2009年03月05日

啓蟄の時代

啓蟄の時代




愛犬“カプチーノ”「お預け!!」


戦争に負けて奪われた自由の奪還はその“戦争”で・・・・・・・
でしかない。

何十年、何百年経とうとも“戦勝国”はその“敗戦国”を支配する。

『講和』には、“仲直り”とある。

“日米の戦争”がその“仲直り”のレベルではないことは子どもにもわかる話だろう。

英語ではその“講和”、仲直りを“a peace treaty”と言うそうだが、
その“a peace treaty”にどれだけの日本国民の膨大な生命、財産の犠牲がはらわれたか。

その凄惨な“犠牲”の下での“講和”は・・・・・

言われる“無条件降伏”での講和が“仲直り”では洒落にもならない。

「吉田さん・・・・・
そう言うことになると我々も選挙に出なければならなくなる・・・・・・」

“憲法はまだか”の一節だが・・・・・・


これは占領軍の日本国憲法草案を問題にした時の吉田茂外務大臣と、松本蒸冶憲法担当大臣との会話だ。

つまりこの国には敗戦まで「選挙」はなかった・・・・・
特別の階層の者同士の選挙と、明治維新閨閥の天皇による任命貴族院議員だけ。

戦争を指導した東条英機首相も軍人閣僚も天皇の大臣だった。


その“新憲法”の受諾を含め、その仲直り、講和をしたのは戦争をした当事者で、
明治政府そのものの“大日本帝国政府”である。

その意味では戦勝国“米政府”は、明治維新政府と同様に“天皇”を日本国占領平定の具とし、
その戦後も、“天皇陛下万歳”の『御巡幸』にも見られるように・・・・・

「仲直りを演出し」

そして今日も以前と変わらず“〇〇様”とメディアをコントロールしながら“皇室アルバム”を見世物にし、

「仲直りを演出しつづけている」

もっとも戦後の民主化勢力もその実は“ソ連共産”の世界覇権の具にしか過ぎず、
けして“国民”に向けてのそれではなかった。
それは世界の社会主義国が凡例で、今日その体制は“軍事独裁”であることは言うまでもない。

いい加減こうして書くことも馬鹿馬鹿しくなるが・・・・・

この期に及んで、昭和、平成と敗戦政治家、官僚の二世、三世の独断場ではないか(笑)。
“選挙”を言いながら、巧みに“選挙”を工作、操作する為政者。

しかしひとつだけ確かなことは、ソレもコレも“国民”の質に起因するのではなか。

もっとも国民、あれだけ殺されればその精神的諦めは百年や二百年で失せるものではないのかも知れない。

本来は、あの時点で、あの時点の政治家官僚は“成敗”されるべきではなかったのか。

占領将軍曰く、「日本国民は12歳・・・・・」

そうかも知れない。
そして、この国の為政者も自国民を“そう”思っているのだろう。

“アメ”と“鞭”でどっちにも動く。

昨今の政治、選挙違反がそうであり、官製談合が為政に群がるありのごとく。
僅かな権力でももとうものなら血眼で“収奪”を謀る・・・・・

小沢さん・・・・・

それが国策捜査だとか、国家権力の暴力だとか仰ったが、御尤もです。
しかし以前は小沢さん自身が自民党最大派閥の幹事長だった頃は、そこにいたのではなかったか。

またもやゼネコンだ・・・・・・

何も変わってない。相も変わらずの「土建政治」を見せちまった。

で、自民党の「貰っちゃった議員」は「そういうカネとは知らなかった」と・・・・・

だいたいそういうことも分からない人間のクズが、国会議員、政治かなんかになっちゃあいけない。

別にそこだけじゃあない。どこの町でも日常茶飯事。

しかし、一切の国民はそのことには無縁。かかわりは“もてない”ような仕組。

これまで何度も何度も選挙を繰り返しても・・・・・

極論だが、

まずは市民が“地方政治”から独立を勝ち取らなければならないのではないだろうか。
中央に傀儡される地方政治、末端の市町村までがそのさま。

独立を考えたい。

時代の啓蟄に・・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 19:49Comments(2)

2009年03月05日

虎ノ門政府と小沢一郎



虎ノ門政府と小沢一郎




虎ノ門政府の大統領“ジョセフ・ナイ大使”


以下は産経新聞とかの抜粋引用です――――

2008年12月には都内でナイは日本の民主党幹部と会談を行い、

「オバマ次期政権下で(日本の)民主党が安全保障政策でインド洋での給油活動をやめ、日米地位協定などの見直しに動いたら反米と受け止める」

と発言を行った。

2009年1月、バラク・オバマ政権発足に伴って退任する予定のジョン・トーマス・シーファー日本駐箚アメリカ合衆国大使の後任大使に内定したことが報道された。

民主党の小沢一郎代表は21日(08年)の記者会見で、新テロ対策特別措置法に基づく海上自衛隊のインド洋での補給活動について、

「(自衛隊参加は)国連決議によって国連の活動と認められるものでなければいけない。
そうでないのに他国の紛争に日本が参加するのは憲法上、許されないだろうということだ」


と述べ、民主党政権ができれば継続せず、撤収する考えを示した。

以上、産経新聞とかの抜粋引用終了。

小沢一郎民主党代表の公式発言に、ハッキリとアメリカは言ってるじゃあないですか!!

「反米と受け止める」

と、言っているんですね・・・・・


つまり日本の政治は永田町でもなく、霞が関でもなく、

“虎ノ門”だということです(笑)。


昨日も書いたけど、米政府は戦前、戦中、戦後と一貫して米政権が“民主党”にある時に戦争が仕掛けられたり、日本国民大虐殺(原水爆、東京大空襲)・・・・・
そして司法権力を、メディアを使った“政治家スキャンダル”を沸き立たせ、国民に、いわゆる「政治不信」を増殖させてきた。

で、またもや「政治とカネ」ですか・・・・・

これって、ハッキリ言って「人間の性」で、習い性です。

ハッキリ言って、「天地神明に誓って私は」なんていう人はこの世に一人もいない。

で、当時の伊藤栄樹検事総長は、

「巨悪を眠らせるな」

とか言っていたが、その意味ではそれなりに戦後社会を知る戦後世代の僕らから見ると、

「巨悪を眠らせるな」

どころか、巨悪は眠り、ほくそ笑みヌクヌクとしているじゃあないか!!

で、小沢一郎公設第一秘書逮捕なんだけど・・・・・

その意味で、今、今日“小沢一郎”が巨悪なのか小悪党なのかは知らない。
たしかに小沢一郎が自民党の幹事長であったりした頃は「コンチクショー」トリオと言われた、




「金・竹・小」トリオ

金丸信自民党副総裁、竹下登首相、そして小沢一郎の頭「金・竹・小」をもじって日本中を騒然とさせた、

東京佐川急便事件、リクルートコスモ事件では竹下首相秘書自殺という痛ましい事態も生んでいる。
まあ、その時、竹下登元首相も小沢一郎元自民党幹事長も衆院予算委員会で「証人喚問」され「政治とカネ」の実態を国民にまざまざと見せつけていたが・・・・・

東京佐川急便事件では当時の自民党副総裁金丸信は東京佐川から5億円の闇献金の受領を認め議員辞職している。
その間も茨城県知事竹内藤男、仙台市市長石井亨の逮捕、同時に収賄で実刑判決収監された中村喜四郎建設大臣・・・・・

これらの「政治とカネ」の事件の背後の全てが大手ゼネコンで、今も大分キャノンと鹿島のスキャンダルが事件化して自治体官僚の逮捕者まで出しているが、
当時から、ハザマ、清水建設、“西松建設”、三井建設からそれら自治体首長に贈賄工作がされていた。

そこでの“西松建設”が当時の“巨悪”金丸信から小沢一郎に引き継がれた「カネづる」である・・・・・
まあ、それら大手、準大手ゼネコンが政治を介して受注する公共事業の原資はすべて税金ではなかったか。
つまりその意味でいえば、献金、浄財と、昨日も小沢一郎民主党代表は会見で言っていたけど、それは浄財ではない・・・・・
正確にいえば「国会議員への税金の還流」でしかない。

で、小沢一郎公設第一秘書逮捕なんですが・・・・・
なんで、小沢さんちだけが今、パクられるのか!!???

しかしです。小沢さんの会見での責任説明会見だけど、「国策」はその通りでしょう。
しかしです。なぜ、「国策」されるようなヘマをしたんでしょうか?
ちょうど時季は、郵政民営化に絡む国有財産の乗っ取りに手を貸す「政治」が沸騰寸前にです。

西松建設といえば、タイでのODAがらみの受注工作でタイ・バンコク都庁高官への贈賄で逮捕者まで出し、
日本でもこの小沢一郎民主党代表への“浄財献金”、原発利権と、この1年だけでも悪い噂が現実、事件化してきていた。

まあ、どう見ても「法律に則って適正に処理」でしょうけど・・・・・
西松建設のそれは残念ながら「税金」です。つまり、西松建設は公共事業で収益し、脱税し、特定の政治家への献金を目的とした「政治団体」を作り、
その税金をピンハネするかのように、政治家の政治団体に献金してきた。

そもそもが、そう言う「法律に則って」の「法律」があってはならない。
つまり、そう言うことのため、政治家が税金を迂回還流させるための法律、そんな法律があってはならない・・・・・


で、「政権交代を望まない勢力の国策に引っかかってしまった」のか!!???

「オバマ次期政権下で(日本の)民主党が安全保障政策でインド洋での給油活動をやめ、日米地位協定などの見直しに動いたら反米と受け止める」

小沢民主党はオバマ民主党から「反米」と受け止められたんでしょうか!!???
  


Posted by 昭和24歳  at 11:35Comments(0)

2009年03月05日

隠れ家です!!

一昨日・・・・・・

ともだち村“晴”は隠れ家発見だった。

実は、今夜というかもう4日の午前1時だから昨日、昨晩になるんだけど・・・・・
前々から約束のあったS化学のNさんと一献差し向ける約束をしていた。

そんなわけで、“隠れ家”です!!

昨日の今日だったけど、北高崎駅までお迎えしてその“隠れ家です!!”に。

その“隠れ家”です!!は、僕が結婚する前だから今から34年前・・・・・・
その34年前にひょんなことから通い始めた26歳の時です。

そのときすでにその“隠れ家”ですはいわゆる、知る人ぞ知る・・・・・そんな店で評判だったようだから、
今日、その歴史は半世紀を超えるのではないだろうか・・・・・

それがこれです!!




年季の入った本格的な囲炉裏です。そして正真正銘の南部鉄瓶・・・・・


もうお亡くなりになってしまいましたけど、先代には若かりし折大分お世話になりました。
今はご子息が調理場で奥方が接客賄いを・・・・・・




アジのタタキにタラの芽、マイタケとか、etc・・・・・・ 

 
こちらの御亭主はいわゆる“料理人”です。
肴は海の幸から山の幸まで、まさにアラカルトである・・・・・

タラの芽のテンプラを塩で頂く。
これが流し込んだ生ビールに微妙に絡みじつに甘露、甘露、この上ない。

ご案内のNさんご満悦である・・・・・・

お話は勢い、天璋院篤姫の皇女和宮の所縁におよびご巷談。

皇女和宮の東下りの中仙道、実は1万人からの行列、それは何と50数キロに及んだとか。
時が時、いつ風雲急を告げる事態にもあずからんとも・・・・・
京の御所よりのその御一行、宮様は中仙道六十九次、御道具は東海道五十三次を亘ったとか。

まあ、そこは囲炉裏端・・・・・・

ご案内のNHK大河ドラマの“直江兼続”にも及び、俄か評論である。

「大体にしておかしくないか、南魚沼の兼続になんで越後訛りがないんだ!!???
篤姫の西郷にしろ、大久保にしろ薩摩訛りだった・・・・・
もっとも小松帯刀は訛ってなかった、薩摩訛りがなかったぞ!!???」

そこの女将を巻き込んでの“NHK大河ドラマ”蘊蓄で僕は7杯目の生ビールを注文する。

「まあ、いつからビール党に!??」

そう。僕はいつも日本酒だった・・・・・・

つまり、僕の酒は相方次第で、ビールならビール、日本酒なら日本酒、焼酎なら焼酎といった具合。
まっ、早い話が「なんでもいい」というただの酒飲みです(笑)。




所狭しと古民具が並ぶ・・・・・・

半世紀にわたる営業。先代が趣味での蒐集だったとかのそれはまさに昭和のそれ。
その昭和もひとケタの頃か、二ケタも明け始めの頃のそれである・・・・・





長野堰のほとり。

高層マンションが3棟、4棟と立ち並ぶ一角・・・・・・

その奥まった路地にひっそりと佇まう“いろり”。

料理も美味い、酒も美味い。

もちろんお勘定は極めてリーズナブルである。
僕の懐具合にぴったりな・・・・・・


  


Posted by 昭和24歳  at 03:16Comments(6)

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