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2013年01月12日
小沢一郎は誰に殺されるのか?
小沢一郎は
誰に殺されるのか?

日本取材30年のオランダ人ジャーナリストが、「小沢一郎」問題の背後に浮かび上がる「非公式権力」と、その支配の構図を徹底解明。検察とマスコミ、そして日本の未来を問い直す刺激的論考、騒乱の渦中に緊急出版!
東京佐川急便事件あたりから小沢さんを見てきているが・・・・・
それはたまたま僕の会社があったのが田中角栄「目白御殿」のすぐ下で、いつも見上げていた。
零細な印刷工場が林立する豊島区高田というところ。
ちなみに内閣総理大臣になる前の中曽根康弘さんちも豊島区高田、都電「学習院下」のすぐそば。
僕は目白通りへの急な坂道を運動がてらに、その当時は既に開かずの扉となっていた、
「田中角栄」と書かれた表札の目白御殿正門前は散歩コースだった。
しばらくは報道カメラも見えなかったがあの「皇民党誉め殺し」の一件以来・・・・・
「竹下登首相候補」のお詫びがいつあるのかで報道カメラが林立した。
いわゆる「金竹小」の自民党経世会天国時代の到来直前だった。
総裁選には宮沢喜一と安倍晋太郎の名前も上がったが結局、総理総裁の中曽根裁定で、
皇民党の街宣をストップさせることを条件に竹下を指名した。
今から20数年前の話だがそれは今日の政治状況とは全く異なる様相がそこにはあった。
そして「小沢一郎」は時代の流れを感じ取るかのように自民党を割って出る。
東京佐川事件での「証人喚問」は議事録にも見て取れるが、そこには「茶坊主」の小沢一郎しかいない。
書によれば、竹下登は小沢一郎を信頼していない、田中角栄の側近中の側近だったから。
竹下登も金丸信も田中角栄というより「佐藤派」佐藤栄作に私淑していた。
つまり、佐藤後の総裁選挙「角福戦争」では田中角栄に寝返ったということだとか。
いわゆる、今日の自民党「清和会」と「生活の党」の萌芽であった。
細川護煕(田中派)「日本新党」政権を実験し・・・・・
そこに「さきがけ」武村正義(田中派)そしてほとんどが世襲の経世会脱藩組が枯れ木も山。
それがあまりにも今日の政界と酷似する、選挙のための政党づくり。
市民派と称する政党、世襲ボンボンの政党、そしてそれが日本社会党の崩壊。
それらは政治家として不適格者の寄せ集まり。
結局、どのようにしてできたのか「政党ごっこ」の民主党。
鳩山由紀夫にしても86年総選挙で田中派から立候補、当選するが・・・・・・
その時小沢は既に党総務局長、自治大臣を経験していた。
あの岡田克也に至っては初立候補時、「小沢一郎官房副長官」。
そして海部内閣、一年生代議士の時は「小沢一郎自民党幹事長」の下。
それは菅(さきがけ)にしてもそうだが、その時点で政治キャリアには格段の差があった。
そして今日、小沢一郎の最大の悲劇はそこのところの「人材の枯渇」だろう・・・・・
右腕になって働く参謀がいない。
そもそも政治家が小粒になってしまっている現状では無理からぬことかも。
「門前の小僧習わぬ経を読む」では、言ってわかる話ではないだろうから。
そしてその東京佐川急便事件の証人喚問とその報道。
「ホントかなぁ、この人」
小沢一郎には、そんな感想しかわかなかった。
東京佐川渡辺社長、竹下登、金丸信と東日本最大の広域暴力団会長との間にもたれた・・・・・
その会談を別室で給仕していたと証言。
「私は別室で給仕をしていただけですので話の内容は存じ上げません」
それがそのときの小沢一郎の答弁だった・・・・・
まあ、これから内閣総理大臣になろうという人物がそのような人物に「頼み事」とはである。
そこの時の人、竹下登もやはり「覚悟」がなかったのか、そのことがどういう事態をその後招くか、
そのへんの想像力が全くなかった。
縦しんばあったとしても「総理」になれるという邪心が邪道へと走らせた。
僕も、20代の頃は場末のバンドマンという職業柄その手の諸紳士とのお付き合いはあった。
当然、それは政治とは切って切れるものではない、その対極に存在する世界。
結局は、シビアに貸し借りの世界でその意味では政治も「任侠」のそれかもしれない。
実は、そこなんです・・・・・
私淑するということはその間に「論」の付け入る余地がない。
「長幼の序」。どなたかが言ってましたよねぇ(笑)。
学ぼうという謙虚さがない、よって自分が権力の頂点、内閣総理大臣になった時の行動の脆弱さ。
鳩山、菅も、野田も阿弥陀クジのように行き当たりばったりでその地位についた・・・・・・
そら、比べますか己を、良し悪しはともかく「吉田茂」と、「岸信介」と「田中角栄」と。
確かに時代背景は異なるがそこにはテンションが全く感じられない「ごっこ」の政治。
そして、若くして55年体制のど真ん中を自民党の中枢で過ごした小沢一郎。
まさしく「角・福・中」時代のシーラカンスのような存在だったその後の小沢一郎。
20年ほど前を堺に、側近と言われた小沢一郎のブレーンのほとんどは消えた。
まあ、田中角栄の薫陶を得、この国の戦後政治のシステマチックを知り尽くした小沢一郎・・・・・
当然、それであれば既得権益集団からは猛烈な排除行動を受ける。
しかし歴史は動いてゆく、それもリアルに。
そして結局、政治は官僚の手に委ねられる、それが今日の「自民党政権」。
まあ、橋下も丹力がない、石原がごときにカモられて(笑)。
小沢さんの側近、故・中西啓介、熊谷弘もアウト、山岡賢次なんかは論外だろう・・・・・・
それにしても、安倍ちゃんはアウトだね、自民党もっと人材はいるのに(笑)。
というか、「安倍」を赦した、赦さざるを得なかった、その時点で終わっている。
その意味では安倍ちゃん、いわゆる「中二階」だろう、民主党政権も全て「中二階」だった。
まあ、そこでの実力者と言われる諸先生は古傷か表舞台には立てないようだし。
安倍ちゃんを出汁にしての魂胆が透けて見えるから可笑しい。
しかし、何があったにせよここに来ての小沢一郎の凋落ぶりはある一つの時代の終焉か。
それに、そもそもこの国には「二大政党制」が根付くのかは国民性の問題として無理ではないか。
「死に票」を大量に出してしまう選挙制度にしても、「和をもって尊ぶ」という、
和らぎの民には似合わない。右か左かではない、シロかクロかではない・・・・・
長いものには巻かれ、水に流し、雨降って地を固め、そして腹に収め粛々とする。
つまり、小選挙区制では、それは戦いではなく「殺し合い」になってしまう。
その中でひとり勝ち抜いても、他者に学ぶことはできない。袖すりあえない世界。
「誰が小沢一郎を殺すのか」。
それは自分で自分の首を絞めたのかも。正論も時には無理がある・・・・・
小沢一郎は
誰に殺されるのか?
誰に殺されるのか?

日本取材30年のオランダ人ジャーナリストが、「小沢一郎」問題の背後に浮かび上がる「非公式権力」と、その支配の構図を徹底解明。検察とマスコミ、そして日本の未来を問い直す刺激的論考、騒乱の渦中に緊急出版!
東京佐川急便事件あたりから小沢さんを見てきているが・・・・・
それはたまたま僕の会社があったのが田中角栄「目白御殿」のすぐ下で、いつも見上げていた。
零細な印刷工場が林立する豊島区高田というところ。
ちなみに内閣総理大臣になる前の中曽根康弘さんちも豊島区高田、都電「学習院下」のすぐそば。
僕は目白通りへの急な坂道を運動がてらに、その当時は既に開かずの扉となっていた、
「田中角栄」と書かれた表札の目白御殿正門前は散歩コースだった。
しばらくは報道カメラも見えなかったがあの「皇民党誉め殺し」の一件以来・・・・・
「竹下登首相候補」のお詫びがいつあるのかで報道カメラが林立した。
いわゆる「金竹小」の自民党経世会天国時代の到来直前だった。
総裁選には宮沢喜一と安倍晋太郎の名前も上がったが結局、総理総裁の中曽根裁定で、
皇民党の街宣をストップさせることを条件に竹下を指名した。
今から20数年前の話だがそれは今日の政治状況とは全く異なる様相がそこにはあった。
そして「小沢一郎」は時代の流れを感じ取るかのように自民党を割って出る。
東京佐川事件での「証人喚問」は議事録にも見て取れるが、そこには「茶坊主」の小沢一郎しかいない。
書によれば、竹下登は小沢一郎を信頼していない、田中角栄の側近中の側近だったから。
竹下登も金丸信も田中角栄というより「佐藤派」佐藤栄作に私淑していた。
つまり、佐藤後の総裁選挙「角福戦争」では田中角栄に寝返ったということだとか。
いわゆる、今日の自民党「清和会」と「生活の党」の萌芽であった。
細川護煕(田中派)「日本新党」政権を実験し・・・・・
そこに「さきがけ」武村正義(田中派)そしてほとんどが世襲の経世会脱藩組が枯れ木も山。
それがあまりにも今日の政界と酷似する、選挙のための政党づくり。
市民派と称する政党、世襲ボンボンの政党、そしてそれが日本社会党の崩壊。
それらは政治家として不適格者の寄せ集まり。
結局、どのようにしてできたのか「政党ごっこ」の民主党。
鳩山由紀夫にしても86年総選挙で田中派から立候補、当選するが・・・・・・
その時小沢は既に党総務局長、自治大臣を経験していた。
あの岡田克也に至っては初立候補時、「小沢一郎官房副長官」。
そして海部内閣、一年生代議士の時は「小沢一郎自民党幹事長」の下。
それは菅(さきがけ)にしてもそうだが、その時点で政治キャリアには格段の差があった。
そして今日、小沢一郎の最大の悲劇はそこのところの「人材の枯渇」だろう・・・・・
右腕になって働く参謀がいない。
そもそも政治家が小粒になってしまっている現状では無理からぬことかも。
「門前の小僧習わぬ経を読む」では、言ってわかる話ではないだろうから。
そしてその東京佐川急便事件の証人喚問とその報道。
「ホントかなぁ、この人」
小沢一郎には、そんな感想しかわかなかった。
東京佐川渡辺社長、竹下登、金丸信と東日本最大の広域暴力団会長との間にもたれた・・・・・
その会談を別室で給仕していたと証言。
「私は別室で給仕をしていただけですので話の内容は存じ上げません」
それがそのときの小沢一郎の答弁だった・・・・・
まあ、これから内閣総理大臣になろうという人物がそのような人物に「頼み事」とはである。
そこの時の人、竹下登もやはり「覚悟」がなかったのか、そのことがどういう事態をその後招くか、
そのへんの想像力が全くなかった。
縦しんばあったとしても「総理」になれるという邪心が邪道へと走らせた。
僕も、20代の頃は場末のバンドマンという職業柄その手の諸紳士とのお付き合いはあった。
当然、それは政治とは切って切れるものではない、その対極に存在する世界。
結局は、シビアに貸し借りの世界でその意味では政治も「任侠」のそれかもしれない。
実は、そこなんです・・・・・
私淑するということはその間に「論」の付け入る余地がない。
「長幼の序」。どなたかが言ってましたよねぇ(笑)。
学ぼうという謙虚さがない、よって自分が権力の頂点、内閣総理大臣になった時の行動の脆弱さ。
鳩山、菅も、野田も阿弥陀クジのように行き当たりばったりでその地位についた・・・・・・
そら、比べますか己を、良し悪しはともかく「吉田茂」と、「岸信介」と「田中角栄」と。
確かに時代背景は異なるがそこにはテンションが全く感じられない「ごっこ」の政治。
そして、若くして55年体制のど真ん中を自民党の中枢で過ごした小沢一郎。
まさしく「角・福・中」時代のシーラカンスのような存在だったその後の小沢一郎。
20年ほど前を堺に、側近と言われた小沢一郎のブレーンのほとんどは消えた。
まあ、田中角栄の薫陶を得、この国の戦後政治のシステマチックを知り尽くした小沢一郎・・・・・
当然、それであれば既得権益集団からは猛烈な排除行動を受ける。
しかし歴史は動いてゆく、それもリアルに。
そして結局、政治は官僚の手に委ねられる、それが今日の「自民党政権」。
まあ、橋下も丹力がない、石原がごときにカモられて(笑)。
小沢さんの側近、故・中西啓介、熊谷弘もアウト、山岡賢次なんかは論外だろう・・・・・・
それにしても、安倍ちゃんはアウトだね、自民党もっと人材はいるのに(笑)。
というか、「安倍」を赦した、赦さざるを得なかった、その時点で終わっている。
その意味では安倍ちゃん、いわゆる「中二階」だろう、民主党政権も全て「中二階」だった。
まあ、そこでの実力者と言われる諸先生は古傷か表舞台には立てないようだし。
安倍ちゃんを出汁にしての魂胆が透けて見えるから可笑しい。
しかし、何があったにせよここに来ての小沢一郎の凋落ぶりはある一つの時代の終焉か。
それに、そもそもこの国には「二大政党制」が根付くのかは国民性の問題として無理ではないか。
「死に票」を大量に出してしまう選挙制度にしても、「和をもって尊ぶ」という、
和らぎの民には似合わない。右か左かではない、シロかクロかではない・・・・・
長いものには巻かれ、水に流し、雨降って地を固め、そして腹に収め粛々とする。
つまり、小選挙区制では、それは戦いではなく「殺し合い」になってしまう。
その中でひとり勝ち抜いても、他者に学ぶことはできない。袖すりあえない世界。
「誰が小沢一郎を殺すのか」。
それは自分で自分の首を絞めたのかも。正論も時には無理がある・・・・・
小沢一郎は
誰に殺されるのか?