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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年12月08日

日米開戦の日に思ったこと。

日米開戦の日に思ったこと。



軍需物資の大半を海外に頼る日本にとって、海上の物資補給線を確保することは、戦争を遂行する上での生命線であった。にもかかわらず、日本は「太平洋シーレーン」を確保するプランを持たないまま開戦に突入した。勝算はない。船舶は不足し、海上護衛の考えのない日本は、輸送船を次々と沈められ、戦争計画は根本から崩れていった。「合理的全体計画」を持てない、今に引継ぐ日本の決定的弱点。







僕の姉は生後1年半で父出征中に死にました。

父が出征したのはその姉が生まれる3ヶ月前・・・・・

敗戦、北支からシベリアへ。

昭和22年の復員とかと聞いています。

帰れると聞いて父は喜んだかどうかは聞いたことがありませんでしたが・・・・・

長姉がいうには、父はその1歳半ほどで死んだ娘の仏前で嗚咽していたそうです。

父の二人の妹、そして弟の死、友人に戦死・・・・・

32歳で徴兵されての出征の父。

僕の過ごして来た人生とは天国と地獄ほどの差です。

父は昭和40年11月に53歳で死にました。

僕が15の時です。

復員して17年後くらいでの死・・・・・

何のための人生だったんでしょうか、父の人生って。


32歳で、4歳、2歳の娘ともうすぐ生まれるはずの子どもを残し出征。

正直、僕なら逃げますね・・・・

できるなら(笑)。

大東亜戦争がアジア開放の史実・・・・・

それは結果ではないでしょうか。

あの戦争の目的として結果的にそうなったということではないでしょうか。

誰某の史実への評価・・・・・

それは世界史、学問的評価は大衆の生き死ににはあまり意味がない。

史実として学問的論証はあくまでも学問、机上です。

それは今日の政治でもこの経済状況の中での政策に、

政府は経済指標は順調に推移というが・・・・・

その一方で10年連続の3万人を超すこの政策に起因すると見られる自殺者。

政府は統計から、倒産件数は減少し、雇用も増加とはいうものの実態は数字のつじつまあわせ・・・・・

ここまで倒産したら少しは減少してもらわないと(笑)。

年間3万人を超える自殺者にもそれに至るまでの本人、家族の苦境・・・・・

それは政府の政策で戦火に晒された僕等の父母世代のそれに似ている。

「アジアの忠臣蔵」

忠臣蔵には原因があり結果があり、双方が評価され、美談・美挙となった。
一方、大東亜戦争は原因を一切不問にされてしまい、結果だけを評価され、卑怯者呼ばわりされる結果となった。
だが、事実そうだったのであろうか? 
真珠湾奇襲の原因は、紛れも無い、西欧各国のアジア侵略であった。



そこに歴史認識を置くのもいいでしょう。

それをいうなら、この国も既に明治維新で欧米列強に精神的にも、経済的にも侵略されている・・・・・

日清日露戦争にしろ欧米列強の世界戦略の一環ではないだろうか。

そして日中戦争から、満洲建国も米国との経済戦略に端を発した日米開戦の道筋ではないか。

既に東アジアを植民地とし、中国を傀儡としていた欧米列強・・・・・・

日本の軍事力を使っての大陸への経済的侵略、

明治維新より僅か半世紀強の時間での出来事・・・・・・

今日の外務省を見るように、欧米、日本の維新政府からのほぼ二世代、

戦略的観点から「ならず者国家」に貶めるは今時、イラク、北朝鮮とほぼ同実。

イラク、フセイン政権は欧米のてによって作られた・・・・・・

北朝鮮はソ連、中共によって。

僕等この齢に「普通」に戦争を思うとき・・・・・

それは一人の普通の国民に罹る災いと不幸。

天災なら、それはそれで諦めもつくが・・・・・・

人が人を、それも国家という名の下で一人の人間、ひとつの家族が被る厄災。

これは、60年余他国をおいて平和を享受した今、戦争の正義、大儀を探すことはあまりにもあさましい。

机上の戦略で南方では玉砕が・・・・・・

そして机上の戦略で本土決戦を叫んだ、戦争責任者。

「アジアの忠臣蔵」

これからの日本の青年は、お国のためから世界のため、
人類のために立ち上がらねばならない使命を与えられているのです。 
これぞ日本民族の天職です。 
青年よ飛び立て、そして世界を救へ。


・・・・と結んでいますが。

もうひとつの道を探ることも考えられませんか・・・・・

日米開戦の日に思ったこと。
  


Posted by 昭和24歳  at 20:52Comments(3)

2010年12月08日

ジョン・レノン射殺、没後30年

ジョン・レノン射殺、没後30年









ジョン・レノン射殺から30年 記念の地にファン続々
産経新聞 12月8日(水)10時25分配信

 【ニューヨーク=松尾理也】元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークの自宅アパート前で凶弾に倒れてから、8日で30周年を迎える。当日夜には、殺害現場に面し、ジョンを記念して設けられたセントラル・パークの一角「ストロベリー・フィールズ」でファンたちがキャンドルサービスを計画しているほか、すでに続々とファンが訪れ、それぞれの「30年前」に思いをはせている。

【フォト】没後30年を迎え、未発表曲3曲が入った「ジョン・レノンBOX」も発売

 7日午後、思い思いにありし日のジョンをしのんでいた市民や観光客のひとりでマサチューセッツ州在住の製材業、コルビー・トーマスさん(49)は、カナダ・ユーコン準州からやってきた女性と、会話を弾ませていた。実は会うのはこれが初めて。だが15年前にジョンのファンサイトを通じて知り合ってから、2人はずっと連絡を取り合ってきた。

<以下本文>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101208-00000517-san-ent


その意味では僕の歴史はジョン・レノンに始まって、

「ジョン・レノン」で終わるのかもしれない。

昭和40年12月、高崎、砂賀町のダンスホール「社交」のステージでギターを弾く僕。

姉から譲り受けたポータブルレコードプレイヤーで、すり減るまで聴いたビートルズ・・・・・・

それは嘉多町にあったサカイレコードで買ったEP「抱きしめたい」、確か180円。

当時、音楽センターの掃除のアルバイトが一回100円だったから、2回分(笑)。

それにしても、初めて聴いたその「エレキ」の衝撃は今でも思い出すとゾクゾクする。

まあ、そのころ「エレキ」といえば不良の代名詞だったけど・・・・・・

その「ダンスホール」は別世界だった。もちろん「不良」の溜まり場で、知った顔の同級生も(-_-;)。

しばらくすると、高崎では人気ナンバーワンの「ザ・プラネッツ」からドラムでの誘いがあった。

なんでも、「ザ・プラネッツ」のドラムとギターがリサイタル終了後にプロになるため辞めるとかで。

「ザ・プラネッツ」は高崎のもうひとつのダンスホール「みゆき」の看板バンドだった・・・・・・

で、その「ザ・プラネッツ」、実は「ビートルズ」ではなく「ローリングストーンズ」をカヴァー。

正直、僕は「ストーンズ」は趣味ではなかったが、その「ザ・プラネッツ」のオープニング、

♪タイム・イズ・オン・マイ・サイド♪のかっこよさには一発で参ってしまった(-_-;)。



で、その「ザ・プラネッツ」だが、僕のあとに参加したリードギターの時男ちゃんの影響で・・・・・・

ビートルズの楽曲も演奏するようになった。

しかし、リードボーカルの高木さん、どうやらビートルズが苦手で、

まあ、自称「高崎のミック・ジャガー」だったわけで、ビートルズの楽曲は僕か時男ちゃんが歌うことになった。

まあ、時男ちゃん、「サージェント・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバムを買い込んで・・・・・・・

それをコピーとかだたから、高木さんの困った顔と言ったらなかった(笑)。

それでも、最後の音楽センターリサイタルでは♪レディ・マドンナ♪を何とかヤッタv(=^0^=)v



で、「ザ・プラネッツ解散」で、ひとり夜汽車に飛び乗る。

っていうか、東京まで、赤羽で赤羽線に乗り換えて、池袋から山手線で渋谷へ。

そこからが僕の極貧の「ミュージシャン生活」っていうか修行が始まるわけですけど・・・・・・

まあ、ソコ、「渋谷」が全てです(-_-;)。

で、「挫折」です。この楽曲↓が上手く叩けず敢無く「クビ」(笑)。



まあ、この楽曲↑だけじゃあなかったんですけど・・・・・・

♪ゲット・バック♪とか♪カム・トゥギャザー♪とか、ほとんどがダメでした。

まっ、そんなこんなで半世紀余、そのまんまの昭和24歳です(-_-;)。

しかし、「ビートルズ」の東京、武道館公演は衝撃でした・・・・・・



昭和41年(1966年)6月30日・・・・・

しかし、なんとシンプルなセットだこと(笑)。

ジョン・レノン射殺、没後30年  


Posted by 昭和24歳  at 18:24Comments(1)

2010年12月08日

SF日米開戦“真珠湾攻撃” !!

SF日米開戦“真珠湾攻撃” !!



1941年12月7日(ハワイ時間)、早朝の陽をうけて、日本軍の攻撃隊が、未だ眠れる真珠湾に降りそそいだ!本書は、世界を驚嘆させたこの奇襲の、空中攻撃隊の総指揮官であった著者が、運命の“その日”から8年の歳月を経た後、記録と記憶を頼りに書きのこした、当事者ならではの臨場感あふれる貴重な手記である。日本海軍が全てを賭けて遂行した「真珠湾作戦」の全貌を、迫真の筆致で活写する。





北朝鮮、ペクリョン島沖に砲弾=自国側海域に着水、訓練か
時事通信 12月8日(水)11時9分配信

 【ソウル時事】北朝鮮が8日午前9時(日本時間同)すぎ、黄海の南北境界線海域に近い韓国の白※(※=令の右に羽)島(ペクリョンド)北東の北朝鮮側海域に砲弾を発射したと韓国軍合同参謀本部が同日明らかにした。同本部は通常の訓練とみているが、11月23日の延坪島砲撃以後、北朝鮮が境界線海域に砲弾を発射したのは初めて。
 軍関係者によると、7日も北朝鮮側で砲声が響いた。8日は、白※島北東沖の韓国が海上境界線とみなす北方限界線(NLL)の北側海域に、北朝鮮が砲弾を発射したことがレーダーで捉えられたという。北朝鮮の海岸に近い海域に数発が着水したとみられ、韓国軍が確認を急いでいる。 



まあ、木村拓哉とかの、「宇宙戦艦ヤマト」なんだけど・・・・・・

この時期、笑わせてくれます(´∀`*)。

まっ、現実、北朝鮮もなんですけど、70年ほど昔と少しも変わってません。

っていうか、当時は朝鮮半島はなかったわけですけど。

で、日中戦争から、日米戦争、「真珠湾攻撃」とかでした↓



まあ、時の内閣総理大臣・・・・・・

「内閣総理大臣」といえば、まあ、今でいえば「菅直人」です。

つまり、「政治」です、そんなもんです(笑)。

まあ、大東亜戦争とか太平洋戦争とか、第二次世界大戦とかですけど、

人間の欲望の極みですね、戦争って・・・・・・・

で、何十万、何百、何千万人が死ぬ、犠牲になろうとも、

その「欲望」は、果てしないわけです。

まあ、愚かしいことですけど、人間社会って、ちっとも進歩してません(-_-;)。

っていうか、「政治・経済・社会」ですから、ソレが、アホくさいですけど、

で、まあ、SF“真珠湾攻撃”でも、皆さんお一人お一人が考えてみてください。

つまり、宇宙戦艦ヤマトも良いですけど、本物の大日本帝国「戦艦大和」は・・・・・・・

5兆円の建造費で、一度も戦う事なく撃沈されちゃいましたから(-_-;)。

まあ、今日の「大日本帝国」の写し絵です。

「神州ニッポン」とか、まあ、結果、「竹槍」だったわけですから、国民心しませう。

SF日米開戦“真珠湾攻撃” !!  


Posted by 昭和24歳  at 16:22Comments(0)

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