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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2012年10月17日

【高崎懐古】昭和の模型屋「沢田模型店」

【高崎懐古】
昭和の模型屋「沢田模型店」




まあ、「懐古」ってのはただその昔を懐かしむだけ。

で、「機関車の街」とかだが、その面影を偲ぶものは日常にはない。

精々が機関車、SLを走らせて郷愁をそそるくらいだろうか・・・・・

まっ、考えてみたら「SL」ってエコですね、電気使わないだけ(笑)。

石炭と水だけで走っちゃうんですから、蒸気機関。

つまり、原発はその原理を応用して動力じゃあなくて発電にでした。

で、「機関車の街」って言うんなら、大宮にあるやつみたいのとか・・・・・

松井田にあるやつみたいなのを廃墟となりつつある街中に、

「SL博物館」でもこしらえたら、東口が商業集客施設なんだし、

西口はミュージアムで、「懐古」というよりは「温故」。

つまり、「古きを温める」。大切にしましょうや。

そして明日に、未来に向けて「温故知新」。後期高齢者の観音様もいるし。

そしたらコレです、↓

Nゲージ、「箱庭シリーズ」で有名な河合商会が倒産
 鉄道模型を中心に堅調な業況が続いていたが、リーマン・ショック後の世界的な景気悪化でアジア向けの販売が減少したうえ、得意先の倒産による販路喪失などもあり、2009年8月期の年売上高は約2億4000万円に急減していた。以降は、2011年3月の東日本大震災による消費自粛ムードの高まり、円高による輸出採算の悪化などから、2011年8月期の年売上高も約2億5000万円と低迷。その後も業況回復の見込みが立たず、ここにきて事業継続を断念した。
<抜粋引用:帝国データバンク 10月17日(水)14時14分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121017-00010000-teikokudb-ind

「河合商会」とか、老舗じゃあないみたいですね。

創業が昭和48年とかだから、つまり団塊ジュニア世代をターゲットに。

それにしても、「鉄道模型」に特化ってかなり渋いんだけど・・・・・

まあ、玩具メーカーって田宮にしてもタカラにしても戦後の高度経済成長、

そして第一次ベビーブームと、団塊世代とそのジュニアによって興隆でした。

まあ、市場性の問題と、路線の問題でしょうねぇ。

たしかに、鉄道模型はノスタルジックにそそ割るけど、地団駄踏んで欲しがるものではない。

そのへんが、タカラトミー、田宮との違いだったんだろうか。

やっぱり、楽器メーカーもだけど、淘汰されちゃうんだろうかコダワリとかって。

で、僕らが子どもの頃、昭和30年代って言ったら玩具屋さんは盛況でしたね。

中銀にも大きな玩具屋さん、たしか「徳井」さんちじゃなかったかと・・・・・

そう、あの「フランス座」入口の路地角にあった。

まっ、ボクらの時代は玩具というよりは、模型。まあ、ほとんどが駄菓子屋さんの発展系。

近所には「やまもり」っていう駄菓子屋兼「模型屋」っていうか、

ここんちは、ゴム動力の「飛行機」が専門だった。ほとんどがそこのおじさんの手作り。

で、八間道路まで出ると、そこは別世界で横丁の模型屋とはワケが違った。

それが「沢田模型店」。北通町、黒沢薬局の角にそれはあった。

沢田には、エンジン付きの飛行機なんかも店の前で、アレはお兄さんだったろうか・・・・・

手のひらサイズのエンジンを掃除したりしていた。

もう一つ、アレは紺屋町だったんだろうか、繊維問屋「正木屋」のまん前にあった。

残念、屋号を失念してしまっている。紫文師匠が時々話のはしはしに。

間口一件ほどの細長い店で、可笑しいことに僕が酒を飲むようになってからのこと、

その模型屋さんの跡で、バンドの先輩が「焼き鳥屋」を始めたのには驚いた。

で、なんでその模型屋が忘れられないかっていうと、小学校5年の頃・・・・・

お年玉を貯めて、やっとの思いで買ったのが「HOゲージ」の電気機関車。

機関車はブリキみたいので出来ていて、線路も。で、交流トランスで動かすやつ。

しかし、そのトランス、大して遊ばないうちに火を噴いちゃってオジャン。

オヤジもおフクロも、「アブねぇ、火事んなるからもうよせ」ってぇことで・・・・・

っていうか、当時はかなり電力事情も悪くてよく停電にはなったし。

まあ、プラグにしたってかなり危ない状態で、よくショートしたりして(笑)。

それにしても、高崎の街から、いわゆる「模型屋」ってなくなっちゃいましたね。

僕の子どものおもちゃったら、娘三人だったので「おままごと」関係がいくつも。

でも、誕生日とかクリスマスとかで買ってあげても、スグ遊ばなくなっちゃう。

末娘の最後のオモチャは喋るオモチャで「ハービー」とか言う奴。

やっぱり飽きちゃって、電池が利いてる状態はひとりで喋ってたけど・・・・・

【高崎懐古】
昭和の模型屋「沢田模型店」




  


Posted by 昭和24歳  at 18:53Comments(1)

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