グンブロ広告
ビジネスライセンス料 3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告 1,600円/月

2015年06月11日
【新安保法制】そこまでしてやりたいのにはなにか訳がある。
【新安保法制】そこまでしてやりたいのにはなにか訳がある。

<安保関連法案>「合憲という学者」官房長官たくさん示せず
安保法制を合憲と考える学者がたくさんいる--と豪語していた菅義偉官房長官が、10日の衆院特別委員会で「数(の問題)ではない」と述べ、事実上前言を撤回した。合憲派の学者について菅氏は「10人ほど」とし、3人の実名を挙げた。法案の廃案を求める憲法学者は200人を超え、安保法制違憲論は日増しに強まっている。【樋岡徹也、林田七恵】
<中略>
長尾氏は、安保法制を合憲とする根拠として、国連憲章が個別的自衛権も集団的自衛権も認めていることなどを挙げ、「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。一般庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」と熱弁をふるった。
<抜粋引用:毎日新聞 6月10日(水)23時5分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150610-00000129-mai-pol
>「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。
新安保法制は米国の洗脳工作ではないのか?
百歩譲って「靖国の英霊」がそれを望んでるだろうか・・・・・・
国民の生命、財産の安全言いながら300万四の国民の生命と財産を棄損させた政治。
「戦後70年」は遠い過去ではない、僕ら世代にとってはつい昨日のことだ。
僕の父母、祖父母、叔父叔母、その70年前の出来事の被害者だ。
そして、南方で、シヴェリアで塗炭の苦しみの末帰還した叔父たちはまだ存命。
はたして、そんな元日本兵、赤子が再びどんな形であれ自分たちの孫が戦場へ駆られることを望んでいるだろうか。
政府は「そうならないための」備えだというが某国の戦闘行為を支援するということは敵国からすれば対戦国となる。
二言目には、日本の安全保障は危機的状態というが・・・・・
これまでその戦後70年間「防衛」という名のもとにいくらつぎ込んできたのか?
>「・・・一般庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」
真の独立国なら「集団的自衛権」ではなく、徹底した「個別的自衛権」だろう。
つまり、「独立」とは、政治的にも、経済的にも、軍事的にも国際社会に同等の権利を有することではないか・・・・・・
せめて、少なくとも「軍事占領」された状態からの脱却を図ることが先決ではないのか。
しかし、まだ、戦後70年しか経っていない今、かつての戦勝国、占領軍が日本の「独立」を赦すはずがない。
では、なぜ世界でも最大規模の「米軍基地」がこの狭小な日本列島に置かれているのか・・・・・
すでに、それこそがそこに「集団的自衛体制」が敷かれている証ではないか。
まあ、言われるような日本の安全保障に緊急事態が起こるとすれば、自衛隊には先制攻撃はできない、専守防衛。
つまり、戦闘行為を行うのは日本列島に基地を置く「米軍」ではないのか・・・・・
それに「集団」するということは同一の軍隊とみなされることになる、つまり、治外法権「米国領」である在日米軍基地は攻撃の対象となる。
つまり、少なく見積もってもいざ、戦争となれば、その集団的とは日本列島は日本を守るという同盟国の「兵站基地」となる。
まあ、そんなことは起こるわけないのだが、しかし、かつての戦争がそうだったようにそれは工作されるだろう・・・・・・
その時のための「新安保体制」であり、それは日本に危険をもたらす意外何者でもない。
さて、そこでの仮想敵国は何処ですか?
「仮定の話にはお答えできません」じゃあ、賛成も反対もできません・・・・・・
【新安保法制】そこまでしてやりたいのにはなにか訳がある。

<安保関連法案>「合憲という学者」官房長官たくさん示せず
安保法制を合憲と考える学者がたくさんいる--と豪語していた菅義偉官房長官が、10日の衆院特別委員会で「数(の問題)ではない」と述べ、事実上前言を撤回した。合憲派の学者について菅氏は「10人ほど」とし、3人の実名を挙げた。法案の廃案を求める憲法学者は200人を超え、安保法制違憲論は日増しに強まっている。【樋岡徹也、林田七恵】
<中略>
長尾氏は、安保法制を合憲とする根拠として、国連憲章が個別的自衛権も集団的自衛権も認めていることなどを挙げ、「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。一般庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」と熱弁をふるった。
<抜粋引用:毎日新聞 6月10日(水)23時5分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150610-00000129-mai-pol
>「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。
新安保法制は米国の洗脳工作ではないのか?
百歩譲って「靖国の英霊」がそれを望んでるだろうか・・・・・・
国民の生命、財産の安全言いながら300万四の国民の生命と財産を棄損させた政治。
「戦後70年」は遠い過去ではない、僕ら世代にとってはつい昨日のことだ。
僕の父母、祖父母、叔父叔母、その70年前の出来事の被害者だ。
そして、南方で、シヴェリアで塗炭の苦しみの末帰還した叔父たちはまだ存命。
はたして、そんな元日本兵、赤子が再びどんな形であれ自分たちの孫が戦場へ駆られることを望んでいるだろうか。
政府は「そうならないための」備えだというが某国の戦闘行為を支援するということは敵国からすれば対戦国となる。
二言目には、日本の安全保障は危機的状態というが・・・・・
これまでその戦後70年間「防衛」という名のもとにいくらつぎ込んできたのか?
>「・・・一般庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」
真の独立国なら「集団的自衛権」ではなく、徹底した「個別的自衛権」だろう。
つまり、「独立」とは、政治的にも、経済的にも、軍事的にも国際社会に同等の権利を有することではないか・・・・・・
せめて、少なくとも「軍事占領」された状態からの脱却を図ることが先決ではないのか。
しかし、まだ、戦後70年しか経っていない今、かつての戦勝国、占領軍が日本の「独立」を赦すはずがない。
では、なぜ世界でも最大規模の「米軍基地」がこの狭小な日本列島に置かれているのか・・・・・
すでに、それこそがそこに「集団的自衛体制」が敷かれている証ではないか。
まあ、言われるような日本の安全保障に緊急事態が起こるとすれば、自衛隊には先制攻撃はできない、専守防衛。
つまり、戦闘行為を行うのは日本列島に基地を置く「米軍」ではないのか・・・・・
それに「集団」するということは同一の軍隊とみなされることになる、つまり、治外法権「米国領」である在日米軍基地は攻撃の対象となる。
つまり、少なく見積もってもいざ、戦争となれば、その集団的とは日本列島は日本を守るという同盟国の「兵站基地」となる。
まあ、そんなことは起こるわけないのだが、しかし、かつての戦争がそうだったようにそれは工作されるだろう・・・・・・
その時のための「新安保体制」であり、それは日本に危険をもたらす意外何者でもない。
さて、そこでの仮想敵国は何処ですか?
「仮定の話にはお答えできません」じゃあ、賛成も反対もできません・・・・・・
【新安保法制】そこまでしてやりたいのにはなにか訳がある。
2015年06月11日
【備忘録】秋葉原無差別通り魔事件(2008年6月11日)
【備忘録】秋葉原無差別通り魔事件(2008年6月11日)

2008年6月、秋葉原で死傷者17名を出す無差別殺傷事件が発生。「派遣切り」「ネット掲示板」という事件にまつわる言葉と、加害者・加藤智大に対する高い共感が衝撃を与えた。彼の人生を追うことで、日本人が対峙すべき現代社会の病巣を暴くノンフィクション。
秋葉原無差別通り魔事件 加藤智大被告の死刑判決が確定へ
2008年に東京・秋葉原で7人が殺害された通り魔事件で、殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(32)の上告審判決が2015年2月2日あり、最高裁第1法廷(桜井龍子裁判長)は上告を棄却した。1、2審の死刑判決が確定する。
1、2審判決によると、加藤被告は08年6月、東京・秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んで歩行者5人をはね、その後ナイフで12人を刺した。
最高裁判決では、
“「被告は秋葉原の歩行者天国における無差別殺人を企て、周到な準備のもと残虐な方法で実行した。事件が社会に与えた衝撃は大きく、遺族の処罰感情もしゅん烈だ。動機や経緯に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるをえない」
と指摘した。
<引用:J-CASTニュース 2015/2/ 3 17:21>
ソース:http://www.j-cast.com/2015/02/03226967.html
↓は2008年6月11日投稿記事です。
>日本人はもう一度家族のありようを真剣に考えなければならないのではないだろうか。
その意味では加藤容疑者の家族はすでに壊れていたとかの報道があります。
僕ら大衆はギリギリのところでその“家族”という、それは“思想”とでも言うのだろうか・・・・・・
絶対に守らなければならない、存在として生きているのではないだろうか。
しかし、国家はいとも簡単に、虫けらでも踏み潰すように大衆のその“家族”を崩壊させる。
昭和の大戦がそうだった。
家族は二の次、三の次で、お国のため、天皇陛下のためと、国家、国が家族を思う言葉はただの一度もなかった。
無謀な戦争に、己の面子だけで大衆、国民の家族を惨たらしく引きちぎった。
現代は、今日はどうか・・・・・・
普通にあるべき人間の生活、その姿を次々と“法律”で貶めている。
これまでの法律が国民大衆に資したことがあったか。ほとんどが国民から奪い去るモノばかり。
見るがいい・・・・・・
今日、行政官庁までが低賃金で“派遣労働者”を雇用し己たちの身分の安定を図っている。
総じて平均所得700万円台の“公務員”・・・・・・
窓口業務、受付案内業務、清掃業務、保守管理業務それら多くの分野が外部委託かあるいは派遣会社からの間接雇用。
病院も介護部門では多くが派遣。
かつての“派遣業法”では専門技能職に限られていた・・・・・
それが、いわゆる“ブルーカラー”の工場作業、そして“ホワイトカラー”の事務職まで「ハケン、ハケン、ハケン」。
桝添厚労大臣は嘯く、
「働き方はいろいろあっていいと思う。多くの若い人たちも望んで部分もある」。
それはそうだろう、この国はとりあえずは“自由”を標榜する社会である。
当然「職業選択の自由」ということなのだから・・・・・
しかし『改悪労働法』のなかの“改悪保険法”は『雇い止め』を前提にした、
「3年を超えて雇用契約をしてはならない」
この方の意図は善意に解釈すれば・・・・・
「3年を超えて継続雇用する場合は“正社員”にしなければならない」が附則ではないのか。
ところが現在の派遣の状態は、
「3年を超えたら雇い止めの再契約雇用」。
もっとひどいのは、一日単位の契約雇用。今20代、30代の若者が見せる『ネットカフェ難民』の“グッドウィル”などがその典型。
何の雇用保障も、医療、年金保証もないまま企業から受取る請負料から「3割~5割」をピンハネ。
手取りは昼間働いて6千円前後、深夜勤で7千円前後・・・・・・
そこにある大きな問題は、 「このままだとずっとこのような生活がつづく」ということだ・
「社会が悪い、政治が悪」と、甘えるなとのご意見もあろうが、まさしくこれは政治が法律で作った社会現象。
それも、特定の階層の、極少数の特定な者だけが“莫大な利益”を得るために政治が作った今日の姿なのではないか。
「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」
トヨタ自動車名誉会長、経団連元会長、奥田碩の言葉を繰り返すが、
「差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていないが」
無差別に人を殺傷しているではないか。
そしてこの加藤容疑者は間違いなく“死刑”だろう。 「凍死したり、餓死したりはしないが」死刑になる凶悪殺人犯として。
奥田碩トヨタ名誉会長よ!!
凍死したり、餓死したりしていないが、殺人犯になり、死刑になって死ぬ・・・・・
ならば、「凍死、餓死」の方が当人だけですむのだからその意味では救われているのではないか。
奥田碩トヨタ名誉会長さん、あなたが想像していなかった死に方・・・・・
あなたの会社(関連会社)で期間工として働いていた、「トヨタの自動車」を作っていた青年が、「凍死、餓死」ではなく「7人も無差別の通り魔殺人犯」として「死刑」になって死ぬ・・・・・・
これで犯行に使われた車がトヨタでなくて良かった(いすゞ)なんていってる場合じゃあないぞ。
あなたの関連会社の期間工社員が「凍死、餓死」していないけど「7人を殺して」やがて死刑で「死ぬ」のだ。
「死んだりしない」と言ったあなたは間違っていた。
しかもあなたの会社の車を作っている期間工社員が、派遣だから責任がないというのか・・・・・
「ジャスト・イン・タイム」
あなたにとっては期間行員、人間もただの“モノ”なのか??!!!
「必要な時に必要だけ」の。
“家族”その普遍である価値観をズタズタに切り裂く“経済至上主義者”社会をお終いにしなければならない。
「健忘症候群」社会・・・・・
政治がそれを如実に表している。
いや、認知症かも知れない「集団的自衛権」。

2008年6月、秋葉原で死傷者17名を出す無差別殺傷事件が発生。「派遣切り」「ネット掲示板」という事件にまつわる言葉と、加害者・加藤智大に対する高い共感が衝撃を与えた。彼の人生を追うことで、日本人が対峙すべき現代社会の病巣を暴くノンフィクション。
秋葉原無差別通り魔事件 加藤智大被告の死刑判決が確定へ
2008年に東京・秋葉原で7人が殺害された通り魔事件で、殺人罪などに問われた元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(32)の上告審判決が2015年2月2日あり、最高裁第1法廷(桜井龍子裁判長)は上告を棄却した。1、2審の死刑判決が確定する。
1、2審判決によると、加藤被告は08年6月、東京・秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んで歩行者5人をはね、その後ナイフで12人を刺した。
最高裁判決では、
“「被告は秋葉原の歩行者天国における無差別殺人を企て、周到な準備のもと残虐な方法で実行した。事件が社会に与えた衝撃は大きく、遺族の処罰感情もしゅん烈だ。動機や経緯に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるをえない」
と指摘した。
<引用:J-CASTニュース 2015/2/ 3 17:21>
ソース:http://www.j-cast.com/2015/02/03226967.html
↓は2008年6月11日投稿記事です。
>日本人はもう一度家族のありようを真剣に考えなければならないのではないだろうか。
その意味では加藤容疑者の家族はすでに壊れていたとかの報道があります。
僕ら大衆はギリギリのところでその“家族”という、それは“思想”とでも言うのだろうか・・・・・・
絶対に守らなければならない、存在として生きているのではないだろうか。
しかし、国家はいとも簡単に、虫けらでも踏み潰すように大衆のその“家族”を崩壊させる。
昭和の大戦がそうだった。
家族は二の次、三の次で、お国のため、天皇陛下のためと、国家、国が家族を思う言葉はただの一度もなかった。
無謀な戦争に、己の面子だけで大衆、国民の家族を惨たらしく引きちぎった。
現代は、今日はどうか・・・・・・
普通にあるべき人間の生活、その姿を次々と“法律”で貶めている。
これまでの法律が国民大衆に資したことがあったか。ほとんどが国民から奪い去るモノばかり。
見るがいい・・・・・・
今日、行政官庁までが低賃金で“派遣労働者”を雇用し己たちの身分の安定を図っている。
総じて平均所得700万円台の“公務員”・・・・・・
窓口業務、受付案内業務、清掃業務、保守管理業務それら多くの分野が外部委託かあるいは派遣会社からの間接雇用。
病院も介護部門では多くが派遣。
かつての“派遣業法”では専門技能職に限られていた・・・・・
それが、いわゆる“ブルーカラー”の工場作業、そして“ホワイトカラー”の事務職まで「ハケン、ハケン、ハケン」。
桝添厚労大臣は嘯く、
「働き方はいろいろあっていいと思う。多くの若い人たちも望んで部分もある」。
それはそうだろう、この国はとりあえずは“自由”を標榜する社会である。
当然「職業選択の自由」ということなのだから・・・・・
しかし『改悪労働法』のなかの“改悪保険法”は『雇い止め』を前提にした、
「3年を超えて雇用契約をしてはならない」
この方の意図は善意に解釈すれば・・・・・
「3年を超えて継続雇用する場合は“正社員”にしなければならない」が附則ではないのか。
ところが現在の派遣の状態は、
「3年を超えたら雇い止めの再契約雇用」。
もっとひどいのは、一日単位の契約雇用。今20代、30代の若者が見せる『ネットカフェ難民』の“グッドウィル”などがその典型。
何の雇用保障も、医療、年金保証もないまま企業から受取る請負料から「3割~5割」をピンハネ。
手取りは昼間働いて6千円前後、深夜勤で7千円前後・・・・・・
そこにある大きな問題は、 「このままだとずっとこのような生活がつづく」ということだ・
「社会が悪い、政治が悪」と、甘えるなとのご意見もあろうが、まさしくこれは政治が法律で作った社会現象。
それも、特定の階層の、極少数の特定な者だけが“莫大な利益”を得るために政治が作った今日の姿なのではないか。
「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」
トヨタ自動車名誉会長、経団連元会長、奥田碩の言葉を繰り返すが、
「差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていないが」
無差別に人を殺傷しているではないか。
そしてこの加藤容疑者は間違いなく“死刑”だろう。 「凍死したり、餓死したりはしないが」死刑になる凶悪殺人犯として。
奥田碩トヨタ名誉会長よ!!
凍死したり、餓死したりしていないが、殺人犯になり、死刑になって死ぬ・・・・・
ならば、「凍死、餓死」の方が当人だけですむのだからその意味では救われているのではないか。
奥田碩トヨタ名誉会長さん、あなたが想像していなかった死に方・・・・・
あなたの会社(関連会社)で期間工として働いていた、「トヨタの自動車」を作っていた青年が、「凍死、餓死」ではなく「7人も無差別の通り魔殺人犯」として「死刑」になって死ぬ・・・・・・
これで犯行に使われた車がトヨタでなくて良かった(いすゞ)なんていってる場合じゃあないぞ。
あなたの関連会社の期間工社員が「凍死、餓死」していないけど「7人を殺して」やがて死刑で「死ぬ」のだ。
「死んだりしない」と言ったあなたは間違っていた。
しかもあなたの会社の車を作っている期間工社員が、派遣だから責任がないというのか・・・・・
「ジャスト・イン・タイム」
あなたにとっては期間行員、人間もただの“モノ”なのか??!!!
「必要な時に必要だけ」の。
“家族”その普遍である価値観をズタズタに切り裂く“経済至上主義者”社会をお終いにしなければならない。
「健忘症候群」社会・・・・・
政治がそれを如実に表している。
いや、認知症かも知れない「集団的自衛権」。