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2013年05月01日
ヤマダ電機にも栄枯盛衰か!??
ヤマダ電機にも栄枯盛衰か!??

今年、ヤマダ電機は年商2兆円を突破、家電量販業界では初の快挙だ。次の目標は年商3兆円、市場シェア30%という。大都市の中心部から郊外まで、47都道府県すべてへの出店を達成、3兆円のためにはさらに中国進出も決定。向かうところ敵なしのヤマダ電機だが、しかしその実情はどうなのか?その手法は果たして有効なのか?広範な取材をもとにヤマダ電機のかかえる問題を浮き彫りにする。
ヤマダ電機、全取締役が降格=山田会長は社長復帰
家電量販大手のヤマダ電機は30日、16人の全取締役を降格させると発表した。山田昇会長(70)が6月27日付で社長に復帰するほか、一宮忠男社長(57)が副社長、末席の取締役兼執行役員常務は取締役兼上席執行役員となる。会長は空席。
ヤマダは4月22日、地上デジタル放送への移行が完了したことに伴うテレビ需要の減退が響き、2013年3月期の連結純利益予想を前期比62%減と大幅に下方修正した。一斉降格人事について「心機一転、一丸となって事業計画達成に向かう決意」(経営企画室)の表れだと説明している。(了)
<引用:時事通信 2013/4/30 19:15 >
ソース:http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130430-00000127-jijnb_st-nb
>2013年3月期の連結純利益予想を前期比62%減と大幅に下方修正した。
まあ、ダイエーも、ダイエーほどではないにしても・・・・・
ヤオハンもそうだった、「飛ぶ鳥を落とす勢い」というが、まさにそれだった。
しかし、寿命は30年、それがピークだろう。つまり、「成り上がり」。
叩き上げが「株式公開」、そして「上場」はまあ、積年の願望というか野望。
しかし、結果、証券会社のマネーゲームにさらされて、引くときの引き潮は冷徹だ。
コレ、↓
年明け早々、家電流通関係者の間に驚くべき情報が駆け巡った。「ヤマダ電機が十二月末、二十店舗の賃貸料の支払いをジャンプし、一時的に資金ショートした模様。ただし、金額は不明」という未確認情報だ。
>「ヤマダ電機が十二月末、二十店舗の賃貸料の支払いをジャンプし、一時的に資金ショートした模様。ただし、金額は不明」
年商、3兆円を狙う全国一の家電量販店・・・・・・
まあ、その売り上げもモンスターなら、管理費もモンスターだ。
それが、さらに成長をつづけるには縮小する日本市場ではなく「世界」。
それも「経済成長」が約束されたアジアしかない。
しかし、かつてのヤオハンもものの見事に餌食にされた。
つまり、アジア市場は消費者の質も、それを取り囲む企業、事業家の質も全く日本とは異なる。
その意味では「日本一」になるところで、ほとんどの「日本一」は・・・・・
その業界の中での戦国時代を「冷徹」に勝ち抜いてきたが、世界、アジアと互とき負ける。
「TPP」じゃあないが、「パートナーシップ」なんっていうものは通用しない。
まさに、そこにあるのは「弱肉強食」、食うか食われるか、さらに「マネーゲーム」が追い打ちする。
まあ、例えとしては比べもんにならないが僕自身が香港で経験した冷酷な華僑ビジネス。
「日本健康食」という、いわゆる「ほか弁」を香港で立ち上げ、約半年・・・・・
繁盛したと思ったら、福建省の潮州ファミリー、唯一日本語の話せるパートナーが夫婦して、
突然、僕の前から姿を隠した。
もちろんその「ほか弁」の出資者はそのファミリーのボスであることをその時知った。
その「ほか弁」ショップは香港三越の地下鉄出口のところという一等地で、
家賃は日本円で200万円だとか言っていた。もっともそのパートナーの香港での月商・・・・・
「日本時装」、つまり、女性ファッションの卸と自店舗2か所で2000万円くらいは行っていたから、
彼、パートナーの言う話はまんざらではなかった。昭和56年当時。
東京渋谷にオフィスを借り、原宿のマンションメーカーの在庫、軽井沢の在庫、横山町の在庫、
岐阜の、船場の在庫と買い漁る。もちろん「香港人」の同業者と、それは時間を争う戦だった。
まあ、日本人のメンタルとは天地の差なんだろうけど。
知り合いだった香港人の友人に「日本語習いたいというやついるから面倒見て」という話に、
高崎で約半年、某サパークラブでアルバイトを紹介して、アパートも借りて・・・・・
つまり、「就労不能」の観光ビザだったから不法滞在。
その間、そのパートナーの奥さんも何度か来て急速に接近していった。
その時、その彼が毎日食べていた「ほか弁」にひらめいたそうで、それは電光石火だった。
「ほか弁」に関する用材の仕入れから食材の仕入れまで、びっくりするくらいのお金が動いた。
そして、開店して半年・・・・・
僕を見送ったのはそのパートナーの奥さんのお父さん、言葉は全く通じなかった「広東語」。
で、ヤマダ電機なんだが、高崎が本店ていうのも可笑しな話だよね。
平日の「ヤマデン」は微妙に空間だし、B-1の売り場も空気がない、所詮が・・・・・
ヤマダ電機にも栄枯盛衰か!??

今年、ヤマダ電機は年商2兆円を突破、家電量販業界では初の快挙だ。次の目標は年商3兆円、市場シェア30%という。大都市の中心部から郊外まで、47都道府県すべてへの出店を達成、3兆円のためにはさらに中国進出も決定。向かうところ敵なしのヤマダ電機だが、しかしその実情はどうなのか?その手法は果たして有効なのか?広範な取材をもとにヤマダ電機のかかえる問題を浮き彫りにする。
ヤマダ電機、全取締役が降格=山田会長は社長復帰
家電量販大手のヤマダ電機は30日、16人の全取締役を降格させると発表した。山田昇会長(70)が6月27日付で社長に復帰するほか、一宮忠男社長(57)が副社長、末席の取締役兼執行役員常務は取締役兼上席執行役員となる。会長は空席。
ヤマダは4月22日、地上デジタル放送への移行が完了したことに伴うテレビ需要の減退が響き、2013年3月期の連結純利益予想を前期比62%減と大幅に下方修正した。一斉降格人事について「心機一転、一丸となって事業計画達成に向かう決意」(経営企画室)の表れだと説明している。(了)
<引用:時事通信 2013/4/30 19:15 >
ソース:http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130430-00000127-jijnb_st-nb
>2013年3月期の連結純利益予想を前期比62%減と大幅に下方修正した。
まあ、ダイエーも、ダイエーほどではないにしても・・・・・
ヤオハンもそうだった、「飛ぶ鳥を落とす勢い」というが、まさにそれだった。
しかし、寿命は30年、それがピークだろう。つまり、「成り上がり」。
叩き上げが「株式公開」、そして「上場」はまあ、積年の願望というか野望。
しかし、結果、証券会社のマネーゲームにさらされて、引くときの引き潮は冷徹だ。
コレ、↓
年明け早々、家電流通関係者の間に驚くべき情報が駆け巡った。「ヤマダ電機が十二月末、二十店舗の賃貸料の支払いをジャンプし、一時的に資金ショートした模様。ただし、金額は不明」という未確認情報だ。
>「ヤマダ電機が十二月末、二十店舗の賃貸料の支払いをジャンプし、一時的に資金ショートした模様。ただし、金額は不明」
年商、3兆円を狙う全国一の家電量販店・・・・・・
まあ、その売り上げもモンスターなら、管理費もモンスターだ。
それが、さらに成長をつづけるには縮小する日本市場ではなく「世界」。
それも「経済成長」が約束されたアジアしかない。
しかし、かつてのヤオハンもものの見事に餌食にされた。
つまり、アジア市場は消費者の質も、それを取り囲む企業、事業家の質も全く日本とは異なる。
その意味では「日本一」になるところで、ほとんどの「日本一」は・・・・・
その業界の中での戦国時代を「冷徹」に勝ち抜いてきたが、世界、アジアと互とき負ける。
「TPP」じゃあないが、「パートナーシップ」なんっていうものは通用しない。
まさに、そこにあるのは「弱肉強食」、食うか食われるか、さらに「マネーゲーム」が追い打ちする。
まあ、例えとしては比べもんにならないが僕自身が香港で経験した冷酷な華僑ビジネス。
「日本健康食」という、いわゆる「ほか弁」を香港で立ち上げ、約半年・・・・・
繁盛したと思ったら、福建省の潮州ファミリー、唯一日本語の話せるパートナーが夫婦して、
突然、僕の前から姿を隠した。
もちろんその「ほか弁」の出資者はそのファミリーのボスであることをその時知った。
その「ほか弁」ショップは香港三越の地下鉄出口のところという一等地で、
家賃は日本円で200万円だとか言っていた。もっともそのパートナーの香港での月商・・・・・
「日本時装」、つまり、女性ファッションの卸と自店舗2か所で2000万円くらいは行っていたから、
彼、パートナーの言う話はまんざらではなかった。昭和56年当時。
東京渋谷にオフィスを借り、原宿のマンションメーカーの在庫、軽井沢の在庫、横山町の在庫、
岐阜の、船場の在庫と買い漁る。もちろん「香港人」の同業者と、それは時間を争う戦だった。
まあ、日本人のメンタルとは天地の差なんだろうけど。
知り合いだった香港人の友人に「日本語習いたいというやついるから面倒見て」という話に、
高崎で約半年、某サパークラブでアルバイトを紹介して、アパートも借りて・・・・・
つまり、「就労不能」の観光ビザだったから不法滞在。
その間、そのパートナーの奥さんも何度か来て急速に接近していった。
その時、その彼が毎日食べていた「ほか弁」にひらめいたそうで、それは電光石火だった。
「ほか弁」に関する用材の仕入れから食材の仕入れまで、びっくりするくらいのお金が動いた。
そして、開店して半年・・・・・
僕を見送ったのはそのパートナーの奥さんのお父さん、言葉は全く通じなかった「広東語」。
で、ヤマダ電機なんだが、高崎が本店ていうのも可笑しな話だよね。
平日の「ヤマデン」は微妙に空間だし、B-1の売り場も空気がない、所詮が・・・・・
ヤマダ電機にも栄枯盛衰か!??