2009年04月02日
50年後の高崎
50年後のわが街「たかさき」を想像してみよう。
高崎市は、広大な関東平野の北端に位置する、群馬県を代表する都市です。市の人口は34万人を超え、面積は401.01平方キロメートルに及びます。これから、特例市から中核市へ移行を進めます。
50年後・・・・・2059年。
もちろん僕はいない。昭和の最後の年、昭和64年生まれの市民が71歳になる年だ。
今日、今、「オギャーッ」と生まれた赤ちゃんが50歳・・・・・・
当然、元号は平成から“泰平”とでも。
一体全体、「わが街高崎」はどんな街になっているだろうか。
もちろん今の21階の市庁舎も老朽化で「建て替え」が市議会でもまれているころではないか・・・・・
鉄筋コンクリートの寿命が60年~70年だというから、まあその威容も墓標のような趣かも知れない。
高崎音楽センターが僕が13歳の時だから今47歳。
すでにその寿命がささやかれ補強改修工事もままならないとかで箱モノ屋さんが五月蠅い。
ところで、その2059年ころには日本の人口も6000万人台に落ち着いてる頃だ。統計上。
まあ、戦争でもなければの話、天変地異がなければの話だけれど・・・・・・
考えてみると、50年後って、そんな先の話ではない。
なぜかと言えば、50年昔は僕が10歳。つい昨日のことのような話である。
しかし、その50年昔から比べると高崎の街も随分と面妖というか趣が変わってきた・・・・・
その50年昔の「わが街高崎」は・・・・・昭和34年。
まだデパートといえるほどのものはなかったが、それでも連雀町の四つ角に「高島屋ストア」と、銀座通りには「おしゃれデパート」。
そういえば本町三丁目に「フードセンター」ができたのもそのころではなかっただろうか・・・・・
映画館、「オリオン座」が出来たのもその年、確か昭和34年のころだった。
町内というか横丁には魚屋、八百屋、肉屋、酒屋、米屋、饅頭屋、電器屋、小間物屋、荒物屋、豆屋、塩屋、薬局・・・・・・
煙草屋、乾物屋、豆腐屋、駄菓子屋、等々etcで、
少し足を延ばして半径2、300メートルなら洋品店、帽子店、蕎麦屋、喫茶店、瀬戸物屋・・・・・
そうそう、僕の家の3軒隣の表通りにはパチンコ屋まであった(笑)。
自転車屋、旗屋、建具屋、竹屋、鍛冶屋、下駄屋、畳屋・・・・・・
まあ、早い話が、横丁そのものが“ショッピングモール”みたいなもので、まさに「オンデマンド」です。
まあ、朝餉、夕餉には豆腐屋さん、納豆屋さん、卵屋さんがセールスに来る。八百屋さんも僕の隣んちが、
その八百屋の「引き売り」だった。
そんなショッピングモール、イオンのような横丁がいつの間にか「消えた」・・・・・
あれだけ朝な、夕なに騒然としていた横丁から人も家も、突然のように消えた。
こんな地方都市にも、そう、高砂町という横丁にも高層マンションが2棟、3棟、4棟・・・・・・
街中にそんな「マンション」が今も数棟。で、このご時世です。その部屋の明かりも疎ら。
今、盛んに騒がれている高齢化社会だが、思えば当時、ほとんどの家には「おじいさん」と「おばあさん」がいた。
まあ、その意味では、あの戦争で20代、30代の男衆はほとんどが兵隊にとられたから・・・・・・
まさにその戦争時代というか昭和10年代は「高齢化社会」そのものではなかっただろうか。
僕の家の両隣にもおじいさんおばあさんがいた、その向こうの家にも、そのまた向こうの家にも。
50年後の高崎・・・・・
市町村合併を繰り返し、人口を水増ししてもどんどん街は小さくなる現実。
いわれる「右肩上がり」に政治も、経済も思考することの限界地に来ているのではないか・・・・・
「都市の寿命」
しかし、都市が消えてなくなるわけではない。たしかに「限界集落」とかの山間地の住居は消えてゆくだろうけど、
都市そのものは人口収縮し変幻しながらも・・・・・・
つねに「生まれ変わってゆく」。新しく、新しく。
おそらく50年後には医療技術も相当に発達し、その意味ではある程度「高齢社会」も落ち着いてきているのではないだろうか。
ただし、少子化と、最近言われていることは「独居」の中高年が激増しているとかの話・・・・・
つまり、結婚しない男女。
その結婚しない男女がそのまま高齢化した時の問題・・・・・・
それ自体が少子高齢化の問題でもあるのだが、かといって、結婚も、離婚も突き詰めれば個々人の問題で、
そのことに社会が闇雲に強制できることではない。
つまり、配偶者のいない、子どものいない「独居者」がその少子高齢化社会の中に3割とか4割・・・・・・
今現在でも40代、50代に限って言うと7人に一人の割合で「独居」だという。
実は、僕のカミさん4人姉妹で他の三人は50代の独身・・・・・・
僕の友人にもその「独居高齢者」は今数えただけでも、7、8人はいる。
50年後の高崎・・・・・
社会構造が全く今のこの環境と変わるのに政治、行政がその「右肩上がり」の虚構の「明るい街」しか想像しない。
そうした中で、財政だけはさも深刻そうに「将来にツケを残すわけにはいかない」とかで増税を言っている。
たしかに、少子高齢化は大きな社会問題、いや、環境問題である。
さらに、財政でいえば今日のこの莫大な負債を、人口そのものが半滅しようというのにどうしてそれを賄い、解決できるというのだろうか・・・・・・
しかし、街が小さくなる、国が小さくなるということは必ずしも悲観することではない。
その意味では、日本以外の先進国のほとんどが米国を例外にすれば東西統合のドイツ連邦共和国でさえ8231万人・・・・・・
フランス、英国、イタリアも6000万人台。
つまり、人口構造の差はあるとしても・・・・・・
50年後の日本、というか「高崎」は欧州並みの都市環境になるということではないか。
北欧に至っては大きいスウェーデンでも1000万人弱です。
既得権益保護の土建行政、箱モノ行政は終止することです。
人権保護の見地からの行政。そして都市環境は暮らしとしてのコミュニティの充実と景観としての森、公園都市の創造。
当然家族と暮らす、生活するということは理想ですが、「独居」を視野に入れた生活環境づくり・・・・・・
その意味での、社会、コミュニティが充実してくればその環境の中での家族も生まれるはずです。
「100年に一度の危機」
いい機会かもしれません。
それは景気回復ではなく「人間らしい生活、社会の回復」を目指すべきです。
50年後の「わが街高崎」のためには・・・・・・
今、20代、30代のあなた・・・・・・
これは、あなた自身の問題なのです。
僕らのいない「わが街高崎」の・・・・・
高崎市は、広大な関東平野の北端に位置する、群馬県を代表する都市です。市の人口は34万人を超え、面積は401.01平方キロメートルに及びます。これから、特例市から中核市へ移行を進めます。
50年後・・・・・2059年。
もちろん僕はいない。昭和の最後の年、昭和64年生まれの市民が71歳になる年だ。
今日、今、「オギャーッ」と生まれた赤ちゃんが50歳・・・・・・
当然、元号は平成から“泰平”とでも。
一体全体、「わが街高崎」はどんな街になっているだろうか。
もちろん今の21階の市庁舎も老朽化で「建て替え」が市議会でもまれているころではないか・・・・・
鉄筋コンクリートの寿命が60年~70年だというから、まあその威容も墓標のような趣かも知れない。
高崎音楽センターが僕が13歳の時だから今47歳。
すでにその寿命がささやかれ補強改修工事もままならないとかで箱モノ屋さんが五月蠅い。
ところで、その2059年ころには日本の人口も6000万人台に落ち着いてる頃だ。統計上。
まあ、戦争でもなければの話、天変地異がなければの話だけれど・・・・・・
考えてみると、50年後って、そんな先の話ではない。
なぜかと言えば、50年昔は僕が10歳。つい昨日のことのような話である。
しかし、その50年昔から比べると高崎の街も随分と面妖というか趣が変わってきた・・・・・
その50年昔の「わが街高崎」は・・・・・昭和34年。
まだデパートといえるほどのものはなかったが、それでも連雀町の四つ角に「高島屋ストア」と、銀座通りには「おしゃれデパート」。
そういえば本町三丁目に「フードセンター」ができたのもそのころではなかっただろうか・・・・・
映画館、「オリオン座」が出来たのもその年、確か昭和34年のころだった。
町内というか横丁には魚屋、八百屋、肉屋、酒屋、米屋、饅頭屋、電器屋、小間物屋、荒物屋、豆屋、塩屋、薬局・・・・・・
煙草屋、乾物屋、豆腐屋、駄菓子屋、等々etcで、
少し足を延ばして半径2、300メートルなら洋品店、帽子店、蕎麦屋、喫茶店、瀬戸物屋・・・・・
そうそう、僕の家の3軒隣の表通りにはパチンコ屋まであった(笑)。
自転車屋、旗屋、建具屋、竹屋、鍛冶屋、下駄屋、畳屋・・・・・・
まあ、早い話が、横丁そのものが“ショッピングモール”みたいなもので、まさに「オンデマンド」です。
まあ、朝餉、夕餉には豆腐屋さん、納豆屋さん、卵屋さんがセールスに来る。八百屋さんも僕の隣んちが、
その八百屋の「引き売り」だった。
そんなショッピングモール、イオンのような横丁がいつの間にか「消えた」・・・・・
あれだけ朝な、夕なに騒然としていた横丁から人も家も、突然のように消えた。
こんな地方都市にも、そう、高砂町という横丁にも高層マンションが2棟、3棟、4棟・・・・・・
街中にそんな「マンション」が今も数棟。で、このご時世です。その部屋の明かりも疎ら。
今、盛んに騒がれている高齢化社会だが、思えば当時、ほとんどの家には「おじいさん」と「おばあさん」がいた。
まあ、その意味では、あの戦争で20代、30代の男衆はほとんどが兵隊にとられたから・・・・・・
まさにその戦争時代というか昭和10年代は「高齢化社会」そのものではなかっただろうか。
僕の家の両隣にもおじいさんおばあさんがいた、その向こうの家にも、そのまた向こうの家にも。
50年後の高崎・・・・・
市町村合併を繰り返し、人口を水増ししてもどんどん街は小さくなる現実。
いわれる「右肩上がり」に政治も、経済も思考することの限界地に来ているのではないか・・・・・
「都市の寿命」
しかし、都市が消えてなくなるわけではない。たしかに「限界集落」とかの山間地の住居は消えてゆくだろうけど、
都市そのものは人口収縮し変幻しながらも・・・・・・
つねに「生まれ変わってゆく」。新しく、新しく。
おそらく50年後には医療技術も相当に発達し、その意味ではある程度「高齢社会」も落ち着いてきているのではないだろうか。
ただし、少子化と、最近言われていることは「独居」の中高年が激増しているとかの話・・・・・
つまり、結婚しない男女。
その結婚しない男女がそのまま高齢化した時の問題・・・・・・
それ自体が少子高齢化の問題でもあるのだが、かといって、結婚も、離婚も突き詰めれば個々人の問題で、
そのことに社会が闇雲に強制できることではない。
つまり、配偶者のいない、子どものいない「独居者」がその少子高齢化社会の中に3割とか4割・・・・・・
今現在でも40代、50代に限って言うと7人に一人の割合で「独居」だという。
実は、僕のカミさん4人姉妹で他の三人は50代の独身・・・・・・
僕の友人にもその「独居高齢者」は今数えただけでも、7、8人はいる。
50年後の高崎・・・・・
社会構造が全く今のこの環境と変わるのに政治、行政がその「右肩上がり」の虚構の「明るい街」しか想像しない。
そうした中で、財政だけはさも深刻そうに「将来にツケを残すわけにはいかない」とかで増税を言っている。
たしかに、少子高齢化は大きな社会問題、いや、環境問題である。
さらに、財政でいえば今日のこの莫大な負債を、人口そのものが半滅しようというのにどうしてそれを賄い、解決できるというのだろうか・・・・・・
しかし、街が小さくなる、国が小さくなるということは必ずしも悲観することではない。
その意味では、日本以外の先進国のほとんどが米国を例外にすれば東西統合のドイツ連邦共和国でさえ8231万人・・・・・・
フランス、英国、イタリアも6000万人台。
つまり、人口構造の差はあるとしても・・・・・・
50年後の日本、というか「高崎」は欧州並みの都市環境になるということではないか。
北欧に至っては大きいスウェーデンでも1000万人弱です。
既得権益保護の土建行政、箱モノ行政は終止することです。
人権保護の見地からの行政。そして都市環境は暮らしとしてのコミュニティの充実と景観としての森、公園都市の創造。
当然家族と暮らす、生活するということは理想ですが、「独居」を視野に入れた生活環境づくり・・・・・・
その意味での、社会、コミュニティが充実してくればその環境の中での家族も生まれるはずです。
「100年に一度の危機」
いい機会かもしれません。
それは景気回復ではなく「人間らしい生活、社会の回復」を目指すべきです。
50年後の「わが街高崎」のためには・・・・・・
今、20代、30代のあなた・・・・・・
これは、あなた自身の問題なのです。
僕らのいない「わが街高崎」の・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 01:44
│Comments(2)
30年なんてあっという間。
未来を見据えて今何が出来るか一人一人考えなければならないのでしょう。
この景気を悲観するより、30年後どうなっていたいか。
日本の全ての人に関わる事ですから。
今の景気は今までの膿を出すチャンスなのかもしれませんね。
昔は、小さく生きることが可能な社会だったように思います。
昔がすべて良かったわけではないでしょうが、そのことだけは昔の方が良かったように思います。
百年に一度の不況と言われる今こそ、小さく生きられる社会に変えていかなくてはいけないんですがね…。