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2010年04月29日
たかさきの喫茶店
たかさきの喫茶店

北は青森から南は鹿児島まで。懐かしい小さな町々を歩き、編集部が選りすぐったレトロな喫茶店、全68軒。
さて・・・・・・・
僕のファースト珈琲は何時のことだろう。
多分、エレキバンドの仲間と行ったオシャレデパートのとこの「ナポリ」か。
否そうではない・・・・・・・
それは昭和30年も宵、恐る恐る、胸を高鳴らせ始めて入ったのが、
本町三丁目の「あすなろ」ではなかったろうか。
そうだ、その「あすなろ」。
小学校6年のころだった・・・・・・・
新聞配達をする友だちのあとにくっついて、夕刊配達の時だ。
それは、なんとも言えない「大人の世界」をのぞき見したような記憶がある(笑)。
とにかくそこにはキレイなお姉さん(多分ウエートレスとか)がイッパイいて、
その時、夕刊配達をする友だちとアメ玉のようなモノをもらった。
で、その「あすなろ」だけど・・・・・・・・
しばらくして、やはりエレキバンドの先輩に連れて行ってもらったような記憶がある。
やはりキレイなお姉さんがイッパイいた(笑)。
その「あすなろ」はもうひとつ、鞘町の学陽書房の隣あたりに映画館と並んであった。
ソレはクラシックを専門に聴かせる「音楽喫茶」で、リスニングルームも確かあったのではなかっただろうか。
その「あすなろ」は本町三丁目のそれとは大分趣を異にしていた。
時に、そこ「あすなろ」では群響の楽団員の人たちがコンサートをやっていた。
もっとも僕の場合はクラシック、交響楽といった高尚な芸術はチンプンカンプン・・・・・・・
なにせ、その頃は「エレキ」に夢中で、そこ「あすなろ」へ誰と行ったのか、
いや、誰に連れて行ってもらったのかさえ全く憶えていない。
ただ、一、二度、入ったような気がするだけだ。
僕はもっぱらその手前、うなぎの「銀直」の隣辺りの、床屋の二階にあった(ある?)喫茶「コンパル」だった。
エレキバンドで出演していたダンスホール「みゆき」の休憩時間にはいつもメンバーとそのコンパルへはよく通った。
そうだ、連雀町だったかの噴水のある「喫茶ローマ」。
たしか昭和40年頃から高経のハワイアンやらウエスタン、フォークソングをやるバンド演奏をやっていた。
うなぎの寝床のような間口2軒ほどの細長い店だったが、その一番奥まったところにステージのようなものがあって、
そのステージでは当時、高経1年生の先輩に連れられてその先輩の先輩が演奏するステージを見に行った。
「ファイブローランズ?」
そういえば、未だ「電車通り」の名前が残っていたころの田町大通り・・・・・・
そこは「喫茶店通り」の趣であったように記憶する。
そうした意味では「昭和」、古きよき時代だったのかもしれない。
あの頃の喫茶店
駅前の「喫茶うえの」・・・カウンターだけの小さな喫茶店。
その隣には「キングバー」なんていうのもあった。
ロータリーの所には、「喫茶ブリッジ」。
そこをチョット裏通りに入ったところには、ジャズを専門に聴かせる「モーニン」とか・・・・・
八間道路の「喫茶モリエ」。
ここは僕が小学校の時から在った。同級生のお母さんがやっていて・・・・・・・
どう言う訳か「アベック」と言う徒名でそいつを囃した覚えがある。
兎に角、「喫茶店」と言うと、「アベック」を連想させた。
あの頃は「同伴喫茶」なるものも流行った。当時はまだ町には車などそうは走ってはいない時代だったし・・・・・・・
流行かどうかは知らないが僕らが色気づいた頃は「連込み」(旅館)なるもの。
いわゆる「さかさくらげ」と言うやつだったが、まだ僕らはその「連込み」に入る歳ではなかった。
ませた同級生や先輩から話を聞くのが精々で・・・・・・
もっぱら僕らは「キャンドル」、「キャメル」、「マーセル」などと、
若い男女の秘め事に重宝させてもらっていたようだ・・・・・
チョイト気恥ずかしいが、僕にも憶えがある(笑)。
話は変るが、実は僕は「珈琲」とやらが全く駄目。
今まで正直な所そのコーヒーとやらを「飲んだ」と言う記憶はない。
今まで一切、自ら進んで口につけない・・・なぜか判らない。
あの「珈琲」の香は嫌いではないのだが(好きではない)・・・・・・・・
仕方なしに飲まされると胸焼けが酷いのには閉口する。
ついでに、「タバコ」も生れてこの方吸ったことがない。
もちろん、未成年の時は特訓をしたがその成果はなかった。
アルコールはその限りではないが・・・・・
「喫茶店」と言えば・・・もう昔からのそれはあまり見られない。
あまりと言うかほとんどなくなっているのではないか。
一時隆盛を極めた、喫茶「いわと」、さきの名曲喫茶「あすなろ」・・・・・
しばらく前まであった柳通りの「ゲレンデ」もとうとう閉めてしまった。
ここは古かった・・・・・とは言っても昭和40年代の中頃からだったが。
マスターが中々の男前で「お水」のお姉さん達の憩いの場でもあったようだ。
僕がニュージャパンでドラムを叩いていた頃はもっぱらお堀端の喫茶「プリンス」か、
その同伴喫茶の「キャンドル」。その「キャンドル」、二階席が同伴専用席になっていた。
昭和47年頃にはこの高崎にもモータリゼーションの波か・・・・・・・
既に「同伴喫茶」の趣も薄れ、店によってはスナック喫茶風に趣を変えていった。
柳川町のど真ん中には「スクール」なんていう、一風変わった喫茶・・・・・・・・
なにが「変わった」なのかは謎だが(笑)。
そして田町通りの喫茶「アラスカ」、新町(あらまち)の「くらくら」等々。
すっかり変わってしまった高崎の街並み・・・・・・・
移ろいの風物、「たかさき」と言うところだろうか。

北は青森から南は鹿児島まで。懐かしい小さな町々を歩き、編集部が選りすぐったレトロな喫茶店、全68軒。
さて・・・・・・・
僕のファースト珈琲は何時のことだろう。
多分、エレキバンドの仲間と行ったオシャレデパートのとこの「ナポリ」か。
否そうではない・・・・・・・
それは昭和30年も宵、恐る恐る、胸を高鳴らせ始めて入ったのが、
本町三丁目の「あすなろ」ではなかったろうか。
そうだ、その「あすなろ」。
小学校6年のころだった・・・・・・・
新聞配達をする友だちのあとにくっついて、夕刊配達の時だ。
それは、なんとも言えない「大人の世界」をのぞき見したような記憶がある(笑)。
とにかくそこにはキレイなお姉さん(多分ウエートレスとか)がイッパイいて、
その時、夕刊配達をする友だちとアメ玉のようなモノをもらった。
で、その「あすなろ」だけど・・・・・・・・
しばらくして、やはりエレキバンドの先輩に連れて行ってもらったような記憶がある。
やはりキレイなお姉さんがイッパイいた(笑)。
その「あすなろ」はもうひとつ、鞘町の学陽書房の隣あたりに映画館と並んであった。
ソレはクラシックを専門に聴かせる「音楽喫茶」で、リスニングルームも確かあったのではなかっただろうか。
その「あすなろ」は本町三丁目のそれとは大分趣を異にしていた。
時に、そこ「あすなろ」では群響の楽団員の人たちがコンサートをやっていた。
もっとも僕の場合はクラシック、交響楽といった高尚な芸術はチンプンカンプン・・・・・・・
なにせ、その頃は「エレキ」に夢中で、そこ「あすなろ」へ誰と行ったのか、
いや、誰に連れて行ってもらったのかさえ全く憶えていない。
ただ、一、二度、入ったような気がするだけだ。
僕はもっぱらその手前、うなぎの「銀直」の隣辺りの、床屋の二階にあった(ある?)喫茶「コンパル」だった。
エレキバンドで出演していたダンスホール「みゆき」の休憩時間にはいつもメンバーとそのコンパルへはよく通った。
そうだ、連雀町だったかの噴水のある「喫茶ローマ」。
たしか昭和40年頃から高経のハワイアンやらウエスタン、フォークソングをやるバンド演奏をやっていた。
うなぎの寝床のような間口2軒ほどの細長い店だったが、その一番奥まったところにステージのようなものがあって、
そのステージでは当時、高経1年生の先輩に連れられてその先輩の先輩が演奏するステージを見に行った。
「ファイブローランズ?」
そういえば、未だ「電車通り」の名前が残っていたころの田町大通り・・・・・・
そこは「喫茶店通り」の趣であったように記憶する。
そうした意味では「昭和」、古きよき時代だったのかもしれない。
あの頃の喫茶店
駅前の「喫茶うえの」・・・カウンターだけの小さな喫茶店。
その隣には「キングバー」なんていうのもあった。
ロータリーの所には、「喫茶ブリッジ」。
そこをチョット裏通りに入ったところには、ジャズを専門に聴かせる「モーニン」とか・・・・・
八間道路の「喫茶モリエ」。
ここは僕が小学校の時から在った。同級生のお母さんがやっていて・・・・・・・
どう言う訳か「アベック」と言う徒名でそいつを囃した覚えがある。
兎に角、「喫茶店」と言うと、「アベック」を連想させた。
あの頃は「同伴喫茶」なるものも流行った。当時はまだ町には車などそうは走ってはいない時代だったし・・・・・・・
流行かどうかは知らないが僕らが色気づいた頃は「連込み」(旅館)なるもの。
いわゆる「さかさくらげ」と言うやつだったが、まだ僕らはその「連込み」に入る歳ではなかった。
ませた同級生や先輩から話を聞くのが精々で・・・・・・
もっぱら僕らは「キャンドル」、「キャメル」、「マーセル」などと、
若い男女の秘め事に重宝させてもらっていたようだ・・・・・
チョイト気恥ずかしいが、僕にも憶えがある(笑)。
話は変るが、実は僕は「珈琲」とやらが全く駄目。
今まで正直な所そのコーヒーとやらを「飲んだ」と言う記憶はない。
今まで一切、自ら進んで口につけない・・・なぜか判らない。
あの「珈琲」の香は嫌いではないのだが(好きではない)・・・・・・・・
仕方なしに飲まされると胸焼けが酷いのには閉口する。
ついでに、「タバコ」も生れてこの方吸ったことがない。
もちろん、未成年の時は特訓をしたがその成果はなかった。
アルコールはその限りではないが・・・・・
「喫茶店」と言えば・・・もう昔からのそれはあまり見られない。
あまりと言うかほとんどなくなっているのではないか。
一時隆盛を極めた、喫茶「いわと」、さきの名曲喫茶「あすなろ」・・・・・
しばらく前まであった柳通りの「ゲレンデ」もとうとう閉めてしまった。
ここは古かった・・・・・とは言っても昭和40年代の中頃からだったが。
マスターが中々の男前で「お水」のお姉さん達の憩いの場でもあったようだ。
僕がニュージャパンでドラムを叩いていた頃はもっぱらお堀端の喫茶「プリンス」か、
その同伴喫茶の「キャンドル」。その「キャンドル」、二階席が同伴専用席になっていた。
昭和47年頃にはこの高崎にもモータリゼーションの波か・・・・・・・
既に「同伴喫茶」の趣も薄れ、店によってはスナック喫茶風に趣を変えていった。
柳川町のど真ん中には「スクール」なんていう、一風変わった喫茶・・・・・・・・
なにが「変わった」なのかは謎だが(笑)。
そして田町通りの喫茶「アラスカ」、新町(あらまち)の「くらくら」等々。
すっかり変わってしまった高崎の街並み・・・・・・・
移ろいの風物、「たかさき」と言うところだろうか。
2010年04月29日
昭和「世代の轍」
昭和「世代の轍」

805万8千人のあの日のドラマ。父の買い出し・母のお産、原っぱのチャンバラ・紙芝居の水飴を経て、反乱の青春時代をくぐり、高度成長の担い手となった。バブル時代は札束の上で狂い、失われた10年をおろおろ過ごした…。感動の60年を余さず描録。
図書館の書架の片隅にひっそりとする昭和の世相。
本来なら歴史の検証として、中学の社会史、高校の政経社会史として、
今この時代の親、祖父世代の足跡を、世代の轍を教えるべきではないだろうか。
もちろん文科省・・・・・
そして政府、不都合の極みだろうが。
そして「公教育」がそれの妨げとなるのなら、
幕末のようにそれが寺子屋であろうと、塾であろうと「明日」の礎に・・・・・
残念ながら公教育の教師はその職に就くに際し、
政府の口頭試問、思想信条調査に合格しなければならない。
僕等世代が教頭、校長に・・・・・
そして教育委員会にいて政府の代理人として、
または思想家の代理人として国民(児童生徒)を監視し続けている。
まずいことに、そうだということに気づいていない世襲教師集団。
そこで政府がコケ脅す「教育基本法改定」・・・・・・
国旗掲揚、国歌斉唱の義務。
いわれるまでもなく、国家が国民を心底思い、国民の生命と財産の安全を、
国家、政府が犠牲になる範を見せるなら・・・・・・
いかようにも国を愛し、国に殉ずるであろう・・・・・法律に謳わずとも。
「地獄への道は善意で敷きつめられている。」
(レーニン)
「犠牲者になるな。加害者になるな。そして何よりも傍観者になるな。」
(いいだもも氏著「20世紀の社会主義とは何であったか」より)
戦後、多くの人が先の戦争ではだまされたという。
みながみな口を揃えてだまされたというが・・・・・・・
「俺がだましたのだ」
という人間はまだ一人もいない。
実のところ、だましたものとだまされたものとの区別ははっきりとしていたわけではない・・・・・
もし仮にごく少数のだました人間がいるとしても、
だからといって、だまされた側の非常に多数の人間は必ずしも正しいわけではないし、
責任も解消されるわけではない。
それどころか、だまされるということ事態がすでに一つの悪である。
だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、
家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた。
国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、
すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。
また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。
ひいては国民大衆、すなわち被支配者階級全体に対する不忠である。
(伊丹万作「戦争責任者の問題」より)
僕は必ずしもこの意見に全てを賛同するわけには行かない。
余にも国民大衆の社会参加の歴史は未だ浅かったし、戦中、議会さえなかった。
そしてそもそも国民半数以上の女性・婦人に「選挙権」すらなかった。
逆らえば、即、国家反逆罪で投獄・・・・・・
何せ、壱銭五厘の赤紙で牛馬になる家畜同然の時代。
そうだ・・・・・
やっぱり、この国に、そして君達の祖父母、祖祖父母世代はそうした中を生きたことを「知らしむ」時だろう。
今の政府、政権の中枢に世代交代が起こる前に・・・・・・
「犠牲者になるな。加害者になるな。そして何よりも傍観者になるな。」
(いいだもも)
この言葉は重い・・・・・
実に重い。
さてそれをどう伝えるか・・・・・
「世代の轍」を断ち切るためにも。
ここのところの僕の書き込み・・・・・
自分でもいい加減にしたらどうかと思う。
しかし、子どもたちの洋々とした日々を見るにつけ、
そして生まれたばかりの長女の長男、そんな子どもたちを眼にした時・・・・・
今は書かずにはいられないのです。
余にも暗い・・・・・
そして余にも深い闇が横たわる世相。
そこにあって、テレビメディアの道化ぶりに。
昭和「世代の轍」。

805万8千人のあの日のドラマ。父の買い出し・母のお産、原っぱのチャンバラ・紙芝居の水飴を経て、反乱の青春時代をくぐり、高度成長の担い手となった。バブル時代は札束の上で狂い、失われた10年をおろおろ過ごした…。感動の60年を余さず描録。
図書館の書架の片隅にひっそりとする昭和の世相。
本来なら歴史の検証として、中学の社会史、高校の政経社会史として、
今この時代の親、祖父世代の足跡を、世代の轍を教えるべきではないだろうか。
もちろん文科省・・・・・
そして政府、不都合の極みだろうが。
そして「公教育」がそれの妨げとなるのなら、
幕末のようにそれが寺子屋であろうと、塾であろうと「明日」の礎に・・・・・
残念ながら公教育の教師はその職に就くに際し、
政府の口頭試問、思想信条調査に合格しなければならない。
僕等世代が教頭、校長に・・・・・
そして教育委員会にいて政府の代理人として、
または思想家の代理人として国民(児童生徒)を監視し続けている。
まずいことに、そうだということに気づいていない世襲教師集団。
そこで政府がコケ脅す「教育基本法改定」・・・・・・
国旗掲揚、国歌斉唱の義務。
いわれるまでもなく、国家が国民を心底思い、国民の生命と財産の安全を、
国家、政府が犠牲になる範を見せるなら・・・・・・
いかようにも国を愛し、国に殉ずるであろう・・・・・法律に謳わずとも。
「地獄への道は善意で敷きつめられている。」
(レーニン)
「犠牲者になるな。加害者になるな。そして何よりも傍観者になるな。」
(いいだもも氏著「20世紀の社会主義とは何であったか」より)
戦後、多くの人が先の戦争ではだまされたという。
みながみな口を揃えてだまされたというが・・・・・・・
「俺がだましたのだ」
という人間はまだ一人もいない。
実のところ、だましたものとだまされたものとの区別ははっきりとしていたわけではない・・・・・
もし仮にごく少数のだました人間がいるとしても、
だからといって、だまされた側の非常に多数の人間は必ずしも正しいわけではないし、
責任も解消されるわけではない。
それどころか、だまされるということ事態がすでに一つの悪である。
だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、
家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた。
国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、
すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。
また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。
ひいては国民大衆、すなわち被支配者階級全体に対する不忠である。
(伊丹万作「戦争責任者の問題」より)
僕は必ずしもこの意見に全てを賛同するわけには行かない。
余にも国民大衆の社会参加の歴史は未だ浅かったし、戦中、議会さえなかった。
そしてそもそも国民半数以上の女性・婦人に「選挙権」すらなかった。
逆らえば、即、国家反逆罪で投獄・・・・・・
何せ、壱銭五厘の赤紙で牛馬になる家畜同然の時代。
そうだ・・・・・
やっぱり、この国に、そして君達の祖父母、祖祖父母世代はそうした中を生きたことを「知らしむ」時だろう。
今の政府、政権の中枢に世代交代が起こる前に・・・・・・
「犠牲者になるな。加害者になるな。そして何よりも傍観者になるな。」
(いいだもも)
この言葉は重い・・・・・
実に重い。
さてそれをどう伝えるか・・・・・
「世代の轍」を断ち切るためにも。
ここのところの僕の書き込み・・・・・
自分でもいい加減にしたらどうかと思う。
しかし、子どもたちの洋々とした日々を見るにつけ、
そして生まれたばかりの長女の長男、そんな子どもたちを眼にした時・・・・・
今は書かずにはいられないのです。
余にも暗い・・・・・
そして余にも深い闇が横たわる世相。
そこにあって、テレビメディアの道化ぶりに。
昭和「世代の轍」。
2010年04月29日
機密費というお手当
機密費というお手当

橋本、小渕、森、そして小泉政権誕生まで、「影の総理」と言われ政局の表裏すべてを見続けた著者が、自ら見聞きし決断したすべてを明かす。文庫版には、戦後保守政治の良識を破壊しつくした小泉首相の政治手法への痛烈な批判を加筆。自らの五十二年間の政治生活の総決算であり、日本の将来への痛切な祈りの書である。
機密費、評論家にも 野中元長官、講演で証言
4月28日9時50分配信 琉球新報
野中広務元官房長官は、23日に那覇市内で開かれたフォーラムの基調講演の中で、自身が長官在任中(1998年7月~99年10月)、先例に従い、複数の評論家に内閣官房報償費(機密費)から数百万円を届けていたことを明らかにした。
野中氏は講演で「言論活動で立派な評論をしている人たちのところに盆暮れ500万円ずつ届けることのむなしさ。秘書に持って行かせるが『ああ、ご苦労』と言って受け取られる」と述べ、機密費からの提供が定期的にあったことを明かした。
野中氏は自民党政権時代に、歴代の官房長官に慣例として引き継がれる帳簿があったことにも触れ「引き継いでいただいた帳簿によって配った」と明言。その上で「テレビで立派なことをおっしゃりながら盆と暮れに官邸からのあいさつを受けている評論家には亡くなった方もいる」と指摘した。一方で機密費の提供を拒否した評論家として田原総一朗氏を挙げた。
官房長官の政治的判断で国庫から支出される機密費は、鳩山内閣が昨年11月に内閣として初めて2004年4月以降の小泉内閣から現在までの月別支出額を公表したが、使途については明かしていない。
前官房長官・河村をビビらせた野中広務の告白
2010年04月26日 ゲンダイ掲載
機密費食い逃げ疑惑に新証拠
●新築祝いに3000万円!?
自民党の河村建夫・前官房長官がビビりまくっているという。河村は政権交代直後の昨年9月に2億5000万円もの官房機密費を引き出したとして、大阪市の市民団体に背任容疑などで東京地検に告発されている。
まあ、小沢への告発、起訴、不起訴もいいけど・・・・・・
自民党、機密費ドロボーの河村建夫前官房長官とか、
郵政「かんぽの宿」持逃げ一味の告発受理、即捜査もお願いね(笑)。
大阪地検とか東京地検とかの特捜検事さん・・・・・・
「自民党には捜査は及ばない」
とかいってたコレ↓
「捜査は自民議員に及ばず」 発言は漆間氏
< 2009年3月8日 13:46 >日テレNEWS24
「西松建設」による違法献金事件で、政府高官が「捜査は自民党議員には及ばない」と発言した問題で、河村官房長官は8日朝、この政府高官が漆間官房副長官であることを明らかにした。
河村官房長官は、漆間官房副長官に対し「不適切というそしりは免れないので、国民に説明する必要がある」として、注意したことを明かした。ただ、処分などは検討していないという。
政府は6日の段階で「政府高官によるそういう発言については承知していない」としていたが、野党側などからの批判が高まったことを受け、一転、漆間官房副長官の発言と認めることになった。
民主党・鳩山幹事長は8日朝、「内閣のど真ん中にいる漆間副長官。『検察と内閣が通じ合っていた』と思わざるを得ない」と述べ、9日の参議院予算委員会で徹底追及していく考えを示した。漆間官房副長官を政府参考人として招致することも視野に入れているという。
まあ、去年の今頃のニュースです・・・・・・
漆間とか、河村とかを証人喚問しなさい!!
で、民主党、なんで数の論理とか、数の横暴とかでもいいから・・・・・・
バシバシ、旧政権を国会の場に引きずり出さないんでしょうか?
現状は、その真逆で、引きずり出されそうになってる(笑)。
機密費というお手当

橋本、小渕、森、そして小泉政権誕生まで、「影の総理」と言われ政局の表裏すべてを見続けた著者が、自ら見聞きし決断したすべてを明かす。文庫版には、戦後保守政治の良識を破壊しつくした小泉首相の政治手法への痛烈な批判を加筆。自らの五十二年間の政治生活の総決算であり、日本の将来への痛切な祈りの書である。
機密費、評論家にも 野中元長官、講演で証言
4月28日9時50分配信 琉球新報
野中広務元官房長官は、23日に那覇市内で開かれたフォーラムの基調講演の中で、自身が長官在任中(1998年7月~99年10月)、先例に従い、複数の評論家に内閣官房報償費(機密費)から数百万円を届けていたことを明らかにした。
野中氏は講演で「言論活動で立派な評論をしている人たちのところに盆暮れ500万円ずつ届けることのむなしさ。秘書に持って行かせるが『ああ、ご苦労』と言って受け取られる」と述べ、機密費からの提供が定期的にあったことを明かした。
野中氏は自民党政権時代に、歴代の官房長官に慣例として引き継がれる帳簿があったことにも触れ「引き継いでいただいた帳簿によって配った」と明言。その上で「テレビで立派なことをおっしゃりながら盆と暮れに官邸からのあいさつを受けている評論家には亡くなった方もいる」と指摘した。一方で機密費の提供を拒否した評論家として田原総一朗氏を挙げた。
官房長官の政治的判断で国庫から支出される機密費は、鳩山内閣が昨年11月に内閣として初めて2004年4月以降の小泉内閣から現在までの月別支出額を公表したが、使途については明かしていない。
前官房長官・河村をビビらせた野中広務の告白
2010年04月26日 ゲンダイ掲載
機密費食い逃げ疑惑に新証拠
●新築祝いに3000万円!?
自民党の河村建夫・前官房長官がビビりまくっているという。河村は政権交代直後の昨年9月に2億5000万円もの官房機密費を引き出したとして、大阪市の市民団体に背任容疑などで東京地検に告発されている。
まあ、小沢への告発、起訴、不起訴もいいけど・・・・・・
自民党、機密費ドロボーの河村建夫前官房長官とか、
郵政「かんぽの宿」持逃げ一味の告発受理、即捜査もお願いね(笑)。
大阪地検とか東京地検とかの特捜検事さん・・・・・・
「自民党には捜査は及ばない」
とかいってたコレ↓
「捜査は自民議員に及ばず」 発言は漆間氏
< 2009年3月8日 13:46 >日テレNEWS24
「西松建設」による違法献金事件で、政府高官が「捜査は自民党議員には及ばない」と発言した問題で、河村官房長官は8日朝、この政府高官が漆間官房副長官であることを明らかにした。
河村官房長官は、漆間官房副長官に対し「不適切というそしりは免れないので、国民に説明する必要がある」として、注意したことを明かした。ただ、処分などは検討していないという。
政府は6日の段階で「政府高官によるそういう発言については承知していない」としていたが、野党側などからの批判が高まったことを受け、一転、漆間官房副長官の発言と認めることになった。
民主党・鳩山幹事長は8日朝、「内閣のど真ん中にいる漆間副長官。『検察と内閣が通じ合っていた』と思わざるを得ない」と述べ、9日の参議院予算委員会で徹底追及していく考えを示した。漆間官房副長官を政府参考人として招致することも視野に入れているという。
まあ、去年の今頃のニュースです・・・・・・
漆間とか、河村とかを証人喚問しなさい!!
で、民主党、なんで数の論理とか、数の横暴とかでもいいから・・・・・・
バシバシ、旧政権を国会の場に引きずり出さないんでしょうか?
現状は、その真逆で、引きずり出されそうになってる(笑)。
機密費というお手当
2010年04月29日
昭和天皇の「人間宣言」
昭和天皇の「人間宣言」

「橋のない川」の作者にして、齢90の明治人、住井すゑが、武道館で行なった講演会の記録。天皇制、「文化」ということばの意味などについて、鋭い疑問をなげかける。野坂昭如、永六輔などによるゲスト・スピーチも収録。
朕ト爾(なんぢ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
(新日本建設に関する詔書の一部)
1946(昭和23)年1月1日、天皇裕仁(ひろひと。当時46歳)
‥‥私は国民と共にあり、
その関係は、お互いの信頼と敬意とで結ばれているもので、単なる神話や伝説に基づくものではない。
私を神と考え、また、日本国民をもって他の民族に優越している民族と考え、
世界を支配する運命を有するといった架空の観念に基づくものではない‥‥。
----------------------------------------------------------------
翻って、今日、国民の生活です・・・・・・
日本国民も「人間宣言」しようではありませんか。
まず憲法前文の一文から。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する・・・・・・」
----------------------------------------------------------------
「・・・・・これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
人間らしい生活。
何れも国家という形態にある以上はその生活は政治に拠る。
国民の不安は既に忘れられているが「年金福祉」だろう。
国民年金受給者、現時点でも月額7万円前後で生活を余儀なくされる高齢者がほとんどだ。
医療費の負担・・・・・・
政府は医療費の国庫負担が年額30兆円だという。
そして、そのうち高齢者の分が37%で、ほぼ11兆円だと。
しかしだ、一般国民は3割負担だから9兆円は実費。
医者はせっせと点数稼ぎで何かと検査する、薬はくれる。
本当に効能はあるのかね・・・・???
やはり「国民人間宣言」しかない!
だいたいが、税収37兆円・・・・・
で、国の人件費が総額で約60兆円。
国債返済が17兆円、地方交付税が17兆円、防衛費5兆円、政府行政事務費が5兆円。
教育費が7兆円、公共事業が8兆円、社会保障費19兆円(一般会計)・・・・・
これって他人事?
やはり人間宣言!!
今日は昭和天皇の、天皇誕生日でした。
昭和天皇の「人間宣言」

「橋のない川」の作者にして、齢90の明治人、住井すゑが、武道館で行なった講演会の記録。天皇制、「文化」ということばの意味などについて、鋭い疑問をなげかける。野坂昭如、永六輔などによるゲスト・スピーチも収録。
朕ト爾(なんぢ)等国民トノ間ノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、且(かつ)日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ
(新日本建設に関する詔書の一部)
1946(昭和23)年1月1日、天皇裕仁(ひろひと。当時46歳)
‥‥私は国民と共にあり、
その関係は、お互いの信頼と敬意とで結ばれているもので、単なる神話や伝説に基づくものではない。
私を神と考え、また、日本国民をもって他の民族に優越している民族と考え、
世界を支配する運命を有するといった架空の観念に基づくものではない‥‥。
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翻って、今日、国民の生活です・・・・・・
日本国民も「人間宣言」しようではありませんか。
まず憲法前文の一文から。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する・・・・・・」
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「・・・・・これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
人間らしい生活。
何れも国家という形態にある以上はその生活は政治に拠る。
国民の不安は既に忘れられているが「年金福祉」だろう。
国民年金受給者、現時点でも月額7万円前後で生活を余儀なくされる高齢者がほとんどだ。
医療費の負担・・・・・・
政府は医療費の国庫負担が年額30兆円だという。
そして、そのうち高齢者の分が37%で、ほぼ11兆円だと。
しかしだ、一般国民は3割負担だから9兆円は実費。
医者はせっせと点数稼ぎで何かと検査する、薬はくれる。
本当に効能はあるのかね・・・・???
やはり「国民人間宣言」しかない!
だいたいが、税収37兆円・・・・・
で、国の人件費が総額で約60兆円。
国債返済が17兆円、地方交付税が17兆円、防衛費5兆円、政府行政事務費が5兆円。
教育費が7兆円、公共事業が8兆円、社会保障費19兆円(一般会計)・・・・・
これって他人事?
やはり人間宣言!!
今日は昭和天皇の、天皇誕生日でした。
昭和天皇の「人間宣言」