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2014年05月12日
「老老介護という現実」by キネヅカ倶楽部
「老老介護という現実」
by キネヅカ倶楽部

世界にも手本がない問題だから…。夫婦、親子の間であらためて考えたい。何のための人生なのか。
>満開に、その命の寿命が尽きるまで、どの命も咲き続けてほしいです。
今日は末娘の誕生日。選挙管理委員会からの案内を手にした娘。
「あたし、絶対、投票に行くから」
政治の話も、明治維新以降の歴史の話もここ数カ月随分した・・・・・
「知らなかった。パパの話、全部初めて聞く話」
娘が小学校5年の時「田中正造」の話を教科書で習った話をしてくれた。
あれは確か、群馬冬季国体の時で家のそばを「皇太子」の車列が、高崎インターに向かって通過するところ。
町内会から日の丸の小旗を配られて、その沿道へ出るように促された。
「パパ、あたし、田中正造になれるかなぁ?」
それが何を意味するのかを咄嗟に感じた僕は・・・・・
「オマエ、そんな勇気ある?」
「ない」(笑)。
しばらくすると、時速30キロほどで皇太子を乗せた車がその前後数台の警察車両に警護されながら通過。
この掲示板でも、確かその時の模様を書いた。10年前の話。
その娘が、5月12日の今日二十歳に。
「戌年」。明治19年生まれの僕の祖母と同じ干支・・・・・・
祖母が生まれた時代はどんな時代だったのかと、ふとそれを考えた。
「老老介護」
昭和24年生まれの僕はこの2月11日で立派な、正真正銘の「高齢者」に、法律の定めるところ、なった。
「介護保険証」も送られてきて、町内の「老人会」からも入会のお誘いが・・・・・
「最近は、めっきり減っちゃってねぇ」
老人会の会長のお言葉(笑)。
それはそうだ、家に「おじいちゃん」、「おばあちゃん」と呼ぶ声がほとんど聞こえない・・・・・
高齢者、老人だけの街。そして、子育て、働き盛りだけの街に分断された昨今の町並み風景。
あと10年で「後期高齢者」になるが、その時は長女、次女も中高年の域に(笑)。
昨日、母の日に東京から長女と長男、次男が神さんを見舞いがてら来た。
その長男、来年は小学校、「ピカピカの一年生」だというから、光陰矢のごとしであり、顧みれば「万事塞翁が馬」だったこの5年間。
カミさんが連休明けに退院して、今度こそ正真正銘の障害者「車椅子生活」になった。
家の中では杖を使ってなんとか歩行はできるが、外出は完全に「車椅子」・・・・・
掃除、洗濯、そして食事の家事全般、自分ではできるつもり、その思い込みが抜けない。
「パパには無理、だから私がやるの」
洗濯機を回す。その指示をする。
これまで一度たりともそれをやったことのない僕は、どうやら、カミさんには出来の悪い息子のように映るらしい。
「洗剤入れすぎ、柔軟剤入れすぎ、ちゃんと言われたとおりスイッチ押して!!」
もっと大変なのは、物干しにそれをかけるとき・・・・・・
「何度言ったらわかるの?角ハンガーにクリップするときはしっかり広げて、シワを伸ばして・・・・・
ほら、角ハンガーと角ハンガーの感覚をちゃんと開けないと、洗濯物に陽が当たらないでしょ!!」
「食器は洗う前にキッチンハイターしておくの、これから梅雨時だし、バイ菌大変なんだから・・・・・」
「掃除機は端から、角かけるの。大きなゴミがあったら先にそれを拾って!!
全く、なんにもできないんだから。植木に水をやった、壽留女(猫)のオシッコ、ウンチはちゃんと片付けた!??」
一時が万事こうである。つまり、自分ができないから「お願い」するのではなく、「命令」(笑)。
「ママは怖かったからね。一度も逆らったことなかった」
長女が、そんな光景を見て笑いながら僕に言う・・・・・
そういえば、我が家の娘3人「反抗期」というものがなかった。
「娘さんが三人もいて大変だろ?」
って、友人たちは心配してくれるが、これまで、そうした問題はただの一度もなかった。
「老老介護」
車椅子でタバコをふかすカミさん・・・・・・
その後ろ姿に、40年昔を重ねる。
これが人生だったんだ、と。
「パパ、散歩したい、スーパー行こっ」
市の福祉課で40日間、それも繰り返し、無償で借りられる車椅子。
公園でハトに餌やりを楽しみにしてるカミさん・・・・・
♪翼をください♪を口ずさむ40年前の“彼女”(笑)。
「鳩っていいね・・・・・」
そう言いながら、飛び立つ鳩を目で追いながら・・・・・
独立行政法人高崎総合医療センター、その7階、南棟を見上げ、
去年の6月そこの病室から天国へと翼を広げた姉(58歳)を思い出していた。
「老老介護という現実」
by キネヅカ倶楽部
by キネヅカ倶楽部

世界にも手本がない問題だから…。夫婦、親子の間であらためて考えたい。何のための人生なのか。
>満開に、その命の寿命が尽きるまで、どの命も咲き続けてほしいです。
今日は末娘の誕生日。選挙管理委員会からの案内を手にした娘。
「あたし、絶対、投票に行くから」
政治の話も、明治維新以降の歴史の話もここ数カ月随分した・・・・・
「知らなかった。パパの話、全部初めて聞く話」
娘が小学校5年の時「田中正造」の話を教科書で習った話をしてくれた。
あれは確か、群馬冬季国体の時で家のそばを「皇太子」の車列が、高崎インターに向かって通過するところ。
町内会から日の丸の小旗を配られて、その沿道へ出るように促された。
「パパ、あたし、田中正造になれるかなぁ?」
それが何を意味するのかを咄嗟に感じた僕は・・・・・
「オマエ、そんな勇気ある?」
「ない」(笑)。
しばらくすると、時速30キロほどで皇太子を乗せた車がその前後数台の警察車両に警護されながら通過。
この掲示板でも、確かその時の模様を書いた。10年前の話。
その娘が、5月12日の今日二十歳に。
「戌年」。明治19年生まれの僕の祖母と同じ干支・・・・・・
祖母が生まれた時代はどんな時代だったのかと、ふとそれを考えた。
「老老介護」
昭和24年生まれの僕はこの2月11日で立派な、正真正銘の「高齢者」に、法律の定めるところ、なった。
「介護保険証」も送られてきて、町内の「老人会」からも入会のお誘いが・・・・・
「最近は、めっきり減っちゃってねぇ」
老人会の会長のお言葉(笑)。
それはそうだ、家に「おじいちゃん」、「おばあちゃん」と呼ぶ声がほとんど聞こえない・・・・・
高齢者、老人だけの街。そして、子育て、働き盛りだけの街に分断された昨今の町並み風景。
あと10年で「後期高齢者」になるが、その時は長女、次女も中高年の域に(笑)。
昨日、母の日に東京から長女と長男、次男が神さんを見舞いがてら来た。
その長男、来年は小学校、「ピカピカの一年生」だというから、光陰矢のごとしであり、顧みれば「万事塞翁が馬」だったこの5年間。
カミさんが連休明けに退院して、今度こそ正真正銘の障害者「車椅子生活」になった。
家の中では杖を使ってなんとか歩行はできるが、外出は完全に「車椅子」・・・・・
掃除、洗濯、そして食事の家事全般、自分ではできるつもり、その思い込みが抜けない。
「パパには無理、だから私がやるの」
洗濯機を回す。その指示をする。
これまで一度たりともそれをやったことのない僕は、どうやら、カミさんには出来の悪い息子のように映るらしい。
「洗剤入れすぎ、柔軟剤入れすぎ、ちゃんと言われたとおりスイッチ押して!!」
もっと大変なのは、物干しにそれをかけるとき・・・・・・
「何度言ったらわかるの?角ハンガーにクリップするときはしっかり広げて、シワを伸ばして・・・・・
ほら、角ハンガーと角ハンガーの感覚をちゃんと開けないと、洗濯物に陽が当たらないでしょ!!」
「食器は洗う前にキッチンハイターしておくの、これから梅雨時だし、バイ菌大変なんだから・・・・・」
「掃除機は端から、角かけるの。大きなゴミがあったら先にそれを拾って!!
全く、なんにもできないんだから。植木に水をやった、壽留女(猫)のオシッコ、ウンチはちゃんと片付けた!??」
一時が万事こうである。つまり、自分ができないから「お願い」するのではなく、「命令」(笑)。
「ママは怖かったからね。一度も逆らったことなかった」
長女が、そんな光景を見て笑いながら僕に言う・・・・・
そういえば、我が家の娘3人「反抗期」というものがなかった。
「娘さんが三人もいて大変だろ?」
って、友人たちは心配してくれるが、これまで、そうした問題はただの一度もなかった。
「老老介護」
車椅子でタバコをふかすカミさん・・・・・・
その後ろ姿に、40年昔を重ねる。
これが人生だったんだ、と。
「パパ、散歩したい、スーパー行こっ」
市の福祉課で40日間、それも繰り返し、無償で借りられる車椅子。
公園でハトに餌やりを楽しみにしてるカミさん・・・・・
♪翼をください♪を口ずさむ40年前の“彼女”(笑)。
「鳩っていいね・・・・・」
そう言いながら、飛び立つ鳩を目で追いながら・・・・・
独立行政法人高崎総合医療センター、その7階、南棟を見上げ、
去年の6月そこの病室から天国へと翼を広げた姉(58歳)を思い出していた。
「老老介護という現実」
by キネヅカ倶楽部
タグ :老老介護、車椅子、高齢化社会