちゃん有り難う」


その安藤自転車店の隣が「山盛模型店」です。

模型店とは言ってもほとんどが「駄菓子」ばかりを商っていた・・・・・・・・
僕らは「やまもり」と屋号をつけて勝手に呼んでいた。
そんな「やまもり」だったけど天井には竹籤を組んで、紙を貼った、ゴム駆動の模型飛行機が所狭しと吊るされていた。

山盛模型店の駄菓子屋は、小父さんも小母さんも僕等子ども達の間では評判があまりよろしくなかった。
と云うのも小父さんは模型作りの名人のようで本業は何であったか知らなかったが・・・・・・
後々に長男が「山盛一平」と云う名前で「看板屋」で結構、著名であったことからも小父さん、
その手の有能な職人さんだったのかも知れない。

小父さん明治生まれのいかにも武骨な「職人風情」の趣をしていた。
晩年にはすでに店じまいしていた軒先で良く日向ぼっこをしていた姿が目に浮かぶ・・・・・

小母さんは、後妻さんで僕等と同世代の息子と5歳くらい年上の兄貴がいたが、とにかく商い屋にしては愛想が悪く、
僕ら子どもにはとにかく意地が悪かった。
もっともその頃の「ガキ」の僕ら、今にして思えば僕らの方が小五月蝿くて始末に終えたもんじゃあなかったのかも知れないが。
しかし、その小母さん晩年は人が変わったように善いお婆ちゃんになり、数年前に葬送した。


となりの駄菓子屋「長井」は冬場は一卓だが、「お好み焼」なるものもやっていた。
僕より2級上の「明ちゃん」と言う男の子がいた。
駄菓子の種類は山盛よりはずっと豊富で、小母さんは愛想もよかった・・・・・

やはり、その「長井」で僕等は「駄菓子」の真髄を覚えた。「ソースイカ、ボタンキョウ、サグリ…」と、何でもあった。

僕が今でも忘れられないのが「ソースイカ」と「ボタンキョウ」。
それは忘れられないと言うよりは、もう二度と口にすることができないものだからなのかも知れない。

戦後の話だ、今のように食品衛生法も糸瓜もあったもんじゃあない(笑)。
しかし当時、ほとんどの子ども、ガキ連中、なにを食おうがそう腹を壊してひっくり返ったとかの話はあまり聞かなかった。

もちろん今のように冷蔵庫があるわけではない・・・・・・・
考えてみれば駄菓子であろうが、食品であろうができ立てのほやほやで「新鮮」そのもの(多分)。
賞味期限だの消費期限だの、そんなもんは無い。

思えば、贅沢だったのかも知れない。

駄菓子屋「長井」。本業は、小母さんのご亭主は下駄職人だったようだ・・・・・・
壁、軒には桐下駄やら、朴歯やら、鼻緒の部品が所狭しと並び吊るされていたのを憶えている。
本来は下駄屋であったようだ。
当時は下駄の鼻緒どころか、「歯」まで差し替えて使っていた時代であった。
中には、歯を差し込む溝も磨り減って下駄を草履のように、
裏に古タイヤのキレッパシを貼り付けてはいていたのも見たことがある・・・・・
(ブリジストンの興りがその古タイヤの草履屋だったとかの話をどこかで読んだ。)

もっとも物もない時代だったが、物もとことん大事に使い倒した時代でもあった。
まっ、早い話が買い換える「お金」が無かったと言うのが本当のところかもしれなかったのだが。

思えば「ないほうがある」のかも知れない・・・・・・

何かが。
  


Posted by 昭和24歳  at 10:59Comments(0)

2009年04月02日

50年後の高崎

50年後のわが街「たかさき」を想像してみよう。



高崎市は、広大な関東平野の北端に位置する、群馬県を代表する都市です。市の人口は34万人を超え、面積は401.01平方キロメートルに及びます。これから、特例市から中核市へ移行を進めます。


50年後・・・・・2059年。

もちろん僕はいない。昭和の最後の年、昭和64年生まれの市民が71歳になる年だ。

今日、今、「オギャーッ」と生まれた赤ちゃんが50歳・・・・・・

当然、元号は平成から“泰平”とでも。

一体全体、「わが街高崎」はどんな街になっているだろうか。

もちろん今の21階の市庁舎も老朽化で「建て替え」が市議会でもまれているころではないか・・・・・

鉄筋コンクリートの寿命が60年~70年だというから、まあその威容も墓標のような趣かも知れない。

高崎音楽センターが僕が13歳の時だから今47歳。
すでにその寿命がささやかれ補強改修工事もままならないとかで箱モノ屋さんが五月蠅い。

ところで、その2059年ころには日本の人口も6000万人台に落ち着いてる頃だ。統計上。

まあ、戦争でもなければの話、天変地異がなければの話だけれど・・・・・・

考えてみると、50年後って、そんな先の話ではない。

なぜかと言えば、50年昔は僕が10歳。つい昨日のことのような話である。

しかし、その50年昔から比べると高崎の街も随分と面妖というか趣が変わってきた・・・・・

その50年昔の「わが街高崎」は・・・・・昭和34年。

まだデパートといえるほどのものはなかったが、それでも連雀町の四つ角に「高島屋ストア」と、銀座通りには「おしゃれデパート」。
そういえば本町三丁目に「フードセンター」ができたのもそのころではなかっただろうか・・・・・

映画館、「オリオン座」が出来たのもその年、確か昭和34年のころだった。


町内というか横丁には魚屋、八百屋、肉屋、酒屋、米屋、饅頭屋、電器屋、小間物屋、荒物屋、豆屋、塩屋、薬局・・・・・・
煙草屋、乾物屋、豆腐屋、駄菓子屋、等々etcで、
少し足を延ばして半径2、300メートルなら洋品店、帽子店、蕎麦屋、喫茶店、瀬戸物屋・・・・・

そうそう、僕の家の3軒隣の表通りにはパチンコ屋まであった(笑)。

自転車屋、旗屋、建具屋、竹屋、鍛冶屋、下駄屋、畳屋・・・・・・

まあ、早い話が、横丁そのものが“ショッピングモール”みたいなもので、まさに「オンデマンド」です。

まあ、朝餉、夕餉には豆腐屋さん、納豆屋さん、卵屋さんがセールスに来る。八百屋さんも僕の隣んちが、
その八百屋の「引き売り」だった。

そんなショッピングモール、イオンのような横丁がいつの間にか「消えた」・・・・・

あれだけ朝な、夕なに騒然としていた横丁から人も家も、突然のように消えた。

こんな地方都市にも、そう、高砂町という横丁にも高層マンションが2棟、3棟、4棟・・・・・・

街中にそんな「マンション」が今も数棟。で、このご時世です。その部屋の明かりも疎ら。

今、盛んに騒がれている高齢化社会だが、思えば当時、ほとんどの家には「おじいさん」と「おばあさん」がいた。

まあ、その意味では、あの戦争で20代、30代の男衆はほとんどが兵隊にとられたから・・・・・・
まさにその戦争時代というか昭和10年代は「高齢化社会」そのものではなかっただろうか。

僕の家の両隣にもおじいさんおばあさんがいた、その向こうの家にも、そのまた向こうの家にも。


50年後の高崎・・・・・

市町村合併を繰り返し、人口を水増ししてもどんどん街は小さくなる現実。

いわれる「右肩上がり」に政治も、経済も思考することの限界地に来ているのではないか・・・・・

「都市の寿命」

しかし、都市が消えてなくなるわけではない。たしかに「限界集落」とかの山間地の住居は消えてゆくだろうけど、
都市そのものは人口収縮し変幻しながらも・・・・・・

つねに「生まれ変わってゆく」。新しく、新しく。


おそらく50年後には医療技術も相当に発達し、その意味ではある程度「高齢社会」も落ち着いてきているのではないだろうか。
ただし、少子化と、最近言われていることは「独居」の中高年が激増しているとかの話・・・・・

つまり、結婚しない男女。

その結婚しない男女がそのまま高齢化した時の問題・・・・・・

それ自体が少子高齢化の問題でもあるのだが、かといって、結婚も、離婚も突き詰めれば個々人の問題で、
そのことに社会が闇雲に強制できることではない。

つまり、配偶者のいない、子どものいない「独居者」がその少子高齢化社会の中に3割とか4割・・・・・・
今現在でも40代、50代に限って言うと7人に一人の割合で「独居」だという。

実は、僕のカミさん4人姉妹で他の三人は50代の独身・・・・・・

僕の友人にもその「独居高齢者」は今数えただけでも、7、8人はいる。


50年後の高崎・・・・・

社会構造が全く今のこの環境と変わるのに政治、行政がその「右肩上がり」の虚構の「明るい街」しか想像しない。

そうした中で、財政だけはさも深刻そうに「将来にツケを残すわけにはいかない」とかで増税を言っている。

たしかに、少子高齢化は大きな社会問題、いや、環境問題である。

さらに、財政でいえば今日のこの莫大な負債を、人口そのものが半滅しようというのにどうしてそれを賄い、解決できるというのだろうか・・・・・・

しかし、街が小さくなる、国が小さくなるということは必ずしも悲観することではない。

その意味では、日本以外の先進国のほとんどが米国を例外にすれば東西統合のドイツ連邦共和国でさえ8231万人・・・・・・
フランス、英国、イタリアも6000万人台。

つまり、人口構造の差はあるとしても・・・・・・

50年後の日本、というか「高崎」は欧州並みの都市環境になるということではないか。

北欧に至っては大きいスウェーデンでも1000万人弱です。


既得権益保護の土建行政、箱モノ行政は終止することです。

人権保護の見地からの行政。そして都市環境は暮らしとしてのコミュニティの充実と景観としての森、公園都市の創造。

当然家族と暮らす、生活するということは理想ですが、「独居」を視野に入れた生活環境づくり・・・・・・

その意味での、社会、コミュニティが充実してくればその環境の中での家族も生まれるはずです。

「100年に一度の危機」

いい機会かもしれません。

それは景気回復ではなく「人間らしい生活、社会の回復」を目指すべきです。

50年後の「わが街高崎」のためには・・・・・・


今、20代、30代のあなた・・・・・・

これは、あなた自身の問題なのです。

僕らのいない「わが街高崎」の・・・・・


  


Posted by 昭和24歳  at 01:44Comments(2)

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