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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年12月10日

温故知新3

温故知新3



なあ、大久保ぅ・・・・・・
そろそろだなぁ、ええっ ???

あっ、は~っ。





ケツをまくる小沢一郎(笑)。
<2008/ 1/12 の日記>

小沢氏法廷へ:政界と検察に激震/「真実はどこに」(その1) 議決は代表選当日
毎日新聞 2010年10月5日 東京朝刊

・・・・・・・・東京地検による陸山会事件の捜査が進む今年1月。大阪地検特捜部長だった大坪弘道容疑者(57)=証拠品改ざん事件で犯人隠避容疑で逮捕=は陸山会事件について、「検察の命運をかけた捜査。大阪も側面支援する」と周囲に熱く語り、大阪特捜のエースといわれた前田恒彦容疑者(43)=証拠隠滅容疑で逮捕=を応援に送りこんだ。前田検事は小沢氏の元公設秘書、大久保隆規被告(49)の取り調べにあたった。


1993年細川護煕の「日本新党ブーム」以来・・・・・

この20年近い「政局」の結末がこれだっ!!

しかし国民の責任は将来の国民のために極めて大きい。

小沢一郎がなにしようが、この国の政治はすでに壊死状態なのだ。

民主党も全くその「政治」が機能不全状態に陥っている。

そもそも、民主党そのものがひとつの「政党」ではないことが露呈した。

「民主党」という看板を掲げるものの、その実態は・・・・・

自民党旧田中派、経世会の脱藩モノ、旧日本社会党、旧民社党。
それの長屋の寄合い所帯のようなもので、当然、身代は別。
はっきり言えば、なんのために「民主党」を言っているか・・・・・
それは、とりあえず「代議士であるためだけ」のそれだけの理由でしかない。
もちろん、「小選挙区・比例代表制」だからである。

結局、細川護煕で「55年体制」が終焉というが、終焉でもなんでもなくそれは「55体制」そのもの。

それにしても「テロ特」なんていうのはそんな重要な案件なんかじゃあない。
与党は与党で、「国際社会」をいうが、大方が撤退を決めるなかでなぜ「ガソリンスタンド」だけが国際貢献なのか全く意味不明である。
これで、米国の新政権が「止~めた」とでも言い出したら日本政府は一体どうするんだろう(笑)。

しかし、鳩山も「ア~パ~」だね。

「小沢代表は公務」だって(笑)。

選挙応援のどこが公務なんだ、エエッ!!???
そんなことを言ってるから、日本共産党からも「見識を疑う」なんていわれちまうんだ。

はっきり言って、その「55年体制」の延長線上にあった“金丸信”と“田辺誠”のような関係が、今の国対もそのまま。

もっとも、今回の小沢の「ケツマクリ」は、もう民主党、小沢のいうことを聞くやつがいない証左ではないか。
小沢の描いた画に誰も振り向かない・・・・・・

衆院再採決のあとのインタビューで長島某民主党議員は「新テロ特、無事可決してよかった」なんて言っていた。

まあ、その細川護煕の「日本新党ブーム」の際の、

「改革派」と「守旧派」

結局、その選挙制度からみれば政治体制そのものが「守旧派」そのもの。

その後の政治展開をみれば・・・・・・
既得権益階層がさらにその既得権益をゆるぎないものにするための立法、行政を推し進めてきた。

いわゆる、一般大衆消費者、賃金労働者への増税。
そして富裕層、不労所得者への減税・・・・・

そのことで、ますます冷える「個人消費」。
90%超が内需、家計消費のこの国の経済状況にあって、わずか10兆円の貿易収支黒字の、輸出大企業のための「円安政策」。
まあ、それだけではないが、この日本政府の「ドル買支え」政策は、そうした限られた輸出産業保護と、
米国財政補填、もちろん日本政府がそれを望んでするわけはないが、それは「強請られる」ようにして、
本来日本国民が享受されるべき経済的恩恵をアメリカに支出する。
当然、アメリカの戦争にも、政府海外開発援助にも・・・・・

そのために徹底して、日本国民への社会福祉の、医療費、教育費の切捨て。
そして、その政策のための借金、国債の償還に、さらに増税を言う。

悪化の一途の日本国情。

そもそも小選挙区制が国民の政治参加を閉ざした・・・・・
既得権益者はそこを上手く選挙区割りして。

ケツをまくる小沢一郎(笑)。
<2008/ 1/12 の日記>


avnf  


Posted by 昭和24歳  at 20:31Comments(0)

2010年12月10日

日米開戦 !!

日米開戦 !!



昭和16年、日米両国は最悪の関係に陥っていた。前年の日独伊三国同盟に徹底対抗を宣するアメリカ。大統領ルーズベルトは、すでに対日戦争の肚を固めていたのだ。日本は打開策を模索し、再三交渉の特使を派遣するが…。太平洋戦争全史を描いた唯一の大河小説、今よみがえる!全9巻。




牽牛子塚古墳 日本書紀通りに隣接して越塚御門古墳
毎日新聞 12月9日(木)21時27分配信

 奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳に隣接して、日本書紀の記述通り越塚御門(こしつかごもん)古墳が発見され、考古学的には両古墳が斉明(さいめい)天皇陵と孫の大田皇女(おおたのひめみこ)の墓であるとほぼ確定した。だが宮内庁は、同県高取町の車木ケンノウ古墳を斉明陵に、その南約80メートルの墳土を大田皇女墓と指定しており、今回の発見でも変更しない方針だ。宮内庁の陵墓の指定や管理を巡り、見直しや国民的議論を求める声が学界から上がっている。【大森顕浩、山成孝治、栗原俊雄、高島博之】

まあ、宮内庁とかが慌てているとか・・・・・・
そらそうです。
明治維新でどうしても「万世一系」を、
神話を「実話」にする必要があったわけですから(-_-;)


で、お国のために死んで靖国で神になる・・・・・・

まあ、本気で言っていたかどうか、当時の為政者。

しかし、戦後のこの国の日本的原理主義。

いわば僕ら世代“ボク的原理主義”ではないだろうか。

どう省みても“自由奔放”に過ぎたこれまでの人生。

ほぼその終末がちらちらしながらもその“自由奔放”さは少しも変わらない。

戦後、ほぼ同じ価値観・・・・・

特別の階級を除いてはあからさまな“弱肉強食”をその敗戦が保障した。

昭和11年生まれの先輩の話。

実は、その先輩が言うことには・・・・・・

「まさかこんな時代になるとはな」

その先輩、古希を目前にして商売では危ない橋を渡りながらもいわゆる“勝組”か。

終戦時・・・・・

「そうだなぁ・・・・・
昭和24年頃にはだいぶ落ち着いてきた。
新制中学の一年。
それでもそれまでの社会情勢は一変、今の政治、選挙なんていうもんじゃあない。
選挙権のなかった女連中、それにないも同然だった俺らの親父たち。
もっとも兄貴や叔父は戦死か復員間もない頃でまともな生活をしているわけじゃあない・・・・・・」

「それまでは学校に行けば校門に入るなり宮城に最敬礼で、
教室に入れば御真影に最敬礼・・・・・
兄貴や、姉たちは軍需工場やら、軍事教練。
日本が負けるなんて誰も思ってなかった。
そりゃあ、怖かった『アメリカ兵がくるぞ!!』の敗戦直後。」


戦争に負けるということ・・・・・

実は、僕らは知らない。

そして“神”、現人神であると言う“天皇”も知らない。

日本共産党の言うその“天皇制”云々も、

“米帝”云々も、

思想的ノンポリ以前に僕らは全く知らない。

実は、日本共産党の志位委員長でさえ“リアルタイム”ではないその思想。

現在の政治家、官僚のほとんどが“リアルタイム”ではない。

ましてや“冷戦”でさえだ(笑)。

幸か不幸かと言われれば、それは“幸”に決まってる。

この国の回りは戦争だらけなのに・・・・・・

米国でさえベトナム戦争、“70年代”までは徴兵制があった。

中国、韓国、台湾・・・・・言うまでもない。

そうしたとき、この国から見た“世界”と、

“世界”から見たこの国・・・・・・

いやこの国の“僕ら世代”。

否応に関わらず開かれてしまっているこの国の形。

そりゃあ、現、今上天皇にしたって、

次期、天皇の皇太子にしたってだ・・・・・

政治のいう“天皇制”。

戸籍も、納税義務もない“皇室”という、

ある種象徴と言うよりは、人間の存在としての“歪さ”に疑問はこの情報社会、

当然だろう。

ましてや、それまで民間人として官僚と言う特権階級にいたとしても、

それなりに自由に行動できたものが、手枷足枷どころか、心まで縛られては・・・・・

少なくとも、英国王室並に“失楽園”の自由とまではいかなくとも、

不倫、再婚・・・・・・

ウンチもすれば、オシッコもする“人間”。

泣き笑いの感情は万人に等しいのでは・・・・・

戦後世代。

軍国全体主義国家から、たったの一日を境に“民主主義国”になってしまったこの国の異質な世代。

その意味では、

僕ら世代、“ボク的原理主義”かもしれない。

世界とはだいぶ異なる文明社会。

外から眺めたら、余計にそう思うのではないだろうか。

ある種、文明鎖国。

戦勝国が決めた・・・・・・

日米開戦 !!  


Posted by 昭和24歳  at 18:37Comments(0)

2010年12月10日

民主党のメルトダウン(壊疽)

民主党のメルトダウン(壊疽)



1949年にジョージ・オーウェルは、近未来小説としての『1984』を刊行した。
そして2009年、『1Q84』は逆の方向から1984年を描いた近過去小説である。
そこに描かれているのは「こうであったかもしれない」世界なのだ。
私たちが生きている現在が、「そうではなかったかもしれない」世界であるのと、ちょうど同じように。







小沢氏の新党発言波紋 13日ヤマ…民主分裂も (1/3ページ)
2010.12.10 08:42 産経ニュース

民主党内外の人物相関図 民主党のメルトダウン(溶融)が始まった。菅直人首相(党代表)ら党執行部と小沢一郎元代表ら非主流派による党内抗争は、小沢氏が新党結成の可能性に言及する事態に発展。一方、党執行部は13日の役員会で小沢氏の国会招致への流れを作りたい意向で、招致に応じなければ小沢氏の処分も辞さない構えだ。党分裂の可能性を抱えつつ、政局は大きなヤマ場を迎える。(船津寛)

 小沢氏の国会招致を目指す岡田克也幹事長ら党執行部への批判は、9日も収まる気配はなかった。

 松木謙公農水政務官「そんなバカなこと…。とても考えられない」

 川内博史衆院議員「小沢さんのことを言う前に、まず自分がどうするのか」

 国会内の会議室には小沢氏に近い民主党1年生議員で作る「北辰会」のメンバー約20人が集まり、岡田氏への批判が続出した。



まあ、民主党だが、

メルトダウン(溶解)というよりは、それは・・・・・

壊疽
・・・・・・壊疽の最も有効な治療法は原因器官の血行再建術(en:Revascularization)であり、回復を示すことがある。他の治療法はデブリードマンや外科的切断(en:Amputation)である。治療法は壊疽の位置、組織障害の範囲によって決定される。壊疽は纏足で認められることがある。
<wikipedia抜粋引用>


腐臭、そして腐壊する様は嫌悪だ・・・・・・

まあ、それは「民主党」というよりは、この国の様なのかも知れない。

まさに「組織障害」の様。

つまり、「司令塔不在」で、党の最高責任者、最高指導者が、

「一兵卒」ひとりを、なんとも出来ずに「国会決議」を待つという「組織崩壊」。

先の総選挙で100人近い新人議員を生み出した「政権交代劇」とは一体何だったのか ???

それら新人議員、代議士の噂すら聞くことはない。

まあ、ダイビングしたとか、マンションの4階から転落したとか、秘書と不倫とか・・・・・・

まっ、一人当たりの経費、コスト1億円、100人といえば100億円が年間、浪費(-_-;)

その「一兵卒」、小沢がイケないというなら。トットト切ればいいだけの話で、

まあ、「政治とカネ」とかで、「起訴相当」とか、まあ、ソレもお白州でどうなるかの話。

そろそろ、国民、有権者もこの政府、内閣の体たらくにはうんざり気味である。

そもそもが、「政権交代」で、「政治主導」で、分かりやすい「政治」だったはずが・・・・・・

まあ、自民党と全く同じの「権力闘争」、お山の大将、サル山のボスより無様な画を見せている。

『1Q84』

中曽根第二次改造内閣が発足・・・・・・

この国の国富、国鉄、電電公社、専売公社の解体が法制化される。

まあ、国鉄以外は超優良企業だったのではなかったか、電話もタバコも(笑)。

で、焚きつけに、焚きつけて、その民営化株を暴騰させ国民の金融資産を詐取した旧大蔵省・・・・・・

日経平均が初めて10,000円の大台を突破で、終値10,053円81銭とか。

まあ、煽りに煽って「バブル」につき進むわけだが、「泥棒」するには流石上手い、どこの誰だか(-_-;)。

で、その中曽根政権後はご案内の三流政治家、誰とは言わないが、田中角栄曰く、

「県議上りでは内閣総理大臣は務まらない」

で、その県議上がりだが、下克上か何かはしらないが、闇夜に乗じるようにしてその地位に・・・・・・

まあ、その後は政府自民党、総裁、総理に就く者は全て泡沫か、二世。

つまり、権力の世襲、富の世襲で、まっ、外では「戦争真っ只中」なわけだから、篭の鳥の日本国。

どう逆立ちしたって、世界に叶うはずがない政治(-_-;)。

その意味では2009年、「政権交代偽装」。つまり、ホントの「政権」、権力は他所に。

まあ、そのことを国民に再確認させた菅民主党の功績はけして小さくない・・・・・・

で、民主党、早く溶けてなくなってください。それとも切り落としましょうか「壊疽」。

民主党のメルトダウン(壊疽)  


Posted by 昭和24歳  at 15:16Comments(1)

2010年12月10日

グアム島「行商紀行」とか

グアム島「行商紀行」とか



「マリファナを吸ってなぜ悪いんだ」煙に誘われ、僕は退屈な日本にサヨナラを告げた。タイ北部の秘境「黄金の三角地帯」、ヒッピー世界三大聖地のひとつネパールのカトマンズ、激しい内戦下のトルコ…。行く先々で手に入れた多種多様なドラッグがもたらす幻想と出会い。十九歳の初体験以来、放浪を続けた青春の旅行記、アジア・中近東編。

まあ、ぼくら世代、団塊世代とか。
いろんな奴がいましたっけ。
で、今じゃ、爺さんになっちゃって・・・・・・



世界は面白い・・・・・

まあ世界とはいっても僕なんざぁ、香港と韓国と、アメリカ西海岸くらいだが・・・・・

音楽仲間は実に愉快だ。

未だ独身の頃だが所謂「ヒッピー」というのが流行っていた頃のことだ。

既にベトナム戦争は終わり、学生運動も拍子抜けした頃のことで、

その矛先は「成田闘争」へと向かっていた、そんな時代。

「グァムで商売になるぜ」

と、バンド仲間の米国籍の奴が言った・・・・・

要するに、グァム島に日本の「ヒッピー商品」を卸すのだという。

実はその頃は70年代も半ば、ロックもだいぶ下火になっちゃって、

僕らは拠点を恵比寿と軽井沢に移し、

軽井沢のバーゲン屋で一年を暮らそうなんていういい加減な若造だった。

若造とはいっても既に24歳になっていて、それでも虚勢を張るわけでもなく・・・・・・

実は、いっぱしのつもりでいた。今思うとお恥ずかしいが。

あの時代、軽井沢でひとシーズン2、3坪の店を借りて家賃40万くらいだっただろうか。

とにかく極楽トンボの青春、最後の時代だった。

12月、浅草橋、横山町で子供だましのアクセサリーを50万ほど仕入れてグァム島に持込んだ。

それをグァム島の商店にセールスして歩くのだ・・・・・

グァム島にはなぜか、インド人の商店主が一番多かった。

その次が、華僑、そして韓国人。

で、グァム島には周りの島々からクリスマスの頃ともなるとその商店主が仕入れにくるのだそうだ。

持込んだ商品は二日ばっかりで全て売れた。

聞けば、インド人は無茶苦茶商売上手だという・・・・・

そう言えば、香港でもインド人の商店主は多かった。

まあ、インド人とはいっても、あの手の顔は僕なんかはみんなインド人に見えてしまうから、

それが正真正銘のインド人であるかどうかは定かではない。

そこで知り合った、香港人に・・・・・

「今度その商品香港へ持ってこないか」

と、誘われた。

根っからの極楽トンボの僕は、すっかりインチキ貿易商を気取ってしまっていた。

12月初め、雨季にさしかかったグァム島は雨ばかり・・・・・

それも日本でいえば台風のような雨。スコールとか。

それに海にはナマコの大群で、とてもじゃあないが遊ぶどこではなかった。

もっともその頃のグァムは未だ、信号がひとつもないといったようなところで、

72年、恥ずかしながら復員した横井庄一さんの洞穴を見学したくらいか(笑)。

つい1年半前ほどの「日本兵発見」の話だった・・・・・

翌年、グァム島で知り合った香港人を香港島のワンチャイに訪ねた。

もちろん注文の品物をしこたま持って。

なんだい・・・・・貿易商を気取ったつもりが、ただのカツギ屋だった。

飛行機の中では観光で香港に行く日本の「ノーキョー」さん、僕への興味本位の眼差し。

もっとも僕はいっぱしの貿易商人のつもりだったから結構態度がでかかったのかもしれない(笑)。

よく考えたら、髪の毛ぼさぼさ(流行のロン毛)にTシャツ、穴だらけのジーパン。

実のところはよほど奇天烈に見えたのかもしれない。

パックツアー大盛況の頃で、200キロほどの手荷物も団体に潜り込んで、

超過料金、オーバーウエイトチャージなし。

旅行会社(近鉄)の添乗員に袖に下を渡して・・・・・・

当時はちょうどニクソンショックから3年ほど、1ドルが300円ほどだっただろうか。

対円、香港ドルが54円くらいだった。

軽井沢の売れ残り商品をかき集めて、香港で卸す。

あそこもインドネシア、マレーシア等の商人が香港へ仕入れにくる。

その香港人のワンチャイのお店、超高層ビルの一階に・・・・・・

入口の看板には「日本時装」と書かれている。

所謂、日本の流行ファッションブティックといったところだろうか。

一年中が真夏の国の東南アジア・・・・・

日本のサマーバーゲン商品は大好評だった。

ちょうど、原宿、竹下通りが流行りだした頃。

日本製、出来はしっかりしているし、ファッションセンスもいい。

モノは瞬く間に売れた・・・・・・

で、その売り上げで、エレキとかを並行輸入、まあ、これも担ぎ屋(笑)。

そんな「担ぎ屋商法」、3年ほど続いただろうか。

しかし1ドルが200円を切りそうになり、香港ドルが28円になった頃。

商売にはならなくなった・・・・・・

つまり「円高」で、輸出していては損が出てしまうからだった。

まあ、次第の円高でフェンダーとかギブソンとかの「エレキの仕入れ」には好条件だったが、

「日本時装」のようなわけにはいかなかった。

まあ、そうこうする内に、「お水系」のバンドの仕事が忙しくなり・・・・・・

と、同時に、アメリカに帰っちゃったバンド仲間から「エレキメーカー」の話が。

井の中の日本人、大海を知らず。

まさにそのままの僕。

いや、知らないから出来ている。

知っていたら臆病風が先に吹いてそんな経験も出来なかっただろう。

僕は、娘たちにも言っていた・・・・・

一度だけの自分の人生。

少しくらいの貧乏は気の持ちようだ。

思いっきり生きろって。

みんなそうしてる・・・・・

みんなとはいっても今のところは長女と次女だが。

まあ、末娘もそろそろそんな年頃。

その時代その時代、思いっきり生きる。

思いっきり生きれば、まず横道にそれることはない。

井の中の蛙だろうが、

井に中の「蛙掛け」が勝負のしどころかな(笑)。

万事塞翁が馬。

そう、今まさに「塞翁が馬」なのだろう・・・・・・

グアム島「行商紀行」とか  


Posted by 昭和24歳  at 07:29Comments(0)

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