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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2014年05月05日

「少子化」と「少死化」は国策

「少子化」と「少死化」は国策




日本の子供の数は1633万人、33年連続の減少で前年比マイナス16万人
総務省では毎年この時期になると、「こどもの日」にちなんで国内外の子供の人数などを取りまとめたレポートを発表している。今年も5月4日付で「我が国のこどもの数 -「こどもの日」にちなんで-」が発表されたが、それによれば日本の子供(0歳~14歳)の数は2014年4月1日時点で1633万人であることが明らかにされた。これは去年と比べ16万人の減少で、昭和57年から33年連続の減少。子供の総人口に占める比率は12.8%。また、統計記録のある中では、過去最低値を示している。

<中略>

 高齢層が増加しても、それに比する形で若年層の数も増加すれば、全体的な人口構造上のバランスは維持される。しかし「先進国病」と呼ばれる出生率の低下は、一朝一夕で解決できる問題では無い。中長期的な視野に立った施策が求められていることは言うまでもない。

<抜粋引用:不破雷蔵「グラフ化してみる」ジャーナブロガー>
ソース:http://bylines.news.yahoo.co.jp/fuwaraizo/20140504-00035044/

>子供の総人口に占める比率は12.8%。また、統計記録のある中では、過去最低値を示している。

明治維新以来この国の国策は・・・・・・

「口減らし」でした。

つまり、「移民政策」というか、「棄民政策」がそれです。

ハワイの移民に始まり、北米移民、そしてより劣悪な「南米移民」・・・・・

最近こそ騒がなくなりましたがブラジルはもとより、

戦前の「満州建国」とかもその一家に過ぎず、嘘八百を並べ立て、農家の次三男坊を口減らし。

結局、敗戦で「難民」となって、「引揚者」とか言われ、生死をさまよった。

当然、満州という凍土の屍となった赤ん坊や子供たち・・・・・・

それが、「中国残留孤児」と呼ばれているわけだが、政府の対応は他人事。

そして、戦後の中南米移民は「生死」にかかる過酷、劣悪な労働環境で、まさに「犠牲者」だった。

それが、コレ↓

日系ドミニカ人
しかし、実際には日本政府によって約束されていた面積の約3割の土地しか与えられず、その土地ですら岩や石だらけの荒地で、度々塩害に見舞われるといった農業には全く適さない状態であった。また、慢性的な水不足に悩まされていたことや近代的な水利設備が無かったことに加え、ドミニカ政府がその土地の所有権すら認めなかったことから、移住者の希望は完全に打ち砕くかれることとなった。なかでも、隣国であるハイチとの国境近くの入植地へは、囚人までもが送り込まれ、24時間政府の役人による監視の下に置かれるなど、移住者の間で「地獄の一丁目」と名付けられるほどだった。
<抜粋引用:ja.wikipedia.org>

まあ、そんなわけで、「人口減」を憂いて見せる政府だが・・・・・

その「国家の都合」で「棄民政策」、口減らしを平然と立法する。

まあ、昭和50年代ころを境に、その「政策的」人口減少は始まっている。

確かに「団塊世代」とかが600万人なんだが、その団塊世代に独身がかなりいるし、

その団塊世代も生まれた時代の特殊出生率は「4.5」近くを推移していたが、

いわゆる、その団塊ジュニアが生まれた頃のそれは「1.7」前後・・・・・

それでも、「第二次ベビーブーム」とか言われていたが、

その「団塊ジュニア」の特殊出生率は「1.5」前後と、その減少傾向は著しい。

まあ、その「団塊ジュニア」が社会に出る頃のこの国の環境はかなりひどいことになっていた。

「バブル経済崩壊」と、そして「失われた30年」が今もつづく(笑)。

で、「政府」だが、このような社会、経済環境でもし1940年代のような人口増加があったとすれば、

そレを振り返ってみたら、世の中騒然とするのではなかったか・・・・・・

つまり、10代、20代の世代が爆発的に誕生し、それは、確かに消費も活発化するが、

60年安保、70年安保の時のような、そして労働争議も政府の手に負えないものとなっていたに違いない。

結局、そこの中で政府は「少子化」を言いながら、実は「少子化」を政策してきた。

その顕著な部分は「教育」、そしてそれへの「洗脳」だろう。

それがコレだ↓

男女共同参画社会
男女共同参画社会(だんじょきょうどうさんかくしゃかい)とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」のこと。そしてこの理念を実現するために「男女共同参画社会基本法」が制定され、1999年(平成11年)6月23日に公布・施行された。 「男女共同参画」は英語で公式に"gender equality"と表記する。
<抜粋引用:ja.wikipedia.org>

>「男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」

まあ、キリスト教一神教の欧米社会ならいざ知らず・・・・・・

極論すれば、そこにある「男女」の「性差」が完全に無視されている。

しかも、「共に責任を担うべき社会」とくれば、じゃあ、出産、子育て育児、家事が「男」に可能か?

>「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する」

「男女が対等な社会の構成員」、それでは「父性」や「母性」はどう見るのか・・・・・

しかるに「対等な男女」とはどういうことを意味するのか???

そもそも政治がそれを国民に求める根拠はどこにあるのかということに尽きる。

まず、その「対等」において、「男」にはその作りからして出産させることはできても、

当然だが、出産することはできない。さらに、育児、とくに乳幼児の時代はそれは不可能。

翻って、「女」、つまり女性には通常における「肉体労働」の部分ではそれは「棲み分け」がある。

しかし、政府の政策は、女性の深夜労働も可能とする労働法の改正を行い・・・・・

つまり、突き詰めるところの、「恋愛」、そして「結婚」、「出産」という機会を政治が奪っている。

まあ、それは当然のように、婚期に達した若い「男女」が互を求め合う精神をも破壊した。

それは、所得の分においても「男女が対等」ということなら・・・・・・

それはこの日本経済が爆発的に発展でもしない限りは、「経済のパイ」を「男女」が奪い合うことになる。

そのことの現実が今起きている。

「少子化」と「少死化」は国策

  


Posted by 昭和24歳  at 10:26Comments(0)

2014年05月04日

惰眠を貪る「団塊世代」

惰眠を貪る「団塊世代」




米航空機護衛も集団的自衛権の範囲に、政府検討
 政府が集団的自衛権の行使を容認する具体例として、朝鮮半島有事の際、韓国から避難する米国人や日本人を運ぶ米航空機の護衛を検討していることが3日、わかった。敵国から攻撃を受けた場合、自衛隊機が反撃できるようにすることを想定しているとみられる。

 与党は政府に対し、集団的自衛権を行使する具体例を示すよう求めており、これを受けて政府が与党に伝えてきたという。公明党幹部は「現実的に起こり得る事例かどうかも含めて検討しなければいけない」と述べ、今後の与党協議で慎重に検討する考えを示した。

<抜粋引用:朝日新聞デジタル 5月4日(日)5時25分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140504-00000003-asahi-pol

>公明党幹部は「現実的に起こり得る事例かどうかも含めて検討しなければいけない」と・・・・・

まあ、日華事変も、満州事変もそのような背景が・・・・・
戦争なんて「工作」されるのが常。
真珠湾攻撃だって、そのような背景「間抜けな日本政府」でした。



気になって日本の「無条件降伏」・・・・・
ポツダム宣言受諾の歴史を齧った。

「国体護持」をたった一つの条件の「条件降伏」と読んで取れたがそれでいいのだろうか。

「国体の護持」・・・・・
その「国体」とは、昭和20年8月15日以前のそれの全てではないか。

大日本帝国時代の支配者のいう「国体」。
欧米列強に互し、富国強兵政策、そして万世一系天皇を中心とした神国ニッポンの「国体」。

そして丸裸に近い降伏、敗戦でなおもこの国の支配者層が勝者に求め、すがった「国体護持」とは・・・・・・

「それは一体なんだったのか」

無差別爆撃、原爆に焼殺された国民大衆はその「国体」とは無縁だったのか。
そして未だ、そこにいう「国体」と「国民」は無縁なのか。

そして平成、21世紀の今日に「国体の護持に」に奉げた英霊の御霊の鎮魂と平和の誓いに靖国を詣でるメルヘン。

しかるに、戦争終結に際し国体の護持を・・・・・
「日本国政府の形態は、日本国国民の自由に表明する意思により決定せらるべきものとす」
という曖昧な連合国回答を了として、ポツダム宣言受諾を決定した。

まさにメルヘン、メルヘンでなければ寓話だ。

ものの見事に成就した「教育基本法」。
その対象が僕ら世代だった。
校庭には撤去された「御真影」の変わりに
決まって「二之宮尊徳像」。

確かに日本からは戦争は遠のいたが、
朝鮮戦争、文化大革命、中東戦争、ベトナム戦争、カンボジア等の内乱・・・・・

世界史はめまぐるしく騒乱を極めているのにこの国だけが、このニッポンだけが・・・・・・
可笑しい、これが本当の事実なら、実に可笑しい、変だ。

60年、70年安保世代も家庭に入りそこそこに食えはじめると、昨日のことはまるで嘘のように、
所得倍増、岩戸景気、高度成長経済、バブルと・・・・・・
およそ、その無条件降伏の敗戦国とは全く不釣合いの思考回路を享楽しているかのような様。

その「エセ革命世代」、革命ごっこに憑かれた中産階級の子女が今や、還暦。
笑わせる・・・・・
実に笑わせてくれる。

はっきりいえば、今、あの大東亜戦争の戦後処理が終わったのではないか。
史実を忘却した先進各国・・・・・・・
今日、世界をいう政治家は第二次世界大戦の経験者は皆無。
米国大統領にしたところで、戦後っ子・・・・・・

今、世界第一の経済大国(実質)として、はっきりと世界に向けて「戦後処理」をすべきだろう。
米国と戦争をしたこと、そして敗戦、無条件降伏をしたことを知らない子どもたち。
それどころか、それを教える教師が既にその「戦争を知らない子どもたちJr」。

惰眠を貪り逝くも良しか・・・・・・
今朝の新聞の訃報欄にも、同級生の名前があった。

惰眠の中に夢を見続ける・・・・・・
お似合いかも知れない(笑)。

惰眠を貪る「団塊世代」
  


Posted by 昭和24歳  at 12:05Comments(0)

2014年05月02日

JJ & BB ジャズナイト(毎月第三金曜日)_(._.)_

JJ & BB ジャズナイト
(毎月第三金曜日)_(._.)_


そういうわけで、毎月第三金曜日は“ジャズナイト”です!!

ミュージックチャージ、今回は1,000円です。

そのほか何か1フード or ドリンクをご注文ください(∩´∀`@)⊃

今夜はどんなステージになるでしょうか、メンバーはコンマスの天田さんがブッキングしてなす。

で、リクエストもジャンジャンOKですので、ひるまずに、どうぞ!!

ジャズ、歌いたい人もどうぞ、どうぞ!!

楽器吹きたい人も、ご持参くだされば“キネヅカ倶楽部バンド”をバックに・・・・・・

気分は、ミュージシャン!!



前回はこんな感じでした↑

5月のライブ予定は連休明けにアップします・・・・・・

お問い合わせ等ありましたらメールでご遠慮なく!!

JJ & BB ジャズナイト
(毎月第三金曜日)_(._.)_


  


Posted by 昭和24歳  at 14:30Comments(0)

2014年05月02日

TPPは「第二の敗戦」でした。

TPPは「第二の敗戦」でした。




TPP基本合意の内容判明 「豚肉
50円」「牛肉9%」

 オバマ大統領来日時に決着したTPP=環太平洋パートナーシップ協定をめぐる日米両政府間の基本合意の全容が、JNNの取材で明らかになりました。焦点だった「豚肉」の関税を現在の最大482円から「50円」に、「牛肉」の税率を「9%」に引き下げるなど、全ての項目で合意しています。

 TPPの交渉をめぐっては日米双方とも「重要な進展があった」としているものの、合意したことや内容については明らかにしていません。しかし、焦点となっていた農産品5項目全てと自動車について日米が具体的に合意していたことが、JNNの日米関係筋への取材で明らかになりました。

 まず、豚肉は安い豚肉により高い関税をかける「差額関税制度」を維持する一方、現在1キロあたり最大482円の税率を15年程度かけて「50円」に下げることで合意。また、牛肉は現在38.5%の関税を10年程度かけて「9%」にします。

<抜粋引用:TBS系(JNN) 5月2日(金)11時44分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20140502-00000021-jnn-bus_all

>現在1キロあたり最大482円の税率を15年程度かけて「50円」に下げることで合意。

豚肉、現在はスーパーなんかではカナダ産とかオーストラリア産がメインでは?

で、アメリカ、15年かけてキログラムあたり「50円」の税率って・・・・・

つまり、15年かけて日本の畜産農家「真綿で首を絞める」っていうことですか(笑)。

牛肉もそうだけど、戦後、70年かけて「減反」させて畜産、酪農に転換させて、やっとこさと思ってたら、

まあ、「関税撤廃」とおんなじようなもんですから、日本の農業は壊滅。

じゃあ、代わりに何を得るんでしょうか、日本の農業っていうか産業、っていうか経済。

つまり、グローバリゼーションで、経済的な国境なくして「弱肉強食」社会が美しい国ですか(笑)。

まあ、自動車なんて最早そのほとんどが現地生産ですから、つまり、大企業の多国籍化です。

そうなると、殆どの大企業は「現地生産」で、日本での生産は「素材産業」だけ???

まあ、一種の敗戦ですから、コレも、っていうか軍事占領されているわけですから、占領下でした。

つまり、しのごの言ったところで、未だ占領軍の「SSS政策」・・・・・

テレビ等、マスメディアはおよそ報道とは遠い芸能人の「スキャンダル」を“報道”。

で、その意味での「娯楽」の洪水ですから、時間つぶしには「大衆」困らない(^^ゞ

で、消費税上げておいて「成長率」上昇って、マスメディアを使ってプロパガンダ報道。

で、その、消費増税は「10%」に向けてまっしぐらで・・・・・・

「百貨店」、市場のその影響は想定内で、半年後には元に戻ると、言わされている。

さて、1000兆円超の国(政府)の借金、負債だが、単純に簿記で言えば「貸方」そして「借り方」ということ。

国(政府)の借金はそのことで言えば「国民」の「資産」、つまりその借金で何をしたか、何をするか?

当然、「国債」に限って言えば、「公共事業」等の社会インフラ整備に使われるわけだから、

イコール、国(政府)の、というよりは将来にわたっての「国民」の資産となる。

つまり、新幹線も、高速道路も、空港も、ダムも国民の資産・・・・・・

確かに、その公共事業によて作られた「公共物」は経年変化でその価値は目減りするが、

そこに振り出された国債を担保にした「現金」は日本社会に流通する。

そして結果は、その流通した通貨なり紙幣は、「日本円」である以上この国のどこかに「現預金」として「資産」となる。

つまり、社会資本という「資産」(減価償却はされるが)と・・・・・・

その国債を担保とした現預金はこの国のどこかで現預金として莫大な資産となっている。

翻って、政府「日本銀行」が言うところの、異次元の「金融緩和」だが、これも同じことで、

その「日銀」が「円」を増刷して市中の金融機関を通じて社会に融資を促すという話だが、

現段階では「借り手」がいないのが実情。

つまり、日本経済の「パイ」は現状維持か、縮小傾向にあるわけだから・・・・・・

いわんや、中小の民間レベルで新規事業のための設備投資のための資金需要はそうは見込めない。

では、その「日銀」の「バスーカ資金」は結果、何処へ行くのか、それはかつてあったようなバブル経済と同じで、

実体経済に供されることなく、そのほとんどが「投機」の注ぎ込まれる。

まあ、この高崎の地銀、東和銀行あたりでも昨日の上毛新聞に「空前の利益」だと・・・・・・

不良債権の処理も概ね解決し、そら、ほとんど「ゼロ」の資金で数パーセントの利ざやを取るのだから、

「金貸し」儲からないわけがない。

それも極めて安全な、「消費者金融」で、これに至っては10%台のキャッシングローンの利子だから、

何のための「バズーカ」かが、全く意味不明である。

さらに「量的緩和」だが、これは、政府「日銀」が発行した「国債」を政府「日銀」が自ら買い取る・・・・・

つまり、政府日銀が新たに「円」を増刷、っていうか、今は全てコンピューター上のデジタルマネーだから、
10兆円なら10兆円とキーボードを叩くだけでOK(笑)。

まあ、紙代も、印刷代もいらないわけですから、まあ、末端の消費者だって、

今は、金融機関がその「デジタル化」を一生懸命になってセールスしてますし。

そうした中で、年間所得が200万円以下の就労者が全就労者の25%近くに及ぼうとしている。

結果、社会保障費の応能負担を、そこに言うが、ましてやこの消費増税で「生活費」の圧迫とで、

その25%の生活者は国民健康保険、国民年金まで果たして「納税」が可能なのか。

つまり、目も眩むような「1000兆円」の借金なんだが・・・・・・

その「借金」、現ナマは「円」で存在する以上この国のどこかに「資産」として眠っている。つまり「退蔵」。

使われることのないお金が大企業だけでも300兆円(内部留保)とか。

そして戦後、政権に添って利権にあやかっている「財閥」(新興財閥はバブルで潰されました)と、

地方で言えば戦後の開発、再開発等々で莫大な資産を得た、「資産家」。

つまり、その「退蔵」されているであろう資産に課税をしないで、世の中、天下に回っている「お金」、

それに「課税」をしようとしているのが、消費税だ。

当然のことながら、平均的勤労者の所得税、地方税、法人税そして消費税も、それらは「減税」して、

使われていない、お金にこそ課税を強化する時ではないのか。

政府「日銀」の政策においても、金融機関を通じての金融緩和、量的緩和ではなく・・・・・・

直接、国民に減税策でもいいし、例えば「還付税」だ。

結果、確かに、大企業、資産家からは税金、徴税という形で資産は国庫に移動するが、

その資産は一般国民に配分され「消費」されるわけで、必然的に大企業の経営環境にも好影響となる。

まあ、政府というか、政治家もその多くが「資産家」であるから、自分のお金をどんどん増やしたい・・・・・

結局、四の五の言って、「公平な税」と言い放ち「消費税増税」に勤しむ。

困った「政府」です。

まあ、敗戦国ですから。国連憲章においても「敵国条項」でくくられて・・・・・

「積極的平和主義」もあったもんじゃあない。

裏で指図されて、金だけゆすられて、未だ「敗戦国」のママですから。

TPPは「第二の敗戦」でした。

  


Posted by 昭和24歳  at 14:15Comments(0)

2014年05月01日

祝“高崎駅開業130周年”!!

祝“高崎駅開業130周年”!!



これじゃあ、「だるま弁当の街」です(笑)。
せめて、コレくらいは↓





高崎駅130周年記念弁当、26日発売 開業時の姿を掛け紙に 群馬
 高崎弁当(末村歓也社長)は21日、「高崎駅開業一三〇周年記念弁当」を今月26日から発売すると発表した。

 掛け紙は、明治17年5月の開業時、浮世絵師の栄斎重清(歌川重清)が描いた開花絵「上野高崎間鉄道之図」をセピア調にアレンジしたもの。同社はこの絵を保有しており、歴史を感じさせる演出に活用した。

 記念弁当は人気の高い豚ショウガ焼きをベースに、ニンジンやダイコン、カボチャの煮物、高崎線をイメージした赤、緑、黄色のパプリカを配している。煮物に付けるタルタルソースと肉を2度楽しむ練りウメも添えた。

 同駅の弁当売店で6月末まで販売。税込みで1個800円。

<引用:産経ニュース 2014.4.22 02:11>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/region/news/140422/gnm14042202110001-n1.htm

>「高崎駅開業一三〇周年記念弁当」を今月26日から発売すると発表した。

なるほど・・・・・・

そういう事なんですね(^^ゞ

「高崎駅」

昭和四十五年、未だ「高崎駅」西口も停車場の趣をしていた。

駅舎は明治からの物だろうか白塗りの壁に年季の入った鴨居と頑丈そうなベンチには・・・・・

所謂「駅」と云う風情があった。

高崎駅の改札口は入り口と出口は別棟で何れも木戸に駅員が番を張っていた。

正面の大戸を入ると高い吹き抜けの天井、何かの絵画か彫刻があったように記憶するが、

それがなんであったか記憶は定かではない。
 
左手には「切符売場」があった。もちろんその時代のこと、自動切符販売機などは無い。

小窓に開いた向こうから、その時分は未だ「鉄道員」と云う、それは国家公務員・・・・・・

それが、如何にもといった面持ちで無愛想さを取り繕い極めて事務的に「お客さま」を捌いていた。
 
右手には待合室に売店。そこにはジュースの自動販売機などは無い。

もちろん缶入りのコーラや缶ジュースなどもだ。

新聞スタンドの脇に大きく「コカ・コーラ」と赤地に白抜きで横書きされた水冷式の冷蔵庫が・・・・・・

今に思えばそこに時代を映していた。

そして、アイスクリームの冷蔵庫も細長くその脇に並んでいて、

あの頃ちょいとした長旅にはそのアイスクリームの冷蔵庫に並べて入れられていた・・・・・

そう、あの小田原が発祥だという「冷凍ミカン」を必ず買ったのを覚えている。

待合室。

それは吹き抜けの正面玄関と冬場は大きな引き戸で仕切られていた。

正面の改札も今ほどの活況ではないが汽車を待つ客でそれなりに賑わい、

そのガラスの大戸の向こうには大きな石炭ストーブが勢いよく焚かれ待合客が暖を取っていた。

もちろん夏場にはエアコンなどと言うもの、当時は無かったのだが・・・・・

気を利かせた駅員が水うちをして涼を誘ってくれていた。

一番線のホームには上野からの電気機関車が「ゴー――ッ」とうねりを立てながら出入り、

夜の七時、八時ともなると金沢行きや秋田、青森行きの寝台夜行列車がホームを賑していた。

昭和の終り、六四年の頃に仕事でその一番線のプラットホームから・・・・・

寝台特急「いなほ」で青森まで行ったことが懐かしく思い出される。

今の、平成の高崎駅には残念ながらその趣はない。

まっ、「残念ながら」とは言ってもそれは僕だけの手前勝手なことなのかもしれないが、

今では「モントレー」とか何とか言うステーションビルにそれは味も塩ゃからけもなく変容してしまっている。

もちろんそこは北関東交通の要衝高崎、流行の珈琲専門ショップもぬかりがない。

「たかが珈琲、されど珈琲」とあつかましい。

因みに僕はその「珈琲」を一切やらないからどうでもいいんだが・・・・・・

それは「駅」という風情に欠ける、と思うのは僕の歳のせいかもしれない(笑)。

日本国有鉄道の都合かなんかは知らないが、かつての駅構内に「私が社長です」の大きな看板が。

それが、道行き人を見下ろしているのが薄ら可笑しい。

どうやら「駅前旅館」ならぬ「駅内ホテル」、さらに「駅内マンション」ときた日には言葉もない。

で、「高崎駅」と言えば、なんといっても「西口」、その趣だろう・・・・・・

「西口」は、駅舎を抜けると旅館、土産物屋が軒を並べ「万年屋」、「永楽」の食道に、

当時としてはずいぶんと繁盛した「ブリッジ」という2階建てのハイカラな駅前喫茶があった。

そして、レストラン喫茶「ナポリ」中心にした飲食街が駅前を賑やかにしていた。

で、駅前と言ったら「土産物屋」だろう、店の名前はなんと言ったか・・・・・

そうだ「堺屋土産物店」。駅を背中に右角にあったおみやげ屋。

そこの「南洋豆」という名前の南京豆菓子、不思議と美味くて事あるごとに買い求めていた。

二軒並んでいた手前の方の店である。

その頃はその飲食街の路地を通り抜けると南小学校辺りに夕方になると・・・・・

屋台の「おでんや」を商う店が未だ数件あったような記憶がある。

ほんのりとアルコールランプのともる「屋台」。グラスに注がれた日本酒か、焼酎の「梅割り」。

最後まで残っていたのは、四〇年代、その時既に70絡みの女将が、

その女将と、何を話すでもなくおでんを肴にコップ酒2、3杯ほろ酔い加減が赤城颪にはなんとも優しかった。

ところで、昭和四二年に「問屋町」なるものが仕上がるまでは高崎駅前通り・・・・・・

「吉野藤」、「国光」の老舗繊維問屋が新町の角に羽場を利かせていた。

「商都高崎」を象徴するが如く、駅前から立ち並ぶ旅館、土産物屋。

多分、岐阜、近江の繊維問屋が仕入れに卸にと忙しくしていたのだろう。

その屋号にはみんなこの高崎城下町の歴史を教えるその地方地方の名がつけられていた。

高崎の街にもモータリゼーションか、自動車の数も見る見るうちに増え・・・・・

そこで北関東初の問屋専門の街、「問屋町」が高崎の北部、飯塚と小八木をまたいで造られた。

商都高崎。その停車場から数歩に「豊田屋」、「信濃屋」の老舗旅館と、

その問屋筋「大店」の旦那衆の帳に料亭「岡源」さらには、元紺屋、中紺屋の繊維問屋街を過ぎれば、

「たかさき」の奥座敷、花街「柳川町」が袖を引かせた界隈が鎮座していた。

戦前、戦中、そして戦後と、所謂「青線」(因みに高崎は赤線ではないらしい)・・・・・・

それが芸子、妓娼を置いた「置屋」の町がそこには「大人の夜」を咲かせていたのだ。

昭和の戦前、大正ロマンと時代を遡ればまさに「ハイカラさんが通る」のそれだったと想像する。

時代は、軍靴のざわめきを他所に高崎の「モボ」、「モガ」といった、当時の「今の若いものは」が、

粋とお洒落を競ったのがその辺りだったのではないだろうか。

僕の祖父、明治半ば生まれの時代だろう。

そう、奇しくも「明治17年」申年生まれの僕の祖父、その年が高崎駅開業。

日清日露戦争、そして日中、太平洋戦争と艱難辛苦、幾多の歴史を超えてきた高崎駅だが・・・・・

さて、その「高崎駅」、そして「高崎」の今日はどうだろうか。

その「高崎駅」とともに発展してきたであろう、その高崎の街中だが、今は大きく変貌しようとしている。

「高崎駅」がゴージャスになればなるほど、その高崎駅「西口」、「東口」の賑わいを余所に、

「高崎の街中」がゴーストタウン化している、という現実をどう捉えるか・・・・・

ところで「機関車の街」高崎なんだが、機関車がどこにありますか???

せめて新橋の駅前広場みたいに「機関車」をという発送には至らないのでしょうか。

祝“高崎駅開業130周年”!!

  


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