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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2015年06月29日

孫娘に会いに広尾の日赤へ行ってきた

孫娘に会いに広尾の日赤へ行ってきた



すっかり趣も変わってしまった「山手通り」・・・
末娘がママチャリ「東京紀行」の頃はまだ工事中でした。


「お父さん・・・」
「うん?お父さんは赤ちゃんのところだぞ」
「そうじゃないよ、おじいちゃんのことだよ。お父さん」


5歳の長女の次男がそう言って僕に笑った。

「なんで、高崎のおじいちゃんは、おじいちゃんて言われるの嫌なの?」


その言葉に僕は思わず苦笑いとため息をついた。

「お母さんが言ってたよ、高崎のおじいちゃんは、おじいちゃんて言われるのが嫌なんだって、って」


次女の長女、次女、長男は僕たちのことを「パパ、ママ」と呼んでいる。
まあ、次女の長女が生まれたときは14年前だから僕は52歳でママは44歳。
僕の勝手な持論だが、「おじいちゃん」はすぐに死ぬと言う思い込みがその初孫が生まれた瞬間から離れない。
事実、僕のおじいちゃんは明治17年生まれ申年で72歳でなくなっている。僕が5歳の時だった。
もっとも、そんな僕のことだから「おじいちゃんになる」なんていうことは夢想にもしなかったからだ。
長女の次男、5歳ともなると物心ついているのか、従姉たちが僕のことを「パパ」と呼ぶのが不思議でたまらなかったようだ。

土曜日、広尾の日赤医療センターへ生まれたばかりの孫娘の顔を見に行ってきた。

2015年6月25日誕生。

彼女が二十歳になる頃には僕はもうこの世にはいない。
その2970グラムの小さな孫娘を抱っこしたとき、ふとそんな思いが強く過ぎった。
まあ、幸運にも平均寿命まで生きられたとしてもその孫娘中学生くらいだろうか・・・・・

久々の車での東京だったので、関越を降りてから広尾まで2時間くらいかかってしまった(^_^;)
目白通りから山手通りに入ったまでは良かったんだが、その山手通りが僕がいた頃の山手通りとは一変していた。
まず、歩道橋がひとつもなかった。そしてその山手通りの地下には高速道路が・・・・・
山手通りはそんなに運んでいなかったんだけど、目黒まで行って恵比寿方面へと向かうつもりでいたのが車の流れから渋谷の方に行ってしまった。
時間帯で渋谷駅のところの交差点は右折できないので青山通りまで行ってしまって、そこから渋谷東まで行ってようやく明治通りに入れた。
日赤広尾はその恵比寿交差点から結構すぐのところだったはずなんだが目印にしていた「コンビニ」がなくなっていたので、とうとう、天現寺橋まで行ってしまってそこを左折して西麻布、六本木通りを少し行くと首都高3号高樹町辺りを左折すると「日赤」が見えてきてホッとした。
随分遠回りをしたもんだと思ったが、その「日赤」からの帰りは長男、次男の時も何度か通ったのですぐに明治通りに出られた。

帰路は恵比寿から代官山、山手通りと、そして渋滞は全くなく関越へと・・・・・

孫娘に会いに広尾の日赤へ行ってきた


  


Posted by 昭和24歳  at 11:36Comments(0)

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