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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2016年04月10日

「レクサス」生産が軌道。日本のGDPには関係ないです

オフショア「レクサス」生産が軌道。日本のGDPには関係ないです


部品も現地生産してますし。


<トヨタ>「たくみの技」米に移植…「レクサス」生産が軌道
 【レキシントン(米南部ケンタッキー州)清水憲司】トヨタ自動車は7日、昨秋から高級ブランド「レクサス」車の生産を米国内で初めて開始したケンタッキー州の工場を報道陣に公開した。日本国内で培った「たくみの技」を米国にも移植し、現地生産の能力を上げようとしている。

<抜粋引用:毎日新聞 4月9日(土)20時3分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160409-00000055-mai-bus_all


中流の香港ではカミさんが家事、炊事洗濯はまずしません。
仕事前の朝食は「飲茶」です、小一時間、子供のいる家庭はフィリピンメイドでしたね・・・・・
僕の部屋もフィリピンメイドが掃除洗濯してました。

で、昼飯は店員は宅配弁当、売り場で平気で食べてます、客がいようがいまいが(笑)。
オーナー連中は外食でした。飲茶の続きです・・・・・
で、夜も同じでてんこ盛りの中華料理、安かったです。で下級市民は夜店「プアマンズマーケット」へ繰り出します。

ある意味華僑系は合理的ですね。子供の数も少ない。
メイドを雇って家族で働いたほうがビジネスには都合がいいようです。

つまり、移民の受け入れていうか、フィリピンメイドかなり低賃金で雇えてるようですね。
でも、フィリピン平価では高額のようです。
まあ、日本人の感覚とは全く違います。価値観の相違でしょう、そこは・・・・・

日本は基本が封建制です家庭にあっても。

まあ、我が家も最近は事情からほとんど外食か弁当ですね。
たしかに、冷蔵庫はスカスカで無駄がない。スーパーで買うものもその時必要なものだけ。
カミさん料理できる状態じゃあないし(;´д`)

娘たちもそうだけど、子ども三人づついてやっぱり外食が多いみたい。あとはコンビニ(笑)。

>公設保育所作ればいいといっても、作る役所あります?

長女、世田谷区で「保育園受かった!!」ゼロ歳児です。

まあ、国債、800兆円の借金とか言ってたら、パナマだけで日本の個人・企業資産55兆円、年間です。
その他、タックスヘイブン44箇所、総額1000兆円とも・・・・・
どうりで、日本政府の財政逼迫しているはずです。みんな外へ逃がしてるんですから「合法的」とかで。

オフショアだそうです。
日本の億万長者がズラリ、ユニクロのY会長も、政治家の名前もちらほら・・・・・
まあ、人情っていったら人情なんだろうけど、それで消費税はないもんです。
タックスヘイブンを日本国内でも合法化して10%でも課税したら毎年100兆円の税収ですからお笑いです。

しかし、おかしな話ですねぇ。ドルで商売してドルで儲けたら仕方ないけどまさか国内の儲けを外為してドルでオフショアだったらバレバレでしょ?
つまり、持株会社がタックスヘイブンに会社を作って投資ですか?
そういやあ、ホリエモンも。日本では使えないけど。

オフショア「レクサス」生産が軌道。日本のGDPには関係ないです
  


Posted by 昭和24歳  at 12:47Comments(0)

2016年04月10日

「銅鑼湾ブルース」


「銅鑼湾ブルース」




香港の中間層、ほとんどが夫婦で中小の商いをやっている。
僕のパートナー「王家昌」は両親が潮州出身で商人でした。奥さんは福建で父親は軍属。
彼は僕と同い年で29歳の時、当時楽器の並行輸入を手伝ってくれていた香港人の友人の紹介で僕のもとへやってきた。

「日本語の勉強するアルネ、もひとつ商売の情報欲しいアルネ」

カタコトの日本語で王家昌はそう言って南部中国人特有の大きな団子鼻をヒクっとさせて笑った。
王家昌はその時既に奥さんと香港島の銅鑼湾、松坂屋の近くの高層マンションの一階のモールでブティックを2店舗経営してました。
屋号は「日本時装」で会社名は「住友」でした(笑)。

「日本時装」とはいわゆる「日本の流行ファッション」ということらしい。
会社名の「住友公司」は日本の「住友」に倣ったのだとか・・・・・

「住友、有名アルネ、だからパクったアルネ」

当時、香港ドルは50円前後で香港のブローカーから日本の「カワイイ」を仕入れてい。
で、その頃から日本では原宿竹下通りが流行りだして香港でも先を競って「原宿詣で」が始まったようだ。
当然、日本もそうだったけどブティックの経営者は団塊世代で、彼はしきりに日本の情報収集をした結果日本行きを決断したとか。
そんなこんなで、「王家昌」は僕の姉の家に下宿。ワーキングビザは無理だったので3ヶ月滞在の観光ビザを取得し日本へ。
で、不法就労だったけど僕の知り合いの「深夜レストラン」を紹介してあげてアルバイト。
昭和53年、その時代で一ヶ月働いて20万円くらいの収入があった。それは彼が支払う香港のサラリーの3倍だったようだ

彼は香港でも日本語学校に通っていて、3ヶ月の滞在でかなり学習したようだ。
で、香港へ帰って一ヶ月と経たないうちに今度は奥さんを伴って僕のところへ来た。

「日本の“カワイイ”を仕入れたいんだけど手伝ってくれませんか?」と。

当時僕も原宿の関係者に知り合いがいたので彼を紹介すると・・・・・

「渋谷にオフィス借りたいんだけど、借りてくれない?」

で、僕名義で渋谷の明治通り沿いのワンルームを借りて、電話も設置して日本での「住友」がスタート(笑)。
とにかく日本の「カワイイ」は飛ぶように売れるんだとか。それもファッション全般でアクセサリーまで。

「香港は一年が夏だから夏物集めてくれない?」

そんな彼の注文で日本ではシーズンオフになる夏物を原宿のマンションメーカーからカートンごと。
で、軽井沢が終わる頃には軽井沢のブティック、売れ残りをひとダンボールいくらで。

「絶対に“日本製”のタグが付いてないとダメです」

まあ、当時はまだほとんどが日本製だったけど安いものには一部韓国製があって弾かれた。

つづく


「銅鑼湾ブルース」


  


Posted by 昭和24歳  at 09:53Comments(0)

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