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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2008年04月17日

天引き

天引き

日本の老人医療が“無料化”されたのは1973年。戦後からの高度経済成長はピークを迎え・・・・・・
大方の日本人は日本の明るい未来を信じ若者は一生懸命働けば21世紀の老後は国の社会保障制度が生活を支えてくれると教えられた。

1973年(昭和48年)といえばヴェトナム戦争ではアメリカの撤退、時は田中角栄内閣。
そして僕はミュージシャン修行と称して今風に言えばフリーターか・・・・・
なぜか正月にも家には帰らず新宿紀伊国屋の街頭テレビでWBAフライ級タイトルマッチ大場政夫の防衛戦を見ていた。

その1973年(昭和48年)、今日の“後期高齢者”の皆さんは今から35年昔は40歳働き盛りの企業戦士で、
まさに高度経済成長の牽引役で納税もし、年金も負担し、健康保険料も相当額を“天引き”されていた。
それもこれも、家族を養い、その家族、そして自分の明るい未来を信じて・・・・・

思えばその後期高齢者の皆さん、あの無謀な戦争、敗戦、その直後は食べ盛りの12、3歳。
そして昭和24、5年からは戦後復興の貴重な労働力“金の卵”だった。
そして老人医療費が無料化された1973年(昭和48年)、そのころは健康保険料も給料からばっちり“天引き”されたであろう。
そしてバブル崩壊の頃に定年、年金生活。しかしその明るい未来にも政府は財政難を理由に年金給付年齢の改正、給付額の改定・・・・・

年間支払われる医療費が32兆円超。そして老人医療費が10兆円超。
少子高齢化、この日本のその構造的変革はとっくの昔にわかっていたことではなかったのか。それをいまさらのように言う政府。
おもちゃの兵隊、防衛費に、米軍思いやり予算に、テロ特措法に、湾岸戦争支援に〆て年間10兆円。
公共事業には国地方で80兆円、政府系独立行政法人に12兆円超・・・・・

そればかりではない、特別会計という国会で一切審議されない歳入歳出が240兆円。
当然その中に健康保険会計も入っているのだが、その“20%”からが、無駄遣いというより中抜きされているとも。

やがて人間は否応なく高齢化、老人になる。
それは今日生まれた赤ちゃんも、小学生も中学生も20代の若者も確実にそうなる。
そしてその中で“医療”というのはもっとも重要な問題であり、大切なことではないのか。

本来なら、国、行政のやるべきことは他の事業予算を削ってでも“国民の安心”に施策を講じるべきではないのか。

そして今日の不況、財政難・・・・・・
その責任は一体どこにあるというのか。すべてこのように政策決定してきた政府にあるのではなかったか。
国地方の公務員給与の総額が37兆円超。さらに政府機関のみなし公務員の給与10数兆円。
そして都合が悪くなったかどうかはわからないが民営化、民営化の日本道路公団は年間1兆円からの溜りが。首都高速も。

1億2千万人のうち数パーセントの人間が莫大な借金を作りそれを国民に背負わせ、
そこにいう公務員は平均年間所得700万円とも800万円とも・・・・・
民間の凡そ倍の所得を何のためらいもなく受け、それどころかその増額を要求する。

公務員、その公僕が国民の生活を豊かにし、ゆるぎない安心をもたらしているのなら、いくら高給を食んでも称えこそすれ、非難などはしない。
それが国民がこれほど疲弊し、しかも年金だけを便りに生活する高齢者をさらに不安に貶める。

いくらでも、高齢者、老人医療費などは捻出できるではないか。
政府は歳出配分をかえるだけだ!!

しかし“天引き”とはよく言ったものだ。
ここでも“天”なのか(笑)。
  


Posted by 昭和24歳  at 17:58Comments(0)

2008年04月17日

メルティング・ジェネレーション“団塊世代”

“団塊世代”

池口小太郎(堺屋太一)――――――

池口小太郎がなんで“堺屋太一”なのかはわからないが、その池口小太郎氏の著書が『団塊世代』。
せめて大臣になった時くらいは本名“池口小太郎”を名乗ればよかったものと思うのだが・・・・・
そう言えば日本共産党の頭目も本名は“上田健二郎”とかで見栄を張って“不破哲三”とかの渾名で大衆の目を曇らせている。

まあそんなことはどうでもいいが、最近どうでも良くないと思っていることがある。実に世の中が“ヘン”である。
そう思うしかない事件がこの『団塊世代』――――とくにその男社会に“生物本能的”な異変が起きているような気がしてならない。

『団塊世代』――――――

これを辞書で引くと“グレープ・ジェネレーション”とある。つまりは“葡萄の房”のような“ひと塊”と言うことらしいのだが。
その『団塊世代』。“葡萄の房”が、どうやら戦後60年を経て腐りかけて、溶け始めているのではないだろうか。
つまり、“メルティング・ジェネレーション”『溶解世代』ではないか。

“戦後”――――実は「敗戦後」と言うのが正確な表現だろう。

その“敗戦後”。突然として下げ渡された“民主主義”と“婦人”の人権の確立。
けして悪いことではなく、むしろ歓迎されるべきことだったのだが・・・・・・
あまりにも急激な“自由”と“民主主義”であったがためにその副作用らしきものもあったのではないだろうか。
どんな良薬でも副作用があるように。

そしてここで言う『団塊世代』はその副作用の中、成長してきたように思われる。
それが昨今の、なんとも「モノが“饐えた”ような」、それが“腐臭”を放つような事件の数々に見るような気がしてならない。
そしてその“副作用”が家庭崩壊、家族崩壊。
実は、家族の中心、家庭の中心、大黒柱はその“副作用”の末の男“父親”などではなく、女“母親”だったのではないかと最近思い始めている。

なぜなら―――――子どもは男の子も女の子も“母親”の影響は極めて大きい。

父親にその影響があるとすれば、精々が良くて“反面教師”でしかない。
要するに子どもの成長には“父親”と言う存在は「いないよりいたほうが・・・・・」といった“マシ”程度でしかなく、
かえっていない方がいい時の場合の方が多い(笑)。
その実、僕自身が子どもの時はどうも“オヤジ”は出来ればいないほうが・・・・・・
存在しない方がということではなく、
今風に言うなら「亭主元気でルスがいい」といった感覚だろうか、どうも煙たい存在で“オヤジ”がいるときの家は居心地が悪かった。とくに思春期のそれは。
しかしながら自分自身がそんな“オヤジ”になっているのだからなんともイヤハヤだが・・・・・・

“ヒト”が生きる――――――

“ヒト”が社会生活を送る上においての男、いわゆる“オス”の役割は種の保存・存続以外の用は大してなしてない。
“ヒト”以外の動物の場合は大方がそのようで『それ』さえ済ませてしまえばたいていはお払い箱である。

“ヒト社会”でも実は“そういうこと”がただ隠されているだけで実態は動物のそれと変るところはないのではないかと。
男“オス”の社会活動は実はその“ヒト社会”の雑用をさせられているに過ぎない。
肉体構造からしてそのような仕組みで、“肉体労働”、雑用に適しているようにできている。

“ヒト社会”から『経済』と言うものをのぞけばそこには自給自足。農業、漁業であろうが工業であろうが・・・・・・
いつの場合も“エネルギー”を最大限に消耗させいつしか“労働”苦役が美徳とされるように“オス”の脳内にはプログラミングされているようだ。

男を見るときそれにはたしかに経済的自立はこの“ヒト社会”においては最も重要とされているようだが、
それ以前に“ヒト”として自立しているかどうかだろう。
このことは、男“オス”という生き物が他の生き物の社会では見られない“ヒト社会”オスだけにあると思われる、

同種同族(属)の殺し合い。いわゆる『戦争』。
少なからず“ヒト社会”のオスの脳内には生存の理由という、原始的には生存競争もあったろうがその『戦争』と云うものがプログラミングされている。
またそれをさせているのも実は、女“メス”ということもひとつの事実だが。

母親を見ると大体その“ヒト”の男は分かる・・・・・・
母親というものは子ども(オス)を胎内から生み出し二足歩行し知恵がつきだし思春期を向かえてもなお自分の従属物であると本能的に思い込んでいる。
そして多くの母親はその成長過程にある子ども(オス)の『甘え』には最大限に応える。
そこのところが、男“オス”の“ヒト”として一人立ちできるかできないかの分岐点ではないか・・・・・・

“妻”に母親を見る男“オス”

どんな無理難題も引き受けてくれる“母親”という存在。
多くの男“オス”は妻“メス”に母親を見る。見てしまう・・・・・・

今盛んに世間は囃す『熟年離婚』。

残念ながら今はその熟年の男に最大限の甘えを許す“母親”はいない。
いたとしても老身の母親でしかなく、最早、そんな“オス”が甘えるかつての“母親”ではない。
40年近く“ヒト社会”の雑用、苦役をさせられ気付けばその社会は一変していた。
既に“狩”の出来ない“オス”を暖かく温めてくれる“ヒト”はどこにもいないことに気付く。

四の五の言って取り留めがないが、

その『団塊世代』――――――

よくよく考えてみると“女”はその範疇にいないように思えてならない。

“女”はメルティング・・・・・“溶解”するどころかマスマス元気、闊達そのもの。
溶解と言うよりは“妖怪”ではないかとさえ思えてきてしまう(笑)。

怒られてしまう・・・・・・考えすぎるのはよそう。

まあ、濡れ落ち葉、溶けてしまうフリをするのも一考かも知れない。
最近スーパーなどで意気揚揚とするカミサンの後を力なく歩く年金受給以外にさほど用もなさそうなご亭主のお姿をよく見かける。
おそらく僕もそんな一人なんだろうが(笑)。

  


Posted by 昭和24歳  at 05:08Comments(2)

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