2016年04月28日

どなたか“ボタンキョウ”を知りませんか?(笑)。

どなたか“ボタンキョウ”を知りませんか?(笑)。



昭和50年、芝塚の第一タクシーの近くの駄菓子屋で買って食べてました。

ボタンキョウ・・・・・・

高崎中央プール、通称「ションベンプール」のところでも書いたが、その“ボタンキョウ”。
昭和51、2年ころまではそこかしこの駄菓子屋では定番でおいてあった。
もっとも、今は、その駄菓子屋もほとんど見当たらない・・・・・

昔ながらの“駄菓子屋”、それはイオンにあるような、街中にあった“ナントカ”いう駄菓子屋のことではない。

そんな駄菓子屋・・・・・・
昔ながらの“駄菓子屋”が一軒だけある。僕の知るところではだが。

それは、城南小区域の、城南球場への坂を降りるトマクチのところにある、それ、「昔ながらの駄菓子屋」。
商っているのは、そう、当然、固定客である“小学生”からしてみればまさに「オバサン」のそれだが・・・・・・・
年のころなら、僕と同い年くらいではないだろうか・・・・・・

その店の入り口には自動販売機がずらっと並んでいて、クリーニングの取次ぎなんかもやっているからそれなりに、
昔ながらの駄菓子屋としては、大企業の趣である。
その自動販売機の間を入ると左側が「クリーニング取次店」、そして右側が「駄菓子屋」である。

面白いのは、その入り口、左の奥まったところには「新幹線」なる10円玉で遊ぶゲーム機がチョコンと置いてある。
かなりの年代もんのようだ。
笑えるのは、10円玉で遊ぶのだが、見事ゲームをクリアすると「換金」できる・・・・・
まあ、換金できるとはいっても「10円が20円になる」くらいのことだが、それでも、小学生にとってはかなりの達成感があるらしい。
ちなみに、わが娘がその城南小に通っていた去年、僕も娘と一緒になってその「新幹線ゲーム」に何度も興じていたものである。

そうそう・・・・・話は“ボタンキョウ”である。

その「昔ながらの駄菓子屋」のオバサンに“ボタンキョウ”を訊いてみた・・・・・

「そうさねえ、うちでもずいぶん昔にはおいてあった。
芝塚の方からくるオジサンが漬物樽にいっぱい漬けた“ボタンキョウ”を卸しにきていたかなぁ・・・・・
そういえばこの辺りにも、下和田、竜見町、新喜町・・・・・駄菓子屋いっぱいあったけどね。そういやあ、ほらこれ、今は“スモモ”が、ボタンキョウ?」

そう言って、四角のプラスチック容器に入った赤いスモモを手にとって見せた。

“スモモ”ツルツルの「カリッ」とした、甘酸っぱいそれ。一パック20円だったか・・・・・・

昔ながらの駄菓子屋といえば、2年前?、いや、3年前だったか娘を連れて東京の日暮里、駄菓子屋横丁へ出かけた。
なんでもその駄菓子屋横丁が再開発で取り壊しになり数軒を残して廃業するとかをNHKでドキュメンタリーしていたので見物がてら行った。
駄菓子屋横丁、最盛期は数十軒とあったようだが、その多くが廃業し、残っているのは数軒。10軒はなかった・・・・・・

それを「大人買い」とでもいうのだろうか。
蝋石、ベーごま、“ベーごま”といえば僕らはその「ベーごま世代」である(笑)。
その“ベーごま”は紐とセットで売られていた。
杏紙とか、酢イカ、ソースせんべい・・・・・そしてスモモ。
きっと今はもう、その日暮里の駄菓子屋横丁はない・・・・・

僕が最後までその“ボタンキョウ”を捜し求めて高崎の駄菓子屋めぐりをしていたのは長女が生まれるその1年前のころだった。
中央小学校のところの駄菓子屋さん、芝塚の塚沢小学校近くの駄菓子屋さん・・・・・・
あの独特の、漬物ビンに「プカプカ」浮いて売られていた。

今のその“スモモ”とはまったく違う。
その姿形は、青梅を少々細長くしたような、桃のなりたてのような・・・・・・
「桃のなり立て」、つまり、桃栽培のときの剪定の際に切り落とした“すぐり”を漬けたものではないかとの噂を聞き、
知り合いの剣崎の桃栽培農家でその桃のスグリを頂き、漬けてみたけれど結果はまったく違っていた。
桃のそれは、しっかりと種が出来上がっていて食べられるところはほとんどなかった。

“ボタンキョウ”は外形、容姿はそれに近いのだが、たしか“種”はあるのだが、
その種の硬い“殻”はなかった。
その種の部分は、白くやわらかくふっくらとしていて潰すとゼリー状の実のようなものがトロリと流れ落ちた。

時々酒を飲んだときなどの昔話には必ずと言っていいほどその“ボタンキョウ”の話で盛り上がったりする。

ある日、僕はその“ボタンキョウ”の樹を偶然にも探し当てた。
そうだ、まさしくこれこそがボタンキョウだ。ボタンキョウに間違いない、捜し求めていたそれに間違いない。
たまたま、娘と犬の散歩でとある公園を通ったとき、丁度春から梅雨への時期だった。
足下に、一粒のそれ・・・・・・
見上げると、その“ボタンキョウ”が鈴なりになっていた。

一粒、もぎ取ってみる・・・・・・
割ってみた。きれいに真二つに割れる。
種の殻はない。
そうだ!!
これこそが幻の“ボタンキョウ”だ。

しかし、公園にあるそれ、無断で採って持ち帰るわけにも行かない。
それに、たとえ、どなたかにお断りをして持ち帰ったところで、その“ボタンキョウ”を塩漬けにしてみて、まったく違う味だったら・・・・・
せっかくの夢がはかなくも消え失せてしまう。
それならば、いっそうのこと、毎年、そこで芽吹き、花を咲かせ、たわわに実る“ボタンキョウ”を眺めながらその昔を懐かしめばいいではないか・・・・・・

今のところそう思って、そのボタンキョウの花が咲くのを待ち、その実がたわわに、鈴なりに・・・・・・
そして、夏の終わりには全てのみが落ちて土に還ってゆくのを見ながら・・・・・・
そんな、昔の忘れられない味を牛ではないが反芻している。
それでいいではないかと・・・・・

どなたか“ボタンキョウ”を知りませんか?(笑)。

  


Posted by 昭和24歳  at 20:04Comments(0)

2016年04月28日

「生類憐みの令」に学べ、第97代将軍・安倍晋三

「生類憐みの令」に学べ、第97代将軍・安倍晋三


He is our dog with head tail.
ここまで馬鹿にされて・・・・・
怒れ、日本国民!!
でも、「事実は小説よりも奇なり」だし。

生類憐みの令
横行する捨て子への対策(捨て子これ有り候はば、早速届けるに及ばず、その所の者いたはり置き、直に養ひ候か、または望みの者これ有り候はば、遣はすべく候。急度付け届けるに及ばず候事)

当初は「殺生を慎め」という訓令的お触れだったが、違反者が減らないため、ついには御犬毛付帳制度をつけて犬を登録制度にし、また犬目付職を設けて、犬への虐待が取り締まられ、元禄9年(1696年)には犬虐待への密告者に賞金が支払われることとなった。

【犬公方】
 こういった当時の人々の悪習に対し、綱吉は大変憐れんだのだそうだ。そこで綱吉は生類憐みの令によって人間を捨てることを禁じ、貧しさのために犬や牛を飼育できなくなった者達には、役人に届け出るようにと通達したのだという。

 しかし、当時の人々は困惑し、法の目をかいくぐる人間が後をたたず、なかなか浸透しなかったのだそうだ。結局、生類憐みの令は6代将軍・家宣の代に撤廃されたのだが、この後も幕府は老人や捨て子の禁止といった人間に対する法令はそのまま継続したという。さらに、意味もなく動物や人を殺めることは悪であるという思想も継続して人心に残っていったのだそうだ。
http://nikkan-spa.jp/793485

>人間を捨てることを禁じ、貧しさのために犬や牛を飼育できなくなった者達には、役人に届け出るようにと通達したのだという。

まあ、犬猫等の動物虐待が頻繁に報じられる現代だが・・・・・

それどころか、児童虐待がのエスカレートが毎日のようにニュースになる。

それどころか、篤郎での高齢の入所者をあろう事か介護士がベランダから投げ落とし死なせるという事件。

まあ、綱吉の時代なら即効で打首獄門です。

まっ、上にもあるようにその主たる原因は「貧困」でしょう、児童虐待も動物虐待もね。

で、「役人に届けるように通達」てぇんだから、将軍・綱吉の時代には役人が何とかしてくれたのかも。

まあ、今じゃあ、いろいろ聞かれた上、書類がどうのこうので、「保育園落ちた。死ね」です。

で、現代の第97代将軍・安倍晋三なんだが、まあ、取り巻きも悪いんだろうね。

だって、金と女、不倫で辞職。で、子ども6人に一人が貧困、保育園落ちた、死ねって言ったら・・・・・

「育児は親の責任」

自民党・山田宏氏の愛人・隠し子を妻が告白
http://shukan.bunshun.jp/articles/

山田氏は、安倍晋三首相に口説かれて出馬を決意したと語っているが、

まあ、今の将軍の取り巻きはこんなのしかいないんでしょう・・・・・

「育休とります」宣言して、育休どころか「不倫休」がバレて辞職とかの、挙句がバツイチで元妻も代議士。

で、消費税は予定通りだなんて、未だ出来もしないことを言い張ってる「平成の綱吉」。

貧困率の増加について聞かれた安倍首相「日本は裕福な国」と反論

安倍首相は1月18日の参院予算委員会で、経済的な格差が広がっていることについて、「日本は貧困かといえば、決してそんなことはない。日本は世界の標準でみて、かなり裕福な国だ」と述べた。共産党の小池晃氏の質問に答えた。

この日、小池氏は日本の貧困状況について質問。厚生労働省の「国民生活基礎調査」や経済協力開発機構(OECD)の調査で、標準的世帯の年間の可処分所得の半分未満で暮らす人の割合を示す「相対的貧困率」が、2012年で約16%になったことをあげながら、安倍首相に対し「6人に1人が貧困という実態。日本は世界有数の貧困大国だという認識はあるか」と聞いた。

これに対して安倍首相は、「日本が貧困かと言われれば、決してそういうことはないわけでありまして、国民所得、あるいは総生産を一人で割っていく、一人あたりのGDP等でいえば、もちろん日本は世界の標準で見て、かなり裕福な国であるということであると思います」と回答した。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/19/income-poverty-japan_n_9015616.html

>「・・・一人あたりのGDP等でいえば、もちろん日本は世界の標準で見て、かなり裕福な国であるということであると思います」

何を言っとるんだうつけ者が・・・・・

そんなもんただ割り算しただけの話で、そのGDPが極端に偏ってるのが貧困率なんだ。

まあ、統計上の国民所得平均が約400万円だから「豊か」だと言いたいんだろうが・・・・・・

日本国民4人に一人が年収200万円以下の低所得者層(約1,600万人)。

因みに平均サラリーマン(正社員)年収412万円(手当込み)、公務員平均年収637万円(手当別途)。

で、いわゆる官業、公社とか民営化したと称されるナントカ機構とかを入れると日本の全労働人口の3割に達するわけです。

で、3割って言ったら日本の就業人口約6,000万人だから約1,800万人が上級市民です。

つまり、その上級市民は公務員並みの所得かそれ以上か、まあ、非正規も、郵政だけで25万人の年収200万円台層もいるけど。

そんなわけで、「日本はかなり裕福」とかだけど、それは「日本が」であって、「日本国民は」ではないですよ「第97代将軍・安倍晋三様」。

「生類憐みの令」に学べ、第97代将軍・安倍晋三




  


Posted by 昭和24歳  at 10:56Comments(0)

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