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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2016年10月10日

“一”と“はじめ”はコカ・コーラの商標登録です(笑)。

“一”と“はじめ”はコカ・コーラの商標登録です(笑)。



コカ・コーラもふざけてる(笑)。


思わず「コラッ・コーラ」と言いたくなった。

それにしても、

“はじめ”と“一”はコカコーラの商標登録ですとは、言いがかりもいいところだ・・・・・

「パパの名前がテレビに出てるよ!」

娘がキャッキャと騒ぎながら僕に言った。

なんでもコカ・コーラの製造販売するペットボトルの“お茶”が、

“一”の“はじめ”なんだそうだ。

なにが商標登録だ・・・・・
訴えてやる!(笑)。

俺は生まれついて“一”の“はじめ”だ。

人の名前を勝手に使いやがって、挙句が商標登録だとぅ!!

全国の“横一はじめ”で集団訴訟だ(笑)。

やたら、“はじめ、はじめ”と五月蝿くて敵わない・・・・・・
アメリカなら相当高額な賠償金、
それも、商標登録無効裁判かなんかで・・・・・・
もし使うなら“一”使用料を頂く。

なんてったってこっちには戸籍謄本に67年前から載ってるんだから。

昨日“一”を買ってみた。
飲んでみた・・・・・・

なんだ、どれもお茶。
同じじゃあねぇか。
御託並べて、人の名前連呼して・・・・・
ボトルにはでっかく“一”の文字。

“一”は不味いなんていうことになれば名誉毀損だ。

僕が「不味い」ということになってしまう。

で、この記事、2005年の投稿だから・・・・・

で、「一」ってホントにまずかったらしくて今ではコカ・コーラのラインナップにはないです。

で、今はセブンイレブンとイトーヨーカ堂の限定販売だって。ふざけやがって。

こら、名誉棄損だな!!

“一”と“はじめ”はコカ・コーラの商標登録です(笑)。

  


Posted by 昭和24歳  at 19:51Comments(0)

2016年10月10日

非正規年収200万円以下、でもGDPは上昇?

非正規年収200万円以下、でもGDPは上昇?

六人に一人いるとされる「子供の貧困」を放置すると、年間約四〇兆円が失われ、国民一人ひとりの負担が増える!「かわいそう」では済まされない日本の最重要課題を、データ分析、当事者インタビュー、学術研究の紹介から国内外の先進的な取組みまで、包括的に論じつくす。

安倍って国民ナメてるよねぇ。
高齢化社会がボーナスだって。
労働者が減ってGDPが上昇って、
どんだけピンハネしてるわけ、国民所得を。


非正規労働者 .
7割が年収200万円届かず…連合など調査

 非正規労働者が2000万人を超す中、非正規の7割が年収200万円に届かないことが、連合などのアンケートで分かった。アベノミクスの成果を強調する安倍晋三首相の国会答弁「妻が景気がよくなっていくからと働き始めたら(月に)25万円(年収300万円)」にはほど遠く、食事の回数を減らしたり、医者にかかれなかったりという貧困の実態が浮かんだ。

 調査は非正規の家計や暮らしぶりを把握する目的で行われ、首都圏や中京圏、関西圏の20〜49歳のパート、契約、派遣社員など約2000人が回答。自分の収入が世帯収入の半分以上を占める「主稼得者(しゅかとくしゃ)」(単身世帯は全員該当)と、世帯収入の半分未満の家計補助者に分けて集計した。

 それによると、全体では「年収100万円未満」が38.4%と全体の4割近くと最多で、「100万円以上200万円未満」の31.7%と合わせて7割が収入200万円に届いていない。主稼得者では男性の37.5%、女性の48.9%が「ワーキングプア(年収200万円以下の貧困層)」の範囲に入った。

 また、主稼得者の世帯では「貯蓄なし」が27.9%、「生活苦への対策で食事の回数を減らした」が20.9%に上った。「医者にかかれなかった」も13.0%あった。また、家計補助者も合わせた全体で未婚は53.5%、男性に限ると89.6%に上る。年収が低いほど未婚率は高い。連合非正規労働センターの杉山寿英次長は「非正規雇用を起点に少子化や貧困の連鎖など社会のゆがみが生まれている。処遇改善が急務だ」と話す。【東海林智】

毎日新聞2016年1月20日 11時51分
http://mainichi.jp/articles/20160120/k00/00e/040/231000c

>安倍「妻が景気がよくなっていくからと働き始めたら(月に)25万円(年収300万円)」

まあ、馬鹿の一つ覚えで「アベノミクスは成功してるんです」(笑)。

「失業率は民主党政権の時より低くなってるんです」、しまいには「仕事がないよりいいわけです」って、アホデス。

言っとくけど、安倍首相って作りものですからね(笑)。

まあ、他の政治家も昼行燈です。まっ、GHQっていうか、横田がコントロールしてるんでしょう。

で、ロシアとチョメチョメって、外務省のお公家集団が鉛筆なめて安倍をチョメチョメです。

だいたいが、北方領土にしたって、現実がロシアの極東軍事基地なんだし・・・・・

まあ、今のアメリカが落ち目の三度笠、ヒラリーにトランプですから、アドミニストレーター逃げてるのかも。

で、安倍首相「4島帰属」って沖縄並みっていうことでしょ、つまり、ロシア極東軍事基地、思いやり予算(笑)。

で、シヴェリア開発とか言ってバンバン、ジャカスカ金くべて、国民は貧困。世話ないです。

まあ、団塊世代、あと20年もすればきれいさっぱり消えてなくなるからいいんだけど、じゃあ、今の非正規族はどうすんの?

20年後には全員が中高年、なんか想像しただけでもおぞましい世の中だよね。

>未婚は53.5%、男性に限ると89.6%に上る。年収が低いほど未婚率は高い。

「男性に限ると89.6%」が一人もん。お一人様なんて笑ってられない・・・・・

世の中のシステムがそういうことになっちゃってるだからどうにもならないけど、そんなこと言ったら戦後はどうだったのかです。

つまり、団塊世代という、その前後併せてで1200万人からの子供が生まれた。

そんなもん、貧困なんってぇもんじゃあない。新婚生活鍋釜がやっとで、4畳半一間の生活。

まあ、言ったらオール「非正規」みたいなもんです。そんでも、貧しくたって子供ができて楽しい我が家。

「貧乏人の子沢山」と言われながら、米だってその日に食う分だけ米屋に買いに行くとか・・・・・

味噌、醤油の貸しっこなんて日常茶飯事で、そらどこも貧乏だから「子ども食堂」どころじゃアないわけです。

考えたら、あの時代の政治家は偉かったっていうか、知恵があったんですね今の連中とは大違い。

組合がそうです。つまり、その時代の人間、やる気があった。で、そのシステム中曽根政権でほぼ壊滅だったけどね。

ほんとなら、今だって組合は組織できる、運動できる・・・・・

まあ、国鉄にしたって、郵政にしたって、半分が非正規なんだから、、もともと取り分が少ないんだから暴れりゃあいいんだ。

「生活できない、結婚できない」なんて言ってないで、パッションです。まあ、政府の教育が国民骨抜きにしちゃった。

時々仲間同士話すんだけど、みんな貧乏で先行き未透視つかない時代に「うたごえ喫茶」とか、「若い根っこの会」とか。

高崎には「メダカの会」っていうのもあったけど、そういう活動の中で若い男女、結婚した人も多かったわけです。

「きっかけがない」とか「機会がない」とか言ってるけど、そんなもん、自分で作らなくちゃあ、パッションです。

まあ、草食系男子、肉食系女子とかいうけど、だいたい少子化で、親がかりで、親が何とかしてくれる・・・・・・

でも、そろそろ、親、死んじゃいますから、で知り合いにもいるけどかなり資産があって55歳独身、婚活中。

両親とも死んじゃって、もう「お一人様歴」7年目。そういうの知り合いに5人います。

まあ、呑気でいいのも、親が生きていたころだけですね、まっ、嫁さんがいて、ガミガミ言われて、子ども育ててっていう作業は大変です。

でも、それが生きるパワーになってる。つまり、「人になれた」つうことかな。そこにいろんな生活の知恵も備わる。

今日も、60代集まってストリートライブやってきたけど、みんなパッション、喜怒哀楽を感じてます。

だから、非正規なんてくそくらえです。非正規で非正規同士が組織して自分たちで待遇改善を要求すればいい。

労働人口、6人に一人が非正規なら、それって猛烈な「政治的パワー」ですから、非正規、怖いもんなしです。

まあ、肩落として、背中丸めてちゃダメ。「ゆとり教育」ってこうゆうことだったんだね・・・・・・

非正規年収200万円以下、でもGDPは上昇?
  


Posted by 昭和24歳  at 17:07Comments(0)

2016年10月10日

団塊世代の「青春の光と影」(赤ちょうちん)

団塊世代の「青春の光と影」(赤ちょうちん)

それは昭和49年、僕らの始まりでもあった・・・・・

“赤ちょうちん”というか♪神田川♪なんだけど・・・・・・
僕が手拭いをマフラーにして、彼女が石鹸カタカタ言わせたのは成田町の竹の湯でした。
たしかに、裸電球で西日さえあたらない街はずれのアパート。
驚いたことにそのアパートあるんです42年前のまま。もちろんだれも住んではいませんけど・・・・・

で、よく二人で“赤ちょうちん”へ行きました(笑)。


さて、先輩、某氏の「みっちゃんとは神田川やってました」 コメントに・・・・・

ぼくの「赤ちょうちん」を、ひとくだり。

あれは昭和49年も春の宵(実際は冬なんだけど)。
25歳のしがないバンドマンとマーちゃんの「神田川」でした(ホントは長野堰)。

その「赤ちょうちん」。

それは、縄暖簾のその隣にに“さも”といった趣でぶら下がる“赤ちょうちん”。

まあ、麻生太郎風にいうなら、いわゆる「下々のみなさん!!」だが、庶民のオアシスとでも云ったところだ。

それなりの歴史が染み付いたというか、手入れの具合のいい店だったりすると・・・・・
柱もカウンターも黒光りしていて歴史を偲ばせる。
そんな、気の利いたというか、オアシスと言うか、夢のような“赤ちょうちん”はもうない。

「ぐつぐつ」と煮えたぎるモツ煮の大鍋も相当年季が入っているのか小気味良い。
それが音を奏でながら客をまっている。

そう・・・・・そんな店があった・・・・・

そんな店はなにも小奇麗である必要はない。
できれば、灯りは「松下式二股ソケット」の「紐付き2段切替スイッチ」あたりが隙間風に撫でられてかすかに揺れていると嬉しい。
それにいくらかヒシャゲタ“アルマイト製”の灰皿と、箸もけして割りばしなんかじゃあなくて、やはり年季の入った漆塗りのやつ。
そして格子の障子窓には雨露を耐え忍んだであろう、幾重もの染みでもあれば肴には困らない。

そして、そして、その開け閉めにはいつも一工夫、難儀させられる滑車の引戸・・・・・・
もちろん格子に曇りガラスで取っ手の所は庶民の血と汗と涙が染み付いて黒光りしているやつ。
時期でも良ければ、開け放たれた障子、格子の隙間から知った顔がチラホラ覗ける。
それでもどう云うわけか素のままだとそれなりに気を遣いながら開けかけた暖簾をそっと避けて具合のいい席を選る。

「お二人さん、ここが空いてるよ」

と、常連さんだろう何気に心やすい。

そう云った店は団体で来る客はそうはいない。大概が一人か二人と決まっている。
それでも3人寄らずとも、そこそこに仕上がってくるとつまらない揉め事を肴に結構賑やかになる。

贅沢なブランデーやウイスキーなどは無い精々がニッカかトリスの「角」、それもポケットだったりする。
店の中は口角泡を飛ばし、日々日頃の溜飲を下げるかのような俄か天下人の五月蝿さが滑稽さを誘う。

で、夏場には蝿取り紙にと捕まっちまった蝿が裸電球にに透けてジタバタしているさまも一興。

贅沢だろうか・・・・・?

そうかもしれない。否、贅沢である。
本当に贅沢であった。今はもうその店はない・・・・・

“中熊”

僕らはそれを、「チュークマ」と呼んでいた。
それは高崎の夜の政官財界奥座敷として名を馳せていた“宇喜代”の路地を挟んだ、その辻向かいに“中熊”はあった。
“宇喜代”がお偉方の奥座敷なら、“中熊”は「労働者の奥座敷」といったところだろうか・・・・・
それにしても棲み分けの良い時代であったものだ。

“中熊”は亭主は厨房で肴を、おかみさんはカウンターで鍋守奉行。
何と言っても、一番のウリ「モツ煮込」である。相当に年季の入った仕込であることはその味が証明している。
器は瀬戸物、箸はけして割箸などであろうはずがない。ご案内で、上物ではないにしろその塗り箸のおもてなし・・・・・
それに、時季の“漬物”。これが絶品である。当然、夏場は茄子と胡瓜、カブ、の糠漬け。そして冬場は白菜漬けとなる。

申し訳ないが、その漬物に「煮込み」があれば、“宇喜代”とて敵うまい!!
とは言うものの、小生、“宇喜代”とやらに上がれるほどの身分でないのでその比べを知る由もない、只の僻みかもしれないが。
何しろ、“宇喜代”とやら、蛇が出るのかヘビが出るのか畏れ多く・・・・・
そこで一体どんなものを飲ませて食わせてくれるのかは想像もしたことが無いのだから。

酒の銘柄は憶えていないが、その“中熊”・・・・・・
と云ううより“中熊」”を、「チュークマ」と呼ぶくらいだから、小生、頂くのはもっぱら焼酎。
ご存知の「ウメ割」だ。これも矢鱈と逸品である。

分厚いカットグラス。そんな気取った物ではないただの分厚い「コップ」。
まあ、その分厚いコップにも「赤ちょうちん」ならではの、それなりの商いのコツがあったようだ。
その分厚いコップとその皿受けに零れても尚、並々と注いでくれる「ウメ割り」。

中学で習った?

小学校だったか、「表面張力」。その表面張力に嬉々としながら・・・・・
まず、両手を膝の上に置き、嬉しさを隠し、徐を装いながらグラスに口づけ、「チューッ!!」っとイクッ!!

まさに、それこそが「チュークマ」の所以であった。

途中、溢れ零れた皿受けの「ウメ割」を、まるで子どもの頃に駄菓子屋で「さぐり」に当たった時のような気分でコップに戻す。

<少し増えている・・・・・>
 
裸電球に透かして量を確かめ「ニンマリ」する。

その“チュ―クマ”のもうひとつの売りは「濁り酒」だ。
誰とはなしに酒飲みが度胸試しのつもりでそれを覚える。変な話、胃カメラの時の「バリュウム」のような感じが最初の覚えである。
慣れて来ると確かに美味いに違いは無いが兎に角、足腰に来るのが騒ぎである。僕は2杯目は遠慮する事にしていた。

“チュークマ”のそれは、昭和45年、僕が当時隆盛の「キャバレー」でドラムを叩いていた頃の時代が始まりだった。
まあ、そんな店は今はもうない・・・・・
いや、一つや二つはないとあまりにも寂しすぎるので、大事にしまって置いてあるところが、あそことあそこにある。

そのあたりを次回は描いてみたい。

団塊世代の「青春の光と影」(赤ちょうちん)   


Posted by 昭和24歳  at 09:24Comments(0)

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